白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

仮面等価性14−1・ヘルマフロディーテと中里介山

2020年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
ルキウスは思う。「人間のルキウス」=「驢馬のルキウス」という等価性もそう悪くないものだと。

「鳥にするのをしくじり、驢馬にしてしまったあの迂闊(うかつ)なフォーティスをとても腹だたしく思っていたものの、一方ではこの痛ましい不格好(ぶかっこう)な姿の勇気づけられる慰めが一つあったのです。それは大きな耳を与えられ、かなり遠くの人声でもみんな容易に聞きとれることでした」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の9・P.346~347」岩波文庫)

粉屋に雇われるルキウス。粉屋の妻は浮気が止められない。むしろもっと大量の浮気に耽っていたいし、仕事をやるつもりなど毛頭ない。放蕩三昧、不義密通、金と男と復讐と侮辱とが何より好きなタイプの女性である。それを何食わぬ顔で、さらに間近で見ている驢馬のルキウス。或る悪戯(いたずら)を思いつく。悪戯は成功する。人間の目から見ればただ単に一頭の驢馬がそこを通ったというに過ぎない。ところがこのルキウスのちょっとした動きのために、さっそく作った新しい情夫との情事を夫に見抜かれ離縁された妻。全身これ煮えたぎる怨念と復讐との塊と化す。女性一人で営業する魔術師の家へ向かう。復縁させるよう元夫の心情を変えてしまうか、それが無理なら元夫をきれいさっぱり殺してほしいと。復縁は上手くいかない。そこで魔術師は殺害を実行する。

「悲惨な死に方をしたある女の怨霊(おんりょう)を煽動し、亭主の命を威嚇(いかく)し始めた」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の9・P.363」岩波文庫)

魔術師が「煽動し」なくてはならないのはなぜか。というより「怨霊(おんりょう)」とは何か。煽動することと怨霊とはどこでどう繋がっているのか。「煽動」という言葉は意味深い。というのは、この場合だけでなく、「煽動」することというのは「悲惨な死に方をした」《人々》=不特定多数者への「呼びかけ」にほかならないからである。今で言えば或る種の非合法なマーケティングや、情報操作、ネット広告のようなものだ。「悲惨な死に方をしたある女」は膨大だっただろうしその復讐のためにこの自称-女性魔術師を利用してきた人々もまた少なくなかっただろう。古代ギリシアでも金額次第で動くネットワークはそこそこ広かったのではと考えられる。この場面では「悲惨な死に方をしたある女の怨霊(おんりょう)」=「亭主の命」という等価性が認められる。ともかく、女性魔術師に大金を支払った元粉屋の妻は執念深い復讐を果たす。

「あの女の姿はどこにも見あたらず、主人のみが天井の梁(はり)にぶら下がってすでに息絶えていた」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の9・P.364~365」岩波文庫)

殺害された粉屋の主人はどのように殺されたか。ルキウスは部屋の外にいて、それをどのようにして知ることができたか。すでに嫁いでいた娘の話を聞くことができたからだ。

「彼女がこの家の不幸をつぶさに知ったのは、人から伝え聞いたのではなく、夢の中に父親が立ち現れ、まだ紐(ひも)で首を絞められた残酷な姿のまま、継母(ままはは)の非道な仕打ちを一部始終打ち明けたからでした。それで継母の不義のこと、魔法のこと、悪霊にとりつかれて下界に落ちた経緯を知ったのです」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の9・P.365」岩波文庫)

というように、問題は、現実的地理的距離ではなく、精神的気づかい的距離なのである。さて前回、古代ギリシアでも見られ、なおかつアジアや中米の広域に渡って見られるヘルマフロディーテ(両性具有者)について、男女ペアのみの異性愛者を無限に延長される諸商品の系列だとすれば、ヘルマフロディーテは特権的かつ唯一の商品=《貨幣》という社会的=合体的位置を占めると述べた。南方熊楠の論文から多く引用しつつ。

「アッチスが松の下でみずから宮した時出た血が菫々菜(すみれ)になったとかで、その祭日に松一本を伐って菫々菜で飾り美少年の像を中央に付けて神に象り、大祠官みずから臂より血を出し奉(たてまつ)ると、劣等の神官噪(さわ)がしき楽声に伴れて狂い舞い夢中になりて身を切り血を流す。これを血の日というて新米の神官この日みずから宮してその陰を献ったらしい。エフェススのアルテミス女神とシリアのアスタルテ女神は上世西アジアでもっとも流行(はや)った神だが、いずれも閹人(えんじん)を神官とした。春の初めにシリアとその近国よりおびただしくヒエラポリスのアスタルテ神社へ詣る。笛と太鼓を奏する最中に神官小刀で自身を創つくるを見て参詣人追い追い夢中になって血塗れ騒ぎをなし、ついには衣を脱ぎ喚き踊り出で備え付けの刀を採って惜気もなく大事極まる物を切り去り、それを手に持って町中を狂い奔しどこかの家へ投げ込むと、それ福が降って来たと大悦びでその家より女の衣装と装飾(かざり)をその人に捧ぐるを取って一生著用する」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.276~277』河出文庫)

エリアーデは、アグディスティス、アッティス、キュベレー、ディオニュソスなどについて、様々に述べている。

「アッティスを愛しているアグディスティスが、祝宴の開かれている穴に入ってくる。そこに居合わせた者は皆、狂気に襲われ、王は自分の生殖器を切りとり、アッティスは逃げて、松の木の下でみずからを傷つけて死んでしまう。アグディスティスは絶望して、アッティスを蘇生させようとしたが、ゼウスはそれを許さなかった。ゼウスが容認したのは、ただアッティスの身体が腐らないようにし、髪の毛が伸びたり小指が動いたりすることで生きていることの証しとすることだけであった。アグディスティスは両性具有のおおいなる母のひとつの顕現にすぎないのであり、アッティスはキュベレーの息子であり、恋人であり、その犠牲者でもあった」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.115~116」ちくま学芸文庫)

さらに。

「祭りは春分の時期、三月十五日から二十八日にかけて行なわれた。初日(カンナ・イントラット、『葦の持ちこみ』)に、葦を背負った同信者集団が、切った葦を寺院へ運びこんだ(伝説によるとキュベレーは幼児アッティカが、サンガリオス川の川辺に捨てられているのを見つけた)。七日後、木を背負った同信者集団が、森から切った松の木を運びこむ(アルボル・イントラット)。幹は死体のように幅のせまい帯でくるまれ、アッティスの像がその真ん中に結びつけられる。その木は死んだ神をあらわしていた。『血の日』(デイエス・サングイニス)である三月二十四日に、司祭と新たな入信者は笛とシンバルとタンバリンの音にあわせて野蛮な踊りを踊り、血が出るまで自分たちの身体を鞭打ち、ナイフで腕を深く傷つける。興奮が最高潮に達すると、生殖器を切りとって供物として女神に捧げる入信者もいる」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.117」ちくま学芸文庫)

熊楠は「摩羅考」の中でこう書いている。

「本邦仏教の神像にも、額に縦開した眼、すなわち陰相の眼を具うる者あるは、『大菩薩峠』の神尾主膳の条々で、皆様承知だろう」(南方熊楠「『摩羅考』について」『浄のセクソロジー・P.214』河出文庫)

神尾主膳は有名な登場人物だが、ヘルマフロディーテと愛染明王との類似性について、敏外和尚の説明はかなり要約されていて的を得ているかと思われる。

「『いや、その傷が物怪(もっけ)の幸いというものだ、我々の眼で見ると愛染明王(あいぜんみょうおう)の姿(すがた)だ』『ふふん』と今度は主膳が冷笑しました。主膳の冷笑は、敏外のよりもすさまじさがある。しかし、敏外住職は存外まじめで、『その竪(たて)の一眼は、愛染明王の淫眼(いんがん)といって、殊に意味深い表徴(しるし)になっている』『ナニ、《いんがん》?』『さよう』『どういう字を書くのだ』『淫は富貴に淫するの淫の字ーーーこれが愛染明王の大貪著(だいとんじゃく)時代の拭うても拭いきれない遺品(かたみ)だ、横の両眼は悪心降伏(あくしんごうふく)の害毒消除の威力を示すが、堅の淫眼のみは、いつでも貪著と、染悪(せんお)と醜劣(しゅうれつ)と、汚辱とを覗(のぞ)いてやまぬものだ』『ははあーーー』神尾主膳は苦笑いしながら、何か当てつけられたように感じました」(中里介山「大菩薩峠8・他生の巻・P.335」時代小説文庫)

その傷(「愛染明王の淫眼(いんがん)」)はどのようにしてできたか。そもそも神尾主膳自身による残酷で始末に負えない放埒政治がきっかけなのだが。次のように。

「神尾主膳の面(おもて)は、左右の眉(まゆ)の間から額の生え際(ぎわ)へかけて、牡丹餅(ぼたもち)大の肉をそぎ取られ、そこから、ベットリと血が流れているのです。ーーーこの点においてはお銀様は冷やかなものでした。神尾の額の大怪我は、むしろ痛快至極なものだと思いました。ーーー神尾が苦しむのは当然であって、ところもあろうに額の真ん中へ刻印を捺(お)されたことの小気味よさを喜ばないわけにはいかないが、それにしても、咄嗟(とっさ)の間に、神尾がこの大傷を受けて倒れたのは何に原因するのか、それが、わからないなりに井戸の車の輪を見上げると、釣瓶(つるべ)の一方が、車の輪のところへ食い上(あが)って逆立ちをしているように見えます。気のせいか、その釣瓶の一端に、神尾の額からそぎ取られた牡丹餅大の肉片が、パクリと密着(くっつ)いているもののように見えました。お銀様は、そこでホッと息をついて、同時に胸の溜飲を下げました。ははあ、これだなと思ったのでしょう。盲法師が下へ投げ込まれるとその重みで、一方の釣瓶が急転直下すると一方の釣瓶が海老(えび)のようにハネ上って、そうして、その道づれに神尾の額の肉を、牡丹餅大だけをそいで持って行ってしまった。それだと思ったから、お銀様はいよいよ痛快に堪えませんでした。痛快というよりはこの時のお銀様は、正しく神尾主膳の残忍性が乗りうつったかと思われるほどに、いい心持になりました。うめき苦しむ神尾にも、驚き騒ぐ福村にも、冷然たる白い歯をチラリと見せたきりで、井戸桁(げた)へ近寄って、一方の縄をクルリと廻してゆるめると、海老(えび)のようにハネ上っている一方の釣瓶が少しく下がって来たから、手を高くさしのべて、それを取り下ろしてみるとお銀様の想像したとおりに、神尾主膳の額の肉片は、べっとり釣瓶の後ろに密着(くっつ)いていました」(中里介山「大菩薩峠6・小名路の巻・P.238~239」時代小説文庫)

ここで出現している等価性がある。「神尾主膳の残忍性」=「お銀の残忍性」である。お銀は普段から大人しくやさしいタイプの耐える女性である。これまでずっと世間から向けられる白い目に耐えて耐えて耐え続けてきた女性だ。しかしこのときばかりは「痛快に」感じた。そしてまた、愛染明王だけでなく「大菩薩峠」ではもっと色々な神や仏が出てくる。さらに時代背景が江戸末期なので当然、身体障害者や精神障害者や社会的底辺労働者や遊行者らが群れをなして登場する。神仏ではこのようなものも。

「やや遠く離れて槍を抱えては摩醯首羅(まけいしゅら)の形をして見せました」(中里介山「大菩薩峠4・如法闇夜の巻・P.116」時代小説文庫)

槍の使い手・米友(よねとも)がやって見せた形、「摩醯首羅」(まけいしゅら)は、日本で一般的にいう「大自在天」(だいじざいてん)のこと。有名な図像に「尊像三目八臂騎白牛」(『諸尊図像鈔』)とある。眼は三個、腕は八本、白い牛に騎乗している。問題の目だが、今の中国新疆ウイグル自治区にダンダン・ウィリク(ウイグル語で「象牙の家々」)という仏教院跡がある。なかでも、タクラマカン砂漠に実在するダンダン・ウィリクから出土した「大自在天像」の壁画には、額に縦開した眼が鮮明に描かれている。熊楠のいうようにこの額に描かれた「三目」もまた女性器としか思われない。幕末。薩摩とか長州とか小栗上野介とか勝海舟とか土方歳三とか天狗党とか、ビッグネームが出てくるのでただ単なる時代小説かと思われてしまっているが、むしろ十九世紀前半にネルヴァルが急速な近代化と失われていく家郷とのダブルバインド(相反傾向、板挟み)で統合失調症を発症した時期にヨーロッパの知識人らが陥った状況とたいへん似ている。「あの《えいじゃないか》騒ぎはどこから起った」のだろうか。

「『そうかも知れない、一体、あの《えいじゃないか》騒ぎはどこから起ったものだ』『どこから起ったか存じませんが、神様のお札が、天から降って来たのが初まりだそうでござんすよ、それで忽(たちま)ちあんなことになってしまいました、盆踊りのように、時を定めて踊るんならようございますが、朝であろうが、昼であろうが、稼業が忙しかろうが、忙しかるまいが、踊り出したが最後、気狂(きちが)いのようになってしまうのですから手がつけられません、私は、あれを伊勢から伊賀越えをするときに見物致しました、男だけならまだしも、女が大変なものですからな、女が白昼裸(はだか)で踊って歩くんですから、沙汰の限りでございます』」(中里介山「大菩薩峠6・禹門三級の巻・P.370」時代小説文庫)

ギリシア悲劇では紀元前五世紀頃すでに起こっている。

「牛飼 老いも若きも、まだ嫁が娘も交えて、その規律のよさは、まったく驚くばかりでございます。まず髪をとき肩まで垂らすと、こんどは小鹿の皮の結び目の解けたところを結び直し、帯に代えて、ひらひらと舌を閃かす蛇を、その斑(まだら)の皮衣に締めたのでございます。中には仔鹿や狼の子を抱いて、雪白の乳を飲ませているものもおります。ーーー一人が杖をとって岩を打つと、その岩から清らかな水がほとばしります。また一人が杖を大地に突きさせば、神の業か、葡萄酒が泉のごとく湧いてまいります。ーーー御母上は大声に『おおわが忠実な犬たちよ、この男どもは私らを捕えようとしているのだよ。さあ、手にもつ杖を武器に、私についておいで』と申されました。私どもは逃れて、からくも信女らに八つ裂きにされる憂き目を免れましたが、女たちは草を喰(は)んでいる牛の群れに、素手のまま踊りかかってゆきました。一人が乳房豊かな牝牛の仔(こ)を、鳴き吼(ほ)えるのも構わず、引き裂いて両の手にかざすかと思えば、また他の女らは、牝牛の体をバラバラに引き裂いております。殺された牛の胴や、蹄のさけた脚などが、あちこちに散らばり、また樅の枝に懸かって、垂れ下がっている血まみれの肉片もございます。一瞬前まで傲然と、怒りを角に表わしていた牡牛ですらが、女たちの無数の手にとられ、たちまち地上に屠られてしまいます。殿様がまばたきなさる間よりも早く、女たちはその肉をちぎってしまったのでございます。それから女たちは、まるで空飛ぶ鳥のように、ほとんど足が地に触れぬほどの疾さで山を駈け下り、アソポスの流れに沿うて、テーバイ人の豊かな穀物を実らせる麓の平地に向かいました。キタイロンの山裾の村、ヒュシアイとエリュトライとを、まるで敵のように襲って、手当り次第めちゃめちゃに荒して、家々から幼な子を掠(かす)めてまいります。子供のみか、奪った銅器鉄器のたぐいを肩に載せて運んでゆくのですが、紐で結(ゆわ)えつけもせぬのに、一つとして地面に落ちることがありません。また髪の毛の上に火をかざしているのに、いっこうに火傷(やけど)をするようにも見えません。村人たちも、信女らに荒されて腹を立て、武器をとって刃向おうといたしましたがーーー殿様、このときまさに、見るも恐ろしいことが起ったのでございます。すなわち、村のものが槍で相手を突いても血が出ぬのに、女たちが振う杖は男たちを傷つけ痛めて、とうとう村人たちは背を向けて逃げ去ったのでございます」(エウリピデス「バッコスの信女たち」『ギリシア悲劇4・P.488~490』ちくま文庫)

そしてまた、「あの《えいじゃないか》騒ぎはどこから起った」のかについて、世界的規模でほぼ同時多発的に生じた点で、一九六〇年代末から七〇年代最初期にかけて起こったフランス「五月革命」、日本「全共闘運動」などとの共通性はすでに広く論じられている通りである。

さらにこのような事態は、姿形を置き換えながら欧米でたびたび発生した。とりわけ十九世紀後半から二十世紀一杯をかけて世界の紛争地域化が押し進められた。小説「大菩薩峠」に戻ると、お銀の態度は明らかにこの時期、ダブルバインド状況の只中に叩き込まれた一人の女性の典型例のひとつである。

「お銀様はその時、たった一人で土蔵の中でお経を写しておりました。針で自分の肉体を刺して、その血で丹念に一字一字」(中里介山「大菩薩峠6・禹門三級の巻・P.389」時代小説文庫)

ロシアではマゾッホがこう書いていた。

「ドラゴミラは薔薇の小枝を折り取ると、鋭い刺で白い腕を引っ掻いた。それで腕に赤い筋がつき、暖かい血がぽたりと地面に落ちた。『何をするんだ』、とツェジムは言った。『こうすると気持ちがいいのです』」(マゾッホ「魂を漁る女・第一部・2・P.25」中公文庫)

ニーチェはいう。

「残忍とは《他人の》苦悩を眺める際に生じるものだとのみ教えなければならなかった以前の愚鈍な心理学を追い払わなければならない。自分自身の苦悩、自分自らを苦しめるということにも夥(おびただ)しい、有り余るほどの享楽があるのだ。ーーー人間は密(ひそ)かに自己の残忍さによって誘われているのであり、《自己自身に対して》向けられた残忍のあの危険な戦慄によって突き進められている」(ニーチェ「善悪の彼岸・二二九・P.212~213」岩波文庫)

まさしくその通りのことが、今度は世界中で繰り広げられていた。

BGM


仮面等価性13/ヘルマフロディーテと異性愛

2020年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム
とある家の妻が情夫を家に入れて遊んでいるときに夫が仕事から帰ってきた。妻は情夫を貯蔵甕の中へ隠す。夫は知らぬままに言う。置いておいても使いようのない貯蔵甕を六デーナーリウスで売ることに成功したと。ところが妻は七デーナーリウスでもう別の商人に売ったところだと返す。今まさに甕の中で商人は物品の質の鑑定中だという。たちまち甕から躍り出た妻の情夫。甕の内部の汚れを調べていたところだという。夫は甕の内部が綺麗であればあるほど高値で売れるだろうと考え、妻の情夫に代わって汚れ落としを買って出る。夫が甕の中に入ると妻の情夫は妻を中腰にして甕を支えに後背位で性行為に及ぶ。妻は巧みに甕の中を覗き込む格好を取る。情夫が背後から腰を振り動かすたびに妻は「いやここ」、「あそこ」、「あっち」、「こっち」とやたらに悶える。その声に合わせて甕の中の夫は磨き上げる箇所の指示だと信じ込んで甕の内部の汚れをすっかり削り落としてしまった。そこで妻の情夫は七デーナーリウスを渡して大甕を得た。七デーナーリウスの中には情夫として遊ばせてくれた債務意識程度の意味合いがあるのかもしれない。この場合、債務意識があるにせよないにせよ、「七デーナーリウス」=「貯蔵甕」の等価性は実現された。貯蔵甕は六デーナーリウスで売られるはずだったが、妻の機転の結果、一デーナーリウス多い七デーナーリウスで交換された。同一物が瞬時に一デーナーリウスを付け加え七デーナーリウスへと変身した。しかし変身は、なぜ可能なのだろう。南方熊楠はギリシア神話に出てくるヘルメスとアプロディーテのあいだに生まれたヘルマフロディーテについてこう述べている。

「ギリシア語で半男女をヘルマフロジトス。こはもと神の名で、その神は、男神ヘルメスが女神アフロジテに生ませた。父母の体質を兼ね備えて美容無双たり。十五歳の時サルマキスの井のほとりに臥す。井の女精これを愛し、思いを述ぶれど聴かれず、その井に浴するところを擁し、必ず離れぬようにと諸神に祈る。それより二体連合して、男とも見えまた女とも見える児手柏(このてがしわ)の二面的(ふたおもて)の者となる。ヘルマフロジトスその身の変化を見てこの井に浴する者みな半男女となるよう祈ったのが、世間この人妖の始まりという(スミス『希臘羅馬伝記神誌字書』二巻四〇三頁)」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.262』河出文庫)

ヘルマフロディーテという名前はただ単にヘルメスとアプロディーテという両方の名前を無理やりくっ付けたというだけではない。古代ギリシア、ペルシャ、インド、中国などでは、両性具有者はざらにいた。日本でも江戸時代終わりまでは少数派ではあったにせよ今よりも多くいた。近代という奇妙な文化制度によって駆逐されてしまった歴史がある。熊楠は幾つか拾っている。

「『五雑俎』五に、晋の恵帝の時、京洛に人あり、男女体を尊ね、また能く両(ふたつ)ながら人道を用ゆ。近ごろ聞く、毘陵の一縉紳の夫人、子(ね)より午(うま)に至ってはすなわち男、未(ひつじ)より亥(い)に至ってはすなわち女、その夫またために妾滕(しょうよう)数輩を置き、これに侍せしむ。妓あり、親しく枕席を承(う)く、出でて人に語っていわく、男子とことに異(かわ)りなし、ただ陽道少し弱きのみ、と」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.263』河出文庫)

例えば、「子(ね)より午(うま)に至ってはすなわち男」、「未(ひつじ)より亥(い)に至ってはすなわち女」、とある。午前零時から午前十二時までは男性で午後零時から午後十二時までは女性、ということになる。

「非男非女は英語のニウターまたエピシーン(無性)で、生殖器なき者を指す。いわゆる池州李氏の女と婢添喜の小説は、『続開巻一笑』二に見ゆる伴喜私(ひそ)かに張嬋娘(せんじょう)を犯す一条を作り替えたであろう。富人張寅信はその女嬋娘を嫁するに、一妾を随え之(ゆ)かしめんとて伴喜という女を添うる。娘、年十六、はなはだ伴喜を愛重するうち、伴喜、娘に婚嫁の作法を知るかと問うと、女工のほか知るところなしと答う。伴喜、みずからは女身ながら二形兼ね備わる。女に遭えばすなわち男形、男に遭えばすなわちまた女となるとて、身をもってこれを教え、娘、情竇(じょうとう)一たび開いてみずから已(や)む能わず、とある」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.264』河出文庫)

「女工」とあるのは「家事一般」のこと。洗濯や食事の用意。結婚に当たって娘はそのほかのことは何一つ知らない。そこで両性具有者だった女中の伴喜は娘が結婚相手の家へ着く前に教えておかねばと思い、性行為について、男の場合はこう、女の場合はこうと、自分の身をもってそのヴァリエーションをレクチャーして見せる。実際にやってみた娘は快感に溺れてしまい止められなくなったという。重要なのは一身にして同時に「二形兼ね備わる」という点。資本主義社会で、一身にしてなおかつ同時に商品Aへも商品Bへも変身可能なもの。それが可能なのは唯一貨幣のみだ。次は江戸期の日本。作者が井原西鶴だからか笑話形式を取っているが他でもない両性具有者関連俗話に属する。

「西鶴の『大鏡』に、女形の名人上村吉弥、貴女より召されて女粧のまま参り、酒事(ささごと)始まったところへ貴女の兄君来たり、女と思うて占領し御戯れ否はならず、是非に叶わず鬘を取って姣童の様を御目に懸けると、一層好しと鍾愛され、思わぬ方の床の曙、最前の妹君のさぞ本意(ほい)なかるべしという一条あり。その他なおあるべきも、本来無性や半男女を重んぜぬ国風ゆえ、支那やアラビア、インドや欧州ほどの眼醒ましい奇誕がない」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.267』河出文庫)

ヘルメス(=メルクリウス=マーキュリー)とアプロディーテ(=ウェヌス=ヴィーナス)とのあいだに生まれた子ども。オウィディウス「変身物語」では「名前も、両親の名から取って、ヘルム=アプロディトス」とした、とある。しかし名付けは次の事情の後、おそらく事後的な作業だったと思われる。というのも、子どもが育って一人の妖精と合体するわけだが、合体した形態が認められたその瞬間、始めて両性具有者として「ヘルム=アプロディトス」という名が与えられたとしか考えようがないからである。

「メルクリウスとウェヌスとのあいだに生まれた男の子を、水の精たちがイダの山の洞窟で育てました。この子は、両親に生き写しの顔立ちでしたが、名前も、両親の名から取って、ヘルム=アプロディトスというのでした。十五歳になると、ふるさとの山を捨て、育ての親ともいうべきイダの山を離れました。見知らぬ国々をさまよい、はじめての河々を見ることが嬉しくて、そういう熱意が労苦を忘れさせていたのです。リュキアの町々や、リュキアに近いカリアにまでやってゆきます。底まで水の澄んだ池を見たのが、この地でのことだったのです。そこには、沼地の葦(あし)も、実のならない水草(みずくさ)も、先の尖った藺草(いぐさ)もありません。水は、すっかり透明なのです。ただ、まわりは、みずみずしい芝と、常緑の青草にとり囲まれています。この泉に、ひとりの妖精(ニンフ)が住んでいました。でも、彼女は、狩猟には向いていず、弓を引いたり、駈け比べをしたりする習慣もありません。水の精たちのなかではひとりだけ、俊足のディアナ女神とも馴染(なじ)みはないのです。姉妹たちは、よく彼女にこういったといいます。『サルマキス、投げ槍か、色美しい矢筒を手にしたらどうなの?そんな呑気(のんき)な暮らしのあいまに、猟のつらさを味わってみたら?』それでも、投げ槍や、色美しい矢筒を手にすることも、呑気な暮らしのあいまに狩りのつらさを味わうこともしないのです。自分の泉に美しいからだを浸したり、黄楊(つげ)の櫛(くし)で髪をといたりしては、どうすれば自分にいちばんよく似合うかを、水に写った姿に問いかけています。透けた薄衣(うすぎぬ)に身をつつんで、柔らかな木の葉や、しなやかな草のうえに身を横たえているかとおもうと、せっせと花を摘んだりしているのです。少年の姿をみとめて、とたんに彼を自分のものにしたいと思ったのも、たまたま花摘みの最中(さいちゅう)でした。すぐにも駈け寄りたいと思ったものの、でも、そうする前に、姿かたちを整え、着物のすみずみまでを見回し、顔をつくり、美しく見えるように努めました。それから、つぎのように口をきりました。『ねえ、お若いかた、まるで神さまのようにも見受けられますわ。もし神さまでいらっしゃるなら、さしづめクピードでいらっしゃいましょう。もし人間だとおっしゃるなら、ご両親こそおしあわせなかたですわ。ご兄弟もね。それに、もしいらっしゃるなら、ご姉妹も、それからお乳をさしあげた乳母さまも、さぞご幸福なことでしょうね。でも、そのかたたちみんなより、もっともっとおしあわせなのが、あなたのお許婚者(いいなずけ)、あなたが妻にと思っていらっしゃるおかたですわーーーそんなかたがいらっしゃるとして。ねえ、誰かそんなかたがおありなら、わたしは浮気のお相手でいいのですし、誰もおありでなければ、わたしをそういうものとお考えくださいません?わたしたち、結婚することにいたしましょうよ』水の精は、ここで言葉を切りました。少年の顔が赤くなります。愛とはどういうものか、それを知ってはいなかったからです。でも、赤くなったということが、かえって彼の美しさを増しています。日当たりのよい木に垂れさがった果実か、あるいは、赤く染めた象牙の色とでもいいましょうか。それとも、あのお月さまが蝕(しょく)をおこして、それを助けようとの鉦(かね)の音もむなしく、白銀(しろがね)の顔(かんばせ)が赤らみを帯びて来るーーーそんな様子とでも。妖精(ニンフ)は、せめて姉妹(きょうだい)の接吻をでもと、際限なく迫りながら、早くも、少年の白い項(うなじ)に手を回そうとしているのです。その彼女に『やめてったら!』と少年はいいます。『でなければ、あちらへ行くよ。きみにも、この場所にもさようならだ』サルマキスはおののいて、『この場所は、あんたに任せるわ。どうぞお好きなように、坊っちゃん!』といって、うしろを向いて立ち去るようなふりをします。が、それでも、少年のほうは、当然ながら、草原にはもう誰もいず、人に見られてはいないというつもりで、あちらこちらへ歩を運び、やがて、ひたひたと寄せる泉の水のなかへ爪先を、それから足を踝(くるぶし)まで、浸すのでした。とおもうと、猶予をおかず、こころより水の冷たさに心を奪われて、たおやかなからだから衣服を脱ぎ捨てます。するとどうでしょう、何とも好ましいその姿!サルマキスは、その裸身に焦がれて、燃え立ったのです。妖精(ニンフ)の両の目も、爛々(らんらん)と光ります。きらめく日輪が、向けられた鏡のなかにその姿を映し出すーーーそんなふうにとでもいいましょうか。もう、じっとしてはいられない彼女です。喜びを先へのばすことはもうできません。抱きしめたいと思う心がはやって、狂ったようになりながら、自分をおさえかねているのです。少年は、手のひらでからだを叩くと、さっと水にとびこみました。抜き手を切って泳いでいますが、澄んだ水の中でからだが光っているのが見えるのですーーーまるで、透明なガラスの箱にいれられた象牙の彫像か、白百合(しらゆり)の花ででもあるかのようです。『わたしの勝ちよ!とうとう手に入れたわ』水の精はそう叫びます。そして、衣服をすっかりかなぐり捨てると、ざぶんと水中に飛びこみました。あらがう相手をつかまえ、無理じいに接吻を奪うと、手を下へ回して、強引に胸にさわり、前後左右から少年に抱きつきます。ついには、必死にさからってのがれようとする相手に、蛇のように巻きつくのです。鷲(わし)につかまえられ、空高くへさらわれた蛇なら、ぶらさがりながら相手の頭と足にからみつき、広がった翼を尾で巻くでしょうーーーそんなふうなのです。あるいは、よく見かけるように、常春藤(きづた)が大きな木の幹にからんでいるありさまとでも、また、ヒドラの類が海中でとらえた敵を、四方にのばした触手でつかまえているさまとでも、いえばいえるでしょうか。アトラスの曾孫(ひまご)である少年は、頑張り抜いて、待望の喜びを妖精(ニンフ)に与えようとはしません。彼女は、からだを押しつけ、まるで糊(のり)づけされたかのように全身を合わせて、『あがくがいいわ、いたずら小僧さん』といいます。『どうしたって、逃げられないのよ。神さま、どうかお願いです、いついつまでもこのひとをわたしから、わたしをこのひとから、引き離さないでくださいますように!』この願いを、神々さまはお聞きいれになりました。つまり、ふたりのからだは混ざりあって合一し、見たところ、ひとつの形になってしまったのです。枝と枝を、樹皮につつんでつぎ木すると、成長するにつれてひとつになり、いっしょに大きくなって行くのが認められますが、ちょうどそのように、ふたりは、しっかりと抱きあって合体したのです。今や、彼らは、もうふたりではなくなって、複合体とでもいうべきものなのですが、女だとか男だとか称せられるものではなく、どちらでもなく、どちらでもあるというふうに見えるのです」(オウィディウス「変身物語・上・巻四・P.151~156」岩波文庫)

重要な点は二つ。第一に結合=合体した有機体という点。合体というにせよ結合というにせよそれは特別な価値を持つ。個別的なものではなく社会的な価値を帯びる。増殖する。合体=結合を前提として始めて増殖可能な条件を得るとともに実際増殖するに至る。

「結合労働日がこの高められた生産力を受け取るのは、それが労働の機械的潜勢力を高めるからであろうと、労働の空間的作用範囲を拡大するからであろうと、生産規模に比べて空間的生産場面を狭めるからであろうと、決定的な瞬間に多くの労働をわずかな時間に流動させるからであろうと、個々人の競争心を刺激して活力を緊張させるからであろうと、多くの人々の同種の作業に連続性と多面性とを押印するからであろうと、いろいろな作業を同時に行なうからであろうと、生産手段を共同使用によって節約するからであろうと、個々人の労働に社会的平均労働の性格を与えるからであろうと、どんな事情のもとでも、結合労働日の独自な生産力は、労働の社会的生産力または社会的労働の生産力なのである。この生産力は協業そのものから生ずる」(マルクス「資本論・第一部・第四篇・第十一章・P.178~179」国民文庫)

「労賃に投ぜられた資本の現実の素材は労働そのものであり、活動している、価値を創造する労働力であり、生きている労働であって、これを資本家は死んでいる対象化された労働と交換して自分の資本に合体したのであり、そうすることによって、はじめて、彼の手にある価値は自分自身を増殖する価値に転化する」(マルクス「資本論・第二部・第二篇・第十一章・P.359」国民文庫)

「個別的諸資本の循環は、互いにからみ合い、互いに前提し合い、互いに条件をなし合っているのであって、まさにこのからみ合いのなかで社会的総資本の運動を形成する」(マルクス「資本論・第二部・第三篇・第十八章・P.159」国民文庫)

「それは資本として支出されるのである。自分自身にたいする関係、ーーー資本主義的生産過程を全体および統一体として見れば資本はこういう関係として現われるのであり、またこの関係のなかでは資本は貨幣を生む貨幣として現われるのであるが、このような関係がここでは媒介的中間運動なしに単に資本の性格として、資本の規定性として、資本に合体される」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十一章・P.56」国民文庫)

「より高度な経済的社会構成体」(マルクス「資本論・第三部・第六篇・第四十六章・P.268」国民文庫)

「資本主義的生産の基礎の上では、直接生産者の大衆にたいして、彼らの生産の社会的性格が、厳格に規制する権威の形態をとって、また労働過程の、完全な階層制として編成された社会的な機構の形態をとって、相対している」(マルクス「資本論・第三部・第七篇・第五十一章・P.436」国民文庫)

第二に、物語が語っているように、ヘルム=アプロディトスは「泉の中」を生産流通過程として生成-変身し、そこで始めて出現している点。そして両親であるヘルメスとアプロディーテはこの泉に「不浄の魔力」と命名している。身体的マイノリティが出現した場合、その生産に要した生産流通過程を、ここではその「泉」という場自体を「浄/不浄」の二元論的観念において「不浄」と考える思考がすでにある。流通過程において生産過程と同様に価値変動が起きるのは、或る場所を通過することで人間や物の価値が、あるいは人間や物の意味ががらりと異なる場合があることを示している。

「運輸業が売るものは、場所を変えること自体である。生みだされる有用効果は、運輸過程すなわち運輸業の生産過程と不可分に結びつけられている。人や商品は運輸手段といっしょに旅をする。そして、運輸手段の旅、その場所的運動こそは、運輸手段によってひき起こされる生産過程なのである。その有用効果は、生産過程と同時にしか消費されえない。それは、この過程とは別な使用物として存在するのではない。すなわち、生産されてからはじめて取引物品として機能し商品として流通するような使用物として存在するのではない。しかし、この有用効果の交換価値は、他のどの商品の交換価値とも同じに、その有用効果のために消費された生産要素(労働力と生産手段)の価値・プラス・運輸業に従事する労働者の剰余労働がつくりだした剰余価値によって規定されている。この有用労働は、その消費についても、他の商品とまったく同じである。それが個人的に消費されれば、その価値は消費と同時になくなってしまう。それが生産的に消費されて、それ自身が輸送中の商品の一つの生産段階であるならば、その価値は追加価値としてその商品そのものに移される」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第一章・P.98~99」国民文庫)

だからヘルム=アプロディトスの「どちらでもなく、どちらでもある」という存在様式は他のどんな商品にも与えられない特権性でありその意味で極めて貨幣に似るのである。

「半男女と通称する内にも種々ある。身体の構造全く男とも女とも判らぬ人が稀(まれ)にありて、選挙や徴兵検査の節少なからず役人を手古摺らせる。男精や月経も最上の識別標と主張する学者もあるが、ヴィルヒョウ等が逢うたごとき一身にこの両物を兼ね具えた例もあって、正真正銘の半男女たり。その他は、あるいは男分(なんぶん)女分より多く、あるいは男分女分より少なきに随って、男性半男女、女性半男女と判つ。こは体質上の談だが、あるいは体質と伴い、あるいは体質を離れて、また精神上の半男女もある。ツールド説に、男性半男女に男を好む者多いが、女性半男女で女を好むはそれより少ない。喜(この)んで男女どちらをも歓迎する半男女は稀有だ、と」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.267~268』河出文庫)

ところで熊楠はなぜ両性具有者についてこれほど夢中になって古今東西の資料を漁っているのか。この章(二 半男女(ふたなり)について)では、性について、その無限ともいえる多型性に関し、近代日本になってからまるでなかったかのような顔をすることが自分で自分自身に許せなかったのだろう。ヘルマフロディーテは日本でも特別な性ではなく江戸期にはむしろ身近な存在だったし、古代ギリシア、ペルシア、中国、インドなど、世界史の中では当たり前のようにしばしば出てくる。ヨーロッパでは全土に渡って両性具有者に関する資料がある。日本だけが例外などという態度は自己欺瞞もはなはだしい。熊楠は学術研究者として嘘を許すわけにはいかないし、ましてや嘘を良しとするタイプではそもそもなかった。さらに人間の性というものの広大さ、奥行き、厚み、について極端に関心が深かったと思われる。なぜか男道、男色ばかりがクローズアップされがちな熊楠の性の哲学だが、むしろ「摩羅考」の中では男性器についてなぜ「まら」と呼ぶのかだけでなく「女性器」について、なぜ「於梅居」(おめこ)と呼ばれるようになったのかについて、「開」(かい、つび、へき)など幾つかの有力説を取り上げつつその批判異説をも多岐に渡って論じている。「於梅居」の場合、「於」と「居」とは修辞である。例としては中国の則天武后など。則天も后も意義や地位を表すための修辞であり「武」が名である。だから「梅」(め)のみが名の部分に相当すると考えられるけれども、しかし「梅」は当て字だろう。そもそもは娘(むすめ)、姫(ひめ)、少女(おとめ)、寡婦(やもめ)、産婦(うぶめ)、遊女(うかれめ)などの「メ」から取られたものと思われる。さらにまた女性器は人間の「目」(め)に似ているばかりか「目」は半分開いていて濡れてもいるという極めてリアルな点でむしろ「目」が先行している感がある。しかしどちらも「め」と呼んで混同してしまっているため、もはやどちらが正解かわかりはしない。そこで各地に残る伝承を考えた場合、「於女葛」が上げられる。女性器との相似関係から、すべての人間はそこから生まれてきたというもっともな話に基づいて尊くありがたいものとされ、葛を神葛とか於女葛とか呼んでいた。リアル感で言うと男性が煩悩を切り捨てるためペニスのみを切り落とす「羅切」(らせつ)と睾丸も含めて切断する去勢があり、後者をこそ「閹人」(あんじん)と見なすべしとする「和漢三才図会」の説を紹介したりもしている。それらが淡々と記述された論文に目を通すと見えてくるのは極めて実直な研究者の態度である。性についてただ単に男女二元論という偏狭な枠組みの中だけで優等生的欺瞞を演じる(論じる)のではなく、逆に性は、男女二元論に収まるような窮屈千万なテーマ系ではまるでなく、もっと多型的で多様性に満ちたものだという関心の高さがヘルマフロディーテ論のみのために丸ごと一章を割いて述べられている根拠のように思われる。粘菌研究でも論文は多産である。が、近代欧米社会成立以後、一般的とされるようになった論文形式を取っていないために度々無視される目にあった。例えば次のように、菌に関する書簡の中で突然「男性生殖器」の話題が出てきたりするため軽んじられたのだろう。

「家累と老齢衰弱のため、精査を遂ぐるに由なく、久しく打ちやり置きたるもの多し。その内に必然、無類の新属と思う Phalloideae の一品あり。記憶のままに申し上ぐると、上図のごときものなり。生きた時は牛蒡の臭気あり、全体紫褐色、陰茎の前皮がむけたる形そっくりなり。インドより輸入して久しく庫中に貯えられたる綿花(わた)の塊に生えたる也」(南方熊楠「ハドリアヌスタケ」『森の思想・P.238』河出文庫)

書簡の宛先は今井三子となっているが、戦後に北大や横国大で教鞭を取った植物学者の今井三子(いまいさんし)宛であって特定の女性に宛てたものではない。さらに熊楠のヘルマフロディーテ論の見地に立つと、ユダヤ=キリスト教や仏教の教義に見られる明らかな男尊女卑の精神は、性について、要するにそこから人間が誕生する生について、何らの理解も見られないという批判が率直に出てくる。

「耶蘇旧教と等しく仏教もとやたらに女人を蔑(さげす)み、仏教を篤信する外に女が男に転生(うまれか)わる途なきように説いたのだが、姑(しばら)くその説通りに推し行くと、男根やや備わった男性半男女は、男根大いに闕けた女性半男女より優等と言わにゃならぬ。しかるにツールド説通りならば、男性半男女多く男を好むからその精神は女に近く、女性半男女多く女を好むからその精神反(かえ)って男に近い」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.268』河出文庫)

井原西鶴が活躍し得た頃の江戸期にはこんなエピソードもある。

「『一代女』四、堺の富家の隠居婆が艶婢を玩んだ記事の末に、この内儀(かみさん)の願いに、またこの世に男と生まれて云々、とあるを相応にもっともな望みとして、さて胎児も初めの間は男女定まらぬ理屈で、事みな順序あり、女が男になる道中として半男女にしてやろう、男性女性いずれを選むかと謂わんに、男分多く獲れば精神反って女に近く、女分多く得れば男らしき精神を多く持つとすれば、隠居婆はいずれを取るべきや」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.268~269』河出文庫)

そこで問題は胎児の性別が男か女か、ではなく、男性器のあるなしにかかわらず、そもそも胎児から生まれたばかりの乳幼児の早い時期にかけて、子どもは自分で自分自身の性別を知らず、したがって二元論を知らず、善悪は二つに分かれておらず、男も女も関係なく、「生の初め」において子どもにとっての対象関係は一つしかなく、なおかつ子ども自身世界の中に常に既に組み込まれており、にもかかわらず善悪の彼岸を生きているという点である。だから乳房は一つでも二つでもいいし、無い場合は哺乳器具でも十分置き換え可能なのだ。メラニー・クラインは子どもにとって父母や玩具を含む諸存在が「愛の対象」と「憎悪の対象」とに分裂する前の「生の初め」について言及している。

「私は、対象関係が生の初めから存在し、その最初の対象が、子どもにとって良い(満足を与える)乳房と、悪い(欲求不満をひき起こす)乳房とに分裂する母親の乳房であるという見解を、しばしば述べてきた。そしてこの分裂の結果、愛と憎しみが分離する」(メラニー・クライン「分裂的機制についての覚書」『メラニー・クライン著作集4・P.4』誠信書房)

「生のはじめから、破壊衝動が対象に向かい、まず最初に、母親の乳房に対する空想的口愛的サディズム的攻撃として表わされる。そしてこの攻撃はすぐに、ありとあらゆるサディズム的方法を用いた、母親の身体に向かう猛攻撃へと発展していく。母親の身体から良い内容を奪い取ろうとする乳児の口愛的サディズム的衝動と、自分の排泄物を母親のなかに入れようとする肛門的サディズム的衝動(内部から母親を操作するために、母親の身体に侵入したいという欲望も含む)から生じる迫害的恐怖が、パラノイアと精神分裂症の発展に、重要な意味を持つのである」(メラニー・クライン「分裂的機制についての覚書」『メラニー・クライン著作集4・P.4』誠信書房)

熊楠は日本で大勢力を持つ仏教教義の男尊女卑的傾向とそれが不可避的にもたらす明治近代の逆説とについて述べる。

「仏教で女より劣るとされた人間がまだある。『大乗造像功徳経』に、仏が弥勒菩薩に告げたは、一切女人、八の因縁ありて恒(つね)に女身を受く。女身を愛好し、女欲に貪著(とんじゃく)し、常に女人の容質を讃め、心正直ならず所作を覆蔵(かく)し、自分の夫を厭い薄んじ、他人を念(おも)い重んじ、人の恩に背き、邪偽装飾して他(ひと)を迷わす。永くこの八事を断ちて仏像を造らば、常に丈夫となり、さらに女身を受けず。諸男子が女人に転生(うまれか)わるに四種の因縁あり。一には女人の声で軽笑し仏菩薩一切聖人を呼ぶ、二には浄持戒人を誹謗す、三には好んで諂(へつら)い媚びて人を誑惑す、四にはおのれに勝る人を妬む。次に四種の因縁ありて諸男子を黄門(無性人)に転生せしむ。一には他人または畜生を残害す、二には持戒僧を笑い謗(そし)る、三には貪欲のために故(ことさ)らに犯戒す、四には親(みずか)ら持戒人を犯しまた他人を勧めて犯さしむ。次に四種の業(ごう)あり、丈夫をして二形身を受けしめ、一切人中最下たり。一には自分より上の女を犯す、二には男色に染著(せんじゃく)す、三にはみずから瀆(けが)す、四には女色を他人に売り与う。また四縁あり。諸男子をしてその心常に女人の愛敬を生じ、他人がおのれに丈夫のことを行なうを楽しましむ。一にはあるいは嫌いあるいは戯れに人を謗る、二には女の衣服装飾を楽しむ、三には親族の女を犯す、四にはおのれ何の徳もなきに妄(みだ)りにその礼を受く、とあれば、今日ありふれた華族や高官はみな好んで後庭を据え膳する男に転生(うまれか)わるはずだ。かく仏典には、無性人と半男女と同性愛の受身に立つを好む者との三様の人を、女より劣ると定めた」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.269~270』河出文庫)

しかしユダヤ=キリスト教にしても仏教にしても、何か親の仇ででもあるかのように、なぜそれほど延々と性欲にこだわるのか。そして両性具有者あるいは両性無有者を、「無性人と半男女と同性愛の受身に立つを好む者」を、世界中で最劣等な位置に落とし込めてきたのだろうか。さらになぜこの種のテーマ系になると宗教はがぜん張り切っていつまでも延々論じて止まないのか。むしろこの種の多岐に渡る否定的言説が、人格否定どころか人間とさえ見なされない全否定的言説が、逆に性的欲望の生産装置として知-権力の網目を構成し組織し、よりいっそう管理警察化していくということに気づいていないという問題点へ、人々の疑問は集中するのである。

「性的欲望とは、権力が挫こうとする一種の自然的与件として、あるいは知が徐々に露呈させようとする暗い領分として想定すべきものではない。それは一つの<歴史的装置>に対して与え得る名である。捉えるのが難しい表面下の現実ではなくて、大きな表層の網の目であって、そこでは、身体への刺戟、快楽の強度化、言説への教唆、知識の形成、管理と抵抗の強化といったものが、互いに連鎖をなす。いくつかの、知と権力の大きな戦略に従ってである」(フーコー「知への意志・P.136」新潮社)

そうフーコーはいっているが熊楠は明治近代化の只中で早くも、性について語りながら、国家による管理警察化の危険性について述べているのである。

BGM


仮面等価性12

2020年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム
ルキウスが荷運び役を務めるピレーブス一団はディオニュソス=バッコス祭を挙行して見せては周辺の村々で金品を儲けながら移動を繰り返していた。彼らは全員去勢しているため身体に男性器はない。しかし情欲はある。兵児二才の場合なら、もちろん男色はあるわけだがそれは女性器の代わりをアナルセックスに求めるわけではなく、あくまで男道(精神的団結)を尊重し、たとえ男色行為を行なうにしてもアナルセックス自体は従属的なものだ。ピレーブス一団もまた男道信仰者の集まりだが兵児二才と異なり男色が先行しているケースである。この違いは極めて大きい。古代ギリシア悲劇や一連のジュネ文学に目を通すことが理解を容易にするだろう。さて、ピレーブス一団はある村で予想外の収穫を得た。そこでひとときの祝宴を張る。

「からだを洗って帰るとき、一人の非常に頑健な田舎者(いなかもの)を、その逞(たくま)しいからだつきや下腹の工合が彼らの好みに合ったのか、夕食の仲間にと連れ帰りました。ほんのわずかな前菜を味わって、これからいよいよ饗宴(きょうえん)を始めるというとき、恥知らずのけがらわしい奴らは、口にするもの憚(はばか)られる淫(みだ)らな焔を燃やし、自然に悖(もと)った情欲の破廉恥(はれんち)きわまる淫行へと駆りたてられたのです。連中はその若者の周囲をとりまき、裸にして仰向けに倒し、忌まわしい唇をがむしゃらに押しつけ出したのです」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の8・P.324」岩波文庫)

ルキウスは一団の中で唯一の異性愛者である。だから「自然に悖(もと)った情欲の破廉恥(はれんち)きわまる淫行」であるかのように見える。しかし男性同性愛の世界では何ら変わったことではなく異常事態でもない。作者アープレーイユスが書いているようにそれは、「いとも神聖な純潔」、「潔白な廉恥心」、といったものだ。問題は、そもそも「自然」とはなんなのか、でなくてはならない。さらにまた「道徳」は唯一絶対的なものでなくてはならないのか。一人の男と一人の女とその間でのみ出来た子どもというオイディプス三角形。いつ誰がそんなことを決めたのか。この道徳批判の次元でニーチェは「キリスト教の天才的ちょっかい」と言って問題視する。キリスト教のヨーロッパ制覇によって、人間は、道徳的次元において、「一=自然」の側があたかも「全=自然」であるかのように取って代わったからである。しかし異性愛者の感性もまた尊重されなくてはならない。驢馬のルキウスはこう述べる。

「『ローマ人よ、助けに来てくれ』と叫ぼうとしたのです。しかし、ことばもいえず、発音もできず、ただ『おー』という声だけが、はっきりと力強く、驢馬特有のいななきが出てきました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の8・P.324」岩波文庫)

ルキウスとその周辺では言語的次元で、「ローマ人よ、助けに来てくれ」=「おー」、という等価性が発生した。この問いはただちにウィトゲンシュタインが上げた例を思い起こさせる。ウィトゲンシュタインの場合はこうだった。たいへん具体的な事例なので多少長いが引用しよう。

「次のようなことはどうだろう。第二節の例にあった『石板!』という叫びは文章なのだろうか、それとも単語なのだろうか。ーーー単語であるとするなら、それはわれわれの日常言語の中で同じように発音される語と同じ意味をもっているのではない。なぜなら、第二節ではそれはまさに叫び声なのであるから。しかし、文章であるとしても、それは、われわれの単語における『石板!』という省略文ではない。ーーー最初の問いに関するかぎり、『石板!』は単語だとも言えるし、また文章だとも言える。おそらく『くずれた文章』というのがあたっている(ひとがくずれた修辞的誇張について語るように)。しかも、それはわれわれの<省略>文ですらある。ーーーだが、それは『石板をもってこい』という文章を短縮した形にすぎないのであって、このような文章は第二節の例の中にはないのである。ーーーしかし、逆に、『石板をもってこい!』という文章が『石板!』という文の《引きのばし》であると言ってはなぜいけないのだろうか。ーーーそれは、『石板!』と叫ぶひとが、実は『石板をもってこい!』ということをいみしているからだ。ーーーそれでは『石板』と《言い》ながら、《そのようなこと〔『石板をもってこい!』ということ〕をいみしている》というのは、いったいどういうことなのか。心の中では短縮されていない文章を自分に言いきかせているということなのか。それに、なぜわたくしは、誰かが『石板!』という叫びでいみしていたことを言いあらわすのに、当の表現を別の表現へ翻訳しなくてはいけないのか。また、双方が同じことを意味しているとするなら、ーーーなぜわたくしは『かれが<石板!>と言っているなら<石板!>ということをいみしているのだ』と言ってはいけないのか。あるいはまた、あなたが『石板をもってこい』ということをいみすることができるのなら、なぜあなたは『石板!』ということをいみすることができてはいけないのだろうか。ーーーでも、『石板!』と叫ぶときには、《かれがわたくしに石板をもってくる》ことを欲しているのだ。ーーーたしかにその通り。しかし、<そうしたことを欲する>ということは、自分のいう文章とはちがう文章を何らかの形で考えている、ということなのだろうか。

ーーーしかし、いま、あるひとが『石板 を もってこい!』と言うとすると、いまや、このひとは、この表現を、《一つの》長い単語、すなわち『石板!』という一語に対応する長い単語によって、いみしえたかのようにみえる。ーーーすると、ひとは、この表現を、あるときには一語で、またあるときは四語でいみすることができるのか。通常、ひとはこうした表現をどのように考えているのか。ーーー思うに、われわれは、たとえば『石板 を 《渡して》 くれ』『石板 を 《かれ》 の ところ へ もって いけ』『石板 を 《二枚》 もって こい』等々、別の文章との対比において、つまり、われわれの命令語をちがったしかたで結合させている文章との対比において、右の表現を用いるときに、これを《四》語から成る一つの文章だと考える、と言いたいくなるのではあるまいか。ーーーしかし、一つの文章を他の文章との対比において用いるということは、どういうことなのか。その際、何かそうした別の文章が念頭に浮んでくるということなのか。では、それらすべてが念頭に浮かぶのか。その一つの文章をいっている《あいだに》そうなるのか、それともその前にか、あるいは後にか。ーーーどれもちがう!たとえそのような説明にわれわれがいくばくかの魅力を感ずるとしても、実際に何が起っているのかをちょっと考えてみさえすれば、そのような説明が誤っていることが見てとれる。われわれは、自分たちが右のような命令文を他の文章との対比において用いるのは、《自分たちの言語》がそのような他の文章の可能性を含んでいるからだ、と言う。われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが『石板をもってこい!』という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か『建材』といった語に相当するらしい、と考えるかもしれない。そのとき、かれ自身がこの命令を下したとすると、かれはそれをたぶん違ったふうに発音するだろうし、また、われわれは、あの人の発音は変だ、あれが一語だと思っている、などと言うであろう。ーーーしかし、このことゆえに、かれがこの命令を発するときには、何かまた別のことがかれの心の中で起っているのではないか、ーーーかれがその文章を《一つの》単語として把握していることに対応する何かが。ーーーこれと似たこと、あるいはまた何かちがったことが、かれの心の中で起っているのかもしれない。では、きみがそのような命令を下すとき、きみの心の中では何が起っているのか。それを発音している《あいだに》、これが四語から成っていることが意識されているのだろうか。もちろん、きみはこの言語ーーーその中には、すでに述べたような別の文章も含まれているーーーに《熟達》しているのだが、しかし、この熟達ということが、その文章を発音しているあいだに《起こっている》ことなのだろうか。ーーーむろんわたくしは、別様に把握した文章を外国人がおそらく別様に発音するであろうこと、を認めている。しかし、われわれが誤った把握と呼ぶものは、《必ずしも》、命令の発音に付随した〔それとは別の〕何ごとかのうちに生ずるわけではない。

文章が『省略形』であるのは、それを発音するときに、何かわれわれの考えていることが除外されるからではなくて、それがーーーわれわれの文法の一定の範例に比べてーーー短縮されたているからである。ーーーここでひとは、もちろん、『おまえは、短縮された文章と短縮されていない文章とが、同じ意義をもっていることを認めているではないか。それなら、それらはどのような意義をもっているのか。いったい、そうした意義に対して、一つの言語表現がないのか』といった異議がありえよう。ーーーしかし、文章の同じ意義とは、それらの同じ《適用》にあるのではないか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・一九・二〇」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.26~29』大修館書店)

現代人の身の周りでは実にしばしば起こってくる事例であるに違いない。ところがそんなことはないかほとんど起らない場合もまた多い。言語的齟齬がまず起こらない場合、ウィトゲンシュタインの言葉を借りれば、それが一つの《言語ゲーム》を形成しているからである。

「わたくしは、このような類似性を『家族的類似性』ということばによる以外に、うまく特徴づけることができない。なぜなら、一つの家族の構成員の間に成り立っているさまざまな類似性、たとえば体つき、顔の特徴、眼の色、歩きかた、気質、等々も、同じように重なり合い、交差し合っているからである。ーーーだから、わたくしは、<ゲーム>が一つの家族を形成している、と言おう」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・六七」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.70』大修館書店)

例えば日本の近代資本主義が達成したのはこのタイプの言語ゲームである。ところが一九七〇年代高度成長期が終わって世界のリゾーム化が進み、さらに九〇年代後半には広範なネット社会が出現した。いまだ戦後ではあるがもはや近代ではない。そして家族共同体もいまだ戦後でありつつもはや近代ではいられなくなった。それは反-資本主義ではなく、逆に資本主義自身の要請に従った結果である。

かつて社会の最小単位は「家庭」(親子関係)に絞り込まれていた。そして親と子とのあいだの血の繋がりが重視されていた。もはや血の繋がりはそれほど重要でない。DVの多発に伴いまったく重要でない場合も続出してきた。そして或る親と別の親との置き換えが可能になり、さらに親なしでも構わない場合や親がいては子にとってかえって迷惑という場合も出てきた。この事情は時期的にみれば興味深いとおもわれる。遺伝情報に関する研究、ゲノム解析に関する研究、等々が飛躍的発展を遂げたのとほぼ同時期に、遺伝もゲノムも関係のないところで、様々な家庭のあり方が新しく承認され、さらなる模索が続けられ、場合によりけりではあるものの家庭なしでも何ら問題ないという地点へ達したという点で。その意味でドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプス」は間違っていなかったと、日本でもようやく今になって証明されてきたと言える。

「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを⦅つまり信じられないような欲望の抑圧を⦆操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ。つまり、<背信の翻訳>の場合でしかない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.151~152」河出書房新社)

さらにこの流れは次々と種々の形態変化を要請してくる。人間はこの種の要請を原則的に脳で処理するほかない。すると脳細胞もまたよりいっそう複雑なリゾーム化を加速させなければならなくなる。例えば「DV厳禁」という信号が法制化される。それは資本主義が一定の労働力商品をいつも確保しておくための調整弁として、資本主義の隷属者たるすべての人間を活用して創設される資本主義的かつ人為的法律なのであって、けっして人間主義(ヒューマニズム)的見地からなされているのではない。また、ニーチェのいう「原因と結果との取り違い」はいつも発生しているため、次のような状況が世界を取り巻くことになる。

「これまで私は、複雑な燕石伝説のさまざまな入り組んだ原因を追求してきた。さて、原因は複数のものであり、それらが人類の制度の発展に、いかに些細であろうとも、本質的な影響を及ぼしてきたということが充分に認識されている今日でさえ、自分たちが取扱うすべての伝説について、孤立した事実や空想を、その全く唯一の起原とすることに固執する伝説研究者が、少なくないように私には思われるのである。しかし全くのところ、伝説はその原因があまりにも多様で複雑な点で、またそのために、先行するものを後になって追加されたものから解きほぐしにくいという点で、まさに夢に匹敵するものである。ところで原因のあるものは、くり返し果となり因となって、相互に作用しあう。そして原因の他のものは、組み合わされた結果のなかにとけこんで、目に見えるような痕跡を全く遺さないのである」(南方熊楠「燕石考」『南方民俗学・P.389』河出文庫)

しかもなおリゾームは増殖する。人間の脳がそのモデルである。脳をモデルとして増殖するリゾームは途中で止まるということを知らない。

「超越論的探求の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.173」河出文庫)

ここでいう「超越論的探求」はヘーゲルのいう絶対精神でありマルクスのいう物質的生産力である。その最先端が今のアメリカである。アメリカは苦悶している。限度を知らないアメリカのネオリベラリズムはその暴風雨を自分自身の身体へ向け換えて猛威を振るわせ、自分で自分自身を鞭打って血塗れになっている。日米同盟を主軸に日本の立場を考えるとすると、アメリカの実験場の一つと化した日本は、アメリカが一部瓦解すると日本もまた同時に一部瓦解するほかない。日本の一部は死ぬ。そこに住む地域住民も死ぬ。リゾームは一方で逃走線を構成するが、もう一方でフィッツジェラルドがこうむったような自己破壊の線、生死にかかわる断絶の線をも構成するし今このときも絶え間なく構成しつつある。

BGM


仮面等価性11

2020年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム
アープレーイユス「黄金の驢馬」の中でも特に「巻の8」は様々な等価性が暴力的に貫徹されることによって入れ換わり入り乱れるシーンで溢れている。男性器切除。眼球破壊。逆さ吊りによる白骨化を免れ救われた女性によって夫殺し首謀者へ向けてなされる両眼破壊と女性の自害。浮気した或る男性が逆さ吊りにされ猛禽類によって一挙になされる白骨処理。驢馬の飼い主交換会開催など。これらについては仮面-等価性あるいはその都度取り換えられていく仮面によって異種の各々が等価とされていく過程について、総括部でもっと後でまとめて述べたい。差し当たりここでは次の箇所について述べておこう。

驢馬のルキウスは家畜の競売会に出される。が、ぼんやりしているとたちまちルキウスただ一頭だけが売れ残る可能性が出てきた。ルキウスの飼い主はシュリア・デア、アッティス、キュベレー、アドニス、ウェヌス女神の名にかけてルキウスを売り込みだした。シュリア・デアは文字通り「シリアの神」を意味する。しかしなお、アッティス、キュベレー、アドニス、に関し整理しておく必要がある。

「アッティスを愛しているアグディスティスが、祝宴の開かれている穴に入ってくる。そこに居合わせた者は皆、狂気に襲われ、王は自分の生殖器を切りとり、アッティスは逃げて、松の木の下でみずからを傷つけて死んでしまう。アグディスティスは絶望して、アッティスを蘇生させようとしたが、ゼウスはそれを許さなかった。ゼウスが容認したのは、ただアッティスの身体が腐らないようにし、髪の毛が伸びたり小指が動いたりすることで生きていることの証しとすることだけであった。アグディスティスは両性具有のおおいなる母のひとつの顕現にすぎないのであり、アッティスはキュベレーの息子であり、恋人であり、その犠牲者でもあった」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.115~116」ちくま学芸文庫)

キュベレー祭=ヒラリア祭について。

「春分の日(三月二十二日)に、森でマツの木が一本切られ、キュベレの聖所に運ばれる。ここでマツは神として扱われる。木は羊毛の帯とスミレの花輪で飾られるが、これはちょうどアドニスの血からアネモネが生えてきたように、スミレがアッティスの血から生え出したと言われているからである。若者の像が、この木の中央に取りつけられる。二日目(三月二十三日)の主要な儀式は、ラッパを吹くことであったように見える。三日目(三月二十四日)は『血の日』として知られた。大祭司が両腕から血を採り、これを供え物とする。像を前にしてアッティスの弔いが行われたのは、この日かその夜であったかもしれない。その後この像は厳かに葬られた。四日目(三月二十五日)には『喜びの祭り』(『ヒラリア祭』〔Hilaria キュベレを祭った、大地の生命の再生を祝う祭り〕)が行われる。ここではおそらく、アッティスの復活が祝われた。少なくとも、アッティスの復活の祝いは、その死の儀式が終わって間もないうちに行われたように見受けられる。ローマのヒラリア祭は三月二十七日、アルモの小川までの行列で幕を閉じた。この小川で、女神キュベレのための去勢牛の荷車、女神の像、その他神聖な品々に水を浴びせた。だがこの女神の水浴は、彼女の故国アジアでの祭りでも、その一部となっていたことが知られている。水辺から戻ると、荷車と牡牛たちは瑞々しい春の花々をふり掛けられた」(フレイザー「金枝篇・上・第三章・第五節・P.405~406」ちくま学芸文庫)

血塗れになるまで身体を鞭打ち、男性器を切断し女神へ捧げるとともに、変身(新生)への意志を貫徹することについて。

「祭りは春分の時期、三月十五日から二十八日にかけて行なわれた。初日(カンナ・イントラット、『葦の持ちこみ』)に、葦を背負った同信者集団が、切った葦を寺院へ運びこんだ(伝説によるとキュベレーは幼児アッティカが、サンガリオス川の川辺に捨てられているのを見つけた)。七日後、木を背負った同信者集団が、森から切った松の木を運びこむ(アルボル・イントラット)。幹は死体のように幅のせまい帯でくるまれ、アッティスの像がその真ん中に結びつけられる。その木は死んだ神をあらわしていた。『血の日』(デイエス・サングイニス)である三月二十四日に、司祭と新たな入信者は笛とシンバルとタンバリンの音にあわせて野蛮な踊りを踊り、血が出るまで自分たちの身体を鞭打ち、ナイフで腕を深く傷つける。興奮が最高潮に達すると、生殖器を切りとって供物として女神に捧げる入信者もいる」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.117」ちくま学芸文庫)

この種のマゾッホ的変身についてドゥルーズはこう述べている。おそらくそれが正しい。

「マゾヒストの服従のうちにひそむ嘲弄、このうわべの従順さのかげにひそむ挑発や批判力が、ときに指摘されてきた。マゾヒストはたんに別の方面から法を攻撃しているだけなのだ。私たちがユーモアと呼ぶのは、法からより高次の原理へと遡行する運動ではなく、法から帰結へと下降する運動のことである。私たちはだれしも、過剰な熱心さによって法の裏をかく手段を知っている。すなわち、きまじめな適用によって法の不条理を示し、法が禁止し祓い除けるとされる秩序壊乱を、法そのものに期待するのだ。人々は法を言葉どおりに、文字どおりに受け取る。それによって、法の究極的で一次的な性格に異議申し立てを行うわけではない。そうではなく、この一次的な性格のおかげで、法がわれわれに禁じた快を、まるで法がおのれ自身のためにとっておいたかのように、人々は行動するのだ。それゆえ法を遵守し、法を受け容れることによって、人々はその快のいくらかを味わうことになるだろう。もはや法は、原理への遡行によって、アイロニーに満ちたしかたで転倒されるのではなく、帰結を深化させることによって、ユーモアに満ちたしかたで斜めから裏をかかれるのである。ところで、マゾヒズムの幻想や儀式が考察されると、そのたびに以下の事実に突きあたることになろう。すなわち、法のもっとも厳格な適用が、通常期待されるものと逆の効果をもたらすのである(たとえば、鞭打ちは、勃起を罰したり予防したりするどころか、勃起を誘発し確実なものとする)。これは背理法による証明である。法を処罰の過程とみなすとき、マゾヒストはじぶんに処罰を適用させることからはじめる。そして受けた処罰のなかに、じぶん自身を正当化してくれる理由、さらには法が禁止するとみなされていた快を味わうよう命ずる理由を、逆説的なしかたで発見する」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.134~136」河出文庫)

さらに南方熊楠はフレイザーを参照しつつ重要な部分に触れている。

「笛と太鼓を奏する最中に神官小刀で自身を創つくるを見て参詣人追い追い夢中になって血塗れ騒ぎをなし、ついには衣を脱ぎ喚き踊り出で備え付けの刀を採って惜気もなく大事極まる物を切り去り、それを手に持って町中を狂い奔しどこかの家へ投げ込むと、それ福が降って来たと大悦びでその家より女の衣装と装飾(かざり)をその人に捧ぐるを取って一生著用する」(南方熊楠「鳥を食うて王になった話」『浄のセクソロジー・P.277』河出文庫)

ルキウスの新しい主人が見つかった。名をピレーブスという(ピレーブスは訳注によれば「青年を愛する者」を意味する)。ピレーブスが組織する一団は一般的な盗賊団ではないが全員が男性器を切除した去勢者=稚児からなっているディオニュソス=バッコス信仰集団である。また稚児とはいっても年齢から推察するに、東南アジアでも日本の南九州で発生し、その起源を八重山群島、台湾、メラネシア一帯まで観察できる「兵児二才」(へこにさい)に相当する。南方熊楠が岩田淳一宛書簡の中で古代ギリシア、ペルシャ、アラビア、中国などを引き合いに出して述べたことを中沢新一はこうまとめている。

「(1)兵児山(へこやま)。これは六、七歳から十四歳の八月までの、幼い少年のグループで、二才入り前の、いわば予備軍的な幼年団。
(2)兵児二才。『兵児』の制度の、これが中核である。十四歳の八月から二十歳の八月までの、人生でもっとも華麗な時期の青少年が、ここに含まれる。
(3)中老(ちゅうろう)。これは『兵児』の組織の監視役で、二十歳の八月から三十歳までの大人の男性である。兵児二才のいわばOBであり、兵児山や兵児二才よりも、自由な活動が許されていて、妻帯することもできたが、それでも兵児二才時代からの自己鍛錬の生活を続けておこなおうとする大人たちが、これをつとめていた」(中沢新一「解題」/南方熊楠『浄のセクソロジー・P.40~41』河出文庫)

そのような観点から、ピレーブス一団は主に十代半ばから二十歳前半の男性去勢者=稚児を中心に結成されていると思われる。かといってどこまでも純粋苛烈で敬虔なディオニュソス信仰集団かといえば全然そうではない。ギリシア各地を移動しながら「富豪の別荘」などがある比較的恵まれた町を見つけると突如ディオニュソス=バッコス祭を催し始めて町中を練り歩きどさくさ紛れに大金を稼ぐことを目標にしている。荷物持ちに駆り出された驢馬のルキウスはその様子をこう報告する。

「一行はみんな肩まで腕をむきだし、とてつもなく大きな剣や斧を振り廻し、笛の音(ね)の快い調べに合わせて、バッコス酒神の祭の行列さながらに、エウアンと叫び声をあげて踊っていきました。こうして一行はあちこちに家で物乞いをし、ある富豪の別荘にやってきました。その屋敷に一歩踏み込むと、たちまち一行は騒がしい声をあげて、喚き、狂人の如く突進して止まると、長いあいだ頭を下げ、目もくらむ早業でぐるぐると首を回し、長く垂れた髪の毛を身のまわりに回転させながら、時にわれとわが身に噛みついていましたが、とうとう持っていた両刃の剣で思い思いに自分の腕を切りつけ出したのです。そのうち一団の中でもバッコスの狂信女の如く最も烈しく狂っていた一人が、心の底から息もたえだえに喘(あえぎ)ぎながら、まるで神霊が魂をいっぱいにしているかのような恍惚(こうこつ)状態におちいりました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の8・P.321~322」岩波文庫)

「その男は予言者の如く大声で叫び、まことしやかにわれとわが身を罵倒し、まるで神聖な掟に何か不敬な罪でも犯したかのように、自分を弾劾し、自分の大罪に進んで正当な罰を課したいとしきに願うようになりました。そこで彼は鞭をとりあげ、その鞭というのが、このように男性を失った稚児たちにこの上なくふさわしい所持品で、羊毛を縒(よ)って作ったほっそりした紐(ひも)が、その全体にわたってたくさんの羊の趾骨(しこつ)で飾られ、綱の末端に長い房がついているというしろもの、この節くれだった鞭で自分のからだを打ちのめし、その苦痛を恐ろしいほど辛抱強く耐え忍んでしました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の8・P.322~323」岩波文庫)

「一団が剣で切りつけたり、鞭打ったりしているうちに、迸(ほとばし)り出た女性的な男の血によって大地がびたびたに汚れてしまったのです。こんなに大量の傷口から溢れ出た血を見て、私自身異常な不安に襲われてきました。ひょっとしてこの異国の女神は、驢馬の乳を欲しがる人がいるように、驢馬の血を腹の中に呑み込みたくなるのではないかと」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の8・P.323」岩波文庫)

アープレーイユスは「ひょっとしてこの異国の女神は、驢馬の乳を欲しがる人がいるように、驢馬の血を腹の中に呑み込みたくなるのではないか」と書く。実をいうと「驢馬の血」どころではない。そもそもはこうだ。

「ゼウスは、彼が近づくのを避けるためにいろいろの形に身を変じたメーティスと交わった。彼女が孕むや時を逸せず呑み込んだ。大地(ゲー)がメーティスが彼女から生れんとする娘の後に一人の男の子を生み、その子は天空(ウーラノス)の支配者となるであろうと言ったからである。これを懼(おそ)れて彼女を呑み下した」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.34」岩波文庫)

人間世界では人肉食(カニバリズム)が先行しているのである。さらに。

「彼らが食事をしているとき、イエスはいつものようにパンを手に取り、神を賛美して裂(さ)き、弟子たちに渡して言われた、『取りなさい、これはわたしの体(からだ)である』。皆がそれを受け取って食べた。また杯(さかずき)を取り、神に感謝したのち彼らに渡されると、皆がその杯から飲んだ。彼らに言われた、『これは多くの人のために流す、わたしの《約束(やくそく)の血(ち)》である』」(「新約聖書・マルコ福音書・第十四章・P.57」岩波文庫)

キリスト教の聖餐においてその伝統は今なお脈々と受け継がれている。

一段落して休憩時間。すると。

「まわりに立っていた多くの人たちが、われ先にと喜捨を、銅貨はもちろん銀貨さえも投げ出しました。それを一行は着物のふところを開いてその中にしまい込みました。村人はお金ばかりか、酒壺や牛乳、チーズや麦粉、小麦といったものまで、なにがしか施してくれ、なかには女神の運び手にと私にも大麦をくれた人がいました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の8・P.323」岩波文庫)

喜捨された金銭・物品はピレーブス一団が用意してきた袋をあれよという間に一杯にし、驢馬のルキウスが背負うことになる。同時に文章にあるように「女神の運び手にと私にも大麦をくれた人がいました」。ゆえにルキウスは「ただ単なる《驢馬》」=「物品を運ぶ《倉》」=「女神の運び手としての《祠(ほこら)》」へと並走する等価性を実現している。また、テーバイに出現したディオニュソス=バッコスの儀式性についてオウィディウス「変身物語」から興味深いエピソードをまた一つ上げておかねばならない。

「山のなかほどに、野原があった。まわりを森に囲まれているが、樹木ではなくて、どこからでも眺められた。ここから不浄な目が祭儀を観察しているペンテウスを、最初に見つけたのは母親だった、真っ先に、もの狂おしい勢いで駈け寄ったアガウエだったが、神杖を投げてわが子を傷つけたのも、彼女が最初だった。『ねえ、妹たち!』と彼女は叫んだ。『ふたりとも、ここへ!あすこに、大猪(おおいのしし)が、わたしたちの原っぱをうろついている。あの猪を、この手でしとめなくては!』狂った女たちが、いっせいに、ペンテウスひとりにむかって殺到した。寄ってたかって、震えている彼を追いかける。さすがの彼も今は震えているのだ。暴言を吐くこともしなくなった。自分を責め、自分が悪かったことを認めてもいる。それでも、傷ついた彼は、『おばうえ、お助けを!』と叫ぶ。『おばうえ、アウトノエ!同じ悲惨な目に会ったアクタイオンのーーーあなたの息子のーーー霊魂に免じて!』アウトノエは、アクタイオンが誰なのかわからずに、愛玩するペンテウスの右腕をもぎ取った。左のほうは、イノーが引きちぎった。あわれなペンテウスは、母親にむかってさしのべるべき腕をなくしたが、もぎ取られた両腕の傷口を見せながら、『ごらんください、母うえ!』と叫ぶ。それを見たアガウエは、うなり声をあげ、あらあらしく首を振って、髪を宙に踊らせる。息子の首を引き抜いて、血まみれの手でつかむと、大声をあげた。『ねえ、みんな、この勝利は、この手でかちえたのよ!』秋の寒さに傷(いた)められて、それでもかろうじて梢(こずえ)にすがりついている木の葉が、あっというまに風にさらわれるーーーそれよりもなお速く、ペンテウスのからだは、忌まわしい手で引きちぎられた。このような前例に教えられたテーバイの女たちは、こぞって新しい祭儀に集(つど)い、香(こう)をささげて、聖なる祭壇をあがめる」(オウィディウス「変身物語・上・巻三・P.132~133」岩波文庫)

結果、テーバイではディオニュソス=バッコス祭のとき、「香(こう)をささげて、聖なる祭壇をあがめる」儀式が根付いた。香炉の意味はどの宗教のどの信仰生活においても、二〇二〇年の今なお世界中で様々な意味を持っている。ちなみに琉球神道では「神と直結することになった香炉」という形式が観察されている。

「神の目標となるものは香炉である。建築物の中には、三体の火の神(カン)が置かれてあると同様に、神の在す場所には、必香炉が置いてある。それ故、その香炉の数によって、家族の集合して居る数が知れる。ーーー八重山には、御嶽に三つの神がある。又、《かみなおたけ・おんいべおたけ》と言うのがある。八重山のみ、《いび》又は《いべ》と言う事を言うが、他所の《いび》と《うぶ》とは違って居る。《うぶ》は、奥の事である。沖縄では、奥武と書いて居る。どれが《いび》であるか、厳格に示す事は出来ないが、《うぶ》の中の神々しい神の来臨する場所と言う意味であると思う。八重山の老人の話では、御嶽の《うぶ》ではなくて、門にある香炉であると言っている。即、香炉を神と信ずる結果、香炉自体を《いび》と言うのである。處が火の神にも香炉がある。中には香炉だけの神もあるが、要するに自然的に香炉を神と信じて居る。其香炉が、又幾つにも分れる。香炉が分れるけれども、分れたとは言わないで、彼方の神を持って来たと言う、言い方をする。つまり、嫁に行ったり、比較的長い間家を出て居るものは、香炉を作って持って行く。ーーー一族の神を祀るのは、女の役目である。其家の香炉を拝するのは、其家の女であると言う観念が先入主となって、女の旅行には必、此香炉を持って行く。ーーー沖縄本島では、自分の家の香炉を有って来ても、別の場所に置いてある。自分の家の神は亭主が祀ってもよいが、嫁の持って来た香炉は、女以外の人間の、全くどうする事もできないものである」(折口信夫「琉球の宗教」『折口信夫全集2・P62~64』中公文庫)

神の到来にあたって香炉から立ち上る香りで目的地を差し示すという所作。それが次第に転倒して香炉そのものに神が宿ると考えるようになる。どの古代人も例外なくそう考えたのである。このような考え方は古代ギリシアだけでなく沖縄でもメラネシアでも、どこへ行っても共通の作法であり何ら不思議でもなんでもない。
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なお、前回のBGMでBABY METALの新曲を上げた。ほんの一瞬だが「祭り」と「踊って」の部分で「阿波踊り」などで見られる女性の踊りの振り付けがさりげなく取り入れられており大変好感を持ったことが一点。二点目はそのような遊びの部分で今は亡き藤岡幹大が大胆に取り入れた欧米一辺倒ではないリズム遊びや和音階の導入を踏襲している点。第三点にデビューと変わらず日本語で通していること。メンバー・チェンジに関しては「大人都合」として批判された。もっともな批判だと思う。同時に藤岡の偉業は欧米の本格メタルではけっして登場してこない東アジア的な遊びの伝統を堂々と欧米に知らしめた点にあると考える。三人娘も一人変わったが、それは「可愛い」と「メタル」との融合という言葉で語られているのとはまた違った重要な意味の喪失と今後の課題でもあるだろう。少なくとも「メギツネ」や「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の頃の振り付けはユーモアたっぷりの遊びも満載でとても良かった。ところが時代はもはや違ってきている。「可愛い」と「メタル」との融合ではなくて、むしろもっと古い伝統、後白河院編纂の「梁塵秘抄」と「メタル」との融合を思わせる。後白河院亡き後白河院の庭で舞を舞い歌を歌う白拍子とそのテクノロジーとの融合。おそらくそうだ。そうであってこそそれは、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫といった小説家の作品の中でときおり炸裂するアジア独特のエロティシズム(ロリコン趣味ではなく)、暴力、死、の現前を音楽で見るがゆえにこそ、とりわけ外国で爆発的なセールスを記録するのだ。

またもう一つ。ドラマ「半沢直樹」批判。ステレオタイプ化した時代劇化批判はあって当然。としてもさらに目に付いて仕方がない昭和一桁世代を思い起こさせる偏狭な女性観についてあちこちで批判が出ているようだが、それも批判されて当然というより余りといえば余りにも時代遅れであるとしか言いようがない。良妻賢母の現代版。世の中のエリート男性にとってのみ都合の良い女。誰がそんなものを見て喜ぶのか。なるほど現実社会の中で家事を男性に任せて子どもを適当にほったらかしにしている現代日本の母親連中は徹底的に問題にされねばならない。ところがその逆に、原作者の知らないところで、男社会の論理ばかりが幅を効かせる制作現場でシナリオ加工されたドラマ「半沢直樹」はもう完全に時代錯誤というほかない「男よがりな」似非(えせ)歌舞伎ドラマになってしまった。ところがそもそも、日本国家の庇護を受けて惰弱化する前の歌舞伎の起源はそうではなかった。

「則(すなは)ち天鈿女命(あまのうずめのみこと)、猨田彦神(さるたひこのかみ)の所乞(こはし)の随(まにま)に、遂(つひ)に侍送(あひおく)る。時に皇孫(すめみま)、天鈿女命(あまのうずめのみこと)に勅(みことのり)すらく、『汝(いまし)、顕(あらは)しつる神の名を以(も)て、姓氏(うじ)とせむ』とのたまふ。因りて、猨女君(さるめのきみ)の号(な)を賜(たま)ふ。故(かれ)、猨女君等(さるめのきみら)の男女(をとこをみな)、皆呼(よ)びて君(きみ)と為(い)ふ、此(これ)其の縁(ことのもと)なり。高胸、此をば多歌武娜娑歌(たかむなさか)と云(い)ふ。頗傾也。此をば歌矛志(かぶし)と云ふ」(「日本書紀・巻第二・神代下・第九段・P.136」岩波文庫)

このことは歌舞伎以前、最も早くは「遊女」に言えることである。とともに時の遊女を勤めたのはほかでもない「巫女」だったことを忘れてはならない。さらに半沢直樹は一体何を「返して」いるのか。堕落しきった銀行を「ひっくり返して」いる。バブル景気に甘えきったままの金融資本を没落するに任せるのではなく、身を張って逆さまに「ひっくり返す」こと。要するに、来るべきグローバル資本主義=ネオリベラリズムの日本定着のための若き守護神として奔走しているのである。貧困格差の修正者ではなく逆に貧困格差を増殖させる新しい多国籍金融資本複合体の新人類として活躍するのである。

BGM


仮面等価性10

2020年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
自称-ハエムスの裏切りによって盗賊団から自由の身になった驢馬のルキウス。連れてこられたのは一軒の民家。ほっとひと息つく間もなく、馬丁の妻から労働を命じられる。

「ところがどうでしょう。あの馬丁に連れられ、町から離れた途端、心待ちにしていた楽しみはおろか自由すらなかったのです。というのは馬丁の妻が、世に二人といまいと思われるほど貪欲な蓮葉女(はすはおんな)で、私はすぐと粉屋の碾臼(ひきうす)に縛りつけ、葉のついた小枝でのべつまくなしに私を打ち、私の皮を犠牲に、彼女と彼女の家族のパンを稼ぎ始めたのです。彼女は自分の家族の食物のために私を苦しめただけでは満足せず、近所の人の麦まで引き受け、私をぐるぐると歩き廻らせて粉にし、賃稼ぎをしていました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の7・P.273」岩波文庫)

ルキウスが従事した労働は二つに分割可能である。第一に必要労働。第二に剰余労働である。

第一に「彼女と彼女の家族のパン」のための挽臼労働。この分は馬丁とその家族が食べていくために必要な労働力商品を再生産するためだけに必要な労働である。全体を八時間労働とし生産されたパンの総量を3キロとしよう。必要労働時間を四時間とした場合、生産されたパンは1.5キロである。この時点でルキウスの労働時間は「彼女と彼女の家族のパン」の生産に必要な労働時間にちょうど達したところである。

第二に、ルキウスの証言によると、馬丁の妻は「近所の人の麦まで引き受け、私をぐるぐると歩き廻らせて粉にし、賃稼ぎをしていました」という。このために残りの四時間が費やされたとしよう。この四時間労働は馬丁とその家族が食べていくために必要な労働力商品を再生産するためだけの必要労働ではなく、近所で販売し賃稼ぎするための剰余労働に当たる。それが後半に生産されたパン1.5キロである。また、この労働に従事する前にルキウスは干草を与えられている。干草の総量を生産されたパンに換算すれば1キロとしよう。この1キロはルキウスが八時間労働に従事するために必要最低限の食料である。するとルキウスの労働時間はどのように分けて考えることができるだろうか。

全体の八労働時間のうち前半の四労働時間は、馬丁とその家族が食べていくために必要な労働力商品を再生産するための必要労働に費やされた。この必要労働の中には次にルキウスに与えられることになる干草の必要量も含まれていることは前提として。さらに後半の四労働時間は馬丁とその家族が食べていくために必要な労働力商品を再生産するためではなく、それ以外に近所で販売し賃稼ぎするための剰余労働に費やされた。なおかつルキウスは全体の八労働時間のうちに始めに与えられた干草をすべて労働力として支出したものと考えられる。

さて、生産されたパンの総量は3キロであり、そのうち剰余価値量は1.5キロであり、労働力としてのルキウスが支出した総労働時間は八時間であり、馬丁とその家族が食べていくために必要な労働力商品を再生産するためにルキウスが支出した必要労働時間は四時間であり、馬丁とその家族の再生産に関係なくルキウスが支出した剰余労働時間は四時間である。すると、必要労働(四時間=1.5キロ)を剰余労働(四時間=1.5キロ)で割ると、ルキウスが従事した総労働のうち搾取度は100パーセントとなる。ルキウスには何一つ残されていない。すべて搾取された。

なお、この計算はただ時間を延長させただけの絶対的剰余労働に過ぎない。機械化とともに発展する相対的剰余価値は計算に入っていない。なので次の計算式を当てはめて考えることができる。

(1)絶対的剰余価値の生産

「もっと詳しく見よう。労働日の日価値は三シリングだったが、それは、労働力そのものに半労働日が対象化されているからである。すなわち、労働力の生産のために毎日必要な生活手段に半労働日がかかるからである。しかし、労働力に含まれている過去の労働と労働力がすることのできる生きている労働とは、つまり労働力の毎日の維持費と労働力の毎日の支出とは、二つのまったく違う量である。前者は労働力の交換価値を規定し、後者は労働力の使用価値をなしている。労働者を24時間生かしていくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働するということを妨げはしない。だから、労働力の価値と、労働過程での労働力の価値増殖とは、二つの違う量なのである。この価値差は、資本家が労働力を買ったときにすでに彼の眼中にあったのである。糸や長靴をつくるという労働力の有用な性質は、一つの不可欠な条件ではあったが、それは、ただ、価値を形成するためには労働は有用な形態で支出されなければならないからである。ところが、決定的なのは、この商品の独自な使用価値、すなわち価値の源泉でありしかもそれ自身がもっているよりも大きな価値の源泉だという独自な使用価値だった。これこそ、資本家がこの商品に期待する独自な役だちなのである。そして、その場合彼は商品交換の永久な法則に従って行動する。じっさい、労働力の売り手は、他のどの商品の売り手とも同じに、労働力の交換価値を実現してその使用価値を引き渡すのである。彼は、他方を手放さなければ一方を受け取ることはできない。労働力の使用価値、つまり労働そのものはその売り手のものではないということは、売られた油の使用価値が油商人のものではないようなものである。貨幣所持者は労働力の日価値を支払った。だから、1日の労働力の使用、1日じゅうの労働は、彼のものである。労働力はまる1日活動し労働することができるにもかかわらず、労働力の1日の維持には半労働日しかかからないという事情、したがって、労働力の使用が1日につくりだす価値が労働力自身の日価値の2倍だという事情は、買い手にとっての特別な幸運ではあるが、けっして売り手に対する不法ではないのである。われわれの資本家には、彼をうれしがらせるこのような事情は前からわかっていたのである。それだから、労働者は6時間だけでなく12時間の労働過程に必要な生産手段を作業場に見いだすのである。10ポンドの綿花が6労働時間を吸収して10ポンドの糸になったとすれば、20ポンドの綿花は12労働時間を吸収して20ポンドの糸になるであろう。この延長された労働過程の生産物を考察してみよう。20ポンドの糸には今では5労働日が対象化されている。4労働日は消費された綿花量と紡錘量とに対象化されていたものであり、1労働日は紡績過程のあいだに綿花によって吸収されたものである。ところが、5労働日の金表現は30シリング、すなわち1ポンド10シリングである。だから、これが20ポンドの糸の価格である。1ポンドの糸は相変わらず1シリング6ペンスである。しかし、この過程に投入された商品の価値総額は27シリングだった。糸の価値は30シリングである。生産物の価値は、その生産のために前貸しされた価値よりも9分の1だけ大きくなった。こうして、27シリングは30シリングになった。それは3シリングの剰余価値を生んだ。手品はついに成功した。貨幣は資本に転化されたのである。問題の条件はすべて解決されており、しかも商品交換の法則は少しも侵害されてはいない。等価物が等価物と交換された。資本家は、買い手として、どの商品にも、綿花にも紡錘量にも労働力にも価値どおりに支払った。次に彼は商品の買い手がだれでもすることをした。彼はこれらの商品の使用価値を消費した。労働力の消費過程、それは同時に商品の生産過程でもあって、30シリングという価値のある20ポンドの糸という生産物を生みだした。そこで資本家は市場に帰ってきて、前には商品を買ったのだが、今度は商品を売る。彼は糸1ポンドを1シリング6ペンスで、つまりその価値よりも1ペニーも高くも安くもなく、売る。それでも、彼は、初めに彼が流通に投げ入れたよりも3シリング多くそこから取り出すのである。この全経過、彼の貨幣の資本への転化は、流通部面のなかで行なわれ、そしてまた、そこでは行なわれない。流通の媒介によって、というのは、商品市場で労働力を買うことを条件とするからである。流通では行なわれない、というのは、流通は生産部面で行なわれる価値増殖過程をただ準備するだけだからである」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第五章・P.337~340」国民文庫)

しかし必要労働と剰余労働とは融合している。

「1労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とから成っていると仮定しよう。そうすれば、一人の自由な労働者は毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を資本家に提供するわけである。それは、彼が1週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じである。だが、これは目には見えない。剰余労働と必要労働とは融合している」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.18」国民文庫)

言い換えれば両者の境界線は「位置決定不可能」である。だがむしろ、それゆえ、ドゥルーズ=ガタリにならって次のようにいうことができる。

「例えば、古代帝国の大土木工事、都市や農村の給水工事であり、そこでは平行と見なされる区画により、水は『短冊状』に流される(条里化)。ーーー現代の公共工事は、古代帝国の大土木工事と同じ地位を持っていない。再生産に必要な時間と『搾取される』時間が時間として分離されなくなっている以上、どのようにして二つを区別できるのだろう。こう言ったとしても、決してマルクスの剰余価値の理論に反するものではない。なぜならまさにマルクスこそ、資本主義体制においてはこの剰余価値が《位置決定可能なものでなくなる》ことを示しているのだから。これこそがマルクスの根本的な成果なのである。だからこそマルクスは、機械はそれ自体、剰余価値を産み出すものとなり、資本の流通は、可変資本と不変資本の区別を無効にするようになると予知しえた。このような新しい条件のもとでも、すべての労働は余剰労働であることに変わりはない。だが、余剰労働はもはや労働さえ必要としなくなってしまう。余剰労働、そして資本主義的組織の総体は、徐々に労働の物理的社会的概念に対応する時空の条理化とは無縁になってきている。むしろ、余剰労働そのものにおいて、かつての人間の疎外は『機械状隷属』によって置き換えられ、任意の労働とは独立に、剰余価値が供給されるようになっている(子供、退職者、失業者、テレビ視聴者など)。こうして使用者が被雇用者になる傾向があるだけでなく、資本主義は、労働の量に対して作用するよりも、複雑な質的過程に対して作用するのであり、この過程は、交通手段、都市のモデル、メディア、レジャー産業、知覚や感じ方、これらすべての記号系にかかわるものとなっている。あたかも、資本主義が比類ない完璧さに到らせた条理化の果てで、流動する資本が、人間の運命を左右することになる一種の平滑空間を、もう一度必然的に創造し構築しているかのようだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.281~282」河出文庫)

LGBTも兵児二才(へこにさい)もまた「位置決定不可能性」を自らの生として深く身に備えている。とりわけ兵児二才(へこにさい)にとって男道は女性器の代わりではなく逆にそれを遠ざけるものだ。そのような鉄の団結がLGBTそれぞれにあっていい。その上で始めて男と男、女と女の同性愛もよりいっそう洗練されていく。だからこそ生まれてくる通過儀礼としての過酷な自己鍛錬とそれゆえの団結力であり、無限の永劫回帰力であり、さらにはニーチェのいう厳格な意味で融通無碍な《子ども》であり、あるいはベアトリーチェを失ったダンテでもあるかのような試練を経て何度でも立ち返ってこなくてはならないし、また、そうすることができる。

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