僕は行ったことがないのだが、
その坂道は東京の国立市にある。
一橋大学に通う学生たちは、
その坂道を自転車で登るとき、
『たまらん、たまらん』と言ったからだという。
忌野清志郎は不遇時代、その坂道の途中に住んでいた。
もともとフォークシンガーだった彼は、
やがて何にインスパイアされたのか、
ロックンロールショーでビンビンなバッテリーの事を歌うようになった。
そして多摩蘭坂で、音楽性、作詞性ともに世に認められたわけである。
坂の名前は『たまらん坂』が正解で、
多摩蘭坂は清志郎が作った当て字である。
しかしながら、バス停の名前、ガソリンスタンドの名前、店の名前、
目につくところすべてに『多摩蘭坂』が命名されている。
近くの不動産屋には、『坂の途中に借家はありませんか?』
と尋ねてくる人がいるというし、
いまだにこの坂道を遠くから訪れるファンがいるらしい。
(CHANGIN')
オレの出身高校は小高い丘の上にあった。
その坂道はやはり急で雪がつくと滑ってたまらなかった。
その坂道は、学校の敷地内にあり、坂道の途中に、
単身赴任教師用の古い家があった。
オレは大学の時、現在心療科の医者をしているケンイチ君と、
母校のそこの『多摩蘭坂』に行って、
途中の家の玄関に腰掛けてビールを飲んだ。
お月さまのきれいな夜で、街の景色が一望できる。
小さなラジカセを持っていって、『多摩蘭坂』を聴きながらビールを飲んだ。
今では当時の友達なんかもふさわしく暮らしてるんだろうなあ、
と今あらためて思った。
ふさわしい土地でふさわしい仕事をしてふさわしい生活をする。
ふさわしい、って何回も言うと妙な感じになる。
ふさわしい、が本来持つ意味がわからなくなる。
心がふさふさした感じになれることがふさわしいのかな。
なんでこの記事を書いたかというと、
左の貼り付けyoutubeにある、
kouさんとこないだ『RCはいいよね』
って話になったからだ。
ミュージシャンの友達は人生で初めてなんだけど、
プロのミュージシャンと同じ趣味があるのもいい話と思って書いてみた。
夜に腰掛けてた
中途半端な夢は 電話のベルで醒まされた
無口になったぼくは ふさわしく暮らしてる
言い忘れたこと あるけれど
多摩蘭坂を登り切る手前の坂の
途中の家を借りて住んでる
だけどもう苦手さ こんな夜は
お月さまのぞいてる 君の口に似てる
キスしておくれよ 窓から