熊楠の粘菌研究が突出した充実度を見せ始めるのと同時に人間のセクシャリティの多様性にも言及することが俄然増える。
「『日本紀』にも、神功皇后、紀伊に到りたまいし時、両男子相愛し、死して一穴に葬られしことあり」(南方熊楠「奇異の神罰」『浄のセクソロジー・P.252』河出文庫)
次の箇所。「祝(はふり)」は神職の一つだが、神主、禰宜、ではなく、その下に位置する。神主や禰宜が男性であったように、この場合の「祝(はふり)」も男性。だから男性同士ということになる。
「小竹(しの)の祝(はふり)と天野(あまの)の祝(はふり)と、共(とも)に善(うるは)しき友(とも)たりき。小竹の祝、逢病(やまひ)して死(みまか)りぬ。天野の祝、血泣(いさ)ちて曰はく、『吾(われ)は生(い)けりしときに交友(うるはしきとも)たりき。何(なに)ぞ死(し)にて穴(あな)を同(おな)じくすること無(な)けむや』といひて、則(すなは)ち屍(かばね)の側(ほとり)に伏(ふ)して自(みづか)ら死ぬ。仍(よ)りて合(あは)せ葬(をさ)む」(「日本書紀2・巻第九・神功皇后摂政元年二月~三月・P.162」岩波文庫)
次のエピソードは男性同性愛ではなく異性愛を取り上げている。犯されるのは或る男性の妻。だが仏教説話という仮面を剥がしてみるとわかるのは、或る男性による別の男性に対する底知れぬ嫉妬深さについてである。
「聖武天皇の御世(みよ)に、紀伊国(きのくに)伊刀郡(いとのこほり)桑原(くはばら)の狭屋寺(さやでら)の尼等(あまたち)発願して、彼(そ)の寺に法事を備(まう)け、奈良の右京の薬師寺の僧題恵禅師(だいゑぜんじ)を請(う)け、十一面観音の悔過(けくわ)を奉仕(つかへまつ)る。ーーー『無用の語を為(な)す。汝(なむぢ)、吾が妻に婚(くながひ)す。頭(かしら)罰(う)ち破(わ)らるべし。斯下(いや)しき法師』といふ。悪口多言(あくくたごん)、具(つぶさ)に述ぶること得ず。妻を喚(よ)びて家に帰り、即(すなは)ち其の妻を犯す。卒爾(にはか)に摩羅(まら)に蟻(あり)著(つ)きて嚼(か)み、痛み死にき」(「日本霊異記・中・僧を罵(さいな)むと蛇婬するとにより、悪病を得て死にし縁 第十一・P.109」講談社学術文庫)
夫妻は紀州に住んでいる。妻は仏教の信者であり、或る時、紀州の女性同志とともに十一面観音を祭り法会を行った。それを知った夫は寺に乗り込み、出てきた僧に向かって「お前は私の妻を犯した」と告発する。なぜ「犯す」という語彙が用いられているのか。諸説ある。だが、ただ単なる仏教説話集の一つとして見ている限り、何が実行されているのか、事態の生々しさは見えてこないだろう。だから少し手を入れてみることにしたい。
例えばの事例で言うとすれば、それまでずっとキリスト教徒だった妻が突然イスラム教へ転向したようなものだ。なので「妻を喚(よ)びて家に帰り」、《改めて》、即座に「其の妻を犯す」ことで妻の再転向を試みたと見るのが妥当だろうと思われる。「犯す」ことは他の領域を侵犯することである。だから可能な限り速いうちに再侵犯することで元へ転向し直すことが可能だと信じたのだろう。ところがこの夫は連れ戻した妻を犯しはしたが今度はさらに自分の男性器を「蟻」(あり)によって噛み尽くされ死んでしまう。男性器丸ごと去勢された。なぜなら、妻はまだ斎戒(物忌み)中の身であり、思想信仰の転向は済んでいないからである。にもかかわらずその間に性行為を強制されたため、強制した夫の側が去勢されることになった。それにしてもなぜ「蟻」(あり)なのか。噛み切ることに主眼が置かれているからだ。鋏(はさみ)でも包丁でも構わない。だがそれでは俗世間の生活必需品を用いたことになる。なので日頃はそのような用途とは無関係なばかりか人間を殺害することなど不可能な蟻という動物を凶器として出現させ、逆に人間の側が殺されるという転倒が人知を超えた事態として描かれることになる。この辺りに、最初期仏教説話の中に残された原始的アニミズムの遺産を見て取ることができるだろうと思われる。
次もまた同性愛ではなく異性愛のケース。場所は紀州でなく南河内。しかし熊楠は同じ論文の中で上げているので続けて見てみよう。
「時に未甲(ひつじさる)の間に、段雲(たなぐも)り雨降る。雨を避けて堂に入るに、堂の裏(うち)狭少(せま)きが故に、経師と女衆と同じ処(ところ)に居り。爰(ここ)に経師婬(たは)れの心熾(さかり)に発(おこ)り、嬢(をみな)の背(せかな)に踞(うずくま)り、裳(も)を挙げて婚(くなが)ふ。マラのクボに入るに随(したが)ひて、手を携へて倶(とも)に死ぬ。唯(ただ)し女は口より漚(あわ)を噛齧(か)み出(いだ)して死にき」(「日本霊異記・下・法花経を写し奉る経師(きやうじ)の、蛇婬を為(な)して、以て現に悪死の報(むくい)を得し縁 第十八・P.132~133」講談社学術文庫)
事態の急変はまず天候の急変から始まる。急に雨が降り出す。狭い堂の中に一人の「経師」(写経・製本職人)と女性らが密集する形になる。経師は矢も盾もたまらず前にいた一人の女性を犯してしまう。だが死ぬのはなぜか男女両者ともにだ。さらに無惨なのは女性の側の死に方である。蛇婬の「婬」が「おんなへん」なのは「道成寺縁起」と同じ。そして「道成寺縁起」の舞台は紀伊国牟婁郡真砂(まさご)である。実在の道成寺は富田川の中流域にほど近い。「平家物語」の熊野参詣の条に出てくる岩田川はこの富田川の中流域のことを指す。
「やうやうさし給ふ程に、日数(ひかず)ふれば岩田(イハダ)河にもかかりたまひけり。『此(この)河の流れを一度もわたる者は、悪業(アクゴウ)・煩悩(ボンナウ)・無始(ムシ)の罪障(ザイシヤウ)消(き)ゆなる物を』とたのもしうぞおぼしける」(新日本古典文学大系「平家物語・下・巻第十・熊野参詣・P.235」岩波書店)
一方、「道成寺縁起」では日高川を渡るシーンがある。岩田川と日高川との間は随分距離がある。さらに道成寺は岩田川に近い。なのになぜ日高川なのか。「道成寺縁起」に出てくる日高川は、日高川全体から見れば中流域の巨石密集地でくねくね曲がっている地域に当たっている。岩田川もまた富田川中流域の巨石密集地に当たる。この地形から考えると、かつて熊野の山中に原始的巨石信仰が存在したことが見えてくるに違いない。
さて、異性愛から再び同性愛に戻ってみよう。熊楠は古代ギリシアのディオティマの言葉に触れているが、ディオティマはソクラテスの前でこう言っている。
「もし人がこれら地上のものから出発して少年愛の正しい道を通って上昇しつつ、あの美を観じ始めたならば、彼はもうほとんど最後の目的に手が届いたといってもよい」(プラトン「饗宴・P.125~126」岩波文庫)
熊楠の愛読書だった「御伽草子」から。今は昔、近江の石山寺で修行していた僧の夢に「容色華麗ナル兒(チゴ)」が現われた。
「礼盤(ライバン)ヲ枕ニシテチトマドロミタル夢ニ、佛殿ノ錦ノ帳ノ内ヨリ容色華麗ナル兒(チゴ)ノ、イフ計ナクアテヤカナルガ立チ出デテ、散リマガヒタル花ノ木陰ニ立チヤスラヒタレバ、青葉勝(ガチ)ニ縫(ヌヒ)シタル水干ノ、遠山櫻ニ花二度咲(サ)キタルカト疑ハレテ、雪ノ如(ゴト)クフリカカリ、是ヲ袖ニツツミナガライヅ方ヘ行クトモ覺エヌニ、暮行クケシキニ消エ、サテ見エズナリヌト見エテ、夢ハスナハチ覺(サ)メニケリ」(日本古典文学体系「秋夜長物語」『御伽草子・P.461~462』岩波書店)
余りに美麗な兒(ちご)の出現に、僧は、所願成就し修行を達成した、と考える。居眠りしていたのも、まだ修行を続けなければならない身なのかと半分嘆いていたところだったので、思いもよらぬ美麗な兒(ちご)の出現はようやく訪れた満願成就の徴(しるし)に思われた。
「是則(コレスナハチ)所願成就ノ夢想ナリトウレシク思ヒテ、マダ東雲(シノオンメ)ノ明(ア)ケ果(ハ)テヌ間(マ)ニ立チ歸リヌ。外ヨリ来ルベキ物ヲ待ツヤウニ、今ヤ道心ノオコルト待チ居(イ)タレバ、猶山深ク住(ス)マバヤト思ヒシ心ハウチ失(ウ)セテ、夢ニ見(ミ)エツル兒ノ面影、時ノ程モ身ヲ離(ハナ)レズ」(日本古典文学体系「秋夜長物語」『御伽草子・P.462』岩波書店)
けれども今度は、夢に出てきた兒(ちご)の美童ぶりについて、一瞬たりとも忘れられなくなってしまう。僧は元いた比叡山へいったん帰るが、再び石山寺の方角へ歩いていく。どうするのだろうか。
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「『日本紀』にも、神功皇后、紀伊に到りたまいし時、両男子相愛し、死して一穴に葬られしことあり」(南方熊楠「奇異の神罰」『浄のセクソロジー・P.252』河出文庫)
次の箇所。「祝(はふり)」は神職の一つだが、神主、禰宜、ではなく、その下に位置する。神主や禰宜が男性であったように、この場合の「祝(はふり)」も男性。だから男性同士ということになる。
「小竹(しの)の祝(はふり)と天野(あまの)の祝(はふり)と、共(とも)に善(うるは)しき友(とも)たりき。小竹の祝、逢病(やまひ)して死(みまか)りぬ。天野の祝、血泣(いさ)ちて曰はく、『吾(われ)は生(い)けりしときに交友(うるはしきとも)たりき。何(なに)ぞ死(し)にて穴(あな)を同(おな)じくすること無(な)けむや』といひて、則(すなは)ち屍(かばね)の側(ほとり)に伏(ふ)して自(みづか)ら死ぬ。仍(よ)りて合(あは)せ葬(をさ)む」(「日本書紀2・巻第九・神功皇后摂政元年二月~三月・P.162」岩波文庫)
次のエピソードは男性同性愛ではなく異性愛を取り上げている。犯されるのは或る男性の妻。だが仏教説話という仮面を剥がしてみるとわかるのは、或る男性による別の男性に対する底知れぬ嫉妬深さについてである。
「聖武天皇の御世(みよ)に、紀伊国(きのくに)伊刀郡(いとのこほり)桑原(くはばら)の狭屋寺(さやでら)の尼等(あまたち)発願して、彼(そ)の寺に法事を備(まう)け、奈良の右京の薬師寺の僧題恵禅師(だいゑぜんじ)を請(う)け、十一面観音の悔過(けくわ)を奉仕(つかへまつ)る。ーーー『無用の語を為(な)す。汝(なむぢ)、吾が妻に婚(くながひ)す。頭(かしら)罰(う)ち破(わ)らるべし。斯下(いや)しき法師』といふ。悪口多言(あくくたごん)、具(つぶさ)に述ぶること得ず。妻を喚(よ)びて家に帰り、即(すなは)ち其の妻を犯す。卒爾(にはか)に摩羅(まら)に蟻(あり)著(つ)きて嚼(か)み、痛み死にき」(「日本霊異記・中・僧を罵(さいな)むと蛇婬するとにより、悪病を得て死にし縁 第十一・P.109」講談社学術文庫)
夫妻は紀州に住んでいる。妻は仏教の信者であり、或る時、紀州の女性同志とともに十一面観音を祭り法会を行った。それを知った夫は寺に乗り込み、出てきた僧に向かって「お前は私の妻を犯した」と告発する。なぜ「犯す」という語彙が用いられているのか。諸説ある。だが、ただ単なる仏教説話集の一つとして見ている限り、何が実行されているのか、事態の生々しさは見えてこないだろう。だから少し手を入れてみることにしたい。
例えばの事例で言うとすれば、それまでずっとキリスト教徒だった妻が突然イスラム教へ転向したようなものだ。なので「妻を喚(よ)びて家に帰り」、《改めて》、即座に「其の妻を犯す」ことで妻の再転向を試みたと見るのが妥当だろうと思われる。「犯す」ことは他の領域を侵犯することである。だから可能な限り速いうちに再侵犯することで元へ転向し直すことが可能だと信じたのだろう。ところがこの夫は連れ戻した妻を犯しはしたが今度はさらに自分の男性器を「蟻」(あり)によって噛み尽くされ死んでしまう。男性器丸ごと去勢された。なぜなら、妻はまだ斎戒(物忌み)中の身であり、思想信仰の転向は済んでいないからである。にもかかわらずその間に性行為を強制されたため、強制した夫の側が去勢されることになった。それにしてもなぜ「蟻」(あり)なのか。噛み切ることに主眼が置かれているからだ。鋏(はさみ)でも包丁でも構わない。だがそれでは俗世間の生活必需品を用いたことになる。なので日頃はそのような用途とは無関係なばかりか人間を殺害することなど不可能な蟻という動物を凶器として出現させ、逆に人間の側が殺されるという転倒が人知を超えた事態として描かれることになる。この辺りに、最初期仏教説話の中に残された原始的アニミズムの遺産を見て取ることができるだろうと思われる。
次もまた同性愛ではなく異性愛のケース。場所は紀州でなく南河内。しかし熊楠は同じ論文の中で上げているので続けて見てみよう。
「時に未甲(ひつじさる)の間に、段雲(たなぐも)り雨降る。雨を避けて堂に入るに、堂の裏(うち)狭少(せま)きが故に、経師と女衆と同じ処(ところ)に居り。爰(ここ)に経師婬(たは)れの心熾(さかり)に発(おこ)り、嬢(をみな)の背(せかな)に踞(うずくま)り、裳(も)を挙げて婚(くなが)ふ。マラのクボに入るに随(したが)ひて、手を携へて倶(とも)に死ぬ。唯(ただ)し女は口より漚(あわ)を噛齧(か)み出(いだ)して死にき」(「日本霊異記・下・法花経を写し奉る経師(きやうじ)の、蛇婬を為(な)して、以て現に悪死の報(むくい)を得し縁 第十八・P.132~133」講談社学術文庫)
事態の急変はまず天候の急変から始まる。急に雨が降り出す。狭い堂の中に一人の「経師」(写経・製本職人)と女性らが密集する形になる。経師は矢も盾もたまらず前にいた一人の女性を犯してしまう。だが死ぬのはなぜか男女両者ともにだ。さらに無惨なのは女性の側の死に方である。蛇婬の「婬」が「おんなへん」なのは「道成寺縁起」と同じ。そして「道成寺縁起」の舞台は紀伊国牟婁郡真砂(まさご)である。実在の道成寺は富田川の中流域にほど近い。「平家物語」の熊野参詣の条に出てくる岩田川はこの富田川の中流域のことを指す。
「やうやうさし給ふ程に、日数(ひかず)ふれば岩田(イハダ)河にもかかりたまひけり。『此(この)河の流れを一度もわたる者は、悪業(アクゴウ)・煩悩(ボンナウ)・無始(ムシ)の罪障(ザイシヤウ)消(き)ゆなる物を』とたのもしうぞおぼしける」(新日本古典文学大系「平家物語・下・巻第十・熊野参詣・P.235」岩波書店)
一方、「道成寺縁起」では日高川を渡るシーンがある。岩田川と日高川との間は随分距離がある。さらに道成寺は岩田川に近い。なのになぜ日高川なのか。「道成寺縁起」に出てくる日高川は、日高川全体から見れば中流域の巨石密集地でくねくね曲がっている地域に当たっている。岩田川もまた富田川中流域の巨石密集地に当たる。この地形から考えると、かつて熊野の山中に原始的巨石信仰が存在したことが見えてくるに違いない。
さて、異性愛から再び同性愛に戻ってみよう。熊楠は古代ギリシアのディオティマの言葉に触れているが、ディオティマはソクラテスの前でこう言っている。
「もし人がこれら地上のものから出発して少年愛の正しい道を通って上昇しつつ、あの美を観じ始めたならば、彼はもうほとんど最後の目的に手が届いたといってもよい」(プラトン「饗宴・P.125~126」岩波文庫)
熊楠の愛読書だった「御伽草子」から。今は昔、近江の石山寺で修行していた僧の夢に「容色華麗ナル兒(チゴ)」が現われた。
「礼盤(ライバン)ヲ枕ニシテチトマドロミタル夢ニ、佛殿ノ錦ノ帳ノ内ヨリ容色華麗ナル兒(チゴ)ノ、イフ計ナクアテヤカナルガ立チ出デテ、散リマガヒタル花ノ木陰ニ立チヤスラヒタレバ、青葉勝(ガチ)ニ縫(ヌヒ)シタル水干ノ、遠山櫻ニ花二度咲(サ)キタルカト疑ハレテ、雪ノ如(ゴト)クフリカカリ、是ヲ袖ニツツミナガライヅ方ヘ行クトモ覺エヌニ、暮行クケシキニ消エ、サテ見エズナリヌト見エテ、夢ハスナハチ覺(サ)メニケリ」(日本古典文学体系「秋夜長物語」『御伽草子・P.461~462』岩波書店)
余りに美麗な兒(ちご)の出現に、僧は、所願成就し修行を達成した、と考える。居眠りしていたのも、まだ修行を続けなければならない身なのかと半分嘆いていたところだったので、思いもよらぬ美麗な兒(ちご)の出現はようやく訪れた満願成就の徴(しるし)に思われた。
「是則(コレスナハチ)所願成就ノ夢想ナリトウレシク思ヒテ、マダ東雲(シノオンメ)ノ明(ア)ケ果(ハ)テヌ間(マ)ニ立チ歸リヌ。外ヨリ来ルベキ物ヲ待ツヤウニ、今ヤ道心ノオコルト待チ居(イ)タレバ、猶山深ク住(ス)マバヤト思ヒシ心ハウチ失(ウ)セテ、夢ニ見(ミ)エツル兒ノ面影、時ノ程モ身ヲ離(ハナ)レズ」(日本古典文学体系「秋夜長物語」『御伽草子・P.462』岩波書店)
けれども今度は、夢に出てきた兒(ちご)の美童ぶりについて、一瞬たりとも忘れられなくなってしまう。僧は元いた比叡山へいったん帰るが、再び石山寺の方角へ歩いていく。どうするのだろうか。
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