Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

Run in order to overcome the past of my own

2016-10-20 17:34:34 | ThinkAbout..

昨夜は23時にはベッドに入った。
翌朝ランニングするためである。

それともう一つイベントがあった。
客先に出向き不具合報告をしなくてはならないので、万全の体調で臨みたかったのだ。

4年前に突如として始まった紆余曲折の人生。
終身雇用が約束されたような大企業にいたが、大不景気が訪れ、
僕のいた部署、部門はほとんど解体された。

再就職するも下調べが甘く、今思えば必要以上の妥協をし、そして衝突したり、
自ら無能を装い、意義ある目的など程遠く、そうやって4年間過ごしてきた。

自分を見失いそうになったとき走ることで何とか世の中と自分を繋ぎ止めた。
どうしようもない日々は、上空に流れる雲に例えるように少しはましになった。
どういう状態であれそのときは生きているし、どう思うかは本人次第だということだ。

今年の夏に、自分が望むことと企業が望む内容が話し合いの中で見事に一致し、
そこに世話になることにした。
どんな企業にも悪いところ、隠したいところはあり、そんなことにいちいち愚痴を言う歳ではない。
重要なのは、そこで自分の力を発揮できる環境があるかを見極めることだ。
環境がなければその土壌を作るのに協力者がいるか入社前に確認するということだ。
僕は4年間にそれでつまづきそして学んだ。

そうやると入社直後にマネージャーにもなれるし重責を任せられるようになる。

50歳過ぎての再就職は当然会社が相当期待する。
が、そこを「そこそこ期待している」会社を見極める。
そこで期待以上の成果を出せばよいし、成果を出せる雰囲気を出せばそれで良い。

それは、居やすさに繋がったり、「会社休みたいと思ったこともない」に通じる。

さて、そんなかんなで大分落ち着いた。試用期間も終わった。
そこへお客様から大クレームの連絡があった。
お客様とは僕が4年前までにいた会社である。

業界は狭い。
まさか、またそこと繋がるとは思ってもいなかった。

そいうことで、23時にベッドに入ったのだが1時半に目を覚ました。
当時の夢ばかり見たのだ。

近代的なオフィスビルのエレベーターはマッハ並の上昇速度で凄いGを感じる。
社員食堂は駅ビル最上階のレストラン街のようになっている。
自分のデスクを見失い僕は迷子になっている、そういう設定の夢だ。
当時の仕事仲間だったり、ちょっと綺麗めの女子だったり、上役だったり、
いろんな人達とすれ違う。
笑いかけてくれたり無視されたりだ。

ただそれだけの夢だ。
夢から覚めて、そしてその4年を空白期にしていた理由がはっきり自覚できた。

僕はただただ自分を振った女に未練を残してきただけなのだ。
その女は常に亡霊のようにつきまとっていたのだ。

でもだ。
その未練や亡霊は実のところ不快なものではない。
自分のこの先の行き場を決めた場所だったし、
何より自信も誇りも持ち得た場所だった。

だから、今日、そこへ4年振りに行って、
自分の思いを、思い出を、ひっそりと心のなかで葬ろうと思った。

そこでの対応者は以前面識はあったが、僕はそれを言わなかったし、
相手も知っていただろうが知らぬ素振りをした。
両者、大人だったよ。

いろんな話をしている最中、彼らを教育したり、彼らの業務を見直したことを思い出す。
だから、その面だけにおいては彼らは僕には及ばず、だからそこにはすでに未練はなかった。

もはや格が違う。そう思い込むことも必要なのだ。オレ様ありきは必要なのだ。

そういうことで、そうやって、そこでいろんな思いを葬った。

少なくともランナーは、昨日の自分を超えるために走る。
そして少なくとも一人として昨日の自分を超えれない人はいない。

パチン!と指を鳴らして今日という日を節目にする。

ビールは裏切らない、と思う夜になるだろう。


モチベーションが上がらないとき

2016-10-18 17:14:43 | ランニング

 

ランニングはウインドサーフィンやサーフィンと違って楽しさが優先されない。
明らかに痛みや苦しさが精神上のヒットチャート上位にランクされる。
長距離はなおさらだ。

だから家にいて走ろうと決意するまで、それなりに時間がかかる。
やる気は起こらないし、リビングから玄関を見ると、1時間後に辛くてゼイゼイ言いながら帰ってくる自分がそこ見える。
顔はやつれ、汗ダラダラで髪もグチャグチャで決してカッコイイものではない。

それでも走ろうとする。

-

Pain is inevitable, Suffering is optional.

それが彼のマントラだった。

正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだがあえてごく簡単に訳せば、

「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。

たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、

「きつい」というのは避けようのない事実だが、

「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。


■『走ることについて語るときに僕の語ること』

昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。

長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。


■『走ることについて語るときに僕の語ること』


そう。どう苦しむかは自分次第。
ランナーは苦しむというオプションを手に入れることができる。

でもだ。スタート前はいつも憂鬱になる。
前回より調子は上がってるのか、下がってるのか、走ってみないとわからない。
それにフルマラソンの大会は近いので、昨日より遅くなっていたら嫌だな、と毎回思う。
だから走りたくはないのだ。

でもなんとか自分を誤魔化し、外に出る。
GPSウオッチのボタンを押す。
いきなり身体が重い。
スローペースで走り始める。
1キロ、2キロ、いつもどおりのコースを走る。
3キロ、4キロ、身体が徐々に暖まってくる。
5キロ、6キロ、気持ちが切り替わる。心の片隅の情熱は燃え始める。
7キロ、8キロ、もう止まらない。

毎回こんなだ。

そう。モチベーションが湧かないから始めない、のではない。
始めないからモチベーションが湧かないのだ。
きっと人間はそういうふうにできてきる。

痛み、苦しみを飼い慣らすことは、おそらく何かの役には立つ。
痛み、苦しみがなく今を超えることはできない。

でもそれがランニングの目的とは思わない。

よくわからない。

わかってたらきっと走っていない。

今夜は、、、走るんだろうな。