Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

Run in L.S.D.

2014-09-30 17:53:10 | 日記

ランニングのことはブログに書きたいような、書きたくないような。。。
ちょっと複雑な気持ちだよ。

書いてしまうと、継続することを自ら義務、強制してしまうし、
書かないでいると、いつの間にか怠惰になりやめちゃう自分が想像できるし。

まあ、とにかく今のところは続いてるよ。

とは言ってもまだまだ現段階で10ラン。 平均5キロってとこだ。
ここ数日はちょいとがんばって7キロ。
どうやら自分には、この7,8キロが最初の壁だな。
明日会社行けねえんじゃね?疲れちゃって!と思うからなんだヨネ。

でも、その距離を超えたら永遠に走れそうな気もするんだね。

何故かというと、その距離だと雑念がすっかり消える。
無心、虚無、禅の境地。 
そうなるには条件がいる。

LSDだよ。

LONG SLOW DISTANCE。 1キロ7分レベルで1時間以上走る。
そうすると禅の境地になるって言われてる。

ん? 禅の境地ってなんだ?どうなるってこと?

これは、禅の達人が、サイケデリックな幻覚体験に到達することを、境地っていうんだってさ。
これこそLSD体験と全く同じ。
LONG SLOW DISTANCEの頭文字は偶然か?って思っちゃったね。

走ってると感覚も鋭敏になってくる。
筋肉の収縮や、全身の血流まで感じ取れてくる。 なんとなくっすけど。
それと呼吸が全く苦しくないし、なんとも言えない多幸感に包まれる。
多幸感と言っても、そんな大袈裟なものではないよ。
小さな悩みやストレスくらいなら、走り終えた数時間なら忘れ去ることができてHappyになれるってことだ。


でもこれこそが自分にはとても重要だと思っている。

生活の中でストレスを無くすということは不可能で、
無縁になれるわけがない、無くすことができるわけない。
必ずあるストレスにどう向き合っていくかというのが人生の条里だと思うのさ。
つまり一生の大半、特にこれから更に多くのストレスと付き合わなくちゃいけない。
死神っていう名前の腐れ縁の友達だね。
そいつと一緒にいるのが常なので、それを短時間でもコントロールできるのであれば、

それはとても価値があるんだ!
という思いがランニングから得られることだね。

だってただただ健康のためとか、腹を引っ込ますだけが目的だと挫けちゃうからね。
他の意味あることを発見できるというのは、文字通り意味あることだと思うわけさ。

さてさて。
多幸感と書いたが、これが得られるスポーツは恐らく限られているんじゃないかって思う。
自分を極限まで追い込んで、しかも運動が持続し続ける有酸素運動が対象とすれば、
自分がこの世で知ってるのは3つしかない。
ウインドサーフィン、スキー、ランニングだ。
サーフィンはちょっと違うね。波待ち時間が多いので運動が持続し続けない。
体感速度と劇的に変化する視界があるともっと多幸感は増幅するね。

とにかくこれらのスポーツやってると脳内物質が多く分泌される、というのを我々は自覚してるね。
論文も出てるだろうけど、わざわざ読まなくてもそんなことは常識的にわかってる。

でも脳内物質の名前まではみんなは知らないかもしれない。

その脳内物質はエンドルフィンとカンナビノイドだよ。
特にエンドルフィンに関しては脳内モルヒネとも言われるくらいで、
医療用その他に関わらず流通しているモルヒネの6.5倍の効力を持つ。
中毒性も半端じゃない。
だから、また走りたくなる、ウインドしたくなる、となるわけだよ。
ランニングジャンキー、ウエーブジャンキー、プレーニングジャンキーね。

カンナビノイドは説明いらないね。
医学用語はカナビス。 要はマリファナのぶっ飛び主成分。
昔から日本では常用されていて、緑内障、小児喘息、アレルギーにと即効性と本人の治癒力増強では折り紙つき。

現在では癌患者、テンカン患者にも推奨され始めてますね。
アルコール、タバコと違い常用性、耐性もないことは誰でも知ってるからね。オバマさんもね。

いずれ、こういうHappyな物質は本来人間が自己分泌できるんだけど、
現代生活ではなかなか難しい。
だれでもウインドやスキーはできない。

でも、足腰ちゃんとしてれば走ることはできるよ。

ランニングでは、精神的な充足感や、自身の精神変化を意識すると、
ランニング自体の効果のみならず、自分に対し向き合って自分と会話できるということだ。

まあウインドサーフィンはそんなこと意識しなくても、勝手にそうなるけどね。

ってな話さ。


NIKEアプリで、オイラは闇の仕事人

2014-09-17 18:19:30 | 日記

オレはジョギングするとき、
もちろん外見格好から入る男なので、
iPnoneのナイキアプリを使って、
距離を計測し、走ったところをGPS解析するなどしてる。

走るとき音楽は欠かせなくて、
「RUN」というプレイリストまで作ってる。

ナイキアプリには、「パワーソング」というボタンがあり、
文字通り、身体が、ハートがギブアップしそうになったときそのボタンを押すと、
プレイリスト中の任意の曲がパワーソングとなり、
ポパイがピンチのときに食べるホウレン草のごとく、
ワイルドスピードのカーレースで、ニトロ燃料をシリンダーにぶち込むがごとく、
オレは前に前に向かって突き進めるのだ。

さて、ではそのパワーソングとはなんでしょうか!?

KISSとかヴァンヘーレン、ストーンズは当たり前。
オレの場合はちと違うね。
ありきたりのロックじゃあパワー不足だぜ。

オレのはね、
パワーソング① ロッキーのテーマ  ま、ありきたりか。。。
パワーソング② Eye of the tiger    なんだ、KISSとかと同じじゃん。。

もう1曲あるんだぜい!パワーソング③だ。
ちょっと恥ずかしいっていうと恥ずかしんだけど、、、

じゃーん!!!♪
「必殺仕事人のテーマ」


どうよ。

イントロでトランペットファンファーレ。
政が走る、主水が斬る!
オイラが走る、走る!!
竜二が刺す!

で、なんで必殺仕事人かというと、
どうやらオレは時代劇が好きなようだ。
というか、最後に悪をやっつけるヒーローものが好きなんだな。
それが高じてRUNのパワーソングになったってわけだ。

特に必殺シリーズは、裏稼業なところがいいね。
金を貰って恨みをはらします。


この必殺シリーズは、仕事人や仕置人、仕掛け人とかいろいろあって、
しかも最近では必殺仕事人2012、2013、2014があるよ。
Daily Motionっていうサイトで無料で見れるっす。

オレが江戸時代に生きてたら裏稼業で仕事人だったろうな、って確信するほどだな。
情けにゃもろく、反面クール、一撃必殺地獄の使い手。

生きるも地獄、死ぬも地獄。
どこかで誰かが泣いている 誰が助けてくれようか この世は人情紙風船
耳をすませたやつは誰 泣き声目指して走る影 この世は闇の 助け人
あ、それオレ。

昔から悪の栄えたためしはないと 世の例えには言うけれど どうやらそうではないらしい
山のあなたの国々も 悪が栄えていると言う
わからない事ばかりだが わかっている事ただ一つ 許せぬ悪を消す事だ
この世とあの世の境の場所に 舟を浮かべて待っている 三途の川の渡し人
お!オレやん。

そこで江戸時代では本当にこういう稼業があったかというと、無かったようだ。
当時の江戸は今の東京より遥かに治安が良く、
具体的にいうと、奉行所、自身番(交番だね)など100m置きにあって、
しかも完全な24時間体制だったというから、殺人事件自体が皆無に等しいくらいだったらしいよ。

だから本当に仕事人が必要なのは今の時代かもしれないね。

地獄に落ちてもらわなくちゃあならねえ奴らがたくさんいるからなぁ
頼み料は頂くぜ。
金額?
金の量じゃねえ、金の重みだな。



http://youtu.be/Fooi7C5ishA
あれ?なんか歌謡曲みたいだし(≧∇≦)

いらっとさせるんじゃねえ!

2014-09-17 17:42:20 | 日記

他人の仕事の話ほど下らなくつまらないものはない。
何故かというと、そんな話をする人のだいたいは自慢話か愚痴か、どちらかでしかないからだ。

初対面に関わらず、仕事自慢をする人がいる。
先日もそういう人に出会った。
いつも海外へ行っていて、しかも有名商品の開発に関わっていて、、
それがどうしたよ、イナカモノ、って思ったよ。
だってオレは何も聞いていないんだ。
どんな仕事してるの?ってね。


特に酒を飲んでて仕事の話をする人にはだいたい共通することがある。
それはほとんど仕事ができない人だね。
オレは社会人30年で、仕事できる人で、
飲んでて仕事の話をする人に会ったことがない。
仕事関係で500人と飲んで、そのうち仕事の話をし始めた300人の人がいたけど、
その中で仕事ができると思った人は一人しかいなかったよ。
地元の友達だけどね。

だから、酒を飲んで仕事の話はしない方がいい。
どんなに真剣に話してるつもりでも、
結局は会社の自慢話をしてるだけでオレには能力がないってことを証明してるだけだし、
逆に会社の衰退を嘆くものは、なんだよ、オメーは株主か!って思うしね。
稀に、自分の仕事ぶりを話しちゃう人もいるけど、
それこそこっちはそっちの企業風土もルールもシステムも知らないんだから、言う必要全く無し。
特に企業ポリシーは言ってはならぬです。
お客様第一とかね。
企業は広告的文句でお客様第一とは言うけど、
企業対企業では取引契約、売買契約上、50対50のビジネススタンスが当然で、
そのうえで組織人は各セクションでどう振る舞う?ってのが課題なのにね。


せめて言うなら、そういうスタンスの上で
自分の力で会社にどれだけ儲からしたか、
あるいは問題解決とかの事例じゃない?
とは言っても、いずれもツマラナイ話だね。
聞かれない限り自分から発する話じゃないからだな。


まあ、そういうことを文章にしてるオレもどうかなって思うけどね。


今日から終わりなき夏の始まり

2014-09-01 22:38:30 | 日記

8月最終日の日曜日、2014年の夏の終わり、午後の茅ヶ崎海水浴場を散歩する。
日差しもあり、上半身裸でも汗ばむくらいだけど、風は北東から吹き、トンボも飛んでいる。
日曜ということで人出はあったけど、それでもおそらく真夏のピークの1割にも満たないくらい。
そんなビーチを歩くと、確実に夏が終わったんだなと実感し、そしてまた一つ歳をとった気がしたよ。
毎年、この時期が来ると必ず思う。
歳をとるのは誕生日ではなく、夏の終わりの日だ、ということを。

夏はなんとなく終わるのではなく、ある日に確実に終わる。
それは毎年非公開で行うパーク下での打ち上げ花火の音が家まで聞こえたとき、
松任谷由実が山手のドルフィンでソーダ水に貨物船が通ったと歌う音が海に近いカフェから聴こえてきたとき。
風がオフショアになり、エボシ岩がやたらハッキリ見えて、江の島が大きく見えたとき。
そうやって、指でパチンッと音を鳴らすように歳をとっていくのだ。
オレは嫌だな、と思った。
夏が終わるのも、歳をとるのも、切ないくらい嫌いだな。

でも思ったよ。
夏を終わらせているのは季節ではなく、自分自身なんだなと。
夏を終わらせるのも、歳をとっていくのも自然の摂理ではない。
きっときっと自分の気持ちのせいに違いない。

とてもとても前に20年前だったか、30年前だったか、もう記憶のないくらい前に、
エンドレスサマーを観た。
邦題は、終わりなき夏。 1964年作品。
夏と波を追いかけて世界中をサーフトリップする映画だ。

中で、感動的なナレーションがある。

“夏は単なる季節ではない。 夏は心の状態なのだ。”

夏の終わりの日には、いつもこの名言を思い出すよ。