着物を着るには着物だけじゃあ駄目なんですよね。襦袢を着てその下には肌襦袢を付けます。勿論、最近は「大うそつき襦袢」なる肌襦袢に袖だけをつけたなんちゃって大うそつき襦袢もあります。最初はそういう物に興味がなかったのです。長襦袢だけで13枚(夏の絽も含めて)あるんですから。反物もまだ二本あります。二部式の襦袢も二枚あってこれはセールだし持っていない色だからと買い求めた物なのですが、友人が「うそつき襦袢」なる話を持ってきて、袖だけを付け替えて楽しいのよ・・・というのです。肌襦袢もまだ新品の物がありますから襟を付ければ「大うそつき襦袢」にも出来そうです。端切れというか袖だけなら2メートルの安売りセール品で十文です。ただしポリエステルかナイロンの物が良いでしょうね。レースもよさそうです。ということで、最初は興味の無かった私ですが、友人よりも沢山の生地を購入し、顰蹙を買っています。はははは・・・・。だってねぇ。今まで襦袢にそんなに気を向けていなかったのです。でも、案外袂から見える襦袢の柄や色って目立つのですね。ある物を適当に着ていたのですから、今考えれば勿体無いなと思います。
日本の「チラリズム文化」はそういう見えそうで見えない部分の文化です。蹴だしもそうです。ほんの数センチしか見えない半襟にあれだけ神経をつかい、帯上げと帯締めの組み合わせを考えるのも楽しいのですから、そこに襦袢の袖をどうしようかなんて・・・・・。ああ!面倒なようで楽しそうです。
無限ですよ。組み合わせは。その日の気分や季節。天候にもよりますしね。センスがなくちゃあいけませんな。御年配の着物達人からは「喝」が入りそうな組み合わせも、構いません。正装じゃない限り、自由度は大きいと思います。
つまり、正装以外の着物を何枚あるかのほうが、贅沢という時代になってきたようです。紬も木綿も今は貴重です。正絹はお金さえ積めばという時代になりました。本物の木綿や紬を普段着におろしてさりげなく日常着にするのはかなりな贅沢だと思います。
そう考えると、夏の浴衣もあと数枚作ってもよさそうだなと。
ミシンでざくざく仕上げております。コットン生地の単衣もザクザク縫ってしまいます。一度構造を覚えれば案外簡単に作れますね。緊張するのは襟だというのは、どんな服でも同じです。アロハシャツを作るのにも、襟の部分だけは緊張します。
今はネットでちりめんや古布もゆっくり探せるので、余暇を楽しんでいます。余り布で足袋や巾着も作ったりして楽しんでいます。
ハダジュバ~ンもナガジュバ~ンも口を閉じて発音するとフランス語に聞こえて面白いですよ^^;麻布十番もそうですけど・・・・。
というわけで、うそつき袖が貯まったら紹介しますね。