昨年、地元の海そばに越してきた者がいる。
たぶんあまりパッとしない仕事をしていて実家に住んでいて、
週末に海に通ってウインドをする。
その海はメジャーだけど、どちらかというとオールラウンドな海で、
スクールもスラも学連もウエーブもできる恵まれたところである。
その恵まれた所が、ある意味上達を妨げた。
ビーチ間際でジャイブトライしてミスっても足が着いてしまうのだ。
足が着いたところには仲間がやはり足を着いている。
だからそこで会話が始まってしまうというのだ。
ウインドサーフィンというは常に機動力を持っているという特徴があるが、
それはアウトターンインターンの繰り返しでリズムを掴み、
それを繰り返すことで身体に動作を覚えさせないといけない。
気持ちの臨み方なのだろうけど、自分の向かうべきスタンスが決まっていないと、
足が着く場所は安全な反面、ある意味致命的になる。
一番自分をプッシュしなくてはいけない時期にちょっと甘えてしまう。
その者は考えた。
うまくなるにはゲレンデを変えるのも手だなと。
一度、自分を過酷な場所に移そうと。
波のあるところに行こうと。
そしてウインドに集中できるよう、海近い部屋に引っ越した。
ついでにウインドの道具を苦なく買えるよう高収入の仕事に転職した。
その海でしか乗らないと決めたから高い金を出して買った車をウッパラッタ。
ウインドを自転車に積んで行けばいいだけの話だ。
最初にその海に入ったのは確か春一番で出艇すらできず、そいつはコテンパンに締められた。
周囲はウエーブのエキスパートばかりで自分が浜のイマイチ君と自覚するのに数秒かからなかった。
ホームではそんなことなかったのに。。。
人生を大きく変えてまでこの海に来たのに、いったい何なんだ!!!と心の中で叫んだに違いない。
オイラはそばにいたけどほとんど無視した。
上手になってほしかったので、締められるのは登竜門なのだ。
上達の条件は壁を越える以外に方法ってないのだ。
それをやがてクリアできるからハッピーになれるのだ。
波打ち際でもがいてる人間に何をアドバイスしても馬の耳に念仏というのは
オイラもよーく知っている。
で、そのときの締められで、いい意味でチクショーコノヤロー魂が芽生えたようだ。
風があればとにかく出る、をその日からトライした。
波をヒトツ超える、フタツ超える、ミッツメで巻かれる。
道具を放して泳ぐ。
顔面を強打する。
突き指はしょっちゅう。
しかし決してあきらめない。でも出れない。出れないからプレーニングすらしていない。
やがて夏が過ぎ、風のない秋が終わり、強風ウエーブシーズンの冬になった。
あせる。あせる。だってまともに乗ってない。
御前崎に行き、西風の茅ヶ崎でもくもくとトライを続けた。
出ては巻かれ下に流され道具を引きずって帰ってくる。
いちお、オイラが同じゲレンデにいるときは心配なので下海面に気を配る。
アウトにいない。ビーチにもいない。海面を探す。
ウオータースタートでセイルが上がらず漂流しかかっている。
そしてやっとだ。御前崎でも茅ヶ崎でもゲッティングアウトできるようになってきた。
コシハラのうねりに乗って帰ってくる。
昔のビギナーなオイラを見ているようで実に嬉しかった。
微風のゲッティングにウインド技術のすべてが含まれている。
だから出たとき70Lに満たないボードで軽快にプレーニングしてた。
結局のところ、自分で得る楽しみは自分の力でしか得れないとあらためて思った。
そいつは覚えていないかもしれないが、オイラはヒトツだけアドバイスした。
それは日々を楽しむ努力を怠らないことだと。
ウインドは海のスポーツだけではなくて、
仕事してればそれ自体が風待ちだし、
ちょっと楽しいウインドができて夜ビールが飲めれば、それは楽しいウインドなのだ。
御前崎行って、玄関ただいまするまでがウインドサーフィンなのだ。
ということでいい酒飲めたりいい笑いができる人が、うまいウインド乗りになるのだよと。
ちょいと上手くなって、もとのホームでウエーブするのがそいつの夢だそうだ。