今日2月14日は女子モーグル。
彼女たちの滑るときの気持ちはとてもとても良くわかる。
1本、1本、ゴールするたびに笑顔の彼女たち。
それだけで胸が熱くなる想いだった。
オイラは思い出してしまったのだ。モーグルのすばらしさを。
オイラもいい滑りができると自然にガッツポーズが出たものだ。
自分のイメージ通りにトレースできると笑みがあふれる。
それがモーグルだ。
オイラ的にはサトヤタエが残念だったなあ。
彼女の滑りはパワーや勇気だけでなく別格のウマサがあったのにな。
モーグルが日本でメジャーになりつつあったのは20年くらい前。
ロシニョールがモーグルモデルをリリースしたのもそのくらいだ。
モーグルをいきなり始めることなどできず、
全日本の連中でも子供のころはレースをしてるとか、
あるいはしっかり基礎スキーができないとあの滑りはできなかった。
縦に降りるっていう滑りね。
当時は道具の重さや性能で、モーグルは難しいカテゴリーだったのだ。
オイラは大学のときにプロになって、大学卒業後もスキーを職業にしてて、
で、27か28でモーグルを始めた。
モーグル自体はあまり浸透してなかったので、コブのあるバーンでは上手いモーグラーは本当に目立った。
ニセコやテイネや八方や雫石などなど有名といわれるバーンにはローカリズムが根付いていて、
地元のローカルより上手く滑れると暗黙の了解でコースを空けてくれたりしたな。
キロロに行ったとき、中学生のサトヤタエがいて、やはり当時から目立っていた。
恵まれた体格だったし、いい滑りをしてた。
『もっと練習するといいよ。もっと上手くなるよ。』と話した記憶がある。
長野のゴールドメダリストになったのは、それから8年後くらいである。
さて、上村愛子は惜しくも4位になったが、彼女のスタート順が最後から5番目ではなく、
3番か4番目だとまた結果が違っていただろう。
なぜかというと、彼女の滑りのあとの4人の選手は、彼女の滑りに感化されたからである。
彼女の滑りが、他の4人に勇気とパワーを与えてしまったのである。
上村以上に滑らないとメダルはない!そのくらい上村の滑りの影響力は大きいのだ。
オイラは今でも滑れるかなあ。
ウインドサーフィンや波乗りしてるからいけるかなあ。
金かかるしなあ。
今滑ったら3年ぶりになるな。
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