白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

「言語ゲーム」と生成変化12−2

2019年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム
とはいえ、ヴァージニア・ウルフは次のようにクラリッサを救っている。

「客間では相変わらず人々が笑ったり叫んだりしているのに、あの老婦人がとても静かに寝床にはいろうとしているのを見物していると、うっとりさせられる。今、日除(ひよ)けをひっぱったわ。時計が鳴り出したわ。あの若い男は自殺した。でも、わたしはかわいそうだとは思わない。時計が一つ二つ三つ、と時刻を告げているんだもの、わたしはかわいそうだとは思わない、こうしたすべての生の営みが進行しているんだもの。あら!老婦人は明りを消しちゃったのね!家中が真っ暗になったわ、このような生の営みが進行しているのに、と彼女はくりかえして言うと、例の言葉が胸にうかんできた、もうおそれるな烈日を。みなのところへ帰らなくちゃ。でもなんてへんな晩だろう!なぜかわたしはそのひとにとっても似てるような気がするんだものーーー自殺した若い男のひとに。そのひとがそれをやりおおせたことがうれしいの、それを投げすてたことが、みなは生きているのに。時計が鳴っている。鉛の輪が空に溶ける。そのひとはわたしにうつくしさを感じさせてくれる。おもしろさを感じさせてくれる。でも、わたしは行かなければならない。みなといっしょにならなくちゃ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.298~299」角川文庫)

しかしクラリッサが救われたのは、クラリッサの分身であるセプティマスが自殺することによって、またその限りで、であるほかない。さて、それではセプティマスの言動を取り出してみよう。最初はよくありがちな描写だが。

「だが、あれが無言の合図をする、葉は生きているぞ、木々は生きているぞ、と。そして葉は、いく百万の繊維でこのベンチに腰かけているおれの体とつながれているから、おれの体をあおって高く低くゆさぶるのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.35」角川文庫)

「彼は耳をすました。むこうの柵(さく)の上にとまった一羽の雀が、セプティマス、セプティマス、と四、五回さえずってから、今度は調子をひきのばして、珍糞感(ちんぷんかん)なギリシア語で、罪は存在せぬと、生き生きと鋭く歌いつづけた。すると、また一羽の雀がそれにくわわって、二羽が、長々とひく鋭い声を立てて、珍糞感(ちんぷんかん)のギリシア語で、死人が歩く、川の向こうの生の牧場(ギリシア神話の極枠浄土)の木立から、死は存在せぬ、と歌った」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.38~39」角川文庫)

この辺で、おや、と気づくだろう。気づかなくても特に支障はないけれども。というのは、人は時々「スキゾフレニー」と等価の身体=宇宙論的に変動しつつある生として=「一つの<此性>」を生きている、というわけだ。理解には「睡眠」が最もポピュラー。そのときの気象・風・季節・速さ・遅さ・霧・夕方・或る日・或る時刻ーーーなど。それらは「一つ」だ。そしてそのような「流動的時間」=「アイオーン」と考えられよう。それにしても、気づかないというのは、あるいは幸せなことかもしれない。

「世間のやつらがどんなに悪党か、やつらがこうして通りを歩きながらも、どんなに虚言をでっちあげつつあるかは、おれにはちゃんとわかっている、などと言った。やつらの考えることは、なにからなにまで、おれは知っている、とあのひとは言った。おれはなんでも知っている、と。おれは世界の意味を知っている、とも言った」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.106」角川文庫)

狂気に入ったセプティマス。純真で無垢なクラリッサの分身ーーーあるいは内面といっていいかもしれないーーーであることを忘れてはいけない。

「彼は眼を瞠(みは)り、重いものを押しのけ、眺めた。リージェント公園が眼の前に見えた。日光の流れが彼の足もとでじゃれていた。樹木が揺れかしいでいた。われわれは歓迎する、と世界が言うように思われた、われわれは受けいれる、われわれは創造する、と。美を、と世界は言うように思われた。そして、それを証明しようとするかのように(科学的に)、家を見ても柵(さく)を見ても杭(くい)囲いごしに首をのばしている羚羊(かもしか)を見ても、いたるところに美がたちどころに生じた。さっと吹き寄せるそよ風に一枚の葉がふるえるのをみまもるのは、えも言われぬ喜びである」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.110」角川文庫)

「すべてがおわり、休戦条約には署名され、戦死者たちは埋葬された今となって、彼は、とりわけ夕方など、突然こうした晴天の霹靂(へきれき)にも似た恐怖におそわれたのであった。感ずる力がなくなったのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.137」角川文庫)

この「恐怖」。第一次大戦から社会復帰した若者の中にしばしば見られた現象の一つとして有名。無気力・無表情・自己神格化・ニヒリズム・しばしば陥る興奮状態・まったくの鬱状態ーーー。今の日本社会ではネット依存者とかツイッター依存者とかシニカルな排他的冷笑主義者がそれに相当するだろう。

「今やセプティマスに知らされたのだ、言葉の美の中にかくされた使命が。一つの時代が人目をごまかして次の世代に渡す秘密の信号は、嫌悪であり、憎悪であり、絶望である。ダンテも同じだ。アイスキュロスも」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.140」角川文庫)

「ダンテも同じ」だろうか。疑問におもう。ダンテ「神曲」の場合、世界は三層化されている。「地獄・煉獄・天国」と、これはこれで余りにもわかりやすい設定だが、天国の言葉はなるほど言語だけで構成されてはいる。「地獄・煉獄」は「天国」と切断されている。それゆえに「天国」だけを取り出して「美」として据え直すことができる。しかしそのような捉え方はあらかじめ言語だけを「美化」しておかなければ発生してこない発想であり、言語ばかりを過大評価し過ぎているようにおもわれる。さらに「天国」において語られる言葉は、いわゆる「詩」の言語(韻文)であって、散文ではない。比喩表現がたっぷり用いられている。暗喩だったり換喩だったりする。一体、古代の神がなぜ散文と韻文との違いなどという古典主義的あるいは近代的言語学の使い分けを知っているのか。不可解ではないだろうか。しかしなぜそうなるのか。その要因はセプティマスの宗教的転向にある。キリスト教なのだが、キリスト教の教義を知るためには神秘的体験は必要ではなく、神秘的体験は逆に大量の精神病者を発生させたという歴史が念頭にあらねばならない。「エルサレムには最後の一粒の塩を放棄してしまったあの人々のために大きな精神病院があった」(ニーチェ)。だから、キリスト教は、神秘的体験とは何の関係もなく、その発生の余地をむしろ言語に負っている。キリスト教は神の宗教であると称するにもかかわらず、神の「言葉という物質」なしには存在することも伝達することもできないというパラドクスに本来的に付きまとわれている。キリスト教は罪よりも罰よりも以前に、言語にこそ「負債」を負っているようにおもえる。少なくとも二人以上の間で通じ合う言語(一種の共同体とその言語体系)が前提として必要なのだ。そうでなくては、では一体誰が始めに「神」の言葉を伝えたかという問いは永遠に残される。「それは言葉では語り尽くせない」と繰り返すばかりでは、ならどうしてダンテは伝えたといえるのか、という問いが繰り返し蒸し返されるばかりだ。とはいえ、アイスキュロスを取り上げているのは妥当におもえる。古代ギリシアはおそらくシェークスピアを理解しないし理解するつもりもない、という意味で。

セプティマスは次のように考える。これも第一次大戦から帰ってきた若者のあいだでは当時ありふれた信条だった。

「こんな世界に子供を産み出すわけにはいかない。苦悩を永続させるわけにはいかない、喜怒哀楽がさだまらず、ただ気まぐれと虚栄の煙を、その時その時であちらへこちらへと渦巻かせる、この好色な動物の子孫を、繁殖させるわけにはいかない。ーーー事実はこうだ、人間てやつは、その時かぎりの楽しみを増すに役立つ以上の親切も信仰も慈悲ももっていないのだ。彼らは群れをなして獲物を追う。その群れは荒野をあさりまわり、金切声を立てながら荒野の中へ姿を消す。彼らは倒れたものを見すてて行く。彼らは漆喰(しっくい)で固めたしかめ面のような表情をしている。店には、口髭(くちひげ)を蠟(ろう)でかため、珊瑚(さんご)のネクタイピンをつけ、白いワインを胸にのぞかせ、うれしそうにしているブルーウァーがいるーーー心の中はまるで冷たくべとべとしているのだーーーあいつの天竺葵(ゼラニウム)は戦争でめちゃめちゃにされーーー料理女は気が狂った。あるいは、なんとかアメリカって女が、かっきり五時に、お茶のコップをくばって歩いているーーー横目でにらみ鼻であしらう淫猥(いんわい)な欲張り女。そしてトムとかバーティとかいう連中が悪徳の濃い滴りをにじみ出させている糊(のり)の利いたワイシャツの胸を出している。やつらはおれが、やつらの妙な裸体姿の絵を手帳に描くのを、ご存知ないのだ。通りを、大馬車がガラガラ音を立てて彼のそばを通りすぎた。獣性が新聞売子のポスターの上で吼(ほ)え立てていた。男たちは鉱山で生き埋めにされ、女たちは生きながら火あぶりにされた。そしていつかは、トットナム・コート街で運動にだされたというよりは、むしろみなの慰みものに供された狂人どもの乱れた列がゆっくりと彼のそばを歩いて、うなずいたり、歯をむき出してにやにや笑ったりして行くのであった。一人一人がいくらか申し訳なさそうに、しかし得意そうに、おのれの絶望的な苦悩をふり撒(ま)いて歩いた。そしておれも気狂いになるんだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.141~143」角川文庫)

「彼らは群れをなして」とあるが、「彼ら」は、ここでは当時の社会一般のこと。また「人間性=獣性」と捉えるところにセプティマスの特徴が見られる。野生でも構わない。しかし生への意志としてのそれではなく「罪としての獣性」へと変化してしまっている。とすると、この場合、獣性は必ずしも生への積極的意志の顕現を意味しなくなる。むしろ逆に自分の生を自分自身で嘲笑して貶める、という転倒した言動へ置き換えられて事後的に出現してくる。

「そら、弁解の余地はないんだ。どこもわるくないんだ。ただその罪の故に人間性はすでにおれに死の宣告をあたえたのだが、その罪が、おれが感じないということが、いけないのだ。エヴァンズが殺された時、おれはなんとも思わなかった。あれがいちばんわるいのだ。ところがほかのあらゆる罪が頭をもたげ指をふるわせ、明け方頃の時間に寝台の手摺(てすり)ごしに、おのれの堕落を思い知ってひれ伏し横たわっているこの肉体を嘲(あざけ)り笑う」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.144」角川文庫)

なぜこのような言動の転倒が起こるのかということに関し、ニーチェは次のように述べる。

「外へ向けて放出されないすべての本能は《内へ向けられる》ーーー私が人間の《内面化》と呼ぶところのものはこれである。後に人間の『魂』と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への放(は)け口が《堰き止められて》しまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。国家的体制が古い自由の諸本能から自己を防衛するために築いたあの恐るべき防堡ーーーわけても刑罰がこの防堡の一つだーーーは、粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを《人間自身の方へ》向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、ーーーこれらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、《これこそ》『良心の疚しさ』の起源である」(ニーチェ「道徳の系譜・P.99」岩波文庫)

そしてそれはおそらく当たっている。フロイトよりニーチェのほうがずっと早くに気づいていた。また、「ダロウェイ夫人」がただ単なる反戦文学でないのはこうした部分により多くを割いていることと関係する。もっとも、この時期の世界文学はどれも多少なりとも世界大戦に関する言及が出てくる。それは身近なものだった。殺された「エヴァンズ」はセプティマスの旧友。もうこの世にはいないしいるはずもない。だがセプティマスはエヴァンズの亡霊にとことん悩まされる。本能の逆流。もともと外部へ向かうはずだった「敵意・残忍・破壊・迫害ーーー」の諸衝動。人間本来の力。複数形で諸力というべきだろう。眠っているあいだなどは節約のうちに少しづつ蓄えられるほかない微細な力の流動。それらが外への出口をふさがれ自分自身の内へと向きを換えればどうなるか。セプティマスにとって戦争という行為は、それが不意をついて為された、という人体実験のようなものに違いない。

「いよいよおれは見すてられたのだ。全世界がわめき立てている。自殺しろ、自殺しろ、おれたちのために、と。だが、やつらのために、なぜおれが自殺しなきゃならないんだ?食べものは楽しいし、太陽は熱い。それにこの自殺ってやつだが、いったいどう手をつけるんだ、食卓用ナイフを使って醜悪にも血をどっと流すのかーーーガス管を吸うのか?おれは体が弱りすぎていて、手ももちあげられないのだ。それにおれは、まさに死なんとする人間がひとりぽっちなように、こうして死刑を宣告され、見すてられて、ひとりぽっちでいると、一種の楽しさを、荘厳味あふるる孤独を、人頼みの人間にはわからぬ自由を、感ずる」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.147(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.147」角川文庫)

何もないということ。自分自身の中には何一つない、という深淵。再び言葉を獲得するまでは、おそらく、もうない。無駄であろうが無駄でなかろうが、人々は「無駄話」かそれに準ずるもの(広い意味での「言語ゲーム」)を発明して持ってきて、それらで少しづつ自分自身の内部を埋めていくほかない。たとえそれが単なる「ひとりごと」であっても何ら構わない。ともかく、「言語」かそれに準ずる「身ぶり」(行為)とその内容で自分自身の内部を満たしていくほかない。そして「或る程度」埋め尽くされてくる過程がすなわち他者との出会いの繰り返しなのであり、したがって他者との出会いを通して常に既に不完全なコミュニケーションに熟達しながら、やっとのことで人々はなんとか人間である「かのように見えてくる」というに過ぎない。コミュニケーションが不完全な理由はこれまで「言語ゲーム」についての部分で何度も述べた。完全なコミュニケーションというものがもし本当に存在するとすれば人間に言語など必要ないし、むしろ煩雑なばかりで必要ないものでしかないのなら、これまでの歴史のうちに、とうの昔に絶滅していただろうということだ。しかし言語は絶滅していない。古代ギリシアとか中国とかの歴史を検証するには約五百〜千年単位で見ていかねばならないというのはそういうことでもある。壮大な「言語ゲーム」の変容の歴史に一体誰が終止符を打つなどと言うことができるのか。それこそ「詐欺師」というのだ。むしろウィトゲンシュタインにならって慎重かつ注意深く押し進めていくほかない。カフカのように「測量士の仕方」で。

「それから、無駄話というだけのものも。なにしろこれがわれわれの魂の真相なんだから、と彼は考えた。われわれの自我、そいつは魚のように深海に棲(す)み、曖昧模糊(まいまいもこ)たるものの間を右往左往し、巨大な藻の茎の間をくぐりぬけ、日光のひらめく場所を越えてどんどん進み、冷たい深い測り知れぬ暗がりの中へはいって行くが、突然さっと水面にうかびあがると、風にしわよる波の上でたわむれる。つまり、われわれの自我は、無駄話として、自分にブラシをかけ、こすり、ほてらせる実際の必要を感ずるのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.257」角川文庫)

さて、さらに別の登場人物ピーター・ウォルシュはまた違った力を持つ。自然に近いといえるかもしれないが、古代ギリシアに対する信仰としてはこれもまた信仰の域を出ない。それでもヴァージニア・ウルフの鋭さはそれを「リージェント公園」という大都会の中の「余白」とでもいえばいいのか、「公園」という極めて曖昧な、誰の所有物でもない場所に見い出させているところにある。そしてそういう場所は、様々な人々が入り混じって生活しているところでは、時としてどこにでも出現する。クロノス(時計時間)を退けて出現する。むしろクロノスは仮の時間でしかなく、小説では大変多くの場合、「アイオーン」(流動的時間)のほかないのが常だ。それ以外にどのような小説があり得るだろうか。

「一つの音が彼を邪魔した。かよわいふるえる音、方角も勢いもはじめもおわりもなく沸き立ち、よわく甲高くあらゆる人間的な意味を欠いて流れ、 イー アム ファー アム ソー フー スィー トゥー イーム ウー と聞こえる年齢も性別もない声、大地から噴きだす太古の泉の声、それが、リージェント公園地下鉄駅のちょうど反対側のところで、通風筒みたいに錆(さ)びたポンプみたいに、また永久に葉をつけることなく、風が枝をわたって イー アム ファー アム ソー フー スィー トゥー イーム ウー と歌うにまかせ、永遠の軟風をうけて、揺れ、きしみ、呻(うめ)く、吹きさらしの樹みたいに、つっ立った背の高いふるえている姿から湧き出た」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.128~129」角川文庫)

また、次に引くベントリー氏の考察は面白い。

「遠くへ遠くへと、飛行機は弾丸のように飛んで行って、とうとう輝く火花の一点となった。一つの熱望、一つの精神集中、人間の魂の象徴だ(グリニッジで、彼の狭い芝地に元気よくローラーをかけていたベントリー氏には、そんなふうに思われた)そうだ、思想とか、アインシュタインとか、推理とか、数字とか、メンデルの理論とかによって、人間の肉体のそとに、家のそとに脱出せんとする決意の象徴だ、とベントリー氏は、杉の木のまわりにローラーをかけながら、考えた」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.44」角川文庫)

「飛行機は弾丸のように飛んで」、とある。それを「人間の肉体のそとに、家のそとに脱出せんとする決意の象徴だ」と書き留めたところは、いかにも、というセンスを感じさせる。ヴァージニア・ウルフは女性に与えられた身体というものを大変忌み嫌っていた。自分が女性であることを忌避したがったのではない。当時の、生まれる前からあらかじめ女性に与えられていた社会的「枠組み」、並びに、あらかじめ与えられている社会的「配置」から解放されたいと望んだ。その一方の叫びがクラリッサの分身=セプティマスを通して届けられたわけだ。そしてセプティマスの言動に接して狂気を感じる読者がいるとすれば、第一次大戦が生んだ新しい狂気について少しばかり「触れた」ことになるだろう。それは女性が狂気化したわけではなく、第一次大戦を生んだ男性中心主義社会を、女性が女性自身によって告発するきっかけを女性に与えることにますます「寄与した」ということはできるだろう。

以上、見てきたように、第一次世界大戦は大変多くの優れた小説あるいは小説家を生んだ。他にもフォークナー、フィッツジェラルド、ラディゲ、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラー、ヴァレリー、アガサ・クリスティ、レイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメット、ジョイス、プルーストーーーなど、上げていけばきりがない。注目すべきはそのほとんどがアメリカ文学に集中していることだ。そして彼ら彼女らの少なくない部分がアルコール依存症という近代の病を病んでいた。あるいは精神疾患を患うほかなかったことにも着目しておきたい。この流れに併走することができた日本の小説家はまことに少ない。わずかに芥川龍之介の台頭と志賀直哉の健康が目に入る程度。ほかには谷崎潤一郎の肥満、宮本百合子のデビュー、森鷗外の死、萩原朔太郎の病気、若山牧水の酒癖、荻原井泉水の自由律俳句創設、尾崎放哉のアルコール依存、などが上げられる。日本文学はまだまだ脆弱だった。

ところで、いったん陥った「或るもの」と「別のもの」との非-必然的な繋がりが、記憶の中では一体どのようにして必然的になるのか。スピノザを参照しておこう。

「もし人間身体がある外部の物体の本性を含むような仕方で刺激されるならば、人間精神は、身体がこの外部の物体の存在あるいは現在を排除する刺激を受けるまでは、その物体を現実に存在するものとして、あるいは自己に現在するものとして、観想するであろう。ーーーなぜなら人間身体がそのような仕方で刺激されている間は、人間精神は身体のこの刺激を観想するであろう。言いかえれば、精神は現実に存在する刺激状態について、外部の物体の本性を含む観念を、言いかえれば外部の物体の存在あるいは現在を排除せずにかえってこれを定立する観念を有するであろう。したがって精神は、身体が外部の物体の存在あるいは現在を排除する刺激を受けるまでは、外部の物体を現実に存在するものとして、あるいは現在するものとして観想するであろう。ーーー人間精神をかつて刺激した外部の物体がもはや存在しなくても、あるいはそれが現在しなくても、精神はそれをあたかも現在するかのように観想しうるであろう。ーーー人間身体の流動的な部分が軟かい部分にしばしば衝き当るように外部の物体から決定されると、軟かい部分の表面は変化する。この結果として、流動的な部分は、軟かい部分の表面から、以前とは異なる仕方で弾ね返ることになる。そしてあとになって流動的な部分がこの変化した表面に自発的な運動をもって突き当たると、流動的な部分は前に外部の物体から軟かい部分の表面を衝くように促された時と同じ仕方で弾ね返ることになる。したがってまたそれはこのように弾ね返る運動を継続する間は〔以前外部の物体に促されてした時と〕同じ仕方で人間身体を刺激することになる。この刺激を精神はふたたび認識するであろう。言いかえれば精神はふたたび外部の物体を現在するものとして観想するであろう。そしてこのことは、人間身体の流動的な部分がその自発的な運動をもって軟かい部分の表面を衝くたびごとに起こるであろう。ゆえに人間身体をかつて刺激した外部の物体がもはや存在しなくても、精神は、身体のこうした活動がくり返されるたびごとに、外部の物体を現在するものとして観想するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一七・P.119~200」岩波文庫)

どこかシリーズ化してしまったが、「言語ゲーム」に関してはこの回が最終回となります。ご愛読ありがとうございました。

なお、「ダロウェイ夫人」は一九二五年発表。日本でいう大正十四年。雑誌「キング」創刊。日ソ基本条約締結。治安維持法公布。孫文没。小樽高商軍事教練問題。農民労働党結成即日解散。「汽車時間表」(のちのJTB時刻表)創刊。普通選挙法公布。上海五.三〇事件。クライスラー設立。東京帝大地震研開設。柳田國男「民族」創刊。ロカルノ条約調印。京都学連事件。京王電気軌道(後の京王電鉄)新宿ー八王子間開通。北海道乳酪販売組合(後の雪印乳業)設立。鈴木商店(後の味の素)設立。大日本相撲協会設立。梶井基次郎「檸檬」発表。芥川龍之介「大導寺信輔の半生」発表。志賀直哉「冬の往来」発表。

BGM

「言語ゲーム」と生成変化12−1

2019年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム
人々が退けよう退けようとしながらもけっして退けられないもの。あるいは同じことだが、人々がそのときに欲しいと祈念しながらもけっして到来しないもの。このとき、人々は、一体何を退けようとしたがっているのか。あるいは何をそれほどまで欲しているのか。言語だろうか。見つけよう、形にしようと願いはするものの、どうしても言葉が見当たらない、と言うときの。あるいは逆に、ここでこの言葉が欲しいと願いながら、なぜかその時その場ではけっして出現しないような時に是非とも必要とされる言葉だろうか。

しかしもし、誰かが、その言葉にたどりついたとしよう。それは本当にふさわしいと言えるだろうか。百万人いれば百万人ともがまったく何らの違和感を伴うことなく、全会一致というべき状況を作り上げ、その言葉に賛同することなど本当に可能だろうか。もし可能だとすれば、それはすでにファシズムでしかない。

「『でも、あなたは、痛みを伴った痛みのふるまいと、痛みのない痛みのふるまいとの間に、差異のあることを認めるだろう』。ーーー認めるだって?これほど大きな差異がどこにありえよう!ーーー『それでも、あなたはいつもくり返し、感覚それ自体は何物でもない〔無である〕、という結論に到達している』。ーーーいや、そうではない。感覚は何かではないが、しかし何物でもないのでもない!結論は単に、何物でもないものが、何も言明できない何かと同じような働きをするであろう、ということであるにすぎない。われわれは、ここでわれわれに〔執拗に〕迫ろうとしている文法を、却けたにすぎない。このパラドクスが消滅するのは、言語が常に《一定の》しかたで機能し、常に思想ーーーそれが家、痛み、善悪、その他何についての思想であれーーーを伝達するという同一目的に奉仕しているのだ、といった考えと、われわれが根本的に訣別するときだけである」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・三〇四」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.203~204』大修館書店)

ウィトゲンシュタインは規則・文法の必要性を認めながら、同時に、その同じ規則・文法を適用することから必然的に発生してこざるを得ないパラドクスについて述べた。そしてこのパラドクスを退けようとしたいのなら、規則・文法が「常に《一定の》しかた」で機能していると信じることを止めることだ、というわけだ。とすれば、どういうことになるだろうか。世界の今現在、誰の目にも明らかとされる、この風景というもの、この名指されているもの、この男性あるいは女性、この取引先、この貨幣、この言語というものは一挙に崩壊することになる。ただ単なる仮象にすぎなくなる。だが世界はけっして仮象ではない。すべての力とその諸関係は常に流動しつつ構造化され、並列的にあちこちで流動しつつ構造化されている。流動とその構造化という二つの動きがあるわけではない。流動は構造化でありまた構造化は流動しつつ構造を整えていく。しかし規則・文法への抗いという態度は、そのような世界の「神」的構造化法則に対して背を向けたことになる。

と言えば大袈裟だが、或る人にとって世界はAと見えるのに、別の人にとってはBと見え、さらにまた違う人にはCとしか見えない。だが言語並びに貨幣の翻訳/交換によって「A=B=C」という交換可能性は常に既に可能事になった。同時に可能事はいつでも現実へ転化する運動の過程内に入っており、実際、現実化されていなければならないという領土化が世界中を繫ぎ止めると同時に成立した。言語・貨幣の流通とともに世界はグローバル化を果たした。グローバル化を果たしはしたものの、しかし時間を止めることはもちろんできない。むしろ言語の流通の寡多も貨幣の資本化=再資本化の増減も、時間の延長にしたがうことによってのみ自然現象として稼働している。そして時間を規制しているのは「神」などではけっしてなく、むしろこの身体で触れることができ、破壊することができ、また再建されることができる地球の運動そのものだということが前提されていなくてはならない。そしてまた、この地球といえども実は「万能」ではない。いつどのように死ぬか、誰にわかるというのか。人間というものはこの二百年ばかりのあいだに地球上で発明されたまったく新しい一種族に過ぎないとフーコーは論じた。そして「言葉と物」のラストで、いったん生まれたものはいつか死ななければならないものでもある限り、「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」とも述べた。しかしウィトゲンシュタインの告発した「常に《一定の》しかた」だが、そうではない仕方、もっとしなやかで、もっと柔軟性をたたえた情報流通装置と化した規則・文法は、世界のまったく新しい曲がり角に直面してなお慌てず騒がず世界を支配しつづけている。動揺していない。いつも更新される用意を身に付けた規則・文法は、それを創造した人間の頭上を軽々と飛び越えてかくも流動性の高いレベルに達した。そしてさらなる高みへ達していくだろう。もはや「構造」の時代ではない。構造だけではほとんど何一つわからない次元へ突入しつつあるというのに、なぜか世界はぼんやりと事情を打ち眺めているばかりだ。再び「リゾーム」が問われねばならない。

「ヴァージニア・ウルフは群衆のただなか、行きかうタクシーのあいだをぬって散歩する。だがほかでもない、散歩もまた一個の<此性>なのだ。ダロウェー夫人が『私はかくかくしかじかのもの、彼はあれであり、これである』などと口走ることはもうありえないだろう。ヴァージニア・ウルフはこうも書いているーーー『彼女は自分がとても若いと感じると同時に、信じられないほど年をとっているとも感じていた』。敏捷であると同時に、緩慢で、すでに目の前にいたかと思えばまだそこに来ていないといった具合で、『彼女は剃刀の刃のようにあらゆるものに分け入っていった。それと同時に、彼女は外に身を置いて眺めていた。(ーーー)生きるということは、《たとえ一日だけだとしても》、とても危険なことなのだーーー彼女は常日頃からそう思っていた』。<此性>、霧、そしてまばゆい光。<此性>には始まりも終わりもないし、起源も目的もない。<此性>は常に<ただなか>にあるのだ。<此性>は点ではなく、線のみで成り立つ。<此性>はリゾームなのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.213」河出文庫)

「ダロウェイ夫人」は有名なように作品の「序文」で、或る秘密を語ってしまった。不手際というべきだろうか。しかし序文がなくても「ダロウェイ夫人=クラリッサ・ダロウェイ」は分身として「セプティマス」を持つということは理解できるに違いない。ここではあえて小説の記述の順番を変更して、クラリッサ(ダロウェイ夫人)の言動を先に引用し、セプティマスの言動を後にまとめて提出することにしよう。比較しようというのではない。クラリッサ(ダロウェイ夫人)=セプティマスという分身的連関において、二人は十分に別ものであり得る、ということが了承されるべきだと考えるからだ。そうでなければ、なぜヴァージニア・ウルフがわざわざ二人を書き分けたのか、という切断性の意図がまったく無意味になってしまうだろう。ドゥルーズ&ガタリのいう<此性>について、<此性>は常に<ただなか>にある、ということが感じられる部分を拾い上げてみたい。

「彼女はとても若いような気もし、お話にならないほど老けた気もした。ナイフみたいにあらゆるものの中へ切りこむし、外部にいて眺めてもいる。タクシーの群れを眺めていると、遠い遠い海の上にひとりぼっちでいるような、そんな気持ちによくなるし、たった一日でも生きていることが、とてもとても危険だという感じが、しょっちゅうする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.13~14」角川文庫)

今、上げたセンテンスはドゥルーズ&ガタリが直接取り上げている部分。ほかにも探してみよう。

「自分はやがてかならず死滅するってことは、それほど大変なことなのかしら。わたしがいなくなっても、これらのすべてのことは平気でつづいて行くにちがいないってことは、怪(け)しからぬことなのかしら?それとも、いっそ、死は絶対に自己消滅だと信ずることが、かえって安心できるんじゃないかしら?自己は消滅しても、このロンドンの街路で、事物のうちに生きる、と信ずることが。だって、わたしは故郷の木々の一部分にちがいないのだ、また、あそこにいく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人々の一部分なのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.15」角川文庫)

いつも繋がっているということ。逆にいえばいつも切断できるという効用も期待できる。クラリッサはそのような自由を求める。あるいは自由というものがもし本当にあるとすれば、それはそのようであろうと思わずにはいられないクラリッサ。

「しかし今も時々、自分のものであるこの体が、(彼女はオランダの画家の絵を観るために立ちどまった)この体が、さまざまの能力をそなえていながら、まるでないもののようにーーーまったく知られないもののように思われるのだ。自分自身が眼に見えぬものとなり、ひとに見られず、知られないような、妙な気がする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.17~18」角川文庫)

ニーチェは何か物を書いている時、「自分の身体がまるで自分だけのものではなく他人に代わる複数のもの〔多数性〕として思われることがある」、と述べている。

「彼女は寝つきのわるいままに、そこに横たわって本を読んでいると、子供を産んでからも屍衣(しえ)のようにへばりついてはなれない処女性をやっぱりはらいのけられないのであった。とてもかわいかった娘時代にも、突然そういう瞬間がやってきてーーーたとえばクリーヴドンの森陰の河のほとりで、この冷たい精神の発作におそわれ、彼をこばんだことがあった。それからコンスタンチノープルでも、それからまだ何度も何度も。彼女は自分になにが欠けているかを知っていた。うつくしさ、心、ではない。四方へ滲(し)みわたって行く何か中心的なあるもの、表面をくだいて、男と女の、女同士の冷たい接触に波紋をまきおこすあたたかいあるもの、それなのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.49~50」角川文庫)

次の二つのセンテンスはクラリッサが「彼女」である時の同性愛体験について。

「彼女たちがきれいなせいか、自分のほうが年上のせいか、それともほのかな芳香や隣家のヴァイオリン(音って、ある瞬間にはとても不思議な力を発揮するものだ)のような、その場のはずみなのか、彼女はその時、まさしく、男が女に対して感ずるとおりのものを感じているのだった。ほんの一瞬間だが、それで十分だった。それは突然の啓示、顔の赧(あか)らむようなもので、いったんはおさえようとするが、やがてそれがひろがると、もうひろがるがままにまかせ、いっそのこととことんまで突き進んでしまい、そこで身をふるわせ、世界がなにかおどろくべき意味、なにか歓喜の圧力で、ふくれあがって迫ってくるように感じているうちに、その中身が薄い皮をひき裂いてほとばしり出(い)で、ひとの世のひびや爛(ただ)れの上に注いで苦痛をすっかりやわらげるようなものだった。そんな時、その束の間のあいだだけ、彼女は見たのだった。照明を、番紅花(サフラン)となって燃えるマッチの火を、ほとんどあらわにされた内部の意味を。けれども、近いものは遠退き、固いものはくずれた。おわったのだーーーその瞬間は」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.50~51」角川文庫)

「昔をふりかえってみて、奇妙なことは、サリーに対する彼女の気持ちの純粋だったこと、正直だったことである。男に対する気持ちとはちがっていた。それはまったく私心がなく、そのうえ、女同士の間にだけ、一人前になったばかりの女同士の間にだけ存在できるような性質のものだった」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.53~54」角川文庫)

クラリッサは「顔」を整える。ということは、普段はばらばらになって散乱しているということなのか。実はまさしくそうなのだ。

「今まで何百べん、自分の顔を見たことだろう、いつも同じように眼に見えぬくらいちょっぴり筋肉をひきしめて!鏡を見る時わたしは口をつぼめる。顔を一点に集中するためなの。あれがわたし自身なのだーーーとんがった、投槍(なげやり)のような、はっきりした自分。あれが、自分であろうとする努力、要求が、どれほどてんでばらばらであるかは自分だけが知っているさまざまの部分をひとまとめにして、ただ世間のひとたちのために、そんなふうにして一つの中心、一つのダイヤモンド、一人の女、つまり自分の客間にすわって、一つの会合点となり、退屈な生活を送るひとたちの間では疑いもなく一つの光明となり、たぶん淋(さび)しいひとたちには訪(おとな)うべき慰安の場所となってやる一人の女に、つくりあげた時の自分なのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.58~59」角川文庫)

ということは、パーティを開く際、クラリッサは自分で自分自身の「顔」について、自分の「顔」は遠近法的錯覚という意味での「消失点」に過ぎないと考えていることがうかがえる。さらに、精神はもとより身体もまた思っているほど「堅実な」ものでは何らない。ヴァージニア・ウルフはそう述べる。

「夏の日には、波もまたそのようにあつまり、バランスを失い、くずれる。あつまってはくずれる。そして全世界がますます重苦しい調子で、『それだけのことさ』と言うようになる。もうおそれるな、と心が言う。もうおそれるな、と心が言って、その重荷をどこかの海へまかせる。すると海はありとあらゆる悲嘆をあつめて、それにかわって嘆き、そして再生し、生の営みをはじめ、あつまり、くずれる。そして肉体だけが聴きいる、通りすぎる蜂の声に、くずれる波の音に、遠くでしきりに吠(ほ)えつづける犬の声に」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.62~63」角川文庫)

人生を謳歌したいだけ、とクラリッサは語る。長い引用だが、そう言いたいのだろう。

「ピーターは、わたしのことを、羽振りをきかせてうれしがり、有名人を、偉大な名を、まわりに集めるのが好きな、ようするに貴族崇拝者(スノッブ)にすぎない、と思っているのだ。そうね、ピーターはそんなふうに考えているかもしれない。リチャードはただ、わたしが心臓がよくないと知りながら、刺激を好むのは、馬鹿なことだと考えているだけなんだわ。子供じみてる、と考えてるんだわ。そして、二人ともまるで見当ちがいをしている。わたしの好きなのは、単に人生なんだもの。『だから、わたしはそうするのよ』と彼女は、人生にむかって、声に出して言った。ひきこもって、自由の身をソファの上に横たえていると、彼女が眼にも見る如く感じているこのものの存在が、肉体をそなえた姿となり、熱い息でささやき、日除け(ブラインド)をふくらませる、陽気な街のもの音という長衣をまとっていた。だけど、もしピーターが、『なるほど、なるほど、だがあなたのパーティーーーなんのためにパーティなんか開くんですか?』と言うとしたら、わたしとして言えるのは(そして誰にも理解してもらえないだろう)、それは奉納のためなの、ってだけだわ。まるでつかまえどこがないようだけど。だけど、人生はすべて坦々(たんたん)たる大道を行くようなものだと高をくくっているピーターーーーしじゅう恋をし、しじゅうへんな女と恋をしているピーターはどれほど偉いっての?あなたの恋はなんなの?と言ってやれるじゃないの。答は知れているわ。世界中でいちばん重大なことで、女のひとにはとうてい理解できまい、ってんでしょう。ごもっともだけど、それなら、わたしの意味することだって、男のひとにわかるかしら?人生のことよ。ピーターやリチャードが、これという理由もなくわざわざパーティを開くなんて、ーーーとても想像できないもの。だけど、人々の言うこと(そして人々の判断なんて、ずいぶん皮相的で、断片的だわ!)は別として、今の自分の心の奥にさぐりをいれるなら、わたしが人生と呼んでいるこのものは、いったいなにを意味するのだろう?ああ、それはとても奇妙なものなのだ。南ケンジントンには誰それがいる。上手(かみて)のベイスウォーターには誰かがいる。それから、メイフェアならメイフェアには、また誰か別の人間がいる。そしてわたしはたえまなくそのひとたちの存在を意識している。そして、なんて無駄なことだろう、なんて残念なことだろう、と感じる。そのひとたちをいっしょにできさえすればなあ、と感じる。そこで、わたしはそうする。そしてそれが奉納なのだ。むすびあわせること、創造することが。しかし、誰への奉納?」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.192~194」角川文庫)

いわゆる「愛と宗教」による暴力について。自由に対する暴力であるだけに、なかなか目に見えない。可視化不可能に近い。が、小説であれば、と考えたのかもしれない。

「愛と宗教!とクラリッサは考えた、体中ズキンズキンと痛み、客間へひきかえしながら。こんないやなものはない!それというのも、キルマン嬢の体が眼の前にいなくなったものだから、それが彼女におそいかかってきたのだーーーその妄想が。世の中にこんな残酷きわまるものはない、と彼女は考えた。愛と宗教が、やぼったい、ぶりぶり怒る、横暴な、偽善的な、立ち聴きをする、嫉妬(しっと)深い、どこまで冷酷で恥知らずなのかわからない、この二つのものが、防水外套をきて、階段の踊り場に立ちはだかっているのを、まざまざと目にうかべながら。わたしは誰かを改心させようとしたことがあるだろうか?わたしは、ひとがそれぞれ現在のままでいて欲しいと思っていないだろうか?そして、彼女は真むかいの家の老婦人が階段をのぼって行くのを、じっと見ていた。のぼりたければのぼればいい。立ちどまってもいい。それから、わたしがよく見かけたように、寝室にたどりついて、カーテンを開いて、ふたたび奥へ姿を消してもいい。ともかくわたしは、あれをーーーあの老婦人が、わたしに見られているとは露知らず、ああして窓から眺めているのに、敬意を表し、そっとしておく。あれには、厳として犯すべからざるあるものがあるーーーだのに、愛と宗教は、犯すべからざるものを、つまり魂の秘密を、片っぱしから破壊しようとする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.200~201」角川文庫)

愛と宗教。それらについて論じるのは結構なことかもしれない。しかしヴァージニア・ウルフの表現はとても面白い。「愛と宗教が」「防水外套をきて、階段の踊り場に立ちはだか」っているとすれば、それはまさしく「愛と宗教」に名を借りたナチズムとかスターリニズムとか全体主義でしかない。そしてそれらは「ダロウェイ夫人」出版とほぼ同時代に現実のものとなってヨーロッパとアジアとロシアで本当に出現した。では逆に全体主義化あるいは自己固有化を目指さない「愛と宗教」は可能か。どこにも見当たらないのが実状だろう。

「議事堂の時鐘(ビッグ・ベン)が三十分を打った。その音に、その音の糸に、むすびつけられてでもいるように、老婦人が(二人は永の歳月隣り同士で暮らしてきた)、窓から立ち去るのを見ていると、なんとも言えない、奇妙な、そうだ、胸のせまる思いがする。巨人的と言うべき音だが、それがあのひととなんらかの関係をもっているのだ。下へ、下へ、日常茶飯事の真只中(まっただなか)へと、そん指はおちて行って、なりわいのこの一瞬をおごそかなものとする。あのひとは、この音にひきずられて、とクラリッサは想像した、動かずには、立ち去らずには、いられないのだーーーが、どこへ?ーーークラリッサには信じられる至高の神秘は、単にこういうことなのだ、ここに一つの部屋があり、あそこにもまた一つある、と。宗教がそれを解くだろうか?それとも愛が?」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.202~203」角川文庫)

老婦人は「議事堂の時鐘(ビッグ・ベン)」が刻んできた色々なことを極めて素朴に信じている。と同時に次のセンテンスでクラリッサはキルマン嬢のキリスト教がいかに弱々しいかを吐露している。クラリッサにとって宗教は生への意志を逆にがんじがらめにしてしまう暴力装置としてしか働かない。そして実際、ナチス政権が誕生したとき、ドイツのキリスト教会は余りにも無力だった。

「こういうことは、ひとがひとりぽっちでいる時に、時々おこる現象でーーー建築者の名もしられぬ建築や、市内から帰ってくる人々の群れが、ケンジントンに住む孤独な宣教師よりもキルマン嬢が貸してくれたどの本よりも力強く、心のわだつみの砂底に、ぶざまな格好(かっこう)でおずおずと居眠りして横たわっているものを、子供が急に腕をのばすように、ハッとおどろかせて、心の海面にうかびあがらせるといったたぐいのことで、決心のなんのと言ったところで、たかが、フトもれる溜息(ためいき)か、腕をのばすことか、衝動か、天啓(だとすれば、効果は永久に失(う)せないのだが)と言ったものにすぎず、すぐにまた心のわだつみの砂底へ沈んで行く」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.218」角川文庫)

変容する身体、という問いについて考えるクラリッサ。またその「現実性」と「非現実性」とについても思いおよぶ。

「彼女の役は、言わばそこに立ったままで、まさしく誰でもあるというようなことだった。誰でもできることだけれど、しかしこの誰でもを彼女はいささか尊敬した。ともあれ自分がこのことをひきおこしたのだ。自分がそれになったような気のするこの柱こそ、発展の一つの段階を記録するものなのだ、そう感じないではいられなかった。というのは、奇妙なことだが、彼女は自分がどんなふうに見えるかなんてことはすっかり忘れてしまって、自分のことを階段のいただきに打ちこまれた一本の杭(くい)のように感じたのだから。パーティを開くたびに彼女は、こういうふうに自分ではないあるものだという気がし、ほかのひとたちもみな、ある意味では非現実的でありながら、別の意味では現実的だという気がした」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.272~273」角川文庫)

次の記述は余りにも有名なので引用しようかどうか迷ったが、ヴァージニア・ウルフ自身が後に自殺したことを考えると放置しておくのもどうかとおもう。思想でもなければ宗教でもない。「死の本能」とフロイトは言った。そして実際、人間はいつか死ぬ。本能という言葉を強く受け止める限り、その意味は間違いではないのかもしれない。

「わたし自身の生活では、おしゃべりの花環(はなわ)で飾り立てられ、よごされ、曖昧(あいまい)なものにされてしまい、毎日腐敗と嘘とおしゃべりとなって、滴りおとされる一つのものが。この大切なものを彼は保存していたのだ。死は挑戦なのだ。死は中心部に通じようとする企てなのだ。人々は、中心部に達することが不可能だと感じている。それは神秘的に彼らを避けるのだ。近さは遠くなり、有頂天は消え失(う)せて、ひとはひとりぽっちになる。死の中にこそ抱擁があるのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.295~296」角川文庫)

ニーチェからの引用は次を参照。

「奇妙なことだ!私はあらゆる瞬間に、私の歴史は一つの個人的な歴史であるのみならず、私がこのように生きて、私を形成し記録するときには、私は多くの人々に代わって何ごとかをなしているのだという考えに、支配されている。いつでもそれは、あたかも私は一つの多数性なのであって、その多数性に向かって、懐かしげに・真剣に・慰めを与えつつ語りかけているかのようである」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・一〇七四・P.557〜558」ちくま学芸文庫)

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「言語ゲーム」と生成変化11

2019年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム
「痛み」ということに関して、「痛み」を表わす私的言語というものは存在するのだろうか。もし仮に存在するとして、ならば、一方で「痛み」を表わす公的言語が存在することになるのではなかろうか。そのとき、どちらがより一層現実的だと考えられるのだろう。どちらも現実的なのか。しかし両者は本当に通訳不可能な関係にあるのか、と疑ってみることはできる。そしてもし通訳不可能だとすれば、では一体、「痛み」を表わす私的言語を用いて実際に「痛い」と言っている人は、他人に対してどのように「痛い」ということを伝えることができるのか。「身ぶり手ぶり」で、なのか。

しかし「身ぶり手ぶり」もまた、公的な共用が達成されていなければ他人に対して何も伝えることができないのではないだろうか。したがって、私的言語というものは、公的言語の共有化あるいは公共的言語が達成されていて始めて、その分岐として、あるいは「他者の言語」として、両者の接触する地点で、接触を通じて、始めて解読されていくのではないだろうか。また、接触することが可能ならば、両者は共にただ単にそれぞれ別の様式の言語を持っているだけのことであって、たまたまどこかで両者は出会うことになったために、どちらともが理解不能状態に陥ったに過ぎないと考えるべきではないだろうか。だから、ただ単に私的言語が単独で存在するわけではまったくない。あるとしてもそれは両者がまだ出会っていない場合に限り、という条件付きでしかない。

私的である以上、それは他人によって必ずしも「痛み」として解釈されるわけではまったくなく、むしろ「痒み」「辛さ」「骨折」「罠」など様々に解釈されうる。そのような表現は無限の解釈可能性へと繋がってしまい、結局のところ、何が表示されているのかはなはだ理解できない事態をもたらしてしまうほかないだろう。実際はそうではなく、両者ともに同時に一つの共同体の言語(「身ぶり手ぶり」含む)を持っており、そしてその後に両者の属する共同体の言語は、両者が実践的に接触する地点で徐々に読解されていくと考えるべきだろう。

一方の言語圏に属する人々から見れば他方の言語圏に属する人々は「他者」に見える。そして「他者」は何か別の「私的言語」を話しているかのように映るということでなければならない、ということになる。したがって、私的言語は公的言語に先行するのではなく、逆に、公的言語が形成されてから事後的にその私的流用の可能性が生ずるということでなければならない。ところがしかし、「解読される」といっても、いったい何が、なのか。

「それに、『わたくしは《自分自身の》場合についてのみーーーなることを知っている』というのは、一般にどのような種類の命題であるべきなのか。経験命題なのか。ちがう。ーーー文法命題なのか。それゆえ、わたくしは想像する。誰しも自分固有の痛みについてのみ、痛みの何たるかを知っている、と自分自身について言うのだ、と。ーーー人々が実際にそう言っているとか、そう言おうとしているだけだとかいうのではない。が、《もし》皆がそう言ったとしたらーーーそれは一種の叫び声でありえよう。そして、たとえそれが報告としては何も述べていないとしても、それはなお一つの映像なのである。では、なぜわれわれはそのような映像を心に呼び起したがってはいけないのか。ことばの代りに画にかいた寓意的な映像を考えてみよ。哲学しながら自分自身の内部をのぞきこむとき、われわれはしばしばじかにそのような映像を見るようになる。型通りに、われわれの文法の映像的な叙述を。事実ではなくて、いわば図解された言いまわしを」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二九五」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.200~201』大修館書店)

「ことば」の代りに「寓意的な映像」を置き換えることができるとウィトゲンシュタインは述べる。するとそこには何が見えるか。「事実ではなくて、いわば図解された言いまわし」が見えるに違いない、と。そしてそれはまさしくその通りなのだ。人々は知らず知らずのうちに、自分自身の内部に構造化された規則・文法によって整えられた言語的システムを覚え込んでいる。それは深く、物の見方・考え方・感じ方さえも規定する無意識的領域にまで及んでいる。事実上、身体と分けて考えることができないほど混み入っている(脳神経回路は身体全域に触手を張り巡らせ外界と接しつつ外界を感じながら諸運動を通して常に外界と新陳代謝している)。諸々の事柄に熟達していることが条件となるわけだが、それはほとんど無意識的レベルで処理され得るため、学んでいるときにはそれら諸条件について考えなくても構わない。そうして無意識にほとんど依拠しつつそれらに熟達して始めてその言語のネイティヴとなることができる。あるいは、熟練によって、ネイティヴではなくともネイティヴに準ずる語法に通達することができる。

だから、「読解」されているのは任意の規則・文法を通したその共同体内の共通語なのであり、さらに共通語は様々な共同体に一つづつある。あるいは一つづつの言語様式がそれぞれの共同体を一つに統一している。すると様々な言語共同体が存在することになる。そしてその中の一つの単位が自国語だと言うことができる。ただそれらを自国語と呼ぶとき、被植民地時代が重なっていれば、自国語を喪失したにもかかわらず、かえって二重化された「母国語」を持つことになる。たとえばデリダがそうだ。そしてその意味でデリダ的人間は世界中に複数いることになる。

さらに、特定の地政学的条件によって、もし被植民地時代を持たない(原住民の多くを滅ぼした後のアメリカ合衆国のような)場合、単一言語が他の共同体と接触すればするほどより多くの他者の言語=外国語と流通=交通していくことができたし実際そうだ。ゆえに英語は共通語として大変使用価値が高い。とりわけ「ジェンダー」の脱落は実に滑りがよいようにおもう。世界文学という次元で見れば、もはや「英文学」ではなく「米文学」でもない。たとえばカズオ・イシグロの作品がそう呼ばれているような「英語文学」があるというべきだろう。だからといって英語が偉いとか偉くないとかいう話では全然ないのだが。

したがって、たった一人の私的言語というものはもともとない。たった一人の人間による何らかのわけのわからない「身ぶり手ぶり」という「振る舞い」があるばかりなのだ。しかも何らかの動作が何らかの「振る舞い」であるとしても、それが確かに何かを指し示す「振る舞い」だと他者の側に受け止められて始めて「振る舞い」としての意味が生じる。それを「言語」と呼ぶかどうかは別問題ではなく「身体による言語」として認められなくてはならないだろう。そしてともかく、意味が通じるや否やそこに一つの共同体が出現する。しかし「身ぶり」は、他者から見て「身ぶり」として受け止められない以上、それは何ものでもない。だが「身ぶり」によってしか伝達しようのない事柄があるのは事実だ。その意味ではより一層身体に信用を置くほうが賢明なこともあるに違いない。

また、ニーチェのいう「身ぶり」は、それが何らかの意味を差し示す動きとして直感されて始めて「身ぶり」として受容され得る。言葉より先に「身ぶり」があるとニーチェがいうのは、たった一人の人間がいる場合には成立しない。ニーチェのいう身体の強調は、最低でも二人以上、複数の人間がその場にいるということを前提している。そしてその場で「身ぶり」が言語として機能するのはすでに「言語としての身体」が、或る一定の範囲内で承認されている場合に限ってである。

さて、次の部分は以前に触れた。プルーストから引用したときだった。プルーストの小説に出てくるものは様々に変身=分身する。だが一方、女性に対する自己固有化、男性による女性の占有化=領土化さらには再領土化、などの男性中心主義もまた多様な形で出てくる。プルーストにおいて女性は「先験的に有罪である」と叫ばれているように「も」おもう。

「ある種の女性は何でも洗いざらい話すし、語るにあたって高度の技巧をこらす。にもかかわらず、話が終わった時点で、話が始まる前よりも多くのことがわかるわけではないのだ。彼女たちは迅速さと透明性によってすべてを隠したのである。女性には秘密がない。自身が一個の秘密と化したからだ。このような女性は私たちよりも政治的だろうか?イピゲネイア。《先験的に無罪である》ーーーこれが、男性によって声高に叫ばれる『先験的に有罪である』という審判にあらがいつつ、少女が求めていることなのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.271」河出文庫)

プルーストとは逆の方向。「《先験的に無罪である》」。このことを懸命に表象しようとしたのがヘンリー・ジェイムズではなかろうかとドゥルーズ&ガタリはいう。とはいえ、ヘンリー・ジェイムズの作風はいろいろある。最も有名なものはホラー物ではないだろうか。「ねじの回転」がそうだ。スティーヴン・キングが絶賛したことで有名になった。しかしドゥルーズ&ガタリが取り上げるのは「デイジー・ミラー」だ。言うまでもなく、どちらがよいとかわるいとかの問題ではない。ドゥルーズ&ガタリの場合は、ヘンリー・ジェイムズの作風が様々に変容していったことも同時に評価しているのだから。

「見たところ、ミス・デイジー・ミラーはきわめて無邪気な娘のようだ」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.24~25」新潮文庫)

「たしかにあの娘は、どちらかと言えば野蛮に近い女にちがいない」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.34」新潮文庫)

「『あの人は、全くの野育ちなんです』」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.34」新潮文庫)

いったん一度に三箇所、拾ってみた。どれもヨーロッパにひょっこりやってきた「アメリカ娘」について、周囲の登場人物らが下した論評である。本当にいたのかと問われれば「いた」と答えるしかない。実をいうと、このような「アメリカ娘」の出現は一八六〇年代のヨーロッパではしばしば見かけられた現象らしい。七〇年代に入るとめっきり見かけられなくなったようだが。原因は特に断定できない。ただし、旧大陸(アジアの辺境にしてアジアの中心)と新大陸(北アメリカ)との文化の違い、という従来の定説だけでは理解できない要素がある。新旧文化の違いだけが原因なら、今なおそういう「アメリカ娘」がヨーロッパに少しは残っているか、もしくはその片鱗が系を成して集合しているに違いないからだ。なのになぜかその片鱗すら見かけることはできない。しかしそこにこそヘンリー・ジェイムズの求めたものを見ることができるのかも知れない。

デイジーはいう。

「『いったい何をそんなに真面目(まじめ)くさって考えてらっしゃるのーーーまるであたしをお葬(とむら)いに連れて行きそうな顔よ』」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.55」新潮文庫)

ちなみにデイジー“daisy”は日本語で「雛菊(ひなぎく)」のこと。野草の一種。

「ミス・ミラーの話は、一向に一貫したところがなく、何か言いたいことがあると、かならず何か口実を見つけてはそれを口に出すのだった」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.57」新潮文庫)

そういう娘なのだ。

「『男の方があたしに命令なさったり、あたしのすることに一々干渉なさるの、あたし、許したことないんですのよ』」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.79」新潮文庫)

というように自尊心も目一杯。ウィンターボーンはこう思う。

「大胆と無邪気とを一つにした、謎(なぞ)のような態度を持ちつづける」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.82」新潮文庫)

「謎(なぞ)のような態度」。ウィンターボーンには理解できない。理解できないのは理解しようとするからできないわけであって、それというのもデイジーはいつも高速で変身=分身しているからにほかならない。さらにウィンターボーンはヨーロッパ的知性という意味では「知への意志」を忘れたことのない人物であり、しかもまだ若い。にもかかわらず理解できないのではなく、ヨーロッパ的な知の枠組みの中にいる限り、ウィンターボーンがデイジーを理解することは永遠にできない。だからといって、アメリカ人には理解できるのかといえば決してそうとも限らない。事実、「デイジー・ミラー」発表当初、アメリカの娘を馬鹿にしているとして批判したのは他でもないアメリカ人読者だった。混み入った時代だ。

「『あたし、こんな四角ばったお話、聞いたことないわ。小母さま、いまあたしのすることがお転婆だとおっしゃるんでしたらーーーあたしは手のつけられないお転婆だというわけでしょう。ですから、あたしのことはあきらめていただくより他ありませんわ』」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.86~87」新潮文庫)

「お転婆」。ここでふと樋口一葉の諸短編を想起することがあるかもしれない。しかし樋口一葉を想起したとしてもそれはあながち間違っていない、と思われる。むしろ妥当な想起かもしれないふしがある。

「この理屈にあわない笑顔は、彼女が本能的に相手の不作法を許さずにはいられない、やさしい心の持主である証拠と見られないこともないではないが、さりとて何一つ解決はしてくれない」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.89」新潮文庫)

「解決」しないのは問いのほうが間違っているからだろう。「笑顔」が「理屈にあわない」のは当時のヨーロッパ文化の枠組みの中での限界だけでなく、同時にアメリカ文化の限界をも示している。というのは、この小説の舞台はヨーロッパの中のアメリカ社会だからだ。そこにあってもなお「デイジー」を理解することはできないというわけだ。そんなことは放っておいて、デイジーは変容していく。

「その話しぶりには、例の大胆とあどけなさとがいつも妙な工合に入り交じっていた」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.101」新潮文庫)

「その無邪気とも見える無頓着(むとんちゃく)な様子とつきることがないらしい上機嫌(じょうきげん)のゆえに、この娘がなおのこと好ましいものに思えた。なぜと言われるとこまるが、彼女は嫉妬(しっと)を知らない女であるように、彼には考えられたのだ」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.102」新潮文庫)

「嫉妬を知らない女であるように」、とは女性にとっても男性にとっても大変な侮辱ではある。だがそうとしか見えない娘とは何なのか。

「そのふるまいは本当に『目にあまる』」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.106」新潮文庫)

遂に出た「『目にあまる』」という形容詞。ローマにあるアメリカ人社会が発した言葉だ。しかし「目にあまる」とはどういうことを言うのか。キャッチできない。自己固有化不可能。領土化できないか領土化してもすぐに脱領土化してしまう、ということではないだろうか。少なくともドゥルーズ&ガタリはそう考えている。デイジーこそ脱領土化の線をぐんぐん引いていくばかりか、とうとう線そのものへ変身してもはや同じところへ回帰することのない少女なのだと。

「と言っても、何も彼女が理性を完全に失っていると信じたからではなく、これほど美しく、か弱い無邪気なものが、無秩序の種類に数え入れられ、卑しい地位を与えられるのを聞くのが辛(つら)かったからだ」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.106~107」新潮文庫)

小説ではデイジーのことを評して「美しい」という形容詞がさかんに出てくる。どう考えても描写に乏しい中で「美しい」という言葉ばかりが妙に目につく。おそらく姿形のことを言っているのではないのだ。ヘンリー・ミラーの言いたかったことがだんだんわかってくる。

「デイジーの反抗は、自分の潔白を意識するところから来るのか、それとも、彼女が本来向う見ずな娘であるためであろうかと、彼は自分に問うてみた。ウィンターボーンには、どこまでもデイジーの『潔白』を信じつづけることが、次第に現実離れした忠義立てであるように思えてきた」(ヘンリー・ジェイムズ「デイジー・ミラー・P.109~110」新潮文庫)

「反抗」という語彙はあまり気にする必要性を感じない。それより問題は「潔白」という意味だ。何が「潔白」なのか。デイジーが生まれついての「自然児」であることが、なのだろうか。もしそうであるなら、なるほど「潔白」であり、誰の所有物にも成り得ない。「先験的に無罪である」ということになる。宗教は女性に対していつも苛酷な言明を下してきた。先験的に有罪であると。だがヘンリー・ジェイムズはデイジーを、当時の宗教観に逆らって先験的無罪の場へ移動させたのだ。しかしデイジーは死ななければならない。このラストはあまりにも短絡的な気がする。けれども死をもって女性の先験的無罪を推しつらぬくことは、デイジーの運動が一つの線として変容していくためには必要な処理だったといえるかもしれない。この死は、個体としての身体の死としてはただ単に死体になることだが、それだけでなく線として逃走していく、デイジーは、すでに不定形の分身と化しつつーーー。

ところで「デイジー」は当時のヨーロッパのアメリカ人地区には「いた」と述べた。では今度出現するとすれば、いつどこでどのように、なのか。実は、いつもどこかで出現してはいる。ただ、それがそうだとは気が付かないーーーおそらく本人とその周辺にもーーーという状況なのだ。なにせ<此性>において、なのだから。

さて、いつまでもネット並びにマスコミと繋がれたままではかなわない。再び切断しよう。

「Connecticut<Connect(接続せよ)ーI(私は)ーcut(切る)>と、幼いジョーイは叫ぶ」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.52」河出書房新社) 

なお、「デイジー・ミラー」は一八七八年発表。日本でいう明治十一年。板垣退助ら「愛国者再興趣意書」発表。駒場農学校開校。サン・ステファノ条約締結。東京商法会議所設立。大久保利通暗殺。東京株式取引所設立。京都盲唖院開校。東京市ヶ谷陸軍士官学校開校。大阪株式取引所設立。ベルリン条約締結。竹橋騒動(近衛兵叛乱)。地方三新法公布。山県有朋陸軍卿「軍人訓誡」配布。川島忠之助訳「八十日間世界一周」発表。

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「言語ゲーム」と生成変化10

2019年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
子どもが「痛み」を表面に表出しない場合はどう捉えるべきか。あるいはどのように考えることができるか。

「『人間が自分たちの痛みを表出しない(呻かず、顔をゆがめない、等)としたら、どうであろうか。そのときは、ひとは子供に<歯痛>といったことばの慣用を教えることができないだろう』。ーーーでは、その子供が天才であって、自分で感覚の名を考え出す、と仮定しよう。ーーーだが、その時には、もちろんそうしたことばで自分自身を〔相手に〕理解させることなどできないであろう。ーーーそれゆえ、かれはその名を理解してはいるが、その意味を誰にも説明できないというわけか。ーーーしかし、それなら、かれが<自分の痛みに名前をつけた>ということは、どういうことなのか。ーーーどのようにしてかれは、痛みに名前をつけるなどということを行なったのか?!そして、かれが何をしたにせよ、それはどのような目的をもっているのか。ーーー『かれは感覚に名前を与えたのだ』というひとがあれば、そのひとは、単なる命名が意義をもつためには言語の中ですでにたくさんのことが準備されていなくてはならない、ということを忘れているのである。そして、誰かが痛みに名前を与えるということがらについて、われわれが語っているときには、その場合の『痛み』という語の文法こそ、〔すでに〕準備されていたものなのであって、それはこの新しい語の配置される場所を指示している」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二五七」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.183~184』大修館書店)

「痛み」を伝えるということについて、そうしたい場合、「すでにたくさんのことが準備されていなくてはならない」。そしてそれはすでに準備されている。規則・文法はもうすでに用意されているのであり、さらに、何であれそれが或る種の語として取り扱われ得るのであれば、そしてその語を「新しい」と評するに妥当だろうと考えられる場合、同様の「言語ゲーム」に属する人々はその「新しい語」について、それがどこにどのように「配置」されるべきかを知っている、ということでなくてはならない。もしそうでない場合、そこには「新しい」とも「新しくない」ともいずれも言われず定義することの不可能な「言葉のような何か」が転がっているばかりの宙吊り状態に陥るだろう。先行するのはいつでも「言語ゲーム」でなければならない。その限りで(文法的配置「図」が決定条件として整っている限りで)、「痛み」(あるいはそれに属する諸々の表現)という語が何らかの「新しさ」を帯びていたとしても、同じ「言語ゲーム」の範囲内では十分伝達可能となる。

「わたくしは石になったように硬直し、わたくしの痛みがつづいていく。ーーーそのとき、わたくしが間違っていて、もはや《痛み》がないのだとしたら!ーーーしかし、それでも、わたくしがそこで間違っていることなどありえない。わたくしが痛みを感じているかどうかを疑うことには、何のいみもないのだ!ーーーすなわち、もし誰かが『自分の感じているのが痛みであるか、それとも何か別のものであるのか、わたくしは知らない』と言うとすれば、われわれはおそらく、その人が『痛み』という自国語の単語の意味していることを知らないのだ、と考え、それをかれに説明するだろう、ということ。ーーーでも、どうやって?おそらく身ぶりによって。あるいは、かれに針を刺し、『わかったかい、これが痛みというものだ』と言ってやることによって。かれはこうしたことばの説明を、他のいかなることばの説明の場合とも同様に、正しく理解したり、誤って理解したり、全然理解しなかったりする。そして、そのいずれであるかを、かれは、いつもそうであるように、その語を使用する際に示すであろう。いま、かれが、たとえば『おお、<痛み>が何であるかはわかった、でも、自分がいまここに感じている《このもの》が痛みであるかどうか、それはわからない』と言ったとすれば、われわれはただ首をふるだけだろうし、かれのことばを奇妙な反応だと思わざるをえないだろうから、それからどうしたらいいのかわからないだろう(それは、たとえば、誰かがまじめに『わたくしははっきり憶えているのだが、わたくしの生まれる少し前、自分はーーーであると信じていた』と言うのを聞いているようなものであろう)。このような疑いの表現は、言語ゲームの一部になっていない。しかし、いま感覚の表現、人間的なふるまいが締め出されているとすると、わたくしは再び疑っても《よい》ように思える。わたくしがここで、ひとは感覚をそれが実際そうであるのとは違った何かとして受けとることができるのだ、と言いたい誘惑を感ずるのは、次のようなことから生じてくる。すなわち、もし正常な言語ゲームが感覚の表現によって廃されると考えているのなら、わたくしはいまや感覚の同一性に関する基準を必要としているのであり、そのときには、誤謬の可能性もまた生じているであろう、ということ」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二八八」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.196~198』大修館書店)

それにしても一体「自国語」とは何だろうか。同じことを別の説明に置き換えることもできる。要するに、非=自国語とは何かと。いずれにしても確かなことがある。感覚と言語との《あいだ》に横たわる裂け目を完全に埋めることはできない。ここでもし、感覚を指し示す言語ではなく改めて「感覚言語」という造語をカテゴリーの中に付け加えるとしても、だからといって問題がよりよくまとまるわけでは何らない。問い方が変わっただけに過ぎない。そしてそれで何となくわかったような気分になることはあるにせよ、では何がわかるのだろうか。わかったというのは何についてどのようにわかったといっているのか、さっぱりわからないのだ。そこでウィトゲンシュタインは「自分がいまここに感じている《このもの》」が何なのか、「誤謬」しながらでもよければ伝えることはできる、と述べている。同時に、特定の「言語ゲーム」内における限りで「感覚の同一性」は可能であり、可能なのだがしかしそのためには「基準」が必要だという。規則・文法が確立されていなければならないという。規則・文法が確立されていれば「痛み」という言葉を通して「感覚の同一性」は保証される。なるほど個々人それぞれに「痛み」は様々に違っていて当然だとしても、「感覚の同一性」さえ保証されていれば、「痛み」の場所や程度や種類やどのように「痛む」のかといった諸表象について語って聞かせ、あるいは書いて述べることはできる。だがなお「基準」の実在ゆえに、かえって「誤謬」も生じるというパラドクスを忘れてはならない、というのだ。基準のないところでは正解もなければ誤謬もない。何をどう解釈しても間違っているとは誰にも言えない。しかしそのような条件の中で人間はどのような共同体なり社会体なりも成立させることはできず、したがって誰も生きていくことはできない。混乱しているかどうかすらわからない。だから基準は必要なのだ。基準は時として変化を被る。様々な条件が付加され操作され決定されなくてはならないに違いない。言語を介するコミュニケーションということの複雑さは「教える/学ぶ」という過程が多岐に渡りいかに重要かということの証左でもあるだろう。

さて、言語を介しないコミュニケーションというものは可能だろうか。これまで「変身・分身・変態」というような単語を用いて考えてきたのはそのことだ。何もここでドゥルーズ哲学をわざわざ反復しようというわけではなくて、ドゥルーズ&ガタリが比較的頻繁に引用する文学を含む言語圏の中に日本語(江戸時代の俳諧や狂歌は別として)が含まれていないこともあり、あえて無学者の立場から、翻訳物に依拠しつつ、その可能性の中心および脱中心へと理論的転調を計っていきたいとおもう。

ウィトゲンシュタインは言語による翻訳可能性の限界を追求している。たとえば、「剣」は破壊されても「剣」なのか。もし仮にばらばらに破壊された「剣」はすでに「剣」ではない。ばらばらのがらくたでしかない。しかしその「剣」に〔歴史的〕な特定の名が与えられていたとすれば、その「剣」はもはや「剣」の外形を留めていなくても、さらに「剣」とは呼ばれないにしても、それはその名で呼ばれる。ばらばらに破壊される前の、「剣」そのものであった時の名で呼ばれる。しかしそれはどのような場合なのか、といった内容。また、身体の「痛み」はいかにして「痛み」という言語へ置き換え得るか、あるいは翻訳可能か、といったことだ。その研究の中で出現したのが規則・文法による支配ということだった。ところが言語を介しないコミュニケーションとは何か。あるいは言語を必要としないコミュニケーション。そしてさらに言語によって逆に壊されてしまうコミュニケーションとはどのような行為なのか。それを問うていこう。言語を必要としてないという点で次のことが前提されねばならない。生成変化に関わる。

「生成変化が情動そのものであり、欲動それ自体であるということ、そしてこれは何の表象〔代理〕でもない」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.205」河出文庫)

別の何ものによっても代理不可能ということ。ここでは「身ぶり手ぶり」による「表象〔代理〕」さえ排除されている。

「《ある<此性>の思い出》。ーーー一つの身体は、それを規定する形態によって定義されるのでもなければ、規定された実体や主体として定義されるわけでもないし、それが所有する器官やそれが果たす機能によって定義されるのでもない。存立平面の上では、《一つの身体はもっぱら経度と緯度によって定義されるのだ》。つまりなんらかの運動と静止の、あるいは速さと遅さの関係のもとで、身体に所属する物質的要素(これが経度だ)と、なんらかの力、あるいは力能の度合のもとで、その身体が受けいれることのできる強度的な情動の総体(これが緯度だ)によって定義されるのである。そこには情動と局所的運動、そして微分的な速度しかない。この<身体>の二つの次元を抽出し、『自然』の平面を純粋な経度および緯度として定義したのはスピノザの功績だろう。緯度と経度は地図学を構成する二大要素なのである。人称や主体、あるいは事物や実体の個体化とはまったく違った個体化の様態がある。われわれはこれを指して《此性》heccéitéと呼ぶことにする。ある季節、ある冬、ある夏、ある時刻、ある日付などは、事物や主体がもつ個体性とは違った、しかしそれなりに完全な、何一つ欠けるところのない個体性をそなえている。この場合すべては分子間や微粒子間における運動と静止の関係であり、また触発し触発される(情動をおよぼし情動を受けとめる)能力であるという意味で、こういったものは<此性>なのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.207~208」河出文庫)

先日スピノザから幾つかの部分を引用しておいたのは、ここでその理論的有効性を試してみようとせんがためでもある。「触発し触発される(情動をおよぼし情動を受けとめる)能力」とある箇所など。しかしスピノザの影響というのは「千のプラトー」という作品そのものの形式と最も関係が深いのだが。ーーーとはいえ、この約束は、約束である以上、今上げたように言語を伴わずにはいられない。しかし言語を伴うのは約束のためにではなく、経験のための心づもりに過ぎない。そうでなければ哲学は哲学でなくなり、ただ単なるドゥルーズ信仰に変形してしまうだろう。あくまで哲学・思想の領域での試みであって、特定の宗教的な意味を伴う教義・信仰ではない。その意味でカルトは徹底的に排除されなくてはならない。それでもなお次のような理論的有効性は様々な様態を取って出現するのであり、それを目撃することができ、なおかつその作業には何らの暴力も伴わない。事例を上げよう。ホフマンスタールはいかにして「自国語」(ドイツ語)とその規則・文法に対する愛国者になると同時に懐疑者へと分裂したのか。

「荘厳なパイプオルガン」より「死をまじかにひかえた最後の蟋蟀(こおろぎ)の声にとつぜん感じる」、とあるが、何を、なのだろう。

「わたしの眼差しは、みにくい仔犬や、植木鉢のあいだをしなやかに通り抜ける猫にじっととどまり、百姓暮しのごつごつとした粗末な品々のうちに、あるひとつのものを求めます。それは、目立たぬかたちをして、誰の眼をひくこともなく横たえられ、あるいは立てかけてあり、なにひとつ語ることなく存在しているのですが、しかもそのように存在していることによって、あの謎めいた、言葉にならない無限の恍惚感をよびおこしうるなにかです。というのも、名づけようのない最上の幸福感を、わたしは、星空に見るよりもむしろ、はるかにひとつ燃える牧人の焚火にとつぜん感じ、荘厳なパイプオルガンの響きよりむしろ、秋風が早くも冬めいた雲を荒野のうえに吹き寄せるとき、死をまじかにひかえた最後の蟋蟀(こおろぎ)の声にとつぜん感じるからです」(ホフマンスタール「チャンドス卿の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.118』岩波文庫)

散文の限界について語るホフマンスタール。詩と身体。あるいは詩と肉体。それらの詩における「置き換え」可能性。それらの散文における「置き換え」不可能性について。

「自然はぼくらの肉体であり、ぼくらの肉体は自然なのだ。それゆえ象徴は詩を成り立たせるエレメントなのであり、それゆえ詩はひとつのものを別のものと置き換えたりはしないのだ。詩は言葉のために語る。これが詩の魔術だ。ぼくらの肉体を揺り動かし、ぼくらをたえまなく変身させつづける言葉の魔力のためにこそ、詩は言葉を語るのだ」(ホフマンスタール「詩についての対話」『チャンドス卿の手紙・P.141~142』岩波文庫)

矢継ぎ早にところどころが崩壊して意味不明な象形文字化する人々の「顔」。

「たいがいの顔はぼやけ、自由豁達(じゆうかつたつ)でなく、多種多様のことが書きしるされてはいるものの、そのいずれにも確信が欠け、崇高さが欠けている」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.188』岩波文庫)

次の部分。ドイツがかつてのドイツとは似ても似つかぬ国家へと変容してしまったことについて「かくも一様」だと嘆くわけだが、なぜそうなったのかはホフマンスタールには理解できない。

「だがぼくとても、すべてがかくも一様、かくも仮借なきまで一律でなければ、こんなことを語りはしないし、神経過敏にすぎるのだと自分に言い聞かせもするだろう」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.190』岩波文庫)

すべての自然と人間との相関関係が資本主義的生産関係のうちに包摂された。そして「社会化された人間」とその世界というものが出現した。この過程の理解にはマルクス「資本論」を読むほかない。だがそれはそれとして。ホフマンスタールは境界線の消滅へ向かうとともに消滅しつつ同時に新しく勃興してきた、もはやホフマンスタールには付いていけないばかりかほとんど理解できなくなっていくドイツという場をさまようことになる。次節は回想であり幸福だった過去へ記憶の触手を伸ばしている。

「身ぶりのさらに奥にある挙措のうちには、なにかはしれぬ深さがあった。それは自然との関係、そっけない言葉で言えば、生との関係だ。つまり、どこまでが抗(あらが)いで、どこまでが順応なのか、どこが反抗の場で、どこが献身の場なのか、どこに冷淡さやそっけない言葉がふさわしく、どこでわがままや歓楽が当を得るのか、といったことだ。この本質的なもの、日常の背後にある現実的なもの、これこそが、ちょうど樹木のうちから渋さ甘さをしみださせ、樹皮や葉や果実をつくりだすように、ひとのうちから日々の飾り気のない振舞いを生じさせるものだ」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.201』岩波文庫)

ところが、たちまちのうちに場面は転変せざるを得ない。あちこちに出現する決定不可能性についての描写。

「たとえば朝、このドイツのいろいろなホテルの部屋にいて、ときおり水差しや洗面器がーーーあるいは机や洋服の置いてある部屋の隅などが、ひどく現実ならぬものに見えることがある。とりたてて言うほどもないごくふつうのものなのに、まったく現実離れし、ある意味では幽霊じみて見え、と同時に、仮のもの、いわば本当の水差しや水を張った本当の洗面器のかわりを一時つとめてあとを待っている、と見えた。ーーー外国では、ひどくみじめな時期にあってさえ、なにはともあれ汲みたての水をたたえた水差しや手桶は、わかりきったものだったし、また生きた物、つまりは友だった。それがここでは幽霊なのだ、と言えるだろう」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.205~206』岩波文庫)

次のセンテンスは<事件>について語られているというべきだろうか。というより、順次上げていっているセンテンスはすべて<事件>なのだが、とりわけ<事件>として捉えるのにわかりやすい、適した文章ではとおもえる。先に定義を引用しておこう。

「<事件>に特有の不確定な時間として、《アイオーン》がある。アイオーンは、速度しか知らない流動的な線となって、その場に生起することを<すでにあるもの>と<いまだあらざるもの>に分かち、同じ瞬間に位置する<遅きにすぎたもの>と<時期尚早なもの>に分かつのだ。<いままさに生起しようとするもの>でもあれば<たったいま生起したばかりのもの>でもある一つの<何か>」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.210」河出文庫)

続けよう。「いわくいいがたい」ものを言おうとして息切れを起こす。

「何本かの木の場合もある。貧相だがよく手入れがしてあり、アスファルトに囲まれた方形の地面に、柵に守られて植わっている木だ。それを眼にすると、それが木を思い起こさせるものであることはわかるーーーだが、けっして木ではないのだーーー、と同時になにかが風のようにぼくのなかを走り抜け、ぼくをまっぷたつにする。永劫の無、永劫の非在から吹きよせる、なんとも言いがたい風。死の息、というよりむしろ生ならぬものの息なのだ。いわくいいがたい」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.206~207』岩波文庫)

次の部分。特に<此性>を強く感じさせる文章。「それらすべてが入りまじり」つつ「一つの顔」を成しているということ。それを<此性>として捉えることが大事だろう。風景の全体・気象・工場・村・散在する家々ーーーなどは「奇妙な混合物としての一つの顔」の形態を取った<此性>としては一つだ。そして<此性>しかない。

「この四ヶ月間ずいぶん汽車に乗った。ベルリンからライン河畔へ、ブレーメンからシュレージエンへと縦横にだ。すると、いつであれ午後三時、あるいはいつでもいい、ごくありふれた光のもとでおこるのだ。線路の左右の小さな町、あるいは村、工場、風景の全体、丘、畑、林檎の木、散在する家、それらすべてが入りまじり、一つの顔をもち、内側にあってはまったく不確かで実にたちが悪いくらい非現実めいた、独特の曖昧な表情をし、ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.207』岩波文庫)

さて、「力」とは何か。ここでホフマンスタールが「見ているもの」とは何か。自国語に対する愛国心はいつもすでに自国語に対する懐疑心との交流なくしてしかあり得ないことを思い出そう。ホフマンスタールは「力」を感じるに際して何ら自国語に依拠せず、むしろ言語抜きで何度も反復される波の「力」を自分自身のうちに「見ている」。

「物の色がぼくを支配するふしぎな時間がある、と言わなかったろうか。だがむしろ、ぼくの方こそが色を支配する力を手に入れるのではないだろうか。ほんのつかのまであれ、奈落にも似て奥深い無言の神秘を色から奪いとる十全な力を。力はぼくの内部にあるのではないか。胸のうちにふくらみ盛りあがるものとして、充溢として、崇高で魅力的な尋常ならぬ現在として、自分のもとに、自分のうちに、血液が出てはいるところにその力を感じるのではないか。あのとき、あの灰色の雨の嵐の日、ブエノス・アイレスの港の早朝にあってもそうだったーーーあのときも、そしていつもそうだった。だが、すべてが自分の内部にあるのならば、なにゆえぼくは眼を閉じえなかったのか。何をも語らず何をも見ず、われとわが名状しがたい感情を味わってはいられなかったのか。なにゆえデッキにとどまったまま見ていずにはーーー何するともなく前方を見ていずにはおれなかったのか。そして、なにゆえ、泡だつ波の色のうちに、開いては閉じるあの奈落のうちに、なにゆえ、激しい雨のなかを波しぶきに洗われながら近づいてくるものうちに、なにゆえ、あの色あせた小船のうちに、われわれの船をめざして難渋しているあの税関の船のうちに、深い波の谷間のうちに、あの船を浮かべ、うねっては寄せてくる波のうちにーーーなにゆえこれらの事物のうちに、全世界のみならず、ぼくの生のすべてが含まれているように思えたのか(思えた!思えた!とはいえ、じっさいそうであるのはわかっていた)」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.219~220』岩波文庫)

ホフマンスタールにとって「見ること」は「手紙」の中で、「絵画としてのゴッホ」の「魂」を「見ること」へ繋がっていく。

このようにホフマンスタールを読むことも大事だとは思うのだが、そうしているうちに、うっかりと動物の生成変化を忘れてしまうことがあるかもしれない。出会いは不意をついてくるものだ。

「<動物-狩り-五時>のような文に出会ったら、一気に読み通さなければならないのだ。動物が夕方に<なる>、夜に<なる>。血の婚礼だ。五時はこの動物だ。この動物はこの場所だ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.212」河出文庫)

「《午後の五時》。 午後のきっかり五時だった。 一人の子供が白いシーツを持ってきた
《午後の五時》。 石炭が一籠 もう用意され
《午後の五時》。 あとは死を 死を待つだけになっていた
《午後の五時》。 

風が棉を持ち去った
《午後の五時》。 そして 酸化物が水晶とニッケルをまき散らした
《午後の五時》。 すでに鳩と豹とが闘っている
《午後の五時》。 
そして 悲嘆にくれる角(つの)を持つ 一つの腿
《午後の五時》。 低温の弦(ふといと)が鳴り始めた
《午後の五時》。 砒素の鐘と 煙 
《午後の五時》。 街角ごとに沈黙の群
《午後の五時》。 
そして 雄牛だけが勇み立っている!
《午後の五時》。 雪の汗が到着しつつあった頃
《午後の五時》、 闘牛場が沃度(ヨード)で一面に覆われた頃
《午後の五時》、 死が傷の中に卵を置いた
《午後の五時》。
《午後の五時》。
《午後のきっかり五時だった》。 

寝台は車輪つきの棺(ひつぎ) 
《午後の五時》。 骨とフルートとが彼の耳の中で鳴り響く
《午後の五時》。 雄牛がすでに彼の額で鳴いていた
《午後の五時》。 部屋は末期の苦悶で虹色に光っていた
《午後の五時》。 すでに遠くに壊疽(えそ)がやって来ている
《午後の五時》。 緑の腿のつけ根には百合のラッパが
《午後の五時》。 傷が太陽のように燃えていた
《午後の五時》。 そして 群衆が窓という窓を割っていた
《午後の五時》。 
《午後の五時》。 
アーイ 何と無惨な午後の五時!  あらゆる時計が五時だった! 午後の影も五時だった!」(ロルカ「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀悼歌・1・負傷と死」『ロルカ詩集・P.96~98』土曜美術社出版販売)

またプルースト「失われた時を求めて」の中で<事件>並びに<此性>の顕現を見い出すことは比較的簡単かもしれない。ただ文章が長い。<アイオーン>という時間に関する叙述はこのように出現することが少なくない。そして速度は申し分ない。

「私は木々が必死のいきおいでその腕を振りながら遠ざかってゆくのを見た、それはこういっているようだった、ーーーきみがきょう私たちから読みとらなかったことは、いつまでも知らずじまいになるだろう。この道の奥から、努力してきみのところまでのびあがろうとしたのに、そのままここに私たちを振りすてて行くなら、きみにもってきてやったきみ自身の一部分は、永久に虚無に没してしまうだろう、と。いましがた、この場所でまたしても感じた快感と不安、なるほど私はそのような種類の感情を、のちになってふたたび見出したが、そしてある晩、その感情にーーーあまりにもおそく、しかしこんどは永久にーーー私はむすびついたが、それはもっと先の話で、ともかくいまは、それらの木からは、それらが何を私にもたらそうとしたのか、どこでそれらを見たことがあったのか、それを私はどうしても知ることができなかった。そして馬車がわかれ道にはいってから、私はそれらの木に背を向け、それらを見るのをやめた、一方、ヴィルパリジ夫人から、なぜそんなぼんやり夢にふけった顔をしているのかとたずねられた私は、いましがた友人を失ったか、私自身を永久に見すてたかのように、または死んだ誰かに会いながら知らないふりをしたり、ある神の化身をそれと見わけられなかったりした直後のように悲しかった」(プルースト「失われた時を求めて3・P.53」ちくま文庫)

<此性>とは以上のようでなければならない。

なお、「帰国者の手紙」は一九〇七~一九〇八年にかけて発表された。日本でいう明治四十~四十一年。「平民新聞」発行。東京市場暴落。日露戦後恐慌。足尾銅山労働争議。南満州鉄道開業。ハーグ密使事件。第三次日韓協約調印。第一次日露協約調印。三国協商成立。箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)開業。小山内薫「新思潮」創刊。夏目漱石「虞美人草」連載。田山花袋「蒲団」発表。北埔事件発生。三菱造船所労働争議。出歯亀事件。笠戸丸出港。赤旗事件。GM創業。プラウダ発行。ブルガリア独立宣言。オーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア=ヘルツェゴヴィナ併合。デイリー・テレグラフ事件。島崎藤村「春」発表。夏目漱石「三四郎」連載。

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「言語ゲーム」と生成変化9

2019年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
人間はいかにして「痛み」を言語化することができるのか。

「ことばはどのように感覚を《指し示す》のか。ーーーここには何ら問題などないように見える。われわれは毎日のように感覚について語り、それらを名指してはいないだろうか。だが、どのようにしてその名と名指されたものとの結合がつくり出されるのか。この問いは、どのようにしてひとりの人間が感覚の名の意味を学ぶのか、という問いと同じである。たとえば『痛み』という語の意味。ことばが根源的で自然な感覚の表現に結びつけられ、その代わりになっているということ、これは一つの可能性である。子供がけがをして泣く。すると大人たちがその子に語りかけて、感嘆詞を教え、のちには文章を教える。かれらはその子に新しい痛みのふるまいを教えるのである。『すると、あなたは、<痛み>という語が本来泣き声を意味している、と言うのか』。ーーーその反対である。痛みという語表現は泣き声にとって代わっているのであって、それを記述しているのではないのである」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二四四」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.177』大修館書店)

ウィトゲンシュタインが指摘するのは、「泣き声」という言葉と「痛み」という言葉が並列してあるのではなく、ただ単なる「泣き声」(叫び声・呻き声・啜り泣きーーー)が「痛み」という言語へ翻訳されうるということだ。なるほど「泣き声」には様々な「泣き声」があるだろう。しかし「痛み」を現わしているに違いないと考えられる「泣き声」に限り、それは「痛み」という言語へ置き換えることができるといっているのだ。ところが実際の、たとえば身体の或る箇所の「痛み」と、言語としての「痛み」とを置き換えることはもちろんできない。問題はあくまで「泣き声そのもの」(ぎゃあぎゃあ、わあわあ、おえおえへ〜ーーー)は「痛み」という言語と変換可能であるということでなければならない。そしてこの場合「痛み」という語は色々な「泣き声」を意味内容として包括的に含み込んでしまうため、ただ単なる「痛み」だけでは伝達不可能な部分が残されてしまうことも事実だ。

「それなら、どうしてわたくしはこれ以上、言語をもって痛みの表現と痛みとの間に入りこむことなど望みえようか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二四五」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.178』大修館書店)

という問いが出て来ざるをえない。そして実にそれこそが言語機能の限界として問題とされなければならない。無限の説明必要性という事態に陥ってしまうからだ。無限の説明必要性という悪循環に陥っているとき、人々は、或る種の「言語ゲーム」内での限界を思い知らされることになる。にもかかわらず、それゆえに、別の仕方で組織されている別の「言語ゲーム」=「他者の言語」、という可能性へ賭けることになっていく。

さて、「変身=分身」の系譜はまだ続く。というより注意深く拾っていけばきりがないのかもしれない。なぜなら、モデルとなりうる作品が少な過ぎるのではなく、逆に多過ぎるからなのだが。

「エイハブ船長はモーヴィ・ディックとともに抗しがたい<鯨への生成変化>に巻き込まれる。しかしそれと同時に、モーヴィ・ディックなる動物もまた、耐えがたいほど純粋な白さに、まばゆいばかりに白い城壁に、銀の糸になって伸び、少女の『ように』しなやかになり、鞭のようによじれ、さらには城塞のように聳えなければならない。文学も、ときとして絵画に追いつき、さらには音楽にさえ追いつくことがありうるのだろうか?そして絵画が音楽に追いつくこともあるのだろうか?」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.300」河出文庫)

ここでもしあえてウィトゲンシュタインを持ち出すとすれば間違った行為だろうか。「泣き声」=「痛み」の変換可能性ということ。それは或る限定的な範囲では十分可能だった。では文学はどうだろう。文学は絵画あるいは音楽に追いつくことができるだろうか。少なくとも変換することはできる。だが追いつくことは、実はなかなかできない場合が多い。絵画や音楽のほうが文学を追い越し置き去りにしてしまっている場合のほうがずっと大量だからだ。始めから死体化してしまっている文学ならよく見かけるに違いない。そして逆に絵画や音楽によってそれらが再生されるとき、何とかして再び蘇ってくる文学を世界は持っている、という程度でしかないのではないだろうか。この問いは低迷するばかりの文学に突き付けられた数々の問題を再定義し直さなければ文学自身にとってもよく見えてこない領域にあるのだろう。問題は文学なのだとはいえ、実をいえばそれ以前に、文学者あるいは作家自身とその周辺がとうとう足元を凝視しなければ垂直的落下の無意味な逃走線を逃走もしないままただひたすら自己償却していくことになるだろうような問いなのだ。文学を活性化させてきたのはいつも「周縁の力」だった。「周縁」といっても何も辺鄙な土地とか田舎とかのことではまったくなく、逆に都会の只中であっても当然「周縁」は存在する。たとえば、ニューヨークの只中を斜めに走り抜けるブロードウェイ。ニューヨークの直線とブロードウェイの斜めの線とが交錯する地点で事件は発生する。あるいは発生しない時の不思議な静けさ。両者の摩擦による発熱あるいは発狂。そういう強度の暴力的変容が「周縁の力」として作用する。ただこのような視野に立つとき注意すべきことがある。中心と周縁とを対置させるばかりではただ単に相互が変換し合うだけの二項対立関係が成り立つに過ぎないということ。そこには何らの歴史性も生じてこないこと。歴史性を脱落させた文学はなるほど文学として認められはしようものの、しかし何ら生成してくるものがない。だから中心と周縁とをただ単に対置させるだけではまた駄目なのだ。むしろ摩擦・抵抗・速度・闘争・逃走・鎖列・脱節・破壊・溶融・分裂・踏査・罠・倒錯・浸透・崇高・愚劣・狡知・放縦・舞踏・静寂・挑発ーーー、それらが常に進行形をとらざるを得ないという変態性を備えていなければ歴史性など発生しようもない。そしてこの領域は実際の作品がその領域に置かれて始めて目に見えるものとして出現するほかないような領域なのだ。領域とはもともとそういうものかもしれないが。

エイハブの生が大いに躍動し遂に狂気化していく過程。そうなるのはモーヴィ・ディックが怪物として大いに活動していてこそだ。エイハブの生成変化は、エイハブのモーヴィ・ディック化あるいはモーヴィ・ディックのエイハブ化と同時進行で展開する。ここで「白鯨=モーヴィ・ディック」は「リヴァイアサン」に《なる》のだが、小説の途中で変身するわけではなく、あらかじめ与えられた状況で既に「リヴァイアサン」として「白鯨=モーヴィ・ディック」だ。エイハブもまた「白鯨=モーヴィ・ディック」に《なる》のだが、この動物への生成変化は、エイハブの「リヴァイアサン」としての「白鯨=モーヴィ・ディック」化でもなければならない。怪物同士の果たし合いにしか思えない小説ではあるものの、まさにその叙述によって、両者は「少女のようにしなやか」に振る舞い合う。エイハブとモーヴィ・ディックとは旧知の間柄のように互いが互いをよく知り合っている。

「いいか、すべて目に見ゆる物とは、ボール紙づくりの仮面にすぎぬ。だが、おのおのの出来事ではーーー生ける行動、疑う余地なき行為においてはじゃーーーかならず、そのでたらめな仮面の背後(うしろ)から、正体は知れぬがしかもちゃんと筋道にかなったものが、その隠された顔の目鼻だちを表面(おもて)に現わしてくるものなのだ。人間、壁をぶちやぶるなら、その仮面の壁をぶちやぶれ!囚人が壁を打ち破らんで外へ出られるか?このおれには、あの白鯨が壁になって、身近に立ちはだかって居(い)おるのだ。そりゃ、その壁の向う側には、何もないと思うこともある。だがそれでも同じじゃ。あいつがおれにはたらきかけ、おれにのしかかってくる」(メルヴィル「白鯨・上・P.273」新潮文庫)

「この鯨にあれほど深刻な恐怖感がつきまとうにいたらしめたのは、その異常な巨驅でもなく、めざましい体の色でもなく、まして怪奇な形した下顎でもなくーーー事情通の言葉によればーーー彼がその闘争において幾度となく発揮したところの、無類の理知的な兇悪さであった。何よりも引き揚げどきの腹黒さに凄味(すごみ)があった。意気ごんで追いかける敵の前方を、いかにも狼狽(ろうばい)したように泳いでゆくかと思うと、急に向き直って襲いかかり、ボートを粉微塵(こなみじん)に打ちくだいたり、敵をして慌てふためいて本船へ逃げ帰らせたりすることが幾度かあった。すでに幾人かは彼との闘いに非業の最期をとげた。もちろん同様の不幸な災厄は、陸上にはあまり伝わっていないとしても、捕鯨業ではかならずしも珍しくはなかったけれども、それにしても多くの場合、この白鯨の悪鬼のごとき企み深い獰猛さを目撃した者にとっては、彼によって五体を引き裂かれ、殺されるのが、とても無知な動物の手で惹(ひ)き起された禍害とは認めることができなかったのだ。されば、読者よ、想えーーーわけても死物狂いに彼を狩ったひとびとの心のうちを──砕かれたボートの破片や、ちぎれて沈んでゆく仲間の四肢のただようなかを、白鯨の不気味な憤怒に白濁した海面を泳ぎ抜けて、いまいましいほど静穏な、まるで誕生か結婚の日のように微笑(ほほえ)んでいる日光の下まで辿(たど)りついたとき、想いみよーーーかれらの心に狂おしく燃えさかる激怒が、いかにすさまじいものであるかを。三隻のボートが彼の周囲で難破している。櫂(かい)も人も渦潮にまきこまれている。短剣をふりかざした一人の船長が、打ち砕かれた舳から、敵をめがけたアーカンソーの決闘者そのままに鯨めがけて飛びかかり、その六インチの刃で巨鯨の生命の奥底ふかく徹(とお)れとばかり、死物狂いで突き刺そうとしている、ーーーその船長がエイハブだった。と、次の瞬間、モーヴィ・ディックは、いきなりその鎌形の下顎をエイハブのからだの下へ回したかと思うと、まるで野の青草を切る草刈人のように、その片脚を切りとってしまった。ターバン巻いたトルコ人も、ヴェニスやマレイの傭兵(ようへい)も、これほど明らさまな残忍さで、彼に噛(か)みつくことはできなかったであろう。してみれば、まさに紙一重で生命にかかわるところだったこの格闘以来、エイハブが白鯨に対して、狂おしい復讐心(ふくしゅうしん)を抱きつづけたということを、疑う理由は毛頭ないが、そればかりではすまず、さらに進んで、もはや病的にまで激昂(げっこう)したエイハブは、あらゆる肉体的苦悩ばかりでなく、おのれのあらゆる思想上精神上の憤怒までも、すべてモーヴィ・ディックそのものと同一視するところまで行ってしまった。深刻な人物には間々あることだが、おのれの身中に感ずる邪悪な魔の使いども、それにわが身を蝕(むしば)まれ、ついには心臓も肺も半分だけで生きてゆかねばならなくなる、そうした魔性の悪念が凝って、眼前を遊弋(ゆうよく)する『白鯨』の姿と化したものと、エイハブの眼には映った。この捉えがたい悪こそは、世の始まりから存在していたのだ。近代のキリスト教徒すらも諸世界の半分はそのものが支配する領域だと考えた。また古代東邦の拝蛇教徒は、それを魔神像として拝跪(はいき)したーーーエイハブはかれらのように身を屈して拝みはしなかった。譫妄(せんもう)にもその観念をおのれの憎む白鯨に移し入れ、不具の身をもってそれに対して闘いを挑んだ。もっともひとを逆上させ苦しめ苛(さいな)むすべてのもの、およそ事を荒立てるすべてのもの、邪悪を内に蔵するすべての真実、かの筋骨を砕き肝脳を地に塗(まみ)れさせるすべてのもの、生活と思想とを蝕むすべての狡猾(こうかつ)な悪魔性ーーーこれらのすべての悪は、狂えるエイハブにとっては、モーヴィ・ディックという目にみえる個体と化し、現実に攻撃可能な対象となって現われたのだ。彼はアダム以来全人類が感じた怒りと憎しみとの全量をば、ことごとくあの鯨の白瘤の上に積みかさねておいて、さておのれの胸郭を臼砲(きゅうほう)になぞらえ、灼熱(しゃくねつ)した心臓に蓄えた榴弾(りゅうだん)をそこで炸裂(さくれつ)させたのである。彼のこの偏執が、まさにその肉体の一部を奪われたその瞬間において即座に高潮したとは考えにくい。短剣を揮(ふる)って怪物に飛びかかったあのときには、ただ突如として全身にみなぎった忿怨(ふんえん)の激情に身をまかせたにすぎない。またその身を引き裂く一撃を受けたときにしても、おそらく肉体の分断される激痛は感じただろうが、それ以上のことはなかった。しかしこの衝突によって帰航を余儀なくされ、幾月にもわたる毎日、毎週、エイハブはその痛みと二人づれで一つ吊床(ハンモック)に横たわったまま、冬の真中、暗澹(あんたん)たる風浪を衝いてパタゴニア岬を回航したときーーーそのときこそ、彼の壊(やぶ)れた肉体と傷ついた魂とは、互(かた)みに流す血を味わい、血と血を交えて一つになり、ついに彼の気を狂わせたのだ。彼が決定的に執念の鬼になったのは、まさにこの格闘後の帰航の途においてだった、ということは、次の事実によっても、ほとんど確実だと思われる──すなわち彼はこの航海のあいだ、ときどき間をおいて、狂暴な錯乱状態に陥り、それがこの譫妄状態で一層はげしく昂(たか)ぶったので、やむをえず航海士たちは彼を固くしばりつけ、それでもまだ吊床(ハンモック)のうちで暴れながら航海したというのである。狂人用の締胴着(しめどうぎ)にくるまり、疾風(はやて)のはげしい動揺に、ふりまわされるにまかせていた。やがて船もやや凌(しの)ぎよい海域へ入って、微風に補助帆を張りながら、安らかな熱帯の海をわたって行ったが、その頃はどこから見ても、エイハブ老人の乱心は、ホーン岬の時化(しけ)とともに過ぎ去ったと思われ、やがて彼も暗い穴籠(あなごも)りから出て、日光と大気の恵みに浴した。そのときすでに、まだ蒼(あお)ざめてはいたが厳然と落ちついた額の色をみせ、冷静な命令をふたたびみずから発するようになったから、航海士たちは、ようやく怖ろしい狂気も鎮まったことを神に感謝したが、実はその頃もなお、人知れぬ心身の底ふかくでは、エイハブは荒れつづけていたのだ。人間の狂気には、しばしばきわめて狡猾な猫のようなところがある。癒(なお)ったと思っていると、実はただもっと陰険な形に姿を変えているにすぎない。エイハブの心にあふれた狂気も、鎮まったのではなく、いよいよ深く底のほうへ身を縮めていたにすぎないので、あたかもあのハドスン河に水の減ずるということがなく、このけだかい北方の河が山地の渓谷を流れるとき、河幅は狭くなっても、かえって底知れず深くなるのと同然である。しかしエイハブの場合では、狭く底ふかく流れている狂的な偏執のうちに、あの溢(あふ)れんばかりの狂気は一分一厘も減ぜず流れつづけていたし、またそのゆたかな狂気の流れのなかで、彼の天賦の偉大な知力は、一分一厘も失われてはいなかった。かつては活力ある行動の主体だった知力が、いまは偏執に使われて働く道具となった。もし乱暴な譬(たと)えが許されるならば、局部的狂乱が全体的健全を強襲してこれを占領し、かくて手に入れたすべての砲門をば、おのれの狂気が敵とする標的にむかって集中させたのであって、したがってエイハブは、その剛力を失うどころか、ただかの一念に真っ向に、かつて正気だった頃、何か一つのまともな目的に対して注いだよりも、千倍も強い潜勢力で立ち向うことになったのだ」(メルヴィル「白鯨・上・P.305~309」新潮文庫)

「千倍も強い潜勢力で立ち向う」というのは、もとより狂気の影が差しているどころか、既に狂っているわけだが、しかしーーー。「狂えるエイハブ」と同時に「ゆたかな狂気の流れ」、とある。狂気は分子状に「流れる」からだ。逆に、しなやかに「流れ」ないでモル状に一点に固執してしまう場合、「パラノイア」=「神経症」だということになる。モル状に固まって一点に固着するのは確かに体によくない。ここでは変身を通して何らかの「生理学」が共に語られているのではとすら思えてくる。ドゥルーズ&ガタリが注意を促しているように、エイハブはあくまで「狂人《への》生成変化」なのであり「狂人《の》生成変化」ではない。むしろ「狂人《の》生成変化」は容易に信じ難いほど高速・多彩・多様・静的・切断的・交配的・パッチワーク的・変身的・横断的だ。ところで、「人間の狂気には、しばしばきわめて狡猾な猫のようなところがある」、とメルヴィルは書いている。とすれば「狡猾な猫」にとっては最大の賛辞とまではいかないにしても、逆に、「普通の」(狂人でない)人間にとって「狡猾な猫」という形容は偶然にも最高の知性に向けて与えられる〔適切な〕表現の一つには違いない。なぜなら「狡猾」とは、利発・賢明・顧慮・学習・不羈・意志・計略・闘争・逃走・俊敏・静止・緊張・睡眠・忘却・記憶など、時間を掛けて始めて獲得できる最良の人間性にほかならないからだ。もっとも、猫にとっては「狡猾かどうか」などという基準の勝手な持ち込みはかえって迷惑だろう。

「この色の与える最奥の観念のうちには、何かしら捉えがたいものが潜んでいて、あの血の色の紅がひとを脅(おびや)かすよりもっと強い恐怖で心を打つのである。この捉えがたい性質こそは、われわれがこの白色の観念を温雅な連想から切り離し、それ自体おそろしい事物と結びつけるとき、その恐怖感を限りなく高める根源なのである。極地の白熊や熱帯の白鮫を目のあたり見るがよい。そのなめらかな、ふわふわとした白さを措(お)いて、何がかれらを超絶的な畏怖そのものたらしめているか?あの幽霊のような白色こそが、かれらの冷々黙々たる風姿に、怖ろしいというよりはむしろいやらしい、ぞっとするような柔媚(じゅうび)な感じを与えるのだ。それゆえ、あの猛だけしい牙をむいた虎の、紋章つきの上衣すらも、熊や鮫のまとう白屍衣(きょうかたびら)ほどには、ひとの勇気を挫(くじ)けさせる力はない」(メルヴィル「白鯨・上・P.315」新潮文庫)

「白」ということ。メルヴィルは自分でさっさと説明してしまう。まず最初に引用した部分では「壁」に《なっ》っていたわけだが。「われわれがこの白色の観念を温雅な連想から切り離し、それ自体おそろしい事物と結びつけるとき、その恐怖感を限りなく高める根源なのである。極地の白熊や熱帯の白鮫を目のあたり見るがよい。そのなめらかな、ふわふわとした白さ」「幽霊のような白色こそが、かれらの冷々黙々たる風姿に、怖ろしいというよりはむしろいやらしい、ぞっとするような柔媚(じゅうび)な感じを与える」。そしてそのような「白さ」であるがゆえ、「あの猛だけしい牙をむいた虎の、紋章つきの上衣すらも、熊や鮫のまとう白屍衣(きょうかたびら)ほどには、ひとの勇気を挫(くじ)けさせる力はない」という。モーヴィ・ディックの「白さ」は「なめらか」で「ふわふわ」としている。もしこれが小動物ならさぞ可愛らしいだろうような「白さ」でもあろう、と考えられないだろうか。事実、世界は、動物園の檻の中でパンダの子供がころんと転がってその白いお腹を観客に見せるとき、その「白さ」があれほど驚嘆すべき柔軟性を伴っていなかったとしたら、今のような反応を示してはいなかったに違いない。モーヴィ・ディックもまた「白い」わけだが、けれども、大きく成長した「極地の白熊」のように畏怖の対象へと変容している。とすれば「白さ」とは一体どのような事態を言うのか。たとえば「白紙に戻す」という時、人々は一体頭の中で何を表象しているのだろうか。一旦計上された「七兆九〇〇〇億円が白紙に戻った」と聞かされたとき、或る人はまた別の人とは違った仕方で何かを考えるのだろうが、そのとき或る人は何をどのように考えるのだろうか。あるいは考えないのだろうか。考えないとすればその時その人は何をどのように考えないでいるのか。

「エイハブの場合には、おのれのあらゆる想念と想像とをば、ただひとつの至高至上の目的に捧げつくし、その目的は、みずからの意志の偏(ひと)えの凝りかたまった頑(かたく)なさによって、神を悪魔もあらばこそ、一筋に思いつめた独立不覊(ふき)の一存在にまで、みずからを仕立てあげたものと見るほかない。いな、この一念は、これと道連れになっている凡常な生活力が、許されざる私生児のごときこの狂執の誕生に戦慄(せんりつ)して逃れ去っても、なお執拗(しつよう)に生きつづけ燃えつづけることができたのだ。さればエイハブその人のごとく見えた《もの》が船室から跳り出るとき、その肉体の眼から燃えほとばしったもの、虐げられた精霊は、その瞬間は藻抜(もぬ)けの殻であり、形なき夢遊病的な存在であり、生ける光の一束ではあるにちがいないが、色づけるべき目的物を持たぬ光であり、したがってそれ自身において空白にすぎぬものであった。あわれ神にも見放された老人よ、御身の思念は御身のうちに、もう一つの生きものを造りあげた。おのれの熾烈な一念によって、かくみずからプロメテウスとなった人間。禿鷹(はげたか)は永遠に彼の心臓を啖(くら)って生きるーーーしかも彼みずからの創造物たるその禿鷹が」(メルヴィル「白鯨・上・P.335」新潮文庫)

とあるように、「許されざる私生児のごときこの狂執」「エイハブその人のごとく見えた《もの》」「もう一つの生きもの」、とエイハブの変態過程における多層性が一気に叙述されている。

「嵐に先立ち、それを予言するものとしか思えぬ深沈たる凪というものは、おそらく嵐そのものよりもっと怖ろしいようにーーーいわばこういう凪は、嵐の包紙か袋にほかならず、見かけは何ともない小銃が、命取りの火薬と、弾丸と、爆発力とを包蔵しているように、凪それ自身のうちに嵐が隠れているのだからーーーあたかもそのように、この鯨索がいとも閑雅にやすらっている姿、いよいよ実際に踊り出すまで、漕手の身のまわりに黙々として長蛇のごとく纏(まつわ)りついているーーーこれこそ、この危険な事態のほかのいかなる様相よりも以上に、真の恐怖を覚えさせる点なのである。だが、なぜ《より以上に》というのか?人間はみな鯨索に囲まれて生きているのだ。人間はみな生まれながらに頸に縄をかけられているが、無常迅速の死の手に捕えられたときでなくては、この黙々たる、陰微なる、常住の生の危険を認識するものではない。そしてもし諸君が哲人なら、捕鯨ボートのなかに坐しても、夕の炉辺に銛ならぬ火掻棒(ひかきぼう)を傍に置いて坐する折りにくらべて、いささかたりとも《より以上の》恐怖を心に感ずることはあるまい」(メルヴィル「白鯨・下・P.39」新潮文庫)

「黙々たる、陰微なる、常住の生」。この「生」を拡張しよう、拡張したいとドゥルーズは考えている。ただしひたすら「黙々と」「陰微に」であって、間違っても大声を上げたりしない。ラカンのいう「現実界」の闖入が、社会的規模で再びあり得ないかどうか、もまた問われている。なぜなら、社会的規模での「現実界」の闖入こそが、歴史を凡庸な眠りから覚醒させる魂なのだから。ところがもし魂という語に何らかの意味を込めるとすればそれは「生気論」と呼ばれるべきではないか。インタヴューでドゥルーズは「そうだ」と答えている。その意味で「生の哲学」はファシズムに点火する理論的契機としてベルクソンと同じように取り扱い注意なのだが、だからといってニーチェの読者のほとんどがファシストにならないことと同様に、ファシズムには哲学・思想とはまた違った何か奇妙なものが入り混じっている。「生の哲学」は決して排他的でない。むしろ自己と他者との交合を歓待する。社交もし、性交もする。しないという選択肢も始めから用意されている。どう見ても肯定的だ。にもかかわらずファシストの「生の哲学」は極めて排他的だ。自己と他者との差異の肯定は自他の違いをありのまま肯定的に捉えるために不可欠な実践的認識にほかならないが、彼ら彼女らファシストは、自他の違いを捉えて自他ともに認め合おうとするどころか、逆に、他者だけを取り出してどんどん選別し対立的に排除すると同時にとことん貶め限りない屈辱を与えつつ放置してしまうばかりで、自己とその同一的血縁的相続的関係しか認めようとしない。その意味でニーチェ・ベルクソン・ドゥルーズの「生の哲学」はファシストとはまったく無縁である。なぜ一緒にされることがあるのか、さっぱりわからないというほかない。

「人間の目にみえぬ定かならぬ天上の会議や、劫火(ごうか)の燃える地獄の怨み深い魔王たちが、地上のエイハブと何かの関係が有ろうと無かろうとエイハブの知ったことではなく、目下の脚の問題に関しては、彼は分りやすい実際的な手続をとったーーーつまり大工を呼んだのだ。そして職人が彼の前に現われると、彼はさっそくに新しい脚を造る仕事にかかれと命じ、航海士らを指図して、これまでの航海で充分に蓄まった(抹香鯨の)顎骨の間柱(あいばしら)なり根太なりをみな大工に見せて、いちばん頑丈な、上質の材料を慎重に選び出させるのに遺漏のないようにと言いつけた。これがすむと大工に、その夜のうちに脚を造りあげ、また現に使っている信用ならぬ脚に付属しているものとは別個に、すべての付属品をもこしらえろという命を与えた」(メルヴィル「白鯨・下・P.299」新潮文庫)

エイハブ=モーヴィ・ディックのあいだにはもう境界線が消滅しつつある。両者は広大な海へ消えてしまう。海がすべてを覆い隠していく。

さて、少し前(二〇一九年二月六日)にLGBT差別問題に絡んでプルーストから三箇所を取り上げておいた。「ポピュラーな」ものとしてという条件付きで。しかし当然のことだが、フロイトの言葉からも引いたように、性的諸関係には「定型」というものは存在しない。常に非定型であり多形倒錯的だ。定型化ということのほうがむしろ倒錯した抽象的観念に過ぎない。したがって「区別」は不可能ということになる。だから導入部として、あえて「ポピュラーな」と付しておいたわけだが。さらに次のセンテンスを引いておこう。

「この領域においては、接続の働きは常に部分的であって、まとまった姿態をなす人物にかかわることがない。連接の働きは流浪的で多義的である。離接の働きは包含的で、ここでは同性愛と異性愛とを区別する《可能性》さえ閉じられている。ここは、横断的な種々のコミュニケイションの世界であり、ここにおいては、最後に獲得された非人間的な性が、種々の花々と一体をなしているのだ。ここは、欲望がその分子的な要素と流れとに従って作動している新しい大地なのである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・第四章・P.378~379」河出書房新社)

スピノザから。「愛」「欲望」「勇気」「寛仁」について補足的に上げておきたい。

「憎しみは憎み返しによって増大され、また反対に愛によって除去されることができる。ーーー自分の憎む者が自分を憎み返していることを表象するは人は、そのことによって新しい憎しみが生ずる〔のを感ずる〕。しかも最初の憎しみはなお依然として存続しているのである。しかしもし反対に、自分の憎む者が自分に対して愛を感じていることを表象するなら、彼は、そのことを表象する限りにおいて自分自身を喜びをもって観想する。またその限りにおいてその人の気に入ろうと努めるであろう。言いかえれば彼はその限りにおいてその人を憎まないように、またその人を悲しみに刺激しないように、努める。この努力はそれを生ぜしめる感情の度合に比例して《より》大でありあるいは《より》小であろう。したがってもしこの努力が、憎しみから生ずるあの努力、自分の憎むものを悲しみに刺激しようと努めるあの努力よりも《より》大であるならば、それは優勢を占めて憎しみを心から除去するであろう」(スピノザ「エチカ・第三部・定理四二・P.214~215」岩波文庫)

「すべて、働きをなす限りにおいての精神に関係する感情には、喜びあるいは欲望に関する感情があるだけである。ーーーすべての感情は、我々が与えたその定義から分かるように、いずれも欲望、喜びあるいは悲しみに関係している。ところで悲しみとは精神の思惟能力を減少しあるいは阻害するものであると我々は解する。したがって精神が悲しみを感ずる限り、精神の認識能力すなわちその活動能力は減少されあるいは阻害される。したがって働く限りにおける精神にはいかなる悲しみの感情も帰せられえない。帰せられうるのはただ、働く限りにおける精神にも関係する喜びおよび欲望の感情のみである。ーーー妥当に認識する限りにおける精神に関係する諸感情から生ずるすべての活動を、私は《精神の強さ》に帰する。そしてこの《精神の強さ》を勇気と寛仁とに分かつ。《勇気》とは《各人が単に理性の指図に従って自己の有を維持しようと努める欲望》であると私は解する。これに対して《寛仁》とは《各人が単に理性の指図に従って他の人間を援助しかつこれと交わりを結ぼうと努める欲望》であると解する」(スピノザ「エチカ・第三部・定理五九・P.233」岩波文庫)

次にスピノザは理性を宗教的な次元で扱っている。しかし実際のところ宗教の教義とは何の関係もない。むしろ諸宗教の現状はどうか。スピノザが破門された理由は、このフレーズが、権力闘争に明け暮れるばかりの教会に対する、極めて妥当な当てつけにしか読めなかったということにもあるだろう。

「理性の導きに従って生活する人は、できるだけ、自分に対する他人の憎しみ、怒り、軽蔑などを逆に愛あるいは寛仁で報いるように努める。ーーーすべて憎しみの感情は悪である。ゆえに理性の導きに従って生活する人は、できるだけ憎しみの感情に捉われぬように努めるであろうし、したがってまた他人にもそうした感情に悩ませないように努めるであろう。ところが憎しみは憎み返しによって増大し、反対に愛によって消滅されうるのであり、こうして憎しみは愛に移行する。ゆえに理性の導きに従って生活する人は他人の憎しみその他を逆に愛で、言いかえれば寛仁で報いることに努めるであろう。ーーー自分の受けた不法を憎み返しによって復讐しようと思う人は確かに惨めな生活をするものである。これに反して憎しみを愛で克服しようとつとめる人は、実に喜びと確信とをもって戦い、多くの人に対しても一人に対するのと同様にやすやすと対抗し、運命の援助をほとんどまったく要しない。一方、彼に征服された人々は喜んで彼に服従するが、しかもそれは力の欠乏のためではなくて力の増大のためである。これらすべては単に愛および知性の定義からのみきわめて明瞭に帰結されるのであって、これを一々証明することは必要でない」(スピノザ「エチカ・第四部・定理四六・P.59」岩波文庫)

このような態度について「一々証明することは必要でない」に違いない。

なお、「白鯨」は一九五一年発表。日本でいう嘉永四年。太平天国の乱。ロンドン万博開催。ニューヨーク・タイムズ創刊。ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日クーデター。中浜万次郎をアメリカ船が琉球に送り届ける。水野忠邦没。株仲間再興。「抜け参り」ブーム。

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