目を疑うような残忍この上ない惨劇を通過しつつどんどん飼主を置き換えていく驢馬のルキウス。飼主が驢馬を置き換えているのかそれとも驢馬が飼主を置き換えているのかもはやわからなくなってくる。また古代ギリシアではしばしば見られるように、近現代から見れば善悪の区別を思考停止に追い込む血塗れの大流血が演じられる。有名なエピソードだが、ルキウスの通過過程で発生している。そのうちの一つ。けっして裕福ではないがとても誠実な畑作人である三人兄弟が大富豪の横暴に耐えかねて、悲惨な目に遭っている友人のために立ち上がるシーン。血が血を呼ぶ大乱闘の末、貧乏な友人のために手に手を取った三人兄弟の側が無残極まりない死を遂げて、血の海の中で大富豪の側が勝利する。日本や韓国の物語によくある勧善懲悪という形式に慣れてしまっている目ではとても信じられない惨劇が何の脈略もなく出現する。それがニーチェのいう古代ギリシアである。そのようなことが起こったとき、人々はどのように振る舞うか。大富豪が正しいとか正しくないとかいうわけではない。
「『愚かさ』・『無分別』・少しばかりの『頭の狂い』、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として《許した》ーーー愚かさであって、罪では《ない》のだ!諸君にはそれがわかるかーーーしかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーーー『そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。《われわれ》高貴な素性(すじょう)の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?』ーーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。『きっと《神》が瞞(だま)したのに違いない』とついに彼は頭を振りながら自分に言ったーーーこの遁辞はギリシア人にとって《典型的なもの》だーーーこのように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろ《より高貴なもの》を、すなわち罪を身に引き受けたのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・二三・P.113」岩波文庫)
いつも作動している社会的文法(社会的文脈)の一時的失効。血の惨劇。驢馬の飼主変更・再編。一般的生活の再開、という一連の流れがある。次に触れる箇所は、或る美貌の後妻が夫と前妻とのあいだにもうけた思春期の美少年(十二歳)に愛欲の焔を燃やすシーン。
「彼女は何をするのも億劫だという気振(けぶ)りで、からだの病気で心のうずく傷をごまかしていました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.385」岩波文庫)
とあるけれども、けっして「ごまかし」ではない。精神の病いは実にしばしば身体の病いへと置き換えられる。その傾向は古代ギリシアからすでにあった。後にフロイトが「症例ドラ」で語っているのと同じことだ。
「この領域は興奮したリビドーを表現するのに適しており、おそらくは最初の精神的変装、すなわち病気の父親に対するイミテーションの同情、そして『カタル』のために惹き起こされた自己叱責によって固着させられるのである。この症状群はさらにK氏との関係を描きだし、彼の不在を残念に思い、彼のよき妻になりたい願望を表現することが可能なことを示している。リビドーの一部が同じ父に向った後、この症状は自分とK夫人とを同一化することによっておそらく最後には父との性交の描写を意味することになる」(フロイト「あるヒステリー患者の分析の断片」『フロイト著作集5・P.335』人文書院)
というふうに。もっとも、ドラの場合、父とK氏への愛欲だけでなくK夫人へ向かう同性愛的リビドーも同時発生しているわけだが。ちなみにフロイトが開業していた十八世紀末から十九世紀前半にかけての顧客は上流階級の女性が圧倒的に多かった。その種の女性はただ単に名家の飾りとして結婚するわけであって恋愛結婚ではない。性生活などあってないようなものだ。だから当時は必然的に女性の「ヒステリー」が大量発生した時期でもある。
驢馬のルキウスに戻ろう。後妻は愛欲に燃えている。単に義理の関係に過ぎないばかりか、思春期で最も光り輝く時期にある美少年との性行為を実現させるため、手連手管を弄する。が相手はなかなか思うように応じてくれない。ところが後妻はただ単に美貌だというだけでなく頭の回転が速く鋭い。愛欲の成就を阻止しているのは言語構造なのだということに気づく。
「彼を『息子』と呼べばこそ、いつも彼女に恥ずかしい思いを起こさせるので、できたら喜んでそれを抹殺(まっさつ)したい」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.386」岩波文庫)
何ら血の繋がりを持たない義理の関係とはいえ、「法としての言語体系における《息子》の抹殺」=「美少年との性行為の成就」という等価性。もはや天才的着眼と言える。確かに性愛において顕著に見られる傾向なのだが、性愛の範疇であろうとなかろうと、妄想が病的な次元へ突入するのはどのようにしてか。例えば木村敏は、インゲニウム(超越論的構想力)とトピカ(=トポス=位相)という用語が現代精神医学で果たしている構造について述べる。ただしあくまで、批判的に、である。その理解のために、ただ単なる被害妄想ではなく病的(精神障害領域の)妄想におけるインゲニウム(超越論的構想力)とトピカ(=トポス=位相)との関連について述べておかなくてはならない。まずカントのいう超越論的構想力について。ただ、「構想力」といっても、想像力を駆使して創意工夫が開始される前の、アプリオリな直感的認識状態が前提となる。
「形象的綜合は、統覚の根源的-統合的統一にのみ、即ちカテゴリーにおいて思惟せられる先験的統一にのみ関係する場合には、純粋に知性的な綜合から区別せられて《構想力の先験的綜合》と呼ばれねばならない。《構想力》とは、対象が《現在して》〔現に存在して〕《いなくても》この対象を直観において〔即ち直観的に〕表象する能力である。ところで我々の直観はすべて感性的直観であるから、構想力は《感性》に属する、その理由は感性こそ悟性概念に、これに対応するような直観を与え得るための唯一の主観的条件だからである。しかしまた構想力による綜合は、自発性のはたらきである、この自発性は、規定するものであって、感官のように単に規定せられるのではない。つまり構想力の綜合は、感官をその形式に関して、統覚の統一に従ってア・プリオリに規定することができる。それだから構想力はその限りにおいて、感性をア・プリオリに規定する能力である。構想力が《カテゴリーに従って》直観〔における多様なもの〕を結合するところの綜合は、《構想力》の先験的綜合でなければならない。これは感性に及ぼす悟性の作用であり、また我々に可能な直観の対象に対する悟性の最初の(同時にまた他の一切の適用の根拠であるところの)適用である。構想力のかかる綜合は形象的であって、知性的綜合(構想力をまったく援用せずに、悟性のみによるところの)から区別せられる。構想力が自発的である限り、私はかかる構想力を《産出的》構想力と名づけて、《再生的》構想力から区別する。再生的構想力による綜合は、経験的法則即ち連想の法則のみに従うものである」(カント「純粋理性批判・上・第一部・第一篇・第二章・P.193~194」岩波文庫)
次にトピカ(=トポス=位相)について、アリストテレスによる定義を前提として。
「(1)証明を手段とする説得推論の一つの論点は、相反するものに基づいてなされる。
(2)同根の屈折語に基づくもの。
(3)相関関係に基づくもの。
(4)『より多い、より少ない』の比較に基づくもの。
(5)『時』を考慮に入れること。
(6)自分に対して言われた言葉を、言った者に向け返すことによる。
(7)例えば『ダイモン(心霊)的なものとは何であるか』というような、定義に基づくもの。
(8)語の持つ多義性に基づくもの。
(9)分割によって論ずるもの。
(10)帰納に基づくもの。
(11)当面のものと同じ問題、もしくは同類の、もしくは反対の問題について、すでに下された判断をもとにするもの。
(12)部分に基づいて全体を論ずるもの。
(13)ほとんどの場合、同じ一つのことによい結果と悪い結果の二つがつき随うことになるのであるから、一つの論点は、その結果に基づいて、勧めるか、それとも思い止まらせるか、告発するか弁明するか、称賛するか非難するか、するもの。
(14)二つの対立していることについて勧めるか、思い止まらせるかしなければならない場合で、しかも、それら二つのことについて先に挙げられた論点。
(13)を援用しなければならないような場合に用いられるもの。
(15)人々は、何かを賞めるのでも、人前でする場合と心中ひそかに賞める場合とでは、その内容が同じではなく、人前ではもっぱら正しいこと、美しいことを賞め讃えていても、一方、心中では利益のあるもののほうをむしろ望むのであるから、一つの論点は、これら二つの場合のうちいずれか一方の立場に立って、相手が言っているのとは別の結果を導くよう試みることである。なぜなら、この論点は、逆説を導く議論の中でも最も効果的なものであるから。
(16)結論が比例関係によって導かれることによる。
(17)結果が同じであるなら、それを導く前提となるものも同じである、と論ずることによる。
(18)同一人でも、前と後では、必ずしも同じものを選ぶとは限らない、むしろ前と逆の選択をする、という事実に基づくもの。
(19)何かがある、もしくは生じたのはそのためかも知れない、という可能的な動機を、そのもののあること、もしくは生じたことの実際の動機であると主張すること。
(20)係争当事者にも議会で助言する者たちにも共通なものであって、何ごとかを勧めたり思い止まらせたりする動機とか、行為に進んだり行為を避けたりする意図などを、調べること。
(21)生ずると一般に思われてはいるが、それ自体は信じられないことをもとにするもので、『それが実際にあったとか、ほとんどあったに等しい、というのでなかったなら、生ずると思うこともなかったはずだ』と論ずるもの。そして、『ますますもって、そのはずである。なぜなら、人々がそれのあることを確信するのは、現実にあることか、またはありそうなことか、そのいずれかであるから。それゆえ、もし問題のものが信じられないもの、つまりありそうなものではない、ということであるなら、それは現実にあるものということになるであろう。というのは、それが生ずると思われているのは、少なくとも、ありそうである、つまり信じられているという理由によるのではないのだから』と論ずる。
(22)反論に適したもので、時・行動・発言などのすべてにおいて、どこか整合性を欠くところがないかどうか、相手の言い分の不整合な点を調べ出すもの。
(23)人間でも行動でも、先入見をもって見られているか、または他人にそう思われているもののために、その誤解の原因を挙げるもの。
(24)原因から結果を推論するもの。
(25)現在人に勧めていること、もしくは現に行動に移していること、もしくはもう行なってしまったことが、それとは別の方法をとったらもっとよく行なうことができたかどうか、或いは、できるかどうか、を調べるもの。
(26)これまでなされてきたことと反対のことがなされようとしている時に、その両方を一緒に調べてみる、というもの。
(27)告発したり弁明したりする際に、自分の犯した過ちを手がかりに論ずるもの。
(28)名前をもとにして論ずるもの」(アリストテレス「弁論術・第二巻・第二十三章・P.265~285」岩波文庫)
最後の項目にある「名前をもとに」というのはギリシア悲劇にある次のようなケース。
「ヘカベ 人間の仕出かすあらゆる愚かな行いが、すなわち、これアプロディテ、女神の名が『阿呆』で始まっているのも当然ではないか」(エウリピデス「トロイアの女」『ギリシア悲劇3・P.687」ちくま文庫)
さて、ではなぜトピカ(位相)とインゲニウム(超越論的構想力)なのか。
「なぜこのようなトピカの異常、インゲニウムの異常が起こったのだろう。自然科学的な精神科医なら、それは神経系のニューロンとニューロンの接合部位(シナプス)でドパミンと呼ばれる伝達物質が移動する際に、その受容装置(レセプター)に機能異常があるためだ、という説明をするだろう。それはけっして間違ってはいない。実際、私たち精神科医が妄想をもった患者を治療するときにいつも使う薬剤は、このドパミン・レセプターに対して作用することが確かめられている。しかしこのドパミン・レセプターの変化は、トピカの異常と同時に起こるものではあっても、その原因ではない。トピカの異常がどうして起こったのかという問いはそのまま、ドパミン・レセプターの変化はどうして起こったのかという問いでもある。そしてその答えは、そうしなければ患者は生きて行きにくいのだ、ということに尽きる。患者は、通常の人と同じ意味で現実を捉え、通常の人と同じインゲニウムでもって周囲の事物を感じ取っていたのでは生きて行きにくいのである。これから述べることを先取りして言ってしまえば、それでは患者の『自己』が、患者の『主体性』が保てないのである。だから患者は普通の人と違ったしかたで現実を捉えなくてはならなかった。そして、人間という生物には、普通と違ったしかたで現実を捉えるための『生体機能』があらかじめ準備されていた。通常ははたらかないこの機能が作動を開始すると、それを身体的にみればドパミン・レセプターの変化ということになり、精神的にみればトピカの変化ということになるだけの話である」(木村敏「心を病むとはどういうことか」『心の病理を考える・P.21~22』岩波新書)
現代精神医学では、なるほどこのように説明することは幾らでもできる。しかし木村敏が言いたいのは、説明することはできても、あるいはそのような科学的分析は幾らでも可能になっていくだろうけれども、なおしかし説明はあいかわらず説明の次元にとどまるほかないし、その限りでいえばともすれば精神科医の側が脳科学や薬物治療のみに依存してしまう恐れがある、という指摘である。ニーチェがいっているように、科学は、説明するだけなら幾らでもしてくれる。けれども、ただひたすら説明するばかりであって今そこにある危機を解消することはできないと。臨床現場でも薬物治療はたいへん有効だ。けれども、それが目指しているのはあくまで症状の緩和であり症状の完全消失ではないからである。この意味の射程は何も精神医療の領域のみに限らない。むしろすべての医学にあてはまる。
そこで死と再生のテーマ系に遡行しなくてはならない。といっても神秘主義ではなく、今なお持ち越されている死と再生のテーマ系。現代医学の時代になってもはや二百年が過ぎた。にもかかわらずなぜ引き続き死と再生のテーマ系は何度も執拗に、病的なまでに繰り返し反復されるのか。古代ギリシア=ローマは人間の身体についてすでに多くを知っていた。
例えばディオゲネスの場合。
「神殿から何かを持ち去るとか、あるいは、ある種の動物の肉を味わうとかすることは、少しも異様なことではないし、さらに、人肉を食べることさえも、異国の風習から明らかなように、不敬なことではないとした。ーーー正しい言い方をすれば、あらゆるものがあらゆるもののなかに含まれ、あらゆるものを貫いて行きわたっているのだと彼は言っていた。すなわち、(身体の構成要素である)肉(の一部)はパンの中にも含まれているし、パン(の一部)はまた野菜のなかに含まれているのである。というのは、その他の物質についても、そのいたるところにおいて、目に見えぬ孔を通して、微粒子が中へ入ったり、また蒸気となって外へ出たりしているからである、と」(「ディオゲネス」『ギリシア哲学者列伝・中・第六巻・第二章・P.170~171』岩波文庫)
さらにマルクス・アウレーリウスはいう。
「地上においてはこれらの身体がしばらく土の中に滞在した後、変化し分解して他の死体に場所をあける」(マルクス・アウレーリウス「自省録・第四章・二一・P.49」岩波文庫)
そしてまた先史時代。伝説の次元においてすら、ヘルマフロディーテ(両性具有者)に関し、プルタルコスはアピスを例に上げて「月」と関係づけていたことはすでに述べた。
「アピスというのはオシリスの像に生命が吹き込まれたものだとされています。生成力の光が月から発して、発情期の牛に触れるとアピスが生まれるのだというのです。ですからアピスは、その明るい面が次第にかげって陰になるというように、いろいろの面で月の満ちかけに似ているわけです。さらに、パメノトの月の朔日(ついたち)には『オシリスの月詣で』という祭が催されますが、これは春の到来を告げるものです。このようにオシリスの力は月に帰せられているのですが、人々はこれをイシス(彼女は生殖の力です)とオシリスが交わっていると申します。ですから月は世界を生んだ母と言われ、かつ男女両性の具有者だと信じられています」(プルタルコス「エジプト神イシスとオシリスの伝説について・四三・P.82~83」岩波文庫)
一方ヘロドトスは、アピスに関し、「月」ではなく「太陽」の光だとしている。なおかつ「牛」と関係が深い。
「アピス、またの名エパポスというのは、一度出産した後は再び受胎することができぬ牝牛から生れた仔牛のことで、エジプト人の言い伝えでは天上から光がこの牝牛に降り、牛はこの光によって受胎してアピスを産むのだという」(ヘロドトス「歴史・上・巻三・二八・P.345」岩波文庫)
さらに重要なのは次の箇所。「聖牛アピス」の出現と同時になぜか、軍隊の上官の命令が一時的に失効する。怒気を含んだ上官の言うことにまったく耳を貸さない人々(役人さえも含めて)の同時多発的出現。
「カンビュセスがメンピスに着いた頃、エジプトに聖牛アピスが出現した。ギリシア人がエパポスと呼んでいるものである。アピスが出現すると、エジプト人は早速一張羅の衣裳をつけて祝宴を催した。エジプト人のこの行動を見たカンビュセスは、てっきり自分の失敗を喜び祝っているものと邪推し、メンピスの役人たちを呼びよせた。役人たちが出頭すると王は、先に自分がメンピスにいた時には何もしなかったエジプト人が、部下の将兵多数を失って再びメンピスにもどってきた今、かようなことをするのはなぜかと訊ねた。役人は答えて、きわめて永い間隔をおいてしか出現しない神が現われたこと、この神が現われる時は、エジプトの全国民が歓喜して祝うのであることを説明した」(ヘロドトス「歴史・上・巻三・二八・P.344~345」岩波文庫)
この爆発的「歓喜」。ニーチェはいう。
「ディオニュソス的なるものの魔力の下(もと)においては、単に人間と人間との間の紐帯(ちゅうたい)が再び結び合わされるだけではない。疎外され、敵視されるか、あるいは抑圧された自然が、彼女のもとを逃げ去った蕩児(とうじ)人間との和解の祝祭を、再び寿(ことほ)ぐのである。大地も、みずから進んでその貢物(みつぎもの)を捧げ、岩山や荒野の猛獣も、来たって歓を交(かわ)すのである。ディオニュソスの車駕(しゃが)は、花や花輪で埋もれ、その軛(くびき)に伏して豹や虎も歩むのだ。ベートーベンの『歓喜』の頌歌(しょうか)を一幅の画と化せしめよ、そして幾百万の人間が怖れ戦(おのの)きて大地にひれふすとき、ひるむことなく空想の翼を羽撃(はばた)かせよ、しからば、ディオニュソス的なるものに近づき得るのである。今や奴隷は自由民となった、困迫、恣意、あるいは『厚顔な流行』が人間の間に厳然と打ち建てた一切の頑迷にして敵意に満ちた境界は、今や砕け去る。今や世界調和の福音に接し、人は各々(おのおの)、その隣人と結合し和解し同化せることを感ずるのみならず、また一体たることを感ずる、あたかもマーヤの綾羅が引き裂かれ、今はもはや襤褸(らんる)となって神秘に満ちた根源的一者の前に翻るにすぎざるのごとくである。歌いつつ、踊りつつ人間はより高い共同体の一員として現われる。彼は歩むこと、語ることを忘れ果て、踊りつつ虚空に舞い上らんとしつつある」(ニーチェ「悲劇の誕生・P.36~37」ちくま学芸文庫)
ドストエフスキーは当事者だった。
「何を思って、彼は泣いたのだろう?そう、彼は歓喜のあまり、無窮の空からかがやくこれらの星を思ってさえ泣いたのであり、《その狂態を恥じなかった》のである。さながら、これらすべての数知れぬ神の世界から投じられた糸が、一度に彼の魂に集まったかのようであり、彼の魂全体が《ほかの世界に接触して》、ふるえていたのだった。彼はすべてに対してあらゆる人を赦したいと思い、みずからも赦しを乞いたかった。ああ、だがそれは自分のためにではなく、あらゆる人、すべてのもの、いっさいのことに対して赦しを乞うのだ。『僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる』ふたたび魂に声がひびいた」(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟・中・第三部・第七編・P.187」新潮文庫)
「ある数秒間がある、ーーーそれは一度にせいぜい五秒か六秒しかつづかないが、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるんだよ。これは地上のものじゃない。といって、なにも天上のものだと言うのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。これは明晰(めいせき)で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかし、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終るごとに、『しかり、そは善(よ)し』と言った。これはーーー感激というのではなくて、なんというか、おのずからなる喜びなんだね。人は何を赦すこともしない、というのはもう赦すべきものが何もないからだ。人は愛するのでもない、おおーーーそれはもう愛以上だ!何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。もし五秒以上もつづいたらーーー魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくは全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ」(ドストエフスキー「悪霊・下・第三部・第五章・5・P.395」新潮文庫)
「彼はさまざまな物思いにふけるうちに、こんなことを考えてみたのであった。すなわち、自分の癲癇(てんかん)に近い精神状態には一つの段階があり(もっとも、それは意識のさめているときに発作がおこった場合にかぎっていたが)、それは発作のほとんど直前で、憂鬱と精神的暗黒と胸苦(むなぐる)しさの最中に、ふいに脳髄がぱっと炎でも上げるように燃えあがり、ありとあらゆる彼の生活力が一時にものすごい勢いで緊張するのである。自分が生きているという感覚や自意識が稲妻のように一瞬間だけ、ほとんど十倍にも増大するのだ。その間、知恵と感情はこの世のものとも思えぬ光によって照らしだされ、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、まるで一時にしずまったようになり、調和にみちた歓喜と希望のあふれる神聖な境地へ、解放されてしまうのだ。しかし、この数秒は、この光輝は、発作がはじまる最後の一秒(決して一秒より長くない)の予感にすぎず、この一秒は、むろん、耐えがたいものであった。彼は健康な状態に戻ってから、この一瞬のことをいろいろと考えてみて、よくひとり言を言うのであった。この尊い自覚と自意識の、つまり、《至高の実在》の稲妻とひらめきは、要するに一種の病気であり、正常な状態の破壊にすぎないのではなかろうか。もしそうであるならば、これは決して至高な実在どころではなく、かえって最も低劣なものに数えられるべきものではなかろうか。彼はそう考えながらも、やはり最後には、きわめて逆説的な結論に到達したのであった。《これが病気だとしても、それがどうしたというのだ?》とうとう彼はこんなふうに断定した。《もしこれが異常な精神の緊張であろうとも、それがいったいどうしたというのだ?もし結果そのものが、健全なときに思いだされ、仔細(しさい)に点検してみても、その感覚の一瞬が依然として至高の調和であり、美であることが判明し、しかもいままで耳にすることも想像することもなかったような充実、リズム、融和、および最高の生の総合の高められた祈りの気持に似た法悦を与えてくれるならば、そんなことは問題外である!》この漠然(ばくぜん)とした表現は、まだあまりにも弱いものであったが、彼自身にはまったく明らかなものに思われた。いずれにしても、それが真に《美であり祈りである》ことを、また《至高なる生の総合》であるということについては、彼もまったく疑うことができなかった」(ドストエフスキー「白痴・上・第二編・P.419~420」新潮文庫)
ルソーもまた。
「しかし魂が十分に強固な地盤をみいだして、そこにすっかり安住し、そこに自らの全存在を集中して、過去を呼び起こす必要もなく未来を思いわずらう必要もないような状態、時間は魂にとってなんの意義ももたないような状態、いつまでも現在がつづき、しかもその持続を感じさせず、継起のあとかたもなく、欠乏や享有の、快楽や苦痛の、願望や恐怖のいかなる感情もなく、ただわたしたちが現存するという感情だけがあって、この感情だけで魂の全体を満たすことができる、こういう状態があるとするならば、この状態がつづくかぎり、そこにある人は幸福な人と呼ぶことができよう。それは生の快楽のうちにみいだされるような不完全な、みじめな、相対的な幸福ではなく、充実した完全無欠な幸福なのであって、魂のいっさいの空虚を埋めつくして、もはや満たすべきなにものをも感じさせないのである。ーーーそのような境地にある人はいったいなにを楽しむのか?それは自己の外部にあるなにものでもなく、自分自身と自分の存在以外のなにものでもない。この状態がつづくかぎり、人はあたかも神のように、自ら充足した状態にある」(ルソー「孤独な散歩者の夢想・第五の散歩・P.87~88」岩波文庫)
南方熊楠もてんかん発作を起こしたことがある。そして熊楠の感心は二つの方向を示している。第一にヘルマフロディーテ(両性具有)。生と性の哲学。
「西暦一世紀には、半男女を、尤物(ゆうぶつ)の頂上として求め愛した。男女両相の最美な所を合成して作り上げた半男半女の像にその頃の名作多く(一七七二年版ド・ポウの『亜米利加人の研究』百二頁)、ローマ帝国を、始終して性欲上の望みを満たさんため、最高価で贖(あがな)われたは、美女でも姣童(わかしゅ)でもなくて、実に艶容無双の半男女だったと記憶する」(南方熊楠「十二支考・上・馬に関する民俗と伝説・P.374~375」岩波文庫)
第二に粘菌(陰花植物)研究。フーコーの言葉を借りればサディズムとしての粘菌。
「獣は、死に従属するものとしてと同時に、死の担い手として姿をあらわす。動物のなかには、生命の生命自身によるたえざる食いつぶしがひそんでいるからだ。つまり動物は、みずからの内部に反=自然の核を秘めることによって始めて自然に所属するのにほかならない。もっとも秘められたその本質を植物から動物に移行させることによって、生命は秩序の空間を離れ、ふたたび野生のものとなる。生命は、おのれの死に捧げるのとおなじその運動のなかで、いまや殺戮者としてあらわれる。生命は、生きているから殺すのである。自然はもはや善良ではありえない。生命は殺戮から、自然は悪から、欲望は反=自然からもはや引きはなしえないということそれこそ、サドが十八世紀、さらに近代にむかって告知したところであり、しかもサドはそれを十八世紀の言語を涸渇させることによって遂行し、近代はそのためながいこと彼を黙殺の刑に処していたのである。牽強府会のそしりを免れぬかも知れないが(もっともだれがそれを言うのか?)、『ソドムの百二十日』は、『比較解剖学講義』のすばらしい、ビロード張りの裏面にほかならぬ」(フーコー「言葉と物・第八章・P.298」新潮社)
しかしもっと驚くべきは、驢馬のルキウスが語るところによると、地中海諸都市では今から一九〇〇年ほども前すでに、例の後妻の諸行為をめぐって裁判が開かれ、法廷があり、町会議員らが召集されているということでなくてはならない。
BGM
「『愚かさ』・『無分別』・少しばかりの『頭の狂い』、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として《許した》ーーー愚かさであって、罪では《ない》のだ!諸君にはそれがわかるかーーーしかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーーー『そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。《われわれ》高貴な素性(すじょう)の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?』ーーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。『きっと《神》が瞞(だま)したのに違いない』とついに彼は頭を振りながら自分に言ったーーーこの遁辞はギリシア人にとって《典型的なもの》だーーーこのように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろ《より高貴なもの》を、すなわち罪を身に引き受けたのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・二三・P.113」岩波文庫)
いつも作動している社会的文法(社会的文脈)の一時的失効。血の惨劇。驢馬の飼主変更・再編。一般的生活の再開、という一連の流れがある。次に触れる箇所は、或る美貌の後妻が夫と前妻とのあいだにもうけた思春期の美少年(十二歳)に愛欲の焔を燃やすシーン。
「彼女は何をするのも億劫だという気振(けぶ)りで、からだの病気で心のうずく傷をごまかしていました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.385」岩波文庫)
とあるけれども、けっして「ごまかし」ではない。精神の病いは実にしばしば身体の病いへと置き換えられる。その傾向は古代ギリシアからすでにあった。後にフロイトが「症例ドラ」で語っているのと同じことだ。
「この領域は興奮したリビドーを表現するのに適しており、おそらくは最初の精神的変装、すなわち病気の父親に対するイミテーションの同情、そして『カタル』のために惹き起こされた自己叱責によって固着させられるのである。この症状群はさらにK氏との関係を描きだし、彼の不在を残念に思い、彼のよき妻になりたい願望を表現することが可能なことを示している。リビドーの一部が同じ父に向った後、この症状は自分とK夫人とを同一化することによっておそらく最後には父との性交の描写を意味することになる」(フロイト「あるヒステリー患者の分析の断片」『フロイト著作集5・P.335』人文書院)
というふうに。もっとも、ドラの場合、父とK氏への愛欲だけでなくK夫人へ向かう同性愛的リビドーも同時発生しているわけだが。ちなみにフロイトが開業していた十八世紀末から十九世紀前半にかけての顧客は上流階級の女性が圧倒的に多かった。その種の女性はただ単に名家の飾りとして結婚するわけであって恋愛結婚ではない。性生活などあってないようなものだ。だから当時は必然的に女性の「ヒステリー」が大量発生した時期でもある。
驢馬のルキウスに戻ろう。後妻は愛欲に燃えている。単に義理の関係に過ぎないばかりか、思春期で最も光り輝く時期にある美少年との性行為を実現させるため、手連手管を弄する。が相手はなかなか思うように応じてくれない。ところが後妻はただ単に美貌だというだけでなく頭の回転が速く鋭い。愛欲の成就を阻止しているのは言語構造なのだということに気づく。
「彼を『息子』と呼べばこそ、いつも彼女に恥ずかしい思いを起こさせるので、できたら喜んでそれを抹殺(まっさつ)したい」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の10・P.386」岩波文庫)
何ら血の繋がりを持たない義理の関係とはいえ、「法としての言語体系における《息子》の抹殺」=「美少年との性行為の成就」という等価性。もはや天才的着眼と言える。確かに性愛において顕著に見られる傾向なのだが、性愛の範疇であろうとなかろうと、妄想が病的な次元へ突入するのはどのようにしてか。例えば木村敏は、インゲニウム(超越論的構想力)とトピカ(=トポス=位相)という用語が現代精神医学で果たしている構造について述べる。ただしあくまで、批判的に、である。その理解のために、ただ単なる被害妄想ではなく病的(精神障害領域の)妄想におけるインゲニウム(超越論的構想力)とトピカ(=トポス=位相)との関連について述べておかなくてはならない。まずカントのいう超越論的構想力について。ただ、「構想力」といっても、想像力を駆使して創意工夫が開始される前の、アプリオリな直感的認識状態が前提となる。
「形象的綜合は、統覚の根源的-統合的統一にのみ、即ちカテゴリーにおいて思惟せられる先験的統一にのみ関係する場合には、純粋に知性的な綜合から区別せられて《構想力の先験的綜合》と呼ばれねばならない。《構想力》とは、対象が《現在して》〔現に存在して〕《いなくても》この対象を直観において〔即ち直観的に〕表象する能力である。ところで我々の直観はすべて感性的直観であるから、構想力は《感性》に属する、その理由は感性こそ悟性概念に、これに対応するような直観を与え得るための唯一の主観的条件だからである。しかしまた構想力による綜合は、自発性のはたらきである、この自発性は、規定するものであって、感官のように単に規定せられるのではない。つまり構想力の綜合は、感官をその形式に関して、統覚の統一に従ってア・プリオリに規定することができる。それだから構想力はその限りにおいて、感性をア・プリオリに規定する能力である。構想力が《カテゴリーに従って》直観〔における多様なもの〕を結合するところの綜合は、《構想力》の先験的綜合でなければならない。これは感性に及ぼす悟性の作用であり、また我々に可能な直観の対象に対する悟性の最初の(同時にまた他の一切の適用の根拠であるところの)適用である。構想力のかかる綜合は形象的であって、知性的綜合(構想力をまったく援用せずに、悟性のみによるところの)から区別せられる。構想力が自発的である限り、私はかかる構想力を《産出的》構想力と名づけて、《再生的》構想力から区別する。再生的構想力による綜合は、経験的法則即ち連想の法則のみに従うものである」(カント「純粋理性批判・上・第一部・第一篇・第二章・P.193~194」岩波文庫)
次にトピカ(=トポス=位相)について、アリストテレスによる定義を前提として。
「(1)証明を手段とする説得推論の一つの論点は、相反するものに基づいてなされる。
(2)同根の屈折語に基づくもの。
(3)相関関係に基づくもの。
(4)『より多い、より少ない』の比較に基づくもの。
(5)『時』を考慮に入れること。
(6)自分に対して言われた言葉を、言った者に向け返すことによる。
(7)例えば『ダイモン(心霊)的なものとは何であるか』というような、定義に基づくもの。
(8)語の持つ多義性に基づくもの。
(9)分割によって論ずるもの。
(10)帰納に基づくもの。
(11)当面のものと同じ問題、もしくは同類の、もしくは反対の問題について、すでに下された判断をもとにするもの。
(12)部分に基づいて全体を論ずるもの。
(13)ほとんどの場合、同じ一つのことによい結果と悪い結果の二つがつき随うことになるのであるから、一つの論点は、その結果に基づいて、勧めるか、それとも思い止まらせるか、告発するか弁明するか、称賛するか非難するか、するもの。
(14)二つの対立していることについて勧めるか、思い止まらせるかしなければならない場合で、しかも、それら二つのことについて先に挙げられた論点。
(13)を援用しなければならないような場合に用いられるもの。
(15)人々は、何かを賞めるのでも、人前でする場合と心中ひそかに賞める場合とでは、その内容が同じではなく、人前ではもっぱら正しいこと、美しいことを賞め讃えていても、一方、心中では利益のあるもののほうをむしろ望むのであるから、一つの論点は、これら二つの場合のうちいずれか一方の立場に立って、相手が言っているのとは別の結果を導くよう試みることである。なぜなら、この論点は、逆説を導く議論の中でも最も効果的なものであるから。
(16)結論が比例関係によって導かれることによる。
(17)結果が同じであるなら、それを導く前提となるものも同じである、と論ずることによる。
(18)同一人でも、前と後では、必ずしも同じものを選ぶとは限らない、むしろ前と逆の選択をする、という事実に基づくもの。
(19)何かがある、もしくは生じたのはそのためかも知れない、という可能的な動機を、そのもののあること、もしくは生じたことの実際の動機であると主張すること。
(20)係争当事者にも議会で助言する者たちにも共通なものであって、何ごとかを勧めたり思い止まらせたりする動機とか、行為に進んだり行為を避けたりする意図などを、調べること。
(21)生ずると一般に思われてはいるが、それ自体は信じられないことをもとにするもので、『それが実際にあったとか、ほとんどあったに等しい、というのでなかったなら、生ずると思うこともなかったはずだ』と論ずるもの。そして、『ますますもって、そのはずである。なぜなら、人々がそれのあることを確信するのは、現実にあることか、またはありそうなことか、そのいずれかであるから。それゆえ、もし問題のものが信じられないもの、つまりありそうなものではない、ということであるなら、それは現実にあるものということになるであろう。というのは、それが生ずると思われているのは、少なくとも、ありそうである、つまり信じられているという理由によるのではないのだから』と論ずる。
(22)反論に適したもので、時・行動・発言などのすべてにおいて、どこか整合性を欠くところがないかどうか、相手の言い分の不整合な点を調べ出すもの。
(23)人間でも行動でも、先入見をもって見られているか、または他人にそう思われているもののために、その誤解の原因を挙げるもの。
(24)原因から結果を推論するもの。
(25)現在人に勧めていること、もしくは現に行動に移していること、もしくはもう行なってしまったことが、それとは別の方法をとったらもっとよく行なうことができたかどうか、或いは、できるかどうか、を調べるもの。
(26)これまでなされてきたことと反対のことがなされようとしている時に、その両方を一緒に調べてみる、というもの。
(27)告発したり弁明したりする際に、自分の犯した過ちを手がかりに論ずるもの。
(28)名前をもとにして論ずるもの」(アリストテレス「弁論術・第二巻・第二十三章・P.265~285」岩波文庫)
最後の項目にある「名前をもとに」というのはギリシア悲劇にある次のようなケース。
「ヘカベ 人間の仕出かすあらゆる愚かな行いが、すなわち、これアプロディテ、女神の名が『阿呆』で始まっているのも当然ではないか」(エウリピデス「トロイアの女」『ギリシア悲劇3・P.687」ちくま文庫)
さて、ではなぜトピカ(位相)とインゲニウム(超越論的構想力)なのか。
「なぜこのようなトピカの異常、インゲニウムの異常が起こったのだろう。自然科学的な精神科医なら、それは神経系のニューロンとニューロンの接合部位(シナプス)でドパミンと呼ばれる伝達物質が移動する際に、その受容装置(レセプター)に機能異常があるためだ、という説明をするだろう。それはけっして間違ってはいない。実際、私たち精神科医が妄想をもった患者を治療するときにいつも使う薬剤は、このドパミン・レセプターに対して作用することが確かめられている。しかしこのドパミン・レセプターの変化は、トピカの異常と同時に起こるものではあっても、その原因ではない。トピカの異常がどうして起こったのかという問いはそのまま、ドパミン・レセプターの変化はどうして起こったのかという問いでもある。そしてその答えは、そうしなければ患者は生きて行きにくいのだ、ということに尽きる。患者は、通常の人と同じ意味で現実を捉え、通常の人と同じインゲニウムでもって周囲の事物を感じ取っていたのでは生きて行きにくいのである。これから述べることを先取りして言ってしまえば、それでは患者の『自己』が、患者の『主体性』が保てないのである。だから患者は普通の人と違ったしかたで現実を捉えなくてはならなかった。そして、人間という生物には、普通と違ったしかたで現実を捉えるための『生体機能』があらかじめ準備されていた。通常ははたらかないこの機能が作動を開始すると、それを身体的にみればドパミン・レセプターの変化ということになり、精神的にみればトピカの変化ということになるだけの話である」(木村敏「心を病むとはどういうことか」『心の病理を考える・P.21~22』岩波新書)
現代精神医学では、なるほどこのように説明することは幾らでもできる。しかし木村敏が言いたいのは、説明することはできても、あるいはそのような科学的分析は幾らでも可能になっていくだろうけれども、なおしかし説明はあいかわらず説明の次元にとどまるほかないし、その限りでいえばともすれば精神科医の側が脳科学や薬物治療のみに依存してしまう恐れがある、という指摘である。ニーチェがいっているように、科学は、説明するだけなら幾らでもしてくれる。けれども、ただひたすら説明するばかりであって今そこにある危機を解消することはできないと。臨床現場でも薬物治療はたいへん有効だ。けれども、それが目指しているのはあくまで症状の緩和であり症状の完全消失ではないからである。この意味の射程は何も精神医療の領域のみに限らない。むしろすべての医学にあてはまる。
そこで死と再生のテーマ系に遡行しなくてはならない。といっても神秘主義ではなく、今なお持ち越されている死と再生のテーマ系。現代医学の時代になってもはや二百年が過ぎた。にもかかわらずなぜ引き続き死と再生のテーマ系は何度も執拗に、病的なまでに繰り返し反復されるのか。古代ギリシア=ローマは人間の身体についてすでに多くを知っていた。
例えばディオゲネスの場合。
「神殿から何かを持ち去るとか、あるいは、ある種の動物の肉を味わうとかすることは、少しも異様なことではないし、さらに、人肉を食べることさえも、異国の風習から明らかなように、不敬なことではないとした。ーーー正しい言い方をすれば、あらゆるものがあらゆるもののなかに含まれ、あらゆるものを貫いて行きわたっているのだと彼は言っていた。すなわち、(身体の構成要素である)肉(の一部)はパンの中にも含まれているし、パン(の一部)はまた野菜のなかに含まれているのである。というのは、その他の物質についても、そのいたるところにおいて、目に見えぬ孔を通して、微粒子が中へ入ったり、また蒸気となって外へ出たりしているからである、と」(「ディオゲネス」『ギリシア哲学者列伝・中・第六巻・第二章・P.170~171』岩波文庫)
さらにマルクス・アウレーリウスはいう。
「地上においてはこれらの身体がしばらく土の中に滞在した後、変化し分解して他の死体に場所をあける」(マルクス・アウレーリウス「自省録・第四章・二一・P.49」岩波文庫)
そしてまた先史時代。伝説の次元においてすら、ヘルマフロディーテ(両性具有者)に関し、プルタルコスはアピスを例に上げて「月」と関係づけていたことはすでに述べた。
「アピスというのはオシリスの像に生命が吹き込まれたものだとされています。生成力の光が月から発して、発情期の牛に触れるとアピスが生まれるのだというのです。ですからアピスは、その明るい面が次第にかげって陰になるというように、いろいろの面で月の満ちかけに似ているわけです。さらに、パメノトの月の朔日(ついたち)には『オシリスの月詣で』という祭が催されますが、これは春の到来を告げるものです。このようにオシリスの力は月に帰せられているのですが、人々はこれをイシス(彼女は生殖の力です)とオシリスが交わっていると申します。ですから月は世界を生んだ母と言われ、かつ男女両性の具有者だと信じられています」(プルタルコス「エジプト神イシスとオシリスの伝説について・四三・P.82~83」岩波文庫)
一方ヘロドトスは、アピスに関し、「月」ではなく「太陽」の光だとしている。なおかつ「牛」と関係が深い。
「アピス、またの名エパポスというのは、一度出産した後は再び受胎することができぬ牝牛から生れた仔牛のことで、エジプト人の言い伝えでは天上から光がこの牝牛に降り、牛はこの光によって受胎してアピスを産むのだという」(ヘロドトス「歴史・上・巻三・二八・P.345」岩波文庫)
さらに重要なのは次の箇所。「聖牛アピス」の出現と同時になぜか、軍隊の上官の命令が一時的に失効する。怒気を含んだ上官の言うことにまったく耳を貸さない人々(役人さえも含めて)の同時多発的出現。
「カンビュセスがメンピスに着いた頃、エジプトに聖牛アピスが出現した。ギリシア人がエパポスと呼んでいるものである。アピスが出現すると、エジプト人は早速一張羅の衣裳をつけて祝宴を催した。エジプト人のこの行動を見たカンビュセスは、てっきり自分の失敗を喜び祝っているものと邪推し、メンピスの役人たちを呼びよせた。役人たちが出頭すると王は、先に自分がメンピスにいた時には何もしなかったエジプト人が、部下の将兵多数を失って再びメンピスにもどってきた今、かようなことをするのはなぜかと訊ねた。役人は答えて、きわめて永い間隔をおいてしか出現しない神が現われたこと、この神が現われる時は、エジプトの全国民が歓喜して祝うのであることを説明した」(ヘロドトス「歴史・上・巻三・二八・P.344~345」岩波文庫)
この爆発的「歓喜」。ニーチェはいう。
「ディオニュソス的なるものの魔力の下(もと)においては、単に人間と人間との間の紐帯(ちゅうたい)が再び結び合わされるだけではない。疎外され、敵視されるか、あるいは抑圧された自然が、彼女のもとを逃げ去った蕩児(とうじ)人間との和解の祝祭を、再び寿(ことほ)ぐのである。大地も、みずから進んでその貢物(みつぎもの)を捧げ、岩山や荒野の猛獣も、来たって歓を交(かわ)すのである。ディオニュソスの車駕(しゃが)は、花や花輪で埋もれ、その軛(くびき)に伏して豹や虎も歩むのだ。ベートーベンの『歓喜』の頌歌(しょうか)を一幅の画と化せしめよ、そして幾百万の人間が怖れ戦(おのの)きて大地にひれふすとき、ひるむことなく空想の翼を羽撃(はばた)かせよ、しからば、ディオニュソス的なるものに近づき得るのである。今や奴隷は自由民となった、困迫、恣意、あるいは『厚顔な流行』が人間の間に厳然と打ち建てた一切の頑迷にして敵意に満ちた境界は、今や砕け去る。今や世界調和の福音に接し、人は各々(おのおの)、その隣人と結合し和解し同化せることを感ずるのみならず、また一体たることを感ずる、あたかもマーヤの綾羅が引き裂かれ、今はもはや襤褸(らんる)となって神秘に満ちた根源的一者の前に翻るにすぎざるのごとくである。歌いつつ、踊りつつ人間はより高い共同体の一員として現われる。彼は歩むこと、語ることを忘れ果て、踊りつつ虚空に舞い上らんとしつつある」(ニーチェ「悲劇の誕生・P.36~37」ちくま学芸文庫)
ドストエフスキーは当事者だった。
「何を思って、彼は泣いたのだろう?そう、彼は歓喜のあまり、無窮の空からかがやくこれらの星を思ってさえ泣いたのであり、《その狂態を恥じなかった》のである。さながら、これらすべての数知れぬ神の世界から投じられた糸が、一度に彼の魂に集まったかのようであり、彼の魂全体が《ほかの世界に接触して》、ふるえていたのだった。彼はすべてに対してあらゆる人を赦したいと思い、みずからも赦しを乞いたかった。ああ、だがそれは自分のためにではなく、あらゆる人、すべてのもの、いっさいのことに対して赦しを乞うのだ。『僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる』ふたたび魂に声がひびいた」(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟・中・第三部・第七編・P.187」新潮文庫)
「ある数秒間がある、ーーーそれは一度にせいぜい五秒か六秒しかつづかないが、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるんだよ。これは地上のものじゃない。といって、なにも天上のものだと言うのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。これは明晰(めいせき)で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかし、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終るごとに、『しかり、そは善(よ)し』と言った。これはーーー感激というのではなくて、なんというか、おのずからなる喜びなんだね。人は何を赦すこともしない、というのはもう赦すべきものが何もないからだ。人は愛するのでもない、おおーーーそれはもう愛以上だ!何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。もし五秒以上もつづいたらーーー魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくは全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ」(ドストエフスキー「悪霊・下・第三部・第五章・5・P.395」新潮文庫)
「彼はさまざまな物思いにふけるうちに、こんなことを考えてみたのであった。すなわち、自分の癲癇(てんかん)に近い精神状態には一つの段階があり(もっとも、それは意識のさめているときに発作がおこった場合にかぎっていたが)、それは発作のほとんど直前で、憂鬱と精神的暗黒と胸苦(むなぐる)しさの最中に、ふいに脳髄がぱっと炎でも上げるように燃えあがり、ありとあらゆる彼の生活力が一時にものすごい勢いで緊張するのである。自分が生きているという感覚や自意識が稲妻のように一瞬間だけ、ほとんど十倍にも増大するのだ。その間、知恵と感情はこの世のものとも思えぬ光によって照らしだされ、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、まるで一時にしずまったようになり、調和にみちた歓喜と希望のあふれる神聖な境地へ、解放されてしまうのだ。しかし、この数秒は、この光輝は、発作がはじまる最後の一秒(決して一秒より長くない)の予感にすぎず、この一秒は、むろん、耐えがたいものであった。彼は健康な状態に戻ってから、この一瞬のことをいろいろと考えてみて、よくひとり言を言うのであった。この尊い自覚と自意識の、つまり、《至高の実在》の稲妻とひらめきは、要するに一種の病気であり、正常な状態の破壊にすぎないのではなかろうか。もしそうであるならば、これは決して至高な実在どころではなく、かえって最も低劣なものに数えられるべきものではなかろうか。彼はそう考えながらも、やはり最後には、きわめて逆説的な結論に到達したのであった。《これが病気だとしても、それがどうしたというのだ?》とうとう彼はこんなふうに断定した。《もしこれが異常な精神の緊張であろうとも、それがいったいどうしたというのだ?もし結果そのものが、健全なときに思いだされ、仔細(しさい)に点検してみても、その感覚の一瞬が依然として至高の調和であり、美であることが判明し、しかもいままで耳にすることも想像することもなかったような充実、リズム、融和、および最高の生の総合の高められた祈りの気持に似た法悦を与えてくれるならば、そんなことは問題外である!》この漠然(ばくぜん)とした表現は、まだあまりにも弱いものであったが、彼自身にはまったく明らかなものに思われた。いずれにしても、それが真に《美であり祈りである》ことを、また《至高なる生の総合》であるということについては、彼もまったく疑うことができなかった」(ドストエフスキー「白痴・上・第二編・P.419~420」新潮文庫)
ルソーもまた。
「しかし魂が十分に強固な地盤をみいだして、そこにすっかり安住し、そこに自らの全存在を集中して、過去を呼び起こす必要もなく未来を思いわずらう必要もないような状態、時間は魂にとってなんの意義ももたないような状態、いつまでも現在がつづき、しかもその持続を感じさせず、継起のあとかたもなく、欠乏や享有の、快楽や苦痛の、願望や恐怖のいかなる感情もなく、ただわたしたちが現存するという感情だけがあって、この感情だけで魂の全体を満たすことができる、こういう状態があるとするならば、この状態がつづくかぎり、そこにある人は幸福な人と呼ぶことができよう。それは生の快楽のうちにみいだされるような不完全な、みじめな、相対的な幸福ではなく、充実した完全無欠な幸福なのであって、魂のいっさいの空虚を埋めつくして、もはや満たすべきなにものをも感じさせないのである。ーーーそのような境地にある人はいったいなにを楽しむのか?それは自己の外部にあるなにものでもなく、自分自身と自分の存在以外のなにものでもない。この状態がつづくかぎり、人はあたかも神のように、自ら充足した状態にある」(ルソー「孤独な散歩者の夢想・第五の散歩・P.87~88」岩波文庫)
南方熊楠もてんかん発作を起こしたことがある。そして熊楠の感心は二つの方向を示している。第一にヘルマフロディーテ(両性具有)。生と性の哲学。
「西暦一世紀には、半男女を、尤物(ゆうぶつ)の頂上として求め愛した。男女両相の最美な所を合成して作り上げた半男半女の像にその頃の名作多く(一七七二年版ド・ポウの『亜米利加人の研究』百二頁)、ローマ帝国を、始終して性欲上の望みを満たさんため、最高価で贖(あがな)われたは、美女でも姣童(わかしゅ)でもなくて、実に艶容無双の半男女だったと記憶する」(南方熊楠「十二支考・上・馬に関する民俗と伝説・P.374~375」岩波文庫)
第二に粘菌(陰花植物)研究。フーコーの言葉を借りればサディズムとしての粘菌。
「獣は、死に従属するものとしてと同時に、死の担い手として姿をあらわす。動物のなかには、生命の生命自身によるたえざる食いつぶしがひそんでいるからだ。つまり動物は、みずからの内部に反=自然の核を秘めることによって始めて自然に所属するのにほかならない。もっとも秘められたその本質を植物から動物に移行させることによって、生命は秩序の空間を離れ、ふたたび野生のものとなる。生命は、おのれの死に捧げるのとおなじその運動のなかで、いまや殺戮者としてあらわれる。生命は、生きているから殺すのである。自然はもはや善良ではありえない。生命は殺戮から、自然は悪から、欲望は反=自然からもはや引きはなしえないということそれこそ、サドが十八世紀、さらに近代にむかって告知したところであり、しかもサドはそれを十八世紀の言語を涸渇させることによって遂行し、近代はそのためながいこと彼を黙殺の刑に処していたのである。牽強府会のそしりを免れぬかも知れないが(もっともだれがそれを言うのか?)、『ソドムの百二十日』は、『比較解剖学講義』のすばらしい、ビロード張りの裏面にほかならぬ」(フーコー「言葉と物・第八章・P.298」新潮社)
しかしもっと驚くべきは、驢馬のルキウスが語るところによると、地中海諸都市では今から一九〇〇年ほども前すでに、例の後妻の諸行為をめぐって裁判が開かれ、法廷があり、町会議員らが召集されているということでなくてはならない。
BGM