白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリにいついて1063

2025年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリにいついて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「ecol4」

曲をON。猫は部屋に入るなり軽く壁に爪を立てて三秒ほど自己主張。すぐ飼い主の椅子のそばを少々うろつく。主にパソコン机の下。金属音は昔なつかしい板金加工所から漏れ聞こえていたものに近い。テンポは同じだがいろいろ変化しつつ打たれていたベース音が5:39でいったん鎮まり方向性を変える。ベースはリズムを刻まずリズムを崩しつつ揺蕩う。猫はいつの間にか本棚部屋で横になりお腹を見せてくつろいでいる。10:02からベースが再びリズムを復帰させる。それまでのあいだに何種類かの金属音が反響するが猫は何度もパソコン机の下へもぐり込んでまた出てきてを繰り返す。


Blog21・二代目タマ’s ライフ468

2025年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年二月九日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

二月頃に一度寒さが戻るのは昔かららしいけど、それにしてもここ数年は異常気象というほかないって飼い主言ってるのは本当なんだね。

 

ん~、でも人間が地球をあなどりがちになってきたのは産業革命以後だな。すっかり傲慢になっちまった。だからといって飼い主にできることなんてたかが知れてる。というよりこっちのほうこそ世界に向けて何とかしてほしいというのが筋。まあその話はせいぜい専門家に頑張ってもらうしかないね。政治の世界は詭弁ばかりだし。

 

タマどうしたらいいのかな。

 

どうもこうも。試しに気分だけでもちょっとくらい変えてみるかい?この三日ほどで異様な豪雪があっただろう。あの機材がいるこの機材もいるその機材もいるどこぞの機材はまだ実験中って大金のかかる話ばかりで気が滅入るだけ。いっぽう現代社会の異常気象が出現するはるか昔にはこんな歌があった。

 

「はなはだも夜(よ)ふけてな行き道の辺(へ)のゆ笹(ざさ)の上(うへ)に霜(しも)の降る夜(よ)を」(「万葉集3・巻第十・2336」『日本古典文学全集 万葉集3・P.163』小学館 一九七三年)

 

どんな意味なの?

 

ずいぶん夜も更けてきたんだから今から帰ろうだなんてちょっと止めてほしいなあ。ほら道端の笹の葉を見てよ。霜が降りて凍ついちゃうかもっていうのに。

 

は?、そういうこと?

 

夜更けまで女の家で寄り道してた男が都合よく自宅へ帰ろうとするのにピンときてね、凍えそうな道っていうか、今でいう路面凍結してそうな道路を無理に帰って事故るよりあたしの家でゆっくりしてって、という感じかな。

 

大胆なんだね。タマとしては身も蓋もないところがかえってすっきりしてるって思う。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。FKAツイッグス。アルバム「LP1」の頃はとてもユーモラスな演出で好感を持って聴いたわけだがそんな中にもどこか痛々しさの欠片のようなものを漂わせてはいた。わざわざ大げさなまでに自分の顔面にべたべたペイントするだけでなくぐにゃぐにゃ変形させて見せるMVなど。けれども黒人アーティストの作品はジャズにせよブルースにせよヒップホップにせよまるでどこにも痛みのないようなものはない。かといって自虐性ばかりを売りにしてきたわけでは全然ない。それにしても今作はアルバムのアートワークからしておぞましいホラーさながら。ところが歌声は相変わらずFKAツイッグス。


Blog21・文化的「異常児」、その「驚くべき力」

2025年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

次回は「エジソン」について述べると書かれていたわけだが実のところエジソンにはほとんど関心がないのでどんな話になるのだろうと思っていた。だらだらページをめくっていると途中からゴダールの話題になった。こうある。

 

「そのはじまりにおいて『声』と『音楽』を自身の外に追い出すことによって普及した映画は、しかし、その後、約三〇年かけてーーー子供から大人になる過程において?ーーー<しゃべらせられることによって正常にもどされ>た。そして、『正常』に戻された映画は、かつて自身が持っていた文化的『異常児』としての『驚くべき力』を忘れてしまった」(大谷能生「音と言葉のデジタリティ(4)」『群像・3・P.373』講談社 二〇二五年)

 

「ゴダール/映画史1」(筑摩書房・1982)からの引用も載っている。読んでみたらここ最近読んだ記憶がある。別の場所で。

 

「映画の歴史には、子供がいくつかの事柄をごくわずかずつ学んでゆく過程に似たところがいくらかあります。映画は、生まれはしたものの、どうしても《パパ》とか《ママ》とかいう言葉を口にしようとはせず、ほかの子供たちとは違った形で大きくなろうとしている子供のようなものだったのです。そしてその子供は、異常児だと宣告されたのです。そう、サイレント映画は文学によって異常だと宣告されたのです。これが私の見方です。でもそのあと、サイレント映画はしゃべらせられることによって正常にもどされました。そして今では、映画はなかなかほかのなにかを見つけることができません。今ではもう、ほかのなにかにかわることはほとんどできないのですーーー」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.225」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

とても興味をそそられたため前後にラインを引いておいた。引いたのは去年のこと。もっとも大谷能生が引いているように「映画史」では「映画史」でも「(複数の)映画史」を参照することは大事だろうしそうしたい。ゴダール作品ももっと色々見たいとおもう。

 

それにしても「物価高」はなぜ犯罪に相当しないのかとある種の諦観が身体を包み込んでもくるのだ。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリにいついて1062

2025年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリにいついて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「marhide」

規則的なベース音の反復から始まり砂嵐を思わせる高音が厚みを増して近づいてくる。1:12辺りで砂嵐は一旦静まる。だがリズムは途切れず再び砂嵐がヴォリュームを増して迫ってくる。それが何度か繰り返される。猫は飼い主の椅子の周りをうろうろ。早く遊んでくれないかなあという風情。廊下の暗がりを見るとお気に入りのぬいぐるみを持参している。


Blog21・二代目タマ’s ライフ467

2025年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年二月八日(土)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

飼い主の本棚ってどこからどこまでなの?

 

どこから始まってどこまでっていうふうには全然考えたことないなあ。本だけじゃなくてCDとかDVDとか古いカセットテープとか乗り入れてるし。

 

整理整頓しないの?

 

時々やってるよ。見た目はあんまりわかんないだろうけど。ってかタマも小型のラックとかに乗って散らかして遊んでない?

 

えへへ、まあね。で、このまえ本棚のそばのダンボールをたまたま覗き込んでたらさ、CDの束の中にね、死んじゃったお婆さんが持ってた「朗読 世界の文学」って見つけたんだ。

 

あれは遺品。戦時中生まれでお金持ちとはほど遠い家柄だったから大学に行けなかったことをずっと根に持っててね、だからって息子が大学へ行っても自分が学びたいことを自分で学んでるのとは全然違うじゃん。母はどこまで行っても母。息子はどこまで行っても息子でしかない。七十五歳過ぎた頃から「朗読 世界の文学」とかその手のCDをちょっとずつ買い出したんだ。でタマは知らないわけだけどその手のCDって要約してあるのさ。要約が悪いってわけじゃないけど、でもね、どこか引っかかりを覚えながら聞いてたみたいだった。今の受験生みたいに若い頃に速読覚えたら幾らかできたかも知れないけど七十五歳過ぎてとなるとね。悔しかったろうけどどうしようもなかった。

 

悔しがってたの?そんなふうには見えなかったなあ。いつもにこにこタマのこと可愛がってくれたよ。

 

表に出すタイプじゃないし。

 

タマは精一杯表に出すよ。せっせと爪で引っ掻いたり。

 

あ、思い出した。爪切り。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。FKAツイッグス。アルバム「LP1」の頃はとてもユーモラスな演出で好感を持って聴いたわけだがそんな中にもどこか痛々しさの欠片のようなものを漂わせてはいた。わざわざ大げさなまでに自分の顔面にべたべたペイントするだけでなくぐにゃぐにゃ変形させて見せるMVなど。けれども黒人アーティストの作品はジャズにせよブルースにせよヒップホップにせよまるでどこにも痛みのないようなものはない。かといって自虐性ばかりを売りにしてきたわけでは全然ない。それにしても今作はアルバムのアートワークからしておぞましいホラーさながら。ところが歌声は相変わらずFKAツイッグス。