宇喜多秀家が日参されたという七人塚。
関ケ原合戦のあと薩摩に匿われた宇喜多秀家。その屋敷跡が垂水に
あるという話関連です。その屋敷跡を訪ねてに行く途中にでっかい
ヤマモモの巨樹があり、その根元にあったのが七人塚。
源平合戦に関連する資料として2015年11月分ですが、よろ
しかったら。
⇩
「亜熱帯雨林のなかで見た七人塚。」
秋晴れの午後だ というのに、誰もみかけない山道。
のの![平野家1](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/f9cdba053d93e6c9577b8161101be67187b37f36.08.2.9.2.jpeg)
![平野家3](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a089e41b83e9750e19f51c62c0aa2bb57799dbe6.08.2.9.2.jpeg)
[垂水の豪族である平野家に匿われていた]宇喜多秀家公が住まわれ
ていたという屋敷あと を 訪ねようと、その山道をのぼっていくと、
二股の分かれ道。
その標識の示す左手には・・・
のの![龍か おおへび。](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/1a15f462a91a59a778ed9c710024fe98fc934464.08.2.9.2.jpeg)
歩道の上に覆いかぶさるようなかたちで[龍か大蛇を連想させられま
したよ]巨樹/ヤマモモの枝が空中に大きく張り出しており、
その枝をくぐったところに
のの![平野家4](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b7c7afe232a1a481042e0536c959eb205664c8cb.08.2.9.2.jpeg)
“七人塚” の解説板が ありました。
その解説を読み、案内の矢印どうりに左手に回り込んでいった先にあ
ったのが こちら。 七人塚 です。
のの![平野家2](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b520d3288f499dc9943e02598380549d41afbba0.08.2.9.2.jpeg)
[失礼とは知りつつ]いっけんすると巨樹の根元に見えますが、こち
らは南九州に多いアコウという樹。
いろいろな鳥たちが実を食べることによって運ばれ、その種子がもと
もと生えていた樹木の上に落ちて発芽し、成長していく過程で気根を
伸ばし最終的にもともとあった木を覆い尽くし枯らしてしまうアコウ
の樹です。
そのアコウの樹[大人七人の両手を繋いでも抱えきれないような]に、
いまや飲み込まれてしまったかのようにしておられるのが、 この
“七人塚” なのでしょう。よくよく拝見すれば、そのうねった気根
のなかに、飲み込まれた石塚の一部が見える気もします。
それにしてもの、この光景。
秀家公の屋敷あとが、天に向かってまっすぐ延びたスギの木が点在し
ていただけに[曲線と直線・暗と明・無機と有機・未分解と分解とい
ったような]なんとも対照的なたたずまいでありました。
そして静寂です。
南国の明るい亜熱帯の林のなかにいるはずなのに、トリの声ひとつし
ない静けさ。平野家の子孫の方々のお家も点在するはずだというのに、
ちょっとした別世界の観あり。
ちなみにこちらは秀家公家臣のお墓 →![家臣のお墓](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/390f224df4d712b14be784b9bcb5a9e039b37685.08.2.9.2.jpeg)
この地にかくまわれているあいだ、七人塚に毎日御参り
されていたという宇喜多秀家公。そのときの塚の近辺は
いったいどんな風景だったのでしょうね。
「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
関ケ原合戦のあと薩摩に匿われた宇喜多秀家。その屋敷跡が垂水に
あるという話関連です。その屋敷跡を訪ねてに行く途中にでっかい
ヤマモモの巨樹があり、その根元にあったのが七人塚。
源平合戦に関連する資料として2015年11月分ですが、よろ
しかったら。
⇩
「亜熱帯雨林のなかで見た七人塚。」
秋晴れの午後だ というのに、誰もみかけない山道。
のの
![平野家1](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/f9cdba053d93e6c9577b8161101be67187b37f36.08.2.9.2.jpeg)
![平野家5](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/31bef8e3d442adaa75f825fc5df101b98cba50de.08.2.9.2.jpeg)
![平野家3](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a089e41b83e9750e19f51c62c0aa2bb57799dbe6.08.2.9.2.jpeg)
[垂水の豪族である平野家に匿われていた]宇喜多秀家公が住まわれ
ていたという屋敷あと を 訪ねようと、その山道をのぼっていくと、
二股の分かれ道。
その標識の示す左手には・・・
のの
![龍か おおへび。](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/1a15f462a91a59a778ed9c710024fe98fc934464.08.2.9.2.jpeg)
歩道の上に覆いかぶさるようなかたちで[龍か大蛇を連想させられま
したよ]巨樹/ヤマモモの枝が空中に大きく張り出しており、
その枝をくぐったところに
のの
![平野家4](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b7c7afe232a1a481042e0536c959eb205664c8cb.08.2.9.2.jpeg)
“七人塚” の解説板が ありました。
その解説を読み、案内の矢印どうりに左手に回り込んでいった先にあ
ったのが こちら。 七人塚 です。
のの
![平野家2](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b520d3288f499dc9943e02598380549d41afbba0.08.2.9.2.jpeg)
[失礼とは知りつつ]いっけんすると巨樹の根元に見えますが、こち
らは南九州に多いアコウという樹。
いろいろな鳥たちが実を食べることによって運ばれ、その種子がもと
もと生えていた樹木の上に落ちて発芽し、成長していく過程で気根を
伸ばし最終的にもともとあった木を覆い尽くし枯らしてしまうアコウ
の樹です。
そのアコウの樹[大人七人の両手を繋いでも抱えきれないような]に、
いまや飲み込まれてしまったかのようにしておられるのが、 この
“七人塚” なのでしょう。よくよく拝見すれば、そのうねった気根
のなかに、飲み込まれた石塚の一部が見える気もします。
それにしてもの、この光景。
秀家公の屋敷あとが、天に向かってまっすぐ延びたスギの木が点在し
ていただけに[曲線と直線・暗と明・無機と有機・未分解と分解とい
ったような]なんとも対照的なたたずまいでありました。
そして静寂です。
南国の明るい亜熱帯の林のなかにいるはずなのに、トリの声ひとつし
ない静けさ。平野家の子孫の方々のお家も点在するはずだというのに、
ちょっとした別世界の観あり。
ちなみにこちらは秀家公家臣のお墓 →
![家臣のお墓](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/390f224df4d712b14be784b9bcb5a9e039b37685.08.2.9.2.jpeg)
![晴れ 晴れ](https://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h044.gif)
されていたという宇喜多秀家公。そのときの塚の近辺は
いったいどんな風景だったのでしょうね。
![51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/82/0000939082/17/img08aa0f02zik7zj.jpeg)