自称-伝説の山賊ハエムスが登場する。マケドニア皇帝軍との乱闘から上手く逃れた彼はその方法を語る。
「私は胸の前面に波うつ長い襞(ひだ)をつくった華やかな女の着物をまとい、頭に婦人用の毛織りの頭飾りをかぶり、女の子によく見かける例の華奢(きゃしゃ)な白靴を履(は)き、こうして弱い女性に化け、わが身をくらますと、大麦の穂を運ぶ驢馬にまたがり、私を血眼(ちまなこ)になって捜していた物騒千万な兵士たちの間を通りぬけた。奴らは私をてっきり驢馬曳(ひ)きの女と思い、実際、そのときの私は頬(ほお)に髯(ひげ)もなくつやつやと輝いていたので、わけなく道を開いてくれた。しかし私としたことが、親父の輝かしい名声と、私の私たる所以(ゆえん)の武勇を裏切らなかった。なるほど、兵士たちの刃先の間にあっては少々おそれ入ったが、そのあと女装で巧みに人目をはばかり、村の農家や大邸宅を一人で襲い、路銀を掻き集めた」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の7・P.263~264」岩波文庫)
オデュッセウスのトリックを思わせないだろうか。
「オデュセウスはディオメーデースとともに夜の間に市に赴き、ディオメーデースをその場に留め、自分はその身を損い、貧しい服装で人知れず市に乞食となって入った。そしてヘレネーに認められ、その手引きによってパラディオンを盗み、多くの番人を殺した後、ディオメーデースとともに船へ持って行った」(アポロドーロス「ギリシア神話・摘要・P.193~194」岩波文庫)
「オデュセウスは三匹の牡羊を一緒につないでーーー自分は大きいほうの下に入り込み、腹の下に隠れて羊とともに外へ出た。そして仲間を羊から解き、船に羊を追い行き、船でたち去るにあたって、彼がオデュセウスであり、彼の手を遁れたとキュクロープスにむかって怒鳴った」(アポロドーロス「ギリシア神話・摘要・P.203~204」岩波文庫)
自称-ハエムスは第一に女装する。去勢する必要はどこにもない。当時の市民のあいだでは特に何の注意も引かない一般的な女性の衣装を身にまとう。ただそれだけで女性になる。皇帝軍は相手を見失いどこかへ去ってしまう。それが自称-ハエムスによる第一の変態である。
次に再び襤褸着を身にまとう。第二の変態である。どこの町にもいた乞食姿を装って少しのあいだ放浪する。この放浪は自称-ハエムスにとっては流通過程に相当する。そこで驢馬のルキウスを連れた盗賊団に出会い合流する。これまでの流れを説明するやたちまち襤褸着を引き裂き、せしめてきた二千枚の金貨を盗賊どもの眼の前に投げ出す。そしてもし盗賊の中で不服がないならこの盗賊団の首領にして欲しいと告げる。盗賊団は同意する。
「盗賊どもは躊躇(ちゅうちょ)するいとまもあらず、全員一致して双手(もろて)をあげ、この男に指揮権を与え、彼のために綺麗な着物を持ってくると、金を隠していたあの襤褸着と着換えさせました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の7・P.264」岩波文庫)
自称-ハエムスの第三の変態が見られる。まず襤褸着を脱がせること。そして綺麗な着物に着せ換えること。第三の変態を終えた時点ですでに自称-ハエムスの一連の変態は済んでいる。盗賊団の中で最も「綺麗な着物」を着用して首領となった時点で自称-ハエムスはもう貨幣の位置をかちとったからだ。あとはそのことを「全員一致」で承認する儀式が残されている。名誉席が用意され新しい首領のための就任式が行われた。「全員一致」で一人の人間を最上位へ排除し首領化すること。盗賊団は知らず知らずのうちに次の作業を行なったことになる。
「ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品はーーー貨幣になるのである(「彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」『ヨハネの黙示録』)」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・・P.159」国民文庫)
しかし近代になると絶体的中心というものは消滅する(ニーチェのいう「神の死」)。絶体的基準もなくなる。絶対的中心はどこにもなくなり、逆に様々な中心が無数に出現するようになる。変動相場制の世界化が徐々に加速する。そして近代的「道化=狂人」が出現してくる。次のように。
「気の触れた人のように叫んだり歌ったり暴れたり、自分一人で男や女の踊り手にもなれば歌い手にもなり、オーケストラや歌劇の一座も全部一人でやってのけ、一つのからだを二十もの別々の役に使い分け、悪魔に憑かれた人のように、走ったかと思うと、立ち停り、きらきらと眼を輝かしたり、口から泡を吹いたりした。息もとまりそうなほどの暑さだった。そして、彼の額の皺や長い頬に沿って流れる汗は、髪粉とまじって、川のように、着物の上のほうにいくすじもの線をつけていた。彼が表わさないものが一つだってあっただろうか。彼は泣いた。笑った。溜息をついた。ある時は愛情をこめて、ある時は静かに、ある時は荒々しく、眺めた。悲しさに悶える一人の女になることもあれば、失望の淵に沈む一人の不幸な男にもなった。そそり立つ寺院であることも、落日に声なき鳥どもになることもあった。あるいはうら淋しくすがすがしいほとりにせせらぐ流れとも、また山々の頂から急湍となって走せ下る流れともなった。暴風雨でもあり、海荒れでもあり、風の唸り、雷の轟にまじる死にゆく人々のうめき声でもあった。それは暗々たる闇夜でもあったし、物影と沈黙でもあった。というのは、沈黙さえも音で描写されるのだから。彼の頭はまったく正気を失っていた。深い眠りからか、また長い放心状態から醒めた人のように、疲れきって、彼は茫然と、気がぬけたように、じっとしていた」(ディドロ「ラモーの甥・P.122」岩波文庫)
ラモーの甥は何にでも変身可能である。ただ唯一、貨幣だけを除いて。
ところで、自称-ハエムスはマケドニア出身であることをたいそう誇りにしている。今は「北マケドニア」として西バルカン五カ国の一つに編入されているが、古代ギリシア時代から登場する歴史的伝統はそこに住む人々の精神的支柱として現在もなお受け継がれている。
ーーーーー
なお、北マケドニアを含むバルカンに関して。一九九〇年代末にアメリカ主導で行われたNATOの空爆。民族紛争解消を大義名分として実行されたわけだが、その実は、旧ユーゴの諸都市を壊滅させたに過ぎない。例えばコソボ紛争の場合、ミロシェヴィッチだけを逮捕すればできたものを、そうはせず、なぜか全土に及ぶ空爆を展開した。空爆後の町の風景は一変し、街路の壁の落書には“NATO”をもじってナチスと掛け合わせた“NA卍O”というものまで見られた。バルカン諸地域では以前ほどではないにせよ、EU加盟派とナショナリズム団体とのあいだで引き続き問題は起こっているのである。空爆はいったい何のために、誰のために、実行されたのだろうか。
また日本政府はいつものようにNATOへ資金援助している。バルカン全土を壊滅させた空爆によって発生した不動産再開発利権に伴い進出した日本企業の事務所は、今のセルビアの首都ベオグラードに集中している。特に自動車産業。そう見てくるともはや日本政府の狙いは丸見えになる。空爆以前のヨーロッパはEU圏内の自動車が多くを占めていた。日本の自動車産業はバルカン空爆をEU進出へのまたとない機会とみた。更地になった不動産を足がかりに日本車はEUへまずまずの進出を遂げていく。ところが長引く不況とイギリスのEU脱退によってまずイギリスから大工場を撤退させる。さらに二〇二〇年のパンデミックのどさくさ紛れにEU域内の工場を次々閉鎖、合理化した。それゆえ、パンデミックさなかの今の日本国内での移動は公共交通機関より、是非とも自動車で、というキャンペーンがマスコミを通して張られているわけである。
とはいえ、重機部門ではウクライナで成功している企業もありはするが。次の映像のように。
JERRY HEILL feat. M.A.M.A.S.I.T.A
また先日、香港民主化運動を巡って周庭氏ら民主派数人が検挙された。中国共産党は当然批判されるべきだろう。しかし日本政府はそうしない。むしろ中共トップの習近平国家主席の来日に注目している。というのもバルカン空爆の時と同じように日本企業が中国十三億市場へ進出するためにはいつ潰れるかわからない香港民主化運動よりも遥かに魅力的だからというばかりでなく、これまで中国の主要都市にあってパンデミック問題が沈静化するまで一旦停止させている日本企業の工場再開に向けて中共指導部とは懇意にしておくほうが得策と考えているに違いないからである。
BGM
「私は胸の前面に波うつ長い襞(ひだ)をつくった華やかな女の着物をまとい、頭に婦人用の毛織りの頭飾りをかぶり、女の子によく見かける例の華奢(きゃしゃ)な白靴を履(は)き、こうして弱い女性に化け、わが身をくらますと、大麦の穂を運ぶ驢馬にまたがり、私を血眼(ちまなこ)になって捜していた物騒千万な兵士たちの間を通りぬけた。奴らは私をてっきり驢馬曳(ひ)きの女と思い、実際、そのときの私は頬(ほお)に髯(ひげ)もなくつやつやと輝いていたので、わけなく道を開いてくれた。しかし私としたことが、親父の輝かしい名声と、私の私たる所以(ゆえん)の武勇を裏切らなかった。なるほど、兵士たちの刃先の間にあっては少々おそれ入ったが、そのあと女装で巧みに人目をはばかり、村の農家や大邸宅を一人で襲い、路銀を掻き集めた」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の7・P.263~264」岩波文庫)
オデュッセウスのトリックを思わせないだろうか。
「オデュセウスはディオメーデースとともに夜の間に市に赴き、ディオメーデースをその場に留め、自分はその身を損い、貧しい服装で人知れず市に乞食となって入った。そしてヘレネーに認められ、その手引きによってパラディオンを盗み、多くの番人を殺した後、ディオメーデースとともに船へ持って行った」(アポロドーロス「ギリシア神話・摘要・P.193~194」岩波文庫)
「オデュセウスは三匹の牡羊を一緒につないでーーー自分は大きいほうの下に入り込み、腹の下に隠れて羊とともに外へ出た。そして仲間を羊から解き、船に羊を追い行き、船でたち去るにあたって、彼がオデュセウスであり、彼の手を遁れたとキュクロープスにむかって怒鳴った」(アポロドーロス「ギリシア神話・摘要・P.203~204」岩波文庫)
自称-ハエムスは第一に女装する。去勢する必要はどこにもない。当時の市民のあいだでは特に何の注意も引かない一般的な女性の衣装を身にまとう。ただそれだけで女性になる。皇帝軍は相手を見失いどこかへ去ってしまう。それが自称-ハエムスによる第一の変態である。
次に再び襤褸着を身にまとう。第二の変態である。どこの町にもいた乞食姿を装って少しのあいだ放浪する。この放浪は自称-ハエムスにとっては流通過程に相当する。そこで驢馬のルキウスを連れた盗賊団に出会い合流する。これまでの流れを説明するやたちまち襤褸着を引き裂き、せしめてきた二千枚の金貨を盗賊どもの眼の前に投げ出す。そしてもし盗賊の中で不服がないならこの盗賊団の首領にして欲しいと告げる。盗賊団は同意する。
「盗賊どもは躊躇(ちゅうちょ)するいとまもあらず、全員一致して双手(もろて)をあげ、この男に指揮権を与え、彼のために綺麗な着物を持ってくると、金を隠していたあの襤褸着と着換えさせました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の7・P.264」岩波文庫)
自称-ハエムスの第三の変態が見られる。まず襤褸着を脱がせること。そして綺麗な着物に着せ換えること。第三の変態を終えた時点ですでに自称-ハエムスの一連の変態は済んでいる。盗賊団の中で最も「綺麗な着物」を着用して首領となった時点で自称-ハエムスはもう貨幣の位置をかちとったからだ。あとはそのことを「全員一致」で承認する儀式が残されている。名誉席が用意され新しい首領のための就任式が行われた。「全員一致」で一人の人間を最上位へ排除し首領化すること。盗賊団は知らず知らずのうちに次の作業を行なったことになる。
「ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品はーーー貨幣になるのである(「彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」『ヨハネの黙示録』)」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・・P.159」国民文庫)
しかし近代になると絶体的中心というものは消滅する(ニーチェのいう「神の死」)。絶体的基準もなくなる。絶対的中心はどこにもなくなり、逆に様々な中心が無数に出現するようになる。変動相場制の世界化が徐々に加速する。そして近代的「道化=狂人」が出現してくる。次のように。
「気の触れた人のように叫んだり歌ったり暴れたり、自分一人で男や女の踊り手にもなれば歌い手にもなり、オーケストラや歌劇の一座も全部一人でやってのけ、一つのからだを二十もの別々の役に使い分け、悪魔に憑かれた人のように、走ったかと思うと、立ち停り、きらきらと眼を輝かしたり、口から泡を吹いたりした。息もとまりそうなほどの暑さだった。そして、彼の額の皺や長い頬に沿って流れる汗は、髪粉とまじって、川のように、着物の上のほうにいくすじもの線をつけていた。彼が表わさないものが一つだってあっただろうか。彼は泣いた。笑った。溜息をついた。ある時は愛情をこめて、ある時は静かに、ある時は荒々しく、眺めた。悲しさに悶える一人の女になることもあれば、失望の淵に沈む一人の不幸な男にもなった。そそり立つ寺院であることも、落日に声なき鳥どもになることもあった。あるいはうら淋しくすがすがしいほとりにせせらぐ流れとも、また山々の頂から急湍となって走せ下る流れともなった。暴風雨でもあり、海荒れでもあり、風の唸り、雷の轟にまじる死にゆく人々のうめき声でもあった。それは暗々たる闇夜でもあったし、物影と沈黙でもあった。というのは、沈黙さえも音で描写されるのだから。彼の頭はまったく正気を失っていた。深い眠りからか、また長い放心状態から醒めた人のように、疲れきって、彼は茫然と、気がぬけたように、じっとしていた」(ディドロ「ラモーの甥・P.122」岩波文庫)
ラモーの甥は何にでも変身可能である。ただ唯一、貨幣だけを除いて。
ところで、自称-ハエムスはマケドニア出身であることをたいそう誇りにしている。今は「北マケドニア」として西バルカン五カ国の一つに編入されているが、古代ギリシア時代から登場する歴史的伝統はそこに住む人々の精神的支柱として現在もなお受け継がれている。
ーーーーー
なお、北マケドニアを含むバルカンに関して。一九九〇年代末にアメリカ主導で行われたNATOの空爆。民族紛争解消を大義名分として実行されたわけだが、その実は、旧ユーゴの諸都市を壊滅させたに過ぎない。例えばコソボ紛争の場合、ミロシェヴィッチだけを逮捕すればできたものを、そうはせず、なぜか全土に及ぶ空爆を展開した。空爆後の町の風景は一変し、街路の壁の落書には“NATO”をもじってナチスと掛け合わせた“NA卍O”というものまで見られた。バルカン諸地域では以前ほどではないにせよ、EU加盟派とナショナリズム団体とのあいだで引き続き問題は起こっているのである。空爆はいったい何のために、誰のために、実行されたのだろうか。
また日本政府はいつものようにNATOへ資金援助している。バルカン全土を壊滅させた空爆によって発生した不動産再開発利権に伴い進出した日本企業の事務所は、今のセルビアの首都ベオグラードに集中している。特に自動車産業。そう見てくるともはや日本政府の狙いは丸見えになる。空爆以前のヨーロッパはEU圏内の自動車が多くを占めていた。日本の自動車産業はバルカン空爆をEU進出へのまたとない機会とみた。更地になった不動産を足がかりに日本車はEUへまずまずの進出を遂げていく。ところが長引く不況とイギリスのEU脱退によってまずイギリスから大工場を撤退させる。さらに二〇二〇年のパンデミックのどさくさ紛れにEU域内の工場を次々閉鎖、合理化した。それゆえ、パンデミックさなかの今の日本国内での移動は公共交通機関より、是非とも自動車で、というキャンペーンがマスコミを通して張られているわけである。
とはいえ、重機部門ではウクライナで成功している企業もありはするが。次の映像のように。
JERRY HEILL feat. M.A.M.A.S.I.T.A
また先日、香港民主化運動を巡って周庭氏ら民主派数人が検挙された。中国共産党は当然批判されるべきだろう。しかし日本政府はそうしない。むしろ中共トップの習近平国家主席の来日に注目している。というのもバルカン空爆の時と同じように日本企業が中国十三億市場へ進出するためにはいつ潰れるかわからない香港民主化運動よりも遥かに魅力的だからというばかりでなく、これまで中国の主要都市にあってパンデミック問題が沈静化するまで一旦停止させている日本企業の工場再開に向けて中共指導部とは懇意にしておくほうが得策と考えているに違いないからである。
BGM