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目の前で母親を交通事故で亡くし、
父親は船乗りで帰ってくることもなく、
繊細な少年はいつも橋の上から下を流れる川を見ていた。
やがてたぐい稀なる才能と、時代の助けと、
そして無二の共同作業者を得て、
彼自体が世界を流れる大きな川そのものとなった。
幼なじみは、『戻ってこいよ』とか『なすがままに』とか言ったけど、
孤高な彼は、やがて自分自身の内なる言葉に導かれるように、
己の精神世界から、愛や平和を訴えるようになった。
『ランカシャーのブラックバーンを埋める4000の穴』や
『心を解き放って流れに身をゆだねるのは死ではない』とか
『隣の男のスモーキング・ポッドで夢に入る』みたいな世界から、
愛する人が平和に暮らせる世界を望み始めたのだ。
愛する人と平和に暮らすため、
天国や国境や宗教がないことを想像したのは今から35年前だ。
家族やパートナーに対する優しさや思いやりこそ、
世界平和の源流になるのだ、と彼は我々に教えてくれた。
アメリカがベトナム侵攻したとき、
『戦争するならベッドインしよう』と、BED PEACEを行った。
今なら信じられるだろうか?
1週間にわたり、ベッドの中で二人の男女は平和を訴えた。
それは、想像を絶するほどのムーブメントになった。
戦争反対のデモはアメリカ各地、そして日本国内にも飛び火した。
当時の大統領のニクソンは事態を深刻に扱った。
彼に対して監視や盗聴がFBIによって行われた。
『彼女は君が好きなのさ、イエーイエーイエー!』とか
『抱きしめたーい!』と歌った若者が、
わずか数年のうちに戦争に対して言及し、
全世界に向かって『WAR IS OVER, IF YOU WANT IT』と訴えるまでの
彼自身の成長と、その一個人の影響力に巨大国家が関与し始めたのだ。
40歳のとき、熱狂的なファンとされている男の凶弾に倒れて27年。
一方、彼が憎み続けてきた戦争や暴力はこの世から絶えない。
だからこそ『WAR IS OVER, IF YOU WANT IT』という彼の言葉は、
いまも我々に大きな意味を持って問いかけてくる。
アメリカに対して底知れぬ脅威を与え、
人々にいまだに勇気を与え続けている労働者階級の英雄。
虫眼鏡で『yes』