なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

ある手

2007-01-16 00:52:19 | Weblog
 ある手を漢字で書けば「有る手」と「或る手」があるけれど、ここに「ある手」と書いたのは、そこの差をいい加減にぼかしておこうという魂胆です。
 指導碁というと、プロの場合はアマに”きちんとした碁”を教えるのが目的ですから勝敗は第二となります。
 しかし、同じアマでも向う先とか2子くらいになると、上手も負けられないとか負けたくないという意志は働くでしょうね。
 それからプロ志望者とか、プロ直前の人に対しては勝敗以上に”勝負の厳しさ”を教えるということもあるでしょう。
 ここまではプロの先生を想像したお話です。
  では私の場合は・・・
 碁会所やコミュニティなどリアルで、仮に言葉では下手の人から「一局教えて下さい」と声をかけられたとしても、これを決して言葉通りには受け取ってはいけないのです。
 (衣の下に鎧が見えていますぞ!!)
 私程度の上手に教わろうなんて殊勝な下手はどこにも居ない。
  一発足元を掬って、兜首を取って手柄にしてやろうという魂胆は見え見え。
  (自分が兜首とは思い上がりかも知れませんが)
 それでもそんなことを顔には出さないのが大人の世界?あるいは京都の「おぶ」でしょね。
  マアそれはいいのです・・・が
 この対局には2種類あって、一つは点数制度で勝敗によって1点ずつ上下する対局か、点数と関係なく下手の人が「○子局」で打ちたいというものがあります。
 前者は負けてばかりいたら点数が下がってしまい「なーんだ」という形で、尊敬はともかく軽く見られる・・・というプライド?問題がある。
 後者はそういう意味では気は楽ですが、それでも変な負け方はできません。
  要するに負けられない気分で打ちますが・・・勝敗第一義ではいけないとも思っている。
  私としてはこの辺の境目を2子局と3子局に考えています。
例えば一番手直り:一局の勝敗で置石を変化させるもので、昔は三番手直りで教わったのですが、最近は”三番はまどろっこしい”と”一番”の人が多い。
 これですと、2子でやられる人には先でも危ないことが多いけれど、もし3子の人に負けても2子ではたいてい押し返せることが多いという経験がある。
 したがって、例は悪いのですが”お山の大将”として後から上がってくるのを止めるのは2子が瀬戸際のような感じです。
 ですから反則などは論外ですが、2子局以内なら真剣に勝ちに行くのです。
  これは3子局以上では真剣では無いということとは違います。
 対局に対する”第一義”が違うと言いますか・・・
  少なくとも白も堂々と正面から戦うという気分でしょうか、姑息な手段・相手を惑わせるとか、誤魔化すことを目的としたような手は打たない(という気分)。
 (オーバーに言うと)相手が真似したくなるような打ち方を(出来たら)したい。
  そうは言っても上手の白は置き碁で負けるために打つのではないから、下手の力試しとか、力量判断みたいなことをします。
  柔道で言えば、組み合ってちょっと引き手に力を入れて相手の出方を見るとか、足で相手を誘うとかあるわけです。
 そういう細かなところから、黒は少しずつ崩されていくことが多い
  あるいは肝心なところで出遅れたり、寄り道したり・・・
  (もしこういうことが無くなれば置石は減るはず)
 要するに置き碁での白の勝敗は黒さん次第です。
  (高段者で置き碁嫌いの人はこの辺が原因かな)
 それで局後に振り返って説明する時に「足が遅い」とか「寄り道」は理解してもらえることが多いのですが「少しずつ崩れる・・・」この辺は難しい
  理解して貰えないことが多いし、第一説明する方も難しい
   「蟻の一穴」とか「ドミノ式」とか初めのホンの一寸した”ひるみ”であったり”歪み”が原因だったりするように思えるのですが、感じていてもこれを説明するのは難しいし、聞くほうも私程度の打ち手に言われても信頼性が乏しいでしょうし・・・
 似たようなことで、”部分的に打ち切ってしまわないで、味を残して置くとか
  ともかく基本的な身につけて欲しいことは地味なことが多いのです。
   ですから私など置き碁の対局で勝っても・・・黒が失敗するから負けるわけで、白が強いとはならない(私の場合はその通りですが)。
 ですから碁会所・コミュなどリアルでは力が強くて、きれいに技を決める人が尊敬される傾向にある様に思えます・・・しかし基本的なレベルアップなら”必殺技”を憶えるより”相手に付け込まれないこと”
 さてこれは鶏と卵の関係か、それとも進歩の両輪か 

・・・のようなもの

2007-01-15 01:18:59 | Weblog
 昨日話した「囲碁に非ず」で昔聞いた”面白話”を思い出した。
 「アメリカに旅行した日本人が、かねて得意としている英会話をこのときとばかりに話すのですが通じない」・・・アメリカ人たちは「日本語は英語に似ている」と話し合っていたとか。
  中学か高校の先生が、これをもう少し面白く寄席調に話してくれた

さて、もしプロの先生がアマの碁を見て「囲碁に非ず」と言ったら大変な考え違いでしょうね?
  アマの場合は楽しみでやっているわけで、プロ並みのレベルを要求されているわけではないですから。
 勿論プロの先生にこのような方はいないとは思いますが、ミニ盤について碁に非ずといった感覚はなにやらキナ臭い気がします。
  
但し、初級者同士の対局を拝見していると、確かに起こりえないことが起きたりしている。
 定石の手順が違っても最終形でつじつまが合っていたり、予想できない要素で勝負が決まったり。
 マアそういう対局を見て「これは碁に非ず」と言ったら、プロ→アマ、アマの中でも高段者→有段者→上級者→中級者→初級者という具合に「非ず」となりそう
 整理して考えると
こういう序列的なものは単にレベルの違いであって、同じゲームであることは確かでしょう
 一方、特に9路盤の場合は、ルールは19路と同じでも、戦い方など別なゲームをやっている感じがします(私だけか?)
 だから9路盤は19路に至る過程でのトレーニングでもあるし、独立したゲームとも考えられるのでしょう。
  
 聞き様によっては「非ず・・・」に似て自分が大変不遜な感情を抱く時も正直言ってあります。
  マア今まで口外したことはありませんが(白状すると)
昔碁会所で横でグループで打っていた人たちの会話で、話題がコミのことでした。
 私が囲碁を憶えた頃は4目半とか5目ジゴ白勝ちとか二つあったのですが、5目半に統一された感じでそれが長く続いていました。
  そして丁度新たなコミ改定の流れが出てきた時期で、応氏杯のように7目半とかではないけれど、6目半が採用される流れがありました。
 韓国の方が早かったかと記憶にはあるが定かではない。
  先手の優位性は5目半より大きいと見るようになったか、6目半にすることで黒の更なる積極性を促す・・・などの理由だったと思います。
  いずれにせよプロの世界での話です
 そういう理由はアマにそのまま当てはまるかどうかは疑問ではある。
  つまり互い先の碁が結果においてはっきり先手有利かどうか不明だし
 先手の積極性(つまりコミ1目分)と言ってもイメージが湧かない。
そうは言っても世の中の流れにはそれなりの理由があるだろうし・・・流れに合わせて(やや早かったかも知れませんが)この碁会所ではコミを6目半に変更した。
 前置きが長くなりましたが、となりのグループの話題はそういう時期に、その「変更」も含まれての話です。
(このグループはある大手企業のOB会で、ここで定例会を開いていました)
「最近コミが変わったらしいね」
「そう6目半だそうで、大きくなった」
「とてもそんな大きいコミは打てないよ」
「そうだね、とても打てない」
「今までどおり5目半で行きましょう」
  こんな内容です。
グループ内の話しだし、碁会所全体の申し合わせではないから、これはこれで好い
 コミをいくつにするかは自由なわけですから
但し引っかかることもあった。
 (引っかかった理由が我ながら不遜・傲慢でもあるのですが)
彼らの会話内容が、プロの一部がコミ改定反対に挙げた理由と同じだったから・・・
 彼らは私と打つ時には3つか5つ置く・・・それなのにコミ1目の変更をプロ並みの理由で反対らしい。
 「コミ1目を問題とする碁ではないでしょう?」と正直に考えた
  マア「目くそ鼻くそ」の話でしょう
そんなわけで、プロは私レベルでは「囲碁に非ず」と見たとしても、下から見れば「同じ囲碁ではないか」ですね。
 マア一歩譲って「・・・のようなもの」かな?。

 話は変わりますが、最近図書館で借りた本のことです
 「国語の時間」  1994年  竹西寛子
 私は中学生以来国語は苦手です(自慢になりませんが)
  大きな理由は2つあります
一つは「文法」でなんだか訳の分からない言葉を覚えることができなかったのです
 「連用」とか何とか・・・
もう一つは「ここで少年はどう思ったのでしょうか?」のような問題です
 主人公が感じたことを想像して書くわけですから、何を書いてもいいはずなのに、答えは一つしかないらしい
 だから本を読むのは好きでしたが、学科としての国語は嫌いでした。
  弾みで、「国語」関係者の書いた本を読んでみようかなと思いました
 エッセイ風でタイトルのついた短い話が出ています・・・そこで自分としては気になる・参考になる・規範とすべき言葉を見つけました。
 基礎をいい加減にするな
 必要と不必要を見極めよ
 物言いは、簡潔、明瞭を旨とせよ
当たり前のことではありますが・・・でも振り返ってみると背中が寒い
  それに、これは言葉のことですが、囲碁に関してもいえそうです
 最後の「簡潔・明瞭」を碁に置き換えれば、ゴチャゴチャと訳の分からないことではなくて線の太いと言うか一本筋の通った碁を目指しなさいと言うことでしょうか。
 こじ付けかも知れない?
  でも、基礎と言うものは共通なことが多いと感じました。 

囲碁に非ず?

2007-01-14 04:38:50 | Weblog
 囲碁についてマジメに考えて、いろいろ提案をなさる人がいます。
 これは揶揄では無く本心で偉いなと思っています。
  それというのも、その基にあるのが囲碁と深く関わってきているからであり、普及や指導などを行ってきているからこそ出てくるものだと思うからです。
   決して単なる思い付きではないと考えている
 そういう提案の一つに「棋力別碁盤」という提案があります。
  最初に断っておきますが、私は全面的に賛成しているのではないけれど、考え方として”そういう考えもあるな”という感想は持っています
 
 昔、9路盤が考え出され、囲碁普及にと提案されあるプロも普及に努めた。
当初(今でもそう言うプロはいるらしいのですが)「19路以外は囲碁に非ず」というプロもいるらしい。
  マアしかしその頃より9路盤などは大分普及してきたようです。
いろんなサイズの碁盤も考えられています。
  日本棋院の入り口には21路盤が飾ってあるとか・・・これは歴史的に存在したのか、異なったサイズの盤が考え出された時に、ミニ化の反対に大きい方で考えられたのか私は知りませんが、ともかくある。
  21路で打った人の(多分プロ)感想は両極端です。
 「広すぎてとらえどころが無くてつまらなかった」と「それなりに面白かった」
 話はミニの方に戻ります
小さい方では、趙先生がよく説明で使っていた5路盤というのもありますが、恐らくこれではゲームとしては小さすぎるようですね。
  私が訪問したページでは6路盤からの提案でした。
さて棋力別に使う碁盤を変えるという提案で、これを一覧表にすると
6路盤   A 60級から26級   B 60級から26級
9路盤     25級から19級     25級から17級
13路盤    18級から11級     16級から4級
15路盤    10級から1級      無し
19路盤    有段           3級から
 このようになっていた。(A,B二通りです)
これは初心者に碁を教えるときに、段階を踏んで19路に近づいていくという考え方は合理的ではあると思います。
 私が超初心者の時も、(当時は19路しかないので)広すぎてどうしたらいいのか分からずに、適当に・見真似で転がしたという記憶はあります。
  そういう意味でミニ盤から始めようと言うのは判る気がします。
 棋力別に見える範囲が違うでしょうし
  但し、問題もありそうです。
まず初めに60級が入門直後の初心者として、26級以降15,16級辺りの違いがイメージできないのです。
  小さな碁盤の方が部分的なことを説明したりするのには便利でもあるけれど
 小さな碁盤は19路に至るまでの道筋という意味だけでなく、それなりの独立した存在でもあるかもしれないと考えています。
 特に9路盤についてはそんな気がします。
  昔碁会所にも厚手のベニヤ板に線を引いた9路盤がいくつかありました。
 初心者に教えるためと、初心者同士の対局用ですが実は、それ以外にも
  短時間に決着をつける対局用というか、9路盤としての遊びとして使われていました。
 つまり9路盤では、相当に考えて時間をかけて打っても、路数が小さいからそれほどは時間をかけずにすむから1局に要する時間は少ない。
  その割には、初めからかなり神経を使う対局となる
 ということで私の感想としては
単に碁盤が小さくて、ルールとかテクニックが同じ・・・という受け止め方ではなくて、9路盤は別のゲームと考えたくなるくらい違うように考えていました。
  言葉にするとそれも「囲碁(=19路盤)に非ず」ではありますが、意味として「異なる」ことを強調しているのであって、「否定」とか「一段下」とかではありません。
 人によっては「非ず」=「否定」らしい・・・
 さて棋力が上がっていくにつれて、碁盤の見える範囲もシチョウなどの関係も広がっていくでしょうから、13路15路と大きくなっていくのは分かるし、教える立場では都合がいいと思われる。
 
 しかし教わる方の受け止め方はどうだろうか?
超初心者としては説明を受けたりはミニ盤のほうが判りやすいと思われる。
  但し、ある程度理解できて、打てるようになったとき、棋力別に碁盤を指定されるのはどうだろうか?
 この辺が想像もつかないのです。
  例えば私などザルですから、プロの先生から見たら同じ19路盤でも別のゲームを打っているくらいレベルが違う風に見えると想像できます。
 それでも、ザルなりに楽しんでいるわけです。
  同じアマの中で、「19路は有段者からです」というのは何か違う気がする
「指定」に引っかかりを感じますが、敢えて言うなら一桁級なら19路で打てるのではないでしょうか。
  私自信のことで言うと
 憶えた頃にそういうミニ盤は無かったし、碁といえば19路盤しかなかったのですから、何にも知らなくても19路から始めて・・・疑いなどありません
  それでも何とかなったような気がしています。
さて教わる人とか、発展途上の級位者自身が「19路以外は囲碁に非ず」と感じていたらどういうことになるのでしょう? 

手合い割の謎

2007-01-13 01:01:30 | Weblog
夕べはいろんなルールを調べようとネットの間を歩いていましたら、「終局についてのルール改正」など面白いページにぶつかりまして、その話をしましたが今日もその続きです。
 気持ちよく漂っている・・・ネットオデッセイウス症候群とでも言いますか
さて今日は段級位差によるハンデについての話です。
  多分に受け売り気味ですが、長いこと不思議に感じていたのが分かった気がして少しすっきりしました。
  話の前に(そこにもあったのですがまずコミについて)
 今「コミ6目半という時、6+0.5ではない」と言うこと
つまり原則としてコミとは、先手の有利性を調整するために、1手の価値の半分相当の数字です。
  ですから1手の価値を12目と見ている・・・置石1個も12目と見做す
 その半分は6目で、”半”とは必ず決着をつけるための便宜上の数字
もし6.5と言う数字を生かすのなら、置石1個の価値を13目としなくてはいけないわけですね
  マアそういう前提で話を進めます。
   (コミはこれからお話する「手合い割」にも関係があります)

段級位差による手合い割のお話です
  例えばタイゼムなどはこれですね。
 TAISEN、パンダもそうかも知れません・・・レーティングの処理が違うかも知れませんが。
  サンサンの場合は点数制で、これは普通の碁会所に近い
 (マア、置石規定が多少変則ですが)
それで、段級差による手合い割の基本は
①、同段級は互い先で、先手コミ出し(普通6目ジゴ白勝ち)
②、1段級差につき置石1個、コミは無し(ジゴ白勝ち)
 このようになっていて、並べて書くと次のようになります
1、同段級    互い先   先番コミ6目出し
2、1段級差   下手先   コミ無し
3、2段級差   置石2子  コミ無し
4、3段級差   置石3子  コミ無し
  私これが昔から不思議でした・・・よく分からないけれどなんだかしっくりこない>>>つまり1段級差置き石1個の原則が2番目で崩れているような気がしていたのです。
 この違和感は正当な理由があったようです次にそのわけを話します
1、互い先は先手が半手有利なのでコミを出す>黒コミ6目=有利不利無し
2、黒先:黒半手分有利>黒コミ無し=黒6目有利
3、黒置石2子>黒置石2子分・24目ー白先手分6目=18目黒有利
4、黒置石3子>黒置石3子分・36目ー白先手分6目=30目黒有利
  ここで気がつくのですが、2ー3ー4は等間隔なのですが、1ー2だけ違う
 もし全て等間隔にするにはどうすればいいのか・・・そこのページの方が主張するように全ての置き碁を白からコミ6目出しにすると解決しそうです
  (1段級差の)黒先ということは黒初めに置石1子(星ではなくて自由置き碁)と考えれば白先手の有利でコミ白から6目出すと
  黒の置石1個分黒有利ー白先手で半手有利+白6目コミ出し
   12-6+6=12だから上の表の1-2の差は12目となる
黒の2子局の場合は、2×12-6+6=24となり2-3の差も12目・・・
 マアそういうわけで、従来の段級差による手合い割りは"先”の部分がかなり詰まっていたということです
  従来型では置石が多くなると1手の平均値が12目に近づいていくようです
互い先・差0、先・6目(平均6目),置石2・18目(9目)、置石3・30目(10目)・・・置石7・78目(11.0目)、置石8・90目(11.1目)、置石9個・102目(11.2目)
  これは漸近線を描いていますが等間隔とは言えませんね
こう考えると、今まで(今でもそうですが)先番の碁は黒が厳しい戦いであるといえるのと、ハンデは置き石の数で平均では無い。
  これを不公平と考えるか、厳しく鍛えられていると見るかの問題はありますね
 こういう問題は点数制では起きないようです・・・が先に話したようにサンサンでは、手合い割がもともと正比例していないから、正比例が良いか悪いかから考える必要があるかもしれません。

 そこにも紹介されていましたが、コミに関する話
 これは計算的な問題ではなく・・・いつコミを払うかということ
私も実は経験があるのですが、初めてコミュで打ったときに驚いたのです
  ここは点数制で一局ごとに点数が変化するのですから、置石・コミは絶えず変わると考えられます。
 したがって一局ごとに変わる・・・これはプロとは全く違うのです
   そこで、局後に計算する時この辺のトラブルが起きかねない
 そこでアマチュアの知恵でコミの先渡しという方法が考えられたのです
例えば黒からコミ3目半なら黒は事前に黒石3子をハマとして白に渡す・・・白からコミ3目半の場合は白から4子渡す・・・これでジゴなら白勝ちとなる。
 慣れないと違和感も感じますが、トラブルは防げます
プロの先生から見ると変なことをやっている様に見えても、アマは条件が違いますから、それなりに知恵を出しているのですね。
これは「先払い」か「後払い」か・・・なんだかワンマンバスです 

ルールの事など

2007-01-12 00:03:01 | Weblog
 昨日のブータンの話でチベット碁などのことを書きましたが、囲碁ルールの事が気になってネットであれこれ検索しました。
 いろんな方のページに書かれている事をいろいろ覗いて・・・
「囲碁を初心者の教えるとして基本的なルールは・・・」
1.二人で交互に白と黒の石を碁盤の交点に打つ。
2.呼吸点の無い石は盤上から取り除かれる
3.呼吸点の無いところには打てない
4.同型反復禁止(コウ)
5.勝敗は地の多少で決める
  となっていた・・・確かにこれは基本的なことです。
 これだけ教えたらどんどん打ってもらうという手もありでしょう。
これだけ知ったら打ち始めて、後はおいおい盤上に現れたものを教えると言う手もありそうですね。
 それで、「完成型」のルールとしては大きく分けると3つになるそうです
1.日韓の囲碁ルール
2.中国ルール
3.応氏ルール(台湾)
  3の応氏ルールはよく分からない:消費時間によりハンデが変わるとか・・・
どうやら時間管理・コミの問題らしいから盤上の問題とは直接的には拘わらないか
 以上の3つの他にアメリカルールと言う言葉を聞いた事がありますが、内容は全く知りませんし想像もできません。
 それと昨日のチベットルール
  これは、打っている人の数の問題もあるけれど・・・それ以上に、1,2,3の碁と大きく違うような気もする。
 ともかく、国際的に大きな大会を見据えて>つまりオリンピックなどを想定して世界統一ルールが模索されているらしい
  この場合概ね先に挙げた1か2比較となります。
 隅の曲がり4目など中国ルールの方が、実際的に処理するから分かりやすいという意見が多いといいます・・・日本ルールは分かりにくいとか
  勿論日本ルールの優秀性もあるはずですが
 従来は国際大会が行われる時に、開催国の慣行的ルールで開かれてきた来たのでその都度ルールが変わってきたと言う事で、今統一ルールの機運がある
 尤も私たちは普段なにも気にしなくて碁を打っている・・・これは多分日本棋院ルールです。
 その日本棋院ルールも改正を重ねて今日に至っているはずだし、いろんな改正案や意見もある・・・しかしこれは普段のアマの遊びにまで影響するのだろうか?

  一つ面白い話に行き会いました
 終局のルールです
普通はどちらかが相手に「終わりですね」と話しかけ(提案)、相手が同意すると終局になり、事務的にダメ詰めを行って地を数える。
 しかしこの手続きでは2つ味の悪い事が起きるかもしれません
1、「終局の提案」あったが相手の地に手があるのが見えていて「同意できない」
  相手は気がついていないのだから提案してきたと考えられ、その場合の「不同 意」は相手に「手がある」事を教える結果になるかも知れない。
2、「終局の提案」に相手が不同意の時、もし時間に迫られていたら、意味の無いダメを打って時間つなぎをする必要がある。
  こうした問題を解決するためにルールが改正されたらしい
要するに「終局提案」ではなくて「パス宣言」をする事とし、相手も終局と考えているのなら同様に「パス宣言」をする。
 パスが2回続いた場合に終局となり、手続きのダメ詰めとなる
  (これ以後は新たに取ったり取られたりは起きない)
 こういう事件は(いや、起こってはいない事件です)私レベルのアマでも起こります。
 この場合はリアルでもネットでも同じ
  例えば数目得する手を発見していて・・・相手に「終局提案」された場合は、とても悔しい気持ちになります。
  提案に応じない=「何かある」ですから
 尤も相手も自信があっての事とか、こちらを信用していなければいいのですが
  但し細かそうな碁で、相手は承知で「終局提案」しているかも知れないから世の中油断も隙もない。
  時間に関しては、リアルで切れ負けの手合い時計の場合は有効?かもしれないですね、「必死で手を模索する風で、相手につき合わせて=できたらややこしいコウなどで時間を使わせる!」
 これは日本人的美学に反するし、ルールには違反していなくてもなにやら卑しい感じがします。
  ネットで秒読みつきなら怖くは無さそうですが
 もう一つありました。
  全てのダメが詰まったら手が生じるとか、どこかに石が来ると手になるなどの時に終局提案をする人がいます(ウッカリでしょうけれど)、これは「拒否」しながらダメ詰めするしかない・・・仕方無いけれど相手は分かっていなかったとしたら損した気分。
  ともあれアマだって、アマだからこそかもしれないがかなり関係が深そう
 もし「パス宣言」に同意できなければ、自分の時間で考えて着手すればよい
  パス宣言した後に相手が着手して、それに応じたければ、着手の復活ができ  る・・・
 なるほど分かりやすい形です。
それを紹介していた人も指摘していたのですが
 これは日本棋院で実際に行われた改正だそうです。
  ところが積極的に公にしないのが不思議だ・・・確かに
   プロのためだけのルールはでは無いでしょう
 少なくとも日本国内では囲碁に関して日本棋院はリーダーであり最高権威だと自他共に認めているでしょうに・・・ 

ブータン

2007-01-11 00:55:23 | Weblog
 夕べは良いこともあったけれど、ひどい目にもあった・・・らしい
 夕食後に久しぶりにTVを見ました。
  ニュース・天気予報・スポーツ番組以外はめった見ないけれど、何かの弾みで見たのです・・・”仏教””ブータン”というフレーズに釣られました。
 五木寛之の仏教に纏わる取材の旅で、今日はブータン編
  私はこういう番組が好きです、それにブータンにも興味がある。
 ヒマラヤの不もとの60万人くらいの小さな国
  男は着物と言うかドテラみたいな着物みたいな服で膝から下が出ている
 仏教が国教で国王以下皆信心深そうです
私は自分では(中東では動物並みとされる)無宗教です。
 もしかしたら神主の道を進んだかも知れない家に生まれていますが、何を信じているか聞かれれば、両手を広げるしかないから、この番組は仏教的興味ではない
  ヒマラヤの麓、高いところにある国なのに自然が豊か、穏やかな人々
 そういうものに関心がある
改めて一度は住んでみたい国だと思いました。
  日本と日本人が失ったものが残っていると感じました。
 この表現は正しくないかも知れません・・・”残っている”はやがて消える運命みたいですね・・・ここでは消えていかないでしょう
 ここに住みたい・リタイアしたらどうかなと思ったのですが、決定的なことがありました
  私にとって永遠の憧れの地、片思いの国のようです
五木寛之がブータン取材中に車で移動・・・3000以上の峠をいくつも越えていきます
  そこでは一見穏やかな日に見えるのに、風が強そうです
 仏教の色とりどりの経文を書いた旗が風に舞っています。
  この峠は3600mとか、それにしても風の国みたいです
考えてみると(迂闊にも)この高さは私には致命的な要素かも知れない
 昔外国で4000m近いところに一気にロープウェイで上がって展望台に上ったのはいいとして、隣の小さな峰まで半分走ってしまった(ほんとにアホ)
  マア半分接待旅行で、大事なお客さんの娘さんが走っていったのを追いかけざるを得なかったのではあるが・・・
 こういう高地が空気が薄いのを忘れていた
  慣れれば大丈夫とは言うものの、呼吸器系循環器系に難ありですから・・・恐らく旅行でさえもドクターストップだろうな

 ところでブータンに関しては囲碁でもなんだか引っかかることがあるような気がする
  昔読んだ囲碁の本の中に”ブータンルール”があったような気がしてネット検索したけれどどうも分からない・・・
  そこでもしかしたらそれはブータンではなくて、ネパールかチベットの思い違いかも知れないので、探索の手を広げるとあった(と思う)
 恐らくチベット碁ルールのようです<アミン>というらしい
  一番の違いは、例えば抜き跡に手を入れられない・・・つまり3目にして取らせてから中手で殺すことができない。
  抜かせてから抜き返す事もできない
 昔インドで原型ができたものがチベットを通ってモンゴルまで広がったらしい
  勿論中国・朝鮮・日本にも来たはず
 ところでブータンは仏教でチベットの影響を大きく受けているらしい
  だからもしかしたら、チベットの仏教と一緒に碁もブータンに来たかも
私の記憶では(読んだ本に出ていた)、大正か昭和の初めか忘れましたが、ブータンかチベットの方が日本に来て碁を打ったらしい。
 多分日本の専業棋士かアマの高段者と思いますが、その国のルールで打ったところ、「2目にして取らせた所を取り返せば、相手には目が無いから死に」と読んでいたところ、その国のルールでは「2目抜きの跡もコウと同じ様に1手他に打たなければそこに手を回せない」をウッカリしていた・・・
 そういう話を思い出した
チベットルーらしいかも記憶ではブータンの様な?
 さてブータンの映像をTVで見てから、布団に入った
 小さな発熱カーペットを入れて暖かいはずなのに、どうにも寒いのです
確かにカーペットは暖かいと思うのですが、なぜか足が暖まらない
  こういうのは初めて・・・いや、体に熱があるかも知れない>>>TVでブータンの風に当たってしまったみたいです
  ベッドで横になってネット観戦をしたけれど、とても集中できません
   例のブラックノートも書く気になれない・・・と思う間に意識が薄れて、一局が終わっていた(対局の御両人には失礼しました)、さらに次に気がついたらもう6時半となっていた。
  この時点で寒気は去っていたけれど・・・出勤のために暖かいベッドから出なくてはいけない!! 

今朝の寒さに

2007-01-10 00:53:41 | Weblog
 今朝の寒さと言っても、特別今日が寒い朝だったかどうか分かりません・・・この辺の感覚が我ながら敏感なのか・鈍感なのか。
 毎度馬鹿馬鹿しいお話にお付き合い願います・・・と言っておかないと申し訳ないし、馬鹿馬鹿しいと自分でも分かっていても他人様から鋭い全うな指摘を受けるのはどうも具合が悪いようで、まあ前もって自分から言ってしまうのが・・・
 さて私は暑さにせよ寒さにせよ毎年新鮮なダメージ?を感じます。
  要するに”暑がり”で”寒がり”>>>人は忍耐力が無いとも言います。
 そんなことですからジイ様感覚としては「今年の寒さを乗り切れるか」「夏を越せるかな」などと年に2回は真剣に考える。
 こういう繰り返しを半世紀以上もやってきたことになるから我ながら呆れる
  それで毎年冬が来るたびに「冬はなんて寒いんだ!」と感じて・・・これは春が来た瞬間に”喉もと過ぎて何とやらで、皆忘れてしまうからでしょう。
  そうは言っても子供時代の冬よりは厳しさが違うとは思っている
   何といっても霜柱が無い
 我が家の辺りは、1世紀前なら波の下で、今でも海の近くですから霜は降りにくい土地ではありますが・・・
 子供時代は”温暖な土地”で育ったはずですが、それでも真冬なら10cmはある霜柱を踏みながら登校したものです。
  今は周辺で霜柱は見ないし,霜もめったに見ない
それでも冬の朝は寒い・・・これはきっと絶対的な寒さではなくて、布団の中のぬくもりと部屋の温度の相対的な温度差に違いない。
 基本的に(威張ることではないけれど)部屋に暖房を置いていないから特に
見栄っ張り風に自己弁護しておくと、リビングにはエアコンはある・・・但し1冬に何回使うか?、もっぱらコタツに頼っている
  これはケチなせいだけではないようです。
 子供時代に鍛えられた?(そんなことは無い)、単なる習慣かも

 子供時代の・小中高と教室には暖房が無い学校でした。
  そういう土地柄とも言えるのか
 今より寒い時代のはずですが、世の中貧しかったのを差し引いても・・・教室の暖房は必需品ではなかったらしい
 起き抜けの寒さと日中は違いますが、とは言っても家には火の気があるはずだけれど、学校には何にも無いのです。
 この辺りのことを考えていたら面白いことに気がつきました。
私はそういうところで育って、特に冬の寒さに弱い
 情けないほど弱いのですが、かといって暖房は万全かと言うと、これが全くいい加減・・・エアコンはあるけれどめったに使わないし、石油ヒーターなどは臭いに弱いしガスストーブはなんとなく事故が怖くて敬遠。
 部分的に台所などでは電気のファンヒーターもあるが、リビングではコタツが好きで胸までもぐる・・・
 と言うことで、寒がり屋の癖に対策はいい加減で、毎年それを繰り返している。
そこへいくと、北海道・新潟出身の後輩は「寒さに強い」ということになっている>>>まさにその筈で、着ているものが違うし部屋の暖房も違う
  弱いのにはそれなりの理由があるのですね
 さて今朝の寒さについて息子との会話
 この息子はかつて少年野球をやっていたから野球帽は必需品なんだけれど、日常生活ではめったに被らない・・・夏でも被らない
 帽子が嫌いだったのか?・・・成人した今でもそうです・・・が
  最近はファッションに気を配っているのか?、いくつか持っている
 多少色気づいたというところかな
ただ冬はマフラーとかネックウォーマーの方が好きみたいですが
 それでも流行みたいなものは気にしているのか、若いものの常識なのか
「今年はニットで耳まで隠せて、とんがったテッペンにボンボンがついている」帽子が流行っているとか、教えてくれました。
  そういえば朝自転車ですれ違う女子高生がそういう帽子を被っていた。
 一見南米のインディオみたいな印象+ミニスカートの下にジャージー
  訳わかんないけれど確かに冬向きではあるし、あの帽子は今風でもあるのかと思うとなんとなく納得。
 似たようなファッションで白人系の若い婦人とすれ違いました。
この方はミニスカ+ジャージーではなくてノーマルにGパンですが、例の帽子です
 ただ、インディオとはイメージが違う、こちらは北欧調に見える・・・これは私の潜在意識か偏見でしょう。
 私は帽子が全く似合わない(何が似合うか言ってみろなど言われると困るけれど)
 だからできることなら被りたくは無いけれど、この寒さでは耐え切れない
  ”背に腹”です、形振り構わず”帽子にミミアテです。
中身だけでなく、見てくれも変なオジサンになりました。 
 頭部は自前の保温機能がほぼ喪失していて、耳がかなりのLLサイズなので、これに手袋、ネックウォーマー場合によってはレッグウォーマーなどは必需品です。
 こんな格好で自転車に乗って通勤
  今朝は例のご婦人とすれ違いました。
 フリースかニットでできた帽子、あるいは頭巾のようなものを被って、顔の前にはサンバイザーを立てています
 だから暖かいだろうし、花粉とか大気のアレルギー対策かも知れません
なるほど季節柄頭巾は暖かいものにしたのかと思いました。
  ところがそこから500mくらい走って
 いつものチェック柄の頭巾にサンバイザー立ての人とすれ違いました。
  ということは一人増えた。
 勝手に思い込んで勝手に驚いて・・・これだから自転車通勤は飽きない

こういう些細な日常生活にも囲碁の教訓が含まれているはず(強引でも)
 ①思い込みで自分が見たと思ったことと中身が違う
 ②寒いのに弱いから寒さを呪いながらも、寒さ対策はいい加減で毎年繰り返す
全くこれが直ったら自分ではなくなるかも知れませんが
 このところのネットでの成績はプラスマイナス3点くらいの幅で安定・低迷しています。
 しかし負けた時の負け方がひどいのです
  内容が悪い、内容が悪いから負けるのは当然ですが、相手との相対的な面でも話しにならない負け方をします。
 ともかく最近一番感じるのは・・・
序盤の足が遅いのに、、、薄い
  序盤で劣勢を感じることが多いので、早い時期から打開策を考えなくてはならない
 打開策=勝負手はそれなりに相手にとっても難しい手でもある・・・そういう時は運がよければ上手く行くときも有るけれど、しかし
 相手にその上を行く読みが準備されていたり、先刻こちらの意図がお見通しだったりすると”跳んで火にいる夏の虫”
 傷口を広げるか滅亡を早めるだけだったり
要するに序盤が宜しくない
 どこか硬直している印象で、柔軟さを我ながら感じない
  状況は分かる気がするのだけれど有効な対策が分からないのです
と言うことは、対策行動を取れないのだから「分かっているとは言い難い」な
点数と言う成績はともかくとして、今年は年の初めから大きな暗礁に乗り上げて動きが取れない心持がしてきました
  ここを乗り切れるか、正念場かも知れない 

エリア25・28

2007-01-09 00:58:09 | Weblog
 エリア25・28なんて思わせぶりに書きましたが、何のことはない午前1時から4時までの意味で、しかも勝手に名付けているから説明が要りますね・・・TVの深夜番組の案内みたいなもの
 私にとってはこの時間帯が一番集中力がある時間帯だと思っている
  そう思っているだけで、何か科学的な検査をしたら全然違うかもしれませんが、本人はそう信じている
  そういう風に思い込んだのが高校時代に端を発しているから40年は経つ
 団塊の世代で4当5落などと言う言葉があった時代です、受験生は深夜まで勉強をした・・・らしい(私はやらなかったので)
 ラジオを聴きながらと言う時代です。
  私の場合は5時ごろに帰ってくると7時か7時半までまず睡眠
   (腹が減っては戦はできぬ=眠っておかねば起きていられない)
 それで起きたら夕食と入浴・・・9時ごろには自分の部屋に閉じこもる。
  「自分の部屋」と言うとなんかカッコいいみたいですが、5人兄弟の末っ子で7人家族ですから、もともとは自分の部屋は無しでした。
 これではならじと強硬な手段に出て・・・
  玄関脇の応接間形式のエレクトーンがおいてあった部屋を占拠して、そこに自分用の机手椅子、布団などを運び込んで既成事実を作っていった。
 当時は応接間などと呼ばれる空間があった。
  両親が憧れのマイホームを建てる時に、そういう名前の部屋もまた憧れだったのでしょうね・・・ライフスタイルとして、お客様と応接まで話をするような習慣などないのに。
 我が家のお客は皆、居間=茶の間で話をする、そして裏庭に物置小屋があったから全く「応接間」は当初の目的の機能はなかったのです。
  マア4畳程度の広さの物置みたいな場所ですが、時代から言って自分の部屋と言えるもの持ったのは素晴らしいと自分では思ってました。
  だからこの部屋で夜9時くらいから朝6時くらいまでは自分の自由な時間です
 この時間そっくり勉強をしていたり、今みたいにネットがあって囲碁などやれたら40年後の今は随分違っていたでしょうが・・・当時は殆ど本を読んでいた・・・何かを系統的に読むと言うよりどちらかと言えば乱読
  民俗誌とか博物学?、各国別歴史、遺伝学に関する本などが好きでした
 教科書は自慢ではないですが開かないけれど案外勉強にはなっていたかも・・・宿題程度はやりますが
  朝6時頃に壁に寄りかかったまま寝てしまったり・・・ともかく明け方から8時まで寝ます>>>10分で支度をして朝食・・・学校は階段が勝負です。
  教室が4階にあって職員室が2階・・・先生が教室に入るまでに飛び込めばセーフ。
 つまり階段で追い抜くか、抜けないかが分かれ目
  概ね1勝1敗ペースでしたから、膨大な遅刻度数>>>授業に遅れる時は思い切って1,2時間遅れ。
  と言うことで、母親は校長先生に再三注意をされていた・・・が、私には何も言わなかった>>>できる親だったか、既に見離していたか!!。
 ともかくこの時代から、深夜のから未明にかけて一番集中できました。
   睡眠は夕方と明け方、さらに興味のない授業時間(これは先生たちのブラックリストに載っていたらしく、私は体格が大きいのに座席が真ん中の一番前に指定されていました=尤もここが灯台もと暗しなんだけれど)
  この習慣が今でも治らないのですね
 但し今は一応社会的にも責任があるわけで、運転もするし昔みたいなでたらめはできないのですが、それでも連休期間とかはどうしても昔の習慣が蘇ってしまいます。
  そうだ囲碁とは関係ないのですが当時の思い出話
 家から海に突き出した突堤までは自転車でせいぜい15分でした。
時として深夜に釣りに行ったものです・・・一人で
  これは翌朝の味噌汁がアサリの予定なら都合がいい
 これが餌ですからね
  突堤に座り込んで朝まで黒鯛釣りをしたものです。
 あまり大きいのは釣れませんでしたが20cmから25cmくらいのものは2,3匹釣れた。
  それで朝6時までには帰ってくるのです。
 ノビノビというよりいい加減な高校生活でしたね。

 今も深夜時間は素直に眠れない気分です
 しかし、寄る年波には勝てないので・・・宵の口9時ごろから12時ごろまで寝てしまうことが多くなりました・・・マア睡眠時間の手順を変えただけですね。
 さて、そんなことで先日も25時頃にネットにお邪魔すると、連休の入り口でもあり、いつもの深夜より人が多かった。
 私を入れて34人入室している
  都道府県別に見ると、東京4、埼玉4、千葉3、大阪3、二人は兵庫、神奈川、岐阜、茨城、石川、北海道から九州までいますからネットは凄い(当たり前のことに感動します)
 ところで最高点の人は398点・つまりプロと打つときは先でコミ4目半出し
マアそれで対戦成績がプロと互角に近いかどうかは知りませんが、規定ではそうなっている
 ともかくこの人はサンサンで数人の別格みたいなアマです
  その夜はその下に370点クラス・・・県の代表になったことがあるかそれに近い人が4人いた。
 驚いたのですが、私の経験から見て恐らくPANDA・TAISEN・タイゼムでも3段くらいで打てそうな人は34人中25人はいると思われる。
 残り9人のうち半分以上は有段だと思える
  するとこの時間帯は高棋力の時間帯なのかも知れません。
但し、対局リストは5局あるけれど全ては「対局終了」している
 と言うことは観戦したまま寝てしまったか・・・(これは私ぐらいでしょうか)
 対局の棋譜を並べなおしているか、過去の棋譜「対戦記録・観戦履歴」を検索して並べているかも知れない。
  もしくは、のんびり本でも読みながら、面白そうな対局が始まったら観戦しようと待ち構えているか?・・・さあどうなんだろう 
 休日前なら私の場合はエリア25・28は終わりは無制限
  平日の場合は概ね28時・つまり午前4時=それなら3時間は眠れます
   宵の口と合せ技6時間
 この辺りは朝3時半頃に新聞屋さんたちが走る音が聞こえます
  これが潮時と言うことです 

三つ子の魂 Ⅱ

2007-01-08 02:30:18 | Weblog
 先日、勝手に図書館デーでお話したように「淡路語録」を借りてきて、面白いところにぶつかったので私の色眼鏡的偏見流でお話ししたいと思います。
(これは去年の12月28日の記事の続きでもありますが・・・間が大分開いてしまいました)
  もっともたいした話でもない・・・と少々弱気で
 当たり前に近いことでしょうし、私が今更気がつくのが遅いでしょうね
第1章の中の4つのキーワード、「大場は暇があったら打て」の中で
 「碁は石と石との生存競争である」と教わった人と、
 「碁は地取りゲームである」と言われてきた来た人ではおのずと碁の考え方が違うらしいと書かれていました。
 私はこういう言葉に妙に感心してしまうところがありまして、なるほどと思った訳です。
 確かに高段者と呼ばれる方たちより下のランクあたりでは、大きく分ければこういう二つの色合いがあるかも知れません。
  知っている顔を思い浮かべてあの人はあっちかなとか・・・
 淡路塾では徹底して前者の態度を採って来たという話です。
  そういえば武宮先生の子供時代もそれに近かったとか聞いたことがあります。
 プロの先生に異論を唱える気はありませんが、私はこれは善悪という色分けでは無くて、優先順位的なものかなと受け止めています。
  私も碁での後輩の人たちの碁を見て、「ここで戦わなくてどこで戦う!」などともどかしい思いで観戦することがママあるので、そういうときは淡路先生のご意見と全く同じです。
  でも戦ってはいけない時もある・・・これを見極められるのも進歩なんでしょうね。
 だから素人の発展途上人ではなかなか難しいことではあるので、まずは積極的な態度で打つことを勧めたいということです。
 その方が進化?が早いようですね・・・地取り優先の堅実型は進み具合が遅いということですか(発展途上の話です)。
  但し、結局進歩の先は積極・堅実のバランスでしょうから、同じところへ行くのでしょうが、方向は同じでも堅実型の船は大海原で凪にあったように前に進んでいかないようなイメージもある。
  積極策の方が失敗も沈没もあるけれど、それも糧にすれば進歩が早いと言うことでしょう。
 昨日の三つ子の魂の話に関連して、初心者時代に先輩やその時の先生から教えられたことは相当な影響力があるらしい
  それが実際の幼少期ということでなく、習い事としての幼少期であってもそうではないだろうか。
  それでは初めに間違った教え方をされたらどうなるのだろうか?
 善悪など判断できない時期に教えられるのだから、それがバイブルな訳です。
それを考えるとおいそれと口を出しにくい・・・
  するとこういう話を撒き散らすのも考え物か?
 いや誰も初めから教科書的に読む人はいないから大丈夫だろうし
    自分のことは棚に上げるしかない、さもないと前に進みません。
 さて、先生や先輩から教わるとなるとそういう影響を受けているはず。
それでは私みたいな、先生のいない憶え方ではどうなんだろう?
  刊行物を頼りに憶えたようなものです・・・が、だからといって正しいものだけを身につけたのでは無いだろうと、自分を見れば分かります。
 分かっていてできないのもつらいですね・・・”できない”ということはわかっていない証拠でもありますが。
  総合すると実際の3才かどうかではなくて、初心者の時期に正しく指導していく人が重要です。
 私もお師匠さんの棋風を受けて、超積極的な碁である程度は進歩したと思うのですが、やはり壁というか頭打ちの時期があったと思います。
 そこを乗り越えた(自分ではそう思っている)「キーワード」の一つは「淡路語録」にも出てきましたが「守るべきところは守る」だったと考えています。
 攻め一本槍の棋風ではある程度までは行きますが壁があるのです。
  但し、この攻めの力も無いとそこの壁まで来れないかも知れませんから、これも大事ではあります。
  結局は守るべきところはきっちり守ってこそ攻めがきついのですね。
 この辺のバランスが悪いと、景気がいいときはいいけれど、バブルが弾けたら大変という碁になるのでしょう。
   自分の記憶では、華々しく戦う棋風から、守り優先の地味な棋風にイメチェンしたような(ザルレベルではありますが)気がしています。
  その地味な中に堅実だけではなくて”渋さ”というか”いぶし銀”と言うか、上手くいえませんが”芯”みたいなものを感じたような・・・
 と、自分では多少悟ったつもりではあるのですが、観戦が10いたら9人は私の碁は退屈するらしいのです。
 確かに目を見張るような鮮やかさとは無縁な感じで自分でもそう思います。
  蝶のように舞い蜂のように刺す・・・ということは無い。
   たしかに特に序盤など、相手にいろいろ仕掛けていくみたいな見物人を唸らせるようなところは無いのです。
 ただ、相手のミスらしいところはつけ込んでいく!・・・嫌らしい碁?
だから見物人は私が勝つのではなくて、相手が負けているだけだと思うらしい。
 (勿論私が負けるのも半分はあります)
 そう私が負けるのは、私が弱くて相手が強い・相手の鮮やかな技が決まった時
  >>>人間ができていないので、褒められると嬉しいし評価されないと寂しいのですが、こういう打ち方は大方の人は評価をしてくれません。
 今まで下手の人でたった一人だけ
 「その打ち方で遅れないで打てるのが不思議」といってくれたのが私の心の中の勲章でしょうか。
 勝手に心に刻んでいます。 
 
 

キャリア

2007-01-07 01:38:43 | Weblog
 先日成人病の話をしましたが、その続き・・・というより
 実はizuizuさんのところで、似たようなテーマの話がありました。
  手のうちを晒してしまいますが先日の記事は以前に書いてあったもので、年末の話に押されて後ろになったものです。
  今日の方の話はその続きでもあり、刺激を受けたものでもあります。
 さて、この間話しましたが私の周囲には成人病の経験者が多いような気がする。
私を入れて4人ですが、「4人くらいでは多くは無い」と言われそうですが、もっと軽度で”表沙汰?”になっていないものとか、本人が隠しているものがあるかも知れないから、4人とは言え”碁を打つ人”限定ですから少なくは無いと思う。
 そんなことを自慢してもしょうが無いですが。
  それで、前にもどこかで登場してもらいましたが、もう一度整理すると
①、先日お話しましたが、同じ職場のS氏:くも膜下出血のキャリアで、今は職場復帰しているけれど、外から見て完治しているとは言いがたい。
 だから、本当はもっとリハビリを兼ねて対局したほうが良いと思うのですが、(碁を打たない人=)世間の目の関係で昼休み碁を楽しむのは微妙。
②、私の昔のリアルの囲碁仲間のMさん:脳梗塞のキャリア。
 この方は私よりはっきり半石は強い人でした。
  ある時期単身赴任先での食事中に舌のもつれを感じたらしい、診察してもらったところ脳梗塞だったと言うことで、現地で入院治療。
 一応日常生活に支障が無いところまで回復して、そこでリタイアしました。
  年令は私と同じですが囲碁とか他の趣味に明け暮れている、恵まれた?人
   退院して会社もリタイアしてから単身赴任先から戻って碁会所復帰しましたが、最初はウッカリミスが多かったようです。
  以前から慎重な方で重厚な棋風でしたから、軽はずみな手と言うのでは無く・・・そうですねある方向の手が見えていないと言うか、”覗きに継がぬ”とか”一手の手入れをせず”という感じでした。
  妥協をしないで一杯一杯に打つタイプ=そういう打ち方に美学的価値を感じているらしい人なので、こういう弱点があるときは大変で、”さしもの良い碁を一手で・・・”と言うことが良くありました。  
  マアその時期は悪い下手連中には人気でしたが、その辺りの原因は数ヶ月で修復されたようには見えます。
  ただ、発病前と今で同じかどうか?・・・本人の感想は聞いていません。
③、この方もリアルでの知り合いH氏:脳溢血らしい(実のお兄さんから聞いた)
 私にとっては衝撃のデビューで現れた人です。
  ある日碁会所に初めて来た時に席料など持ってこなかった。
   財布を忘れたのではなくて「席料」と言う観念が無かったらしい。
 通常碁会所みたいなところでは常連なら「財布を忘れたのなら、この次で良いよ」なんですが、やはり初めての人だし、見た感じどこか異常を感じたのか・・・
 「すみませんが、席料をお願いします」となった。
  碁席としては当然の1手です
 するとかのH氏は、突然腕時計をはずして、金属のリストの鎖などなどをカウンターの上において”にっこり”です。
 「これでどうだ」と言うところです。
   恐らく本人としては、「充分すぎるから文句はあるまい」でしょう。
 まるで鉄火場の代貸しとのやり取りみたいですが、ここは碁会所ですから・・・
 「それは困ります」しか言えないところ。
この時H氏は「これだけの品物を並べても受け入れられないのが理解できなかった」ようです。
  彼としては碁会所の入り口でトラブッていてはいつまで経っても碁が打てないので、先ほどの品々を掴んで表に飛び出していきました。
 当然家に帰ったのではないらしい>>>数刻後にお金を持って現れたのです。
  多分たぶん・・・近くの市中の金融・一時預かりの
 この人はそういう現れ方をしてからもここに通うようになり常連になりました。
  勿論初めのようなトラブルは二度とはなかったのです
 ただかなり無口ではあったが、囲碁は大好き人間です。
  想像ですが病気の影響で言葉がはっきりしない点があって、本人が意識していたのではないだろうか。
  実のお兄さん(この人はH氏が常連になった後、よく見えるようになった・・・様子見と言うかお目付け役)の話では昔はもう少し強かったらしい。
 このお兄さんと私はだいたい互い先でH氏は3子くらいでしょう
  以前は兄弟で互い先くらいだったらしい
 だから病気で3子分下がったのかも知れない・・・が、相当な早打ちで打つのを楽しんでいた>>>これは病気前と同じかどうかはお兄さんには聞いていない。
④、私もキャリアなら負けていない:究極の自慢・・・他に何にも無くなったらこれしかない
 高血圧の血筋正しく?、一番初めに心臓肥大で路上で苦しくなったり運転中に異変を感じたりしたことがありました。
 虚血性何とかとか、不整脈もあったらしい。
  それで糖尿病で入院して3年たって脳梗塞を起こした。
 私の主治医はかなり口が悪いと言うか、私のためを思ってはっきり言っているのか「成人病が順番どおり起きていますね・・・」とブラックユーモア調で”ニヤッ”
  心臓付近の血管にも問題があるとのことで、造影テストをしましたが、いずれバイパス手術必死とか・・・
  ”ネット+囲碁”命としては、病院にパソコンを持っていってネットにつなげるかどうかは切実な問題です。
  病室にTVも新聞も無くても我慢できますが、パソ無しではフラストレーションが溜まって病気に良くないのでは?・・・先生!
  ところで脳梗塞と診断された時に「もしかしたら二度と碁を打てなくなるということもあるかも知れない」と不安でした。
 これは遥か昔・・・そう、中1の夏に病気をしたときと同じ心理です。
  中1の6月末に表で運動していて、体調に異常を感じた
   家に帰って横になったのですが、熱は40度を越えて+猛烈な頭痛です
 あれほどの頭痛を経験してしまうと普通の頭痛は可愛いもの?
  で、当時のことですからかかりつけのお医者さんに往診してもらいました。
 あれこれ診てくれたのですが、先生が最後に私の両足を持ち上げて「く」の字にしようとしたのですが、私の体が曲がらずに「く」の字にならず、一本棒のまま持ち上がってしまう。
  それで先生は納得したらしいが私は何の検査だったのか疑問だったので・・・そのまま帰ろうとするお医者さんに思い切って「先生!何の病気ですか?」と聞くと、先生は一言
 「脳膜炎」なんと!!
  心なしか先生の口の端が歪んで、にやっとしたように見えた!!
 先生が帰ってからが大変です。
  当人としては頭が痛いの、熱が40度を越しているなど言っていられません
 数学の教科書を取り出して「まだ問題が理解できるし解ける」、国語の教科書を出してまだ読める・・・
  それとも自分で分かっているという錯覚だろうか?という疑心暗鬼
   13才の子供でもいろいろ考えて怖かったのです。
 脳梗塞の時もそれに似ていて、「どんどん進行していくのか」「現状維持?」「はたまた元に戻るか」不安で一杯でした。
  私の表にでた症状は右手右ひじ右指、右足右ひざ右足首などの違和感で運動機能の障害で外から見ると浮腫んでいました。
 言語は自分では早くしゃべれないしなんだかもどかしい。
   早く歩けない・走れない、ボールを投げられない・・・
 碁は!!やっぱりポカが増えた。
  でも今考えると後にしても「ポカ」と分かったのだからまだ救われたのかな?
 当時すごく不安でしたが、何とか回復したようには思う・・・が
  まだ集中力と言うか思考の切れ味みたいなものに不満がある
 そういうものは昔から無かったかな?
   病気のついでに「昔はもっと良かった」みたいです
仕事も含め日常生活は本人としては普通通り・・・走れない・早く歩きにくい・早口でしゃべれない>>>決して急がない人、ゆっくり静かにしゃべる人と言うキャラを作って外からは一目では分からないような努力をしています。
  まあ話してもいいのだけれど、どこかで酒の肴にされるのも癪ですし・・・
 皆そんなものかな?
 さて成人病キャリア囲碁大会なんていうものがあったら
 そして病気のキャリア数とか程度でハンデをもらえたら・・・私はたくさんもらえそうです。
  少なくとも数では負けていません!自慢できないけど 

強い女性

2007-01-06 04:08:24 | Weblog
 日頃仕事上でも生活上でも女性は強いと感じさせられることが多いのですが、碁に関して強い女性の話
 女流棋士というと幾分差別的な表現だそうで、女性棋士と言えば問題は無いのだそうです。
  マア余り意識して使い分けませんが、女性で碁を打つ人
 しかし考えてみると、わざわざ”女性で”と断るところが怪しいけれど、ここに余り拘っていると先に進まないので・・・
 昔通っていた碁会所では常連客の中に女性が5人ほどいました。
これは常連の中で1割未満5%以上と言うところでしょうか。
  コミュニティの方も割合はだいたいそんなものかなと思いますが、究極の目標は世の中の割合道理女性の囲碁ファンが5割なら良いとして・・・当面の問題は若い方が増えていないように見えることでしょうか?
 実はほんとにそうなのかは自信がありませんが、少なくとも碁会所・コミュなどのリアルではそう感じます。
 ヒカルの碁ブームが去った感がありますし、囲碁教室とかサークル活動的な方に吸収されているのだろうか・・・それならばマアいいのだけれど。
 リアルの碁会所などは比較的若い女性には敬遠されているかも知れません。
 料金負担の件も問題ではありますが(1日1000円・女性割引で800円とか600円はかかります)その件は置いて
  碁会所では意地悪なオジサンがいていじめられるような気がするのでしょうか
 セクハラ爺さんがいるかも知れない?
マアそれは冗談にしても、実は男でも初めての碁席に入っていくのは勇気が要ります。
 まず、ドアを開けた瞬間に自分に向けられる視線の束を感じます
  自意識過剰?
 これに快感を感じられるほど図太くは無いですからね。
一人ひとりはただ「新顔」を見ただけでも、皆が一斉に見るのですから
 どんな人がいるかも分からないし・・・親切な人も居るでしょうが、もしかして反対の人もいるかも知れない。
  一番嫌なのは、初級者をやや小ばかにするような人がいたり・・・
   皆始めは初級者なのに
 ともかく知り合いがいないところに入っていくにはエネルギーが要ります。
私の場合も、初めて「道場」のドアを開けるのに時間が必要でした
 道場の近くに病院があって、たまたま通院した時に道場に気がついたのです
  普通の目立たない家で、「囲碁将棋道場」という小さな看板がかけてなければ気がつかないで通り過ぎてしまいそうです。
  気がついたのですが、最初の日は横目でチラチラ見ながら通りすぎてしまいました。
 2回目もドアを開ける勇気が無くて、3回目も・・・余りにも自分が情けないので、思い切ってドアを開けました。(この時私28歳棋力は甘く見て3,4級)
  一歩はいればどうということも無い!!
 このドア1枚が大きい
 男でもそうですから女性で初心者・初級者なら尚のこと!
 でも本当は女性のほうが男より条件がいいんですよ・・・碁会所の場合
男でも初めての客なら席亭とか常連でも世話好きの人が面倒を見てくれます・・・
  相手をしてくれたり相手を探してくれます。
 2度目、3度目ともなると、手が回らないときもあるから・・・放って置かれた感じがたまらない・・・3度目辺りが定着できるかどうかの境目でしょうか?
 しかし女性の場合は違います
皆基本的に女性には親切ですから、初級者の指導碁など買って出る人も居るはずだし、中級者なら「腕試し」の声がかかるでしょう。
 そういうことで男性客と違って心配することは少ないのですが、イメージが悪いのでしょうね。

 こういうことはネットの世界でも起こります
 サンサンは実名ですから、男性女性の別を書いてありませんが名前で概ね区別できます
 そして女性は引っ張りだこのように見えます。
入場して対局希望のリストに登録すれば、相手が現れるのにそうは時間がかからない。
  それに女性の有段者対局ともなれば観戦者も数人来ます。
 対局すれば男性も女性も無いし条件は同じですが、いつものおっさんたちとは違う碁になるかとという興味はあるかも知れません。
 そういう意味で、もし「女性には負けたくない」という昔風の考えがあればプレッシャーに働いて男性は不利でしょうね。
  但し当然ネットですから、女性であろうと思うのは名前による認識だけなんですから面白い。
 女性同士の碁はプロでは激しい碁になることが多いらしいのですが、ネットでは女性同士の碁はめったに見られません。
  確率的に低いだろうし、「相手指定」にでもしなければ実現しにくいのかも
 サンサンでは多分今のところ20人か30人でしょうから全体から見たら1,2%です・・・
 ですから私は女性同士の対局はネットでは1局しか観戦したことが無い。
  そういうことで女性同士の碁は激しくなるかどうかは判断できない・・・私見ではある傾向があるとは思っています
 女性の方が指導を受けたプロとかアマ高段者、先生などの教えに忠実に打とうとしますから、相手にとって”きつい””厳しい”と言う印象を与えるでしょう。
 オジサンの方が融通があると言うかいい加減と言うか自分流が多いように見える
  だから両者の欠点とかいいところが出ると
 女性の破壊力が決まったら凄いけれど、ボロボロになることもある・・・割合極端みたいな気がします(あくまで私のかって読み)。
 女性の4,5段クラスになるとバランスがよくなってきて、オジサンが間抜けな手を打つと容赦はしてくれません。
 私は今のところ女性とは打ち分けくらいですが、一人だけ勝った事が無い人がいます>>>2戦2敗。
 この人は強い(私は弱いけれど)、いつかまた挑戦したいのですが最近はなかなかネットに出てきません。
  ヒカルの碁のサイみたい・・・待ち望んでいます。
 多分お若い方でしょう、オジサンも腕を磨いて?待っています。
この人とは違う人ですが・・・現在私とは1勝1敗の人が打っていました。
 この人もいい碁を打つから、機会があれば対局したいのですが、点数が一時より下がっている・・・コミ分ぐらいですが。
  どうしたのだろうと観戦したのですが、どうやら偶然の成り行きのようです
 いつもと変わらない感じで安心しました。
  機会があれば是非お願いします。 

年末年始決算

2007-01-05 00:06:13 | Weblog
 1月4日の話です
 この日の朝は”なんとなく寝坊”しました。
  遅刻するほどではなかったのですが、起きた時(正確には起こされたとき)7時10分でした。
  1年の計は元旦にありではないけれど、この日は御用始めですから遅刻はできません。
  365分の1の話だけれど、今日遅刻するといつもしているみたい・・・
 きっと起こされ方も悪かったのか(人のせいにします)寝覚めの悪い夢とともに目が覚めた・・・この間ほど悪くは無いけれど
  ずっと昔の学生時代に帰っていたのはいいけれど・・・
   単位不足を担当教官とか事務局の人とかに責められている夢
 「単位不足なら、入学試験を受けなおして再入学すれば文句は無いでしょ?」
 全然支離滅裂な反発に、「あの先生は厳しいですよ!、学生の4分の1は落とすし、学生の定員も一杯だし・・・」
  ここで目が覚めてよかった!!全く
 さてこんな風に御用始の1日が始まった。
  所長の挨拶とか、ウーロン茶で乾杯、恒例の集合写真、型どおりの1日ではあった。
 帰ってみると玄関脇になにやら書類の束がある
  妻が「部屋の掃除をしておきましたよ。綺麗になったでしょ」と明るい声がかかる・・・綺麗なのはいいが、なにやら不安が走る。
 年末の大掃除を、なんやかやと交わして逃げ切ったと思ったら、敵さん「あんたなんかアテにしません」と強制代執行されてしまった。
 確かに部屋の中は綺麗に片付いてはいるけれど、本音で言うとこういうのは好きではありません。
 汚れているのが良いわけではないけれど、多少の散らかり方は許容範囲
   座っている姿勢であれこれ必要なものに手が届くのがいいのです
  第一散らかっているのと汚れているのは違うし
 とは思うけれどここで物を言っては家庭の平和はない!
しかし玄関で感じた不安は的中していたのです。
  そこにあった古い書類と見えたのは、なんと古い棋譜でした。
3年前の棋譜:これはTAISEN時代のもので、パソコンからプリントアウトしたもの。
 1年くらい前の手書きの棋譜などなど・・・
こういうものがどれだけ大事に思っているかは・・・多分碁を打たない人に言っても始まらない。
  「そんなに大事なら、整理しておいてください!」で終われば良い方
 「文句を言うなら自分でやってください!」・・・マ、反応はこの辺りかな?
私の部屋に関して掃除が必要なことかどうかで見解が違うはずで、本来なら議論の原点はここなんですが、それをやれば敗戦必死だから、気づかれないように必要な棋譜を部屋に戻しました。
  部屋の掃除をして気持ちよくなっている女房殿に、感謝の気持ちを見せなくては後が怖いのです。
 これは年中行事の始まりでもある・・・まさに御用始です。
 さて年末年始6日間はどこにも行かず、ネット碁とスポーツ観戦で過ごしました。
 読書は3冊と今4冊目というところ。
観戦は12局でした。
 これは今までの観戦数からみると極端に減りました・・・それには理由があります。
 前に書きましたが、「ブラックノート」を始めたからです
  黒い表紙の何の変哲も無い市販のノートですが、ここに「観戦記録」「自分の対局感想」「囲碁関係記事のメモ」などを書くことにしたからです。
 つまり、今まで使い捨てみたいに単なる暇つぶしの観戦を止めて、観戦したならば感想は必ず記録しなくてはいけないとしたので、いい加減には見れなくなった。
 (内容はたいしたことは書いていませんが)
棋譜そのものはパソコンで再現できるので、主に感想とか形勢の見通しとかを書いています。
  それともう一つ変えたのは、なるべく「序盤」から見るのはかわりませんが、必ず初手に戻って現在進行形に追いつくことにしたことです。
 当たり前のことだったかも知れませんが、今までは手抜きをして入室した時点の盤面から観戦していたのです。
  始めに戻って盤面をなぞっていくと、やはり多少は見えるものが違うような気がしています(気のせいかも知れませんが)。
  肝心の自分の成績は6日間のトータルで7勝5敗
  自分としてはまずまずです。
 この調子で1年打てればいいですね。
しかしサンサンは点数制度なので、勝った分は必ず負けることになっています
  そこのところがややつらいところです
 もし僅か2つですがこの勝ち越しを維持できるならば、非常にミニですが棋力アップかもしれない・・・
 年末年始シリーズの12戦目はかなり印象的な対局でした
 対局相手はIさんでこれまでに何度か打ったことがあります
私の白番で黒から半目コミ出しの手合い
  結論から言うと192手で黒が投了したのですが、この手数ですと碁盤の上にはまだまだスペースがあって、地合い計算も大雑把にしかできません。
 投了していただいたのですから文句を言うのは筋違いですが、投了時点ではまだ細かそうに見えるから・・・黒さん本当にいいですか?と言う気分です
  それで自戦譜を呼び出して研究開始(たいしたことはやっていませんが)
 この場面から(黒が投了しなかったとして)最善に寄せるとどうなるか?
  あるいはどこかに最強手段みたいな手は残っていなかったか?・・・もしあれば、実戦に現れなかった手を見ておくことも大切だと思います。
 かれこれ小一時間いじっていましたが、238手完・白9目勝ち
  と言うことは投了時点からおおよそ50手くらい打つことになります
 そして多少の誤差はあったとして多分7,8目白が残っていたことになる
   と言うことは、Iさんはそこまで詳しく見たかどうかは分からないが”足らず”と判断したのでしょうね。
 「悲観的見方」の人?
 計算をきちんとやっているのでしょうね?
  ただ、黒から見て攻撃目標だった白が全て凌いでしまい、黒は逆に後手で手入れが必要だったから戦意がしぼんだかも・・・
  次にこの人と対局するときは注目してみたい 

リハビリ

2007-01-04 01:05:10 | Weblog
 私の家系には成人病のDNAがあるらしい。
 それも男の方に顕著に見られる。
  私の祖父は父方も母方も私が生まれたときにはすでに亡くなっていた.
父方の祖父は高血圧・脳卒中が原因で、母方の祖父の死亡原因は聞いていないけれど、お酒が大好きな人だったらしいから、こちらも成人病が原因らしい。
 父も直接の死因ではないにしても脳卒中をやっている。
  そしてお酒大好き・・・
 それに反して両祖母とも長生きで今の平均寿命より大分長生きでした。
  母もそうだったから、一族の男と女は両極端みたい。
 さて肝心の私なんですが、祖父たちのDNAをしっかり受け継いでいるようです
  ただお酒を好きという因子は受け継がなかったようだ。
 多分アルコールを分解する酵素が極端に少ないらしいから、お酒が好きでも飲んだら危ないかも。
  一次分解でアルコールがアセトアルデヒドで止まってしまうのか・・・お酒を飲んで寒気を感じてしまう。
 顔だけ熱くなって体が震えるとか・・・と言うことで私はここ30年でビールをコップで1杯飲んだかどうか 
  これは宴席での乾杯の際に、少し嘗めた程度のトータルということです。
   (関係ないのですが、最近のTVCMにはビールお酒などが氾濫していて腹立たしい思いがします)
 父の生前の話ですが、脳卒中で倒れた後、伊豆の修善寺の温泉病院で母が付き添ってリハビリの療養をした時期がありました。
  私は根が親不孝ですが、見舞いにはかなり行ったのです(これが見舞いと言えるのならばですが)
 見舞いに行く時は週末千葉を夜中に出ます、東名沼津から南下して修善寺の病院の下を流れる狩野川に(夏ならば)午前2時辺りに着くのがベストタイム。
  実はこの時間から川の近くの街灯の灯りを頼りに川釣を始めます。
 ヤマメ(アマゴ)・ハヤ(赤腹)・オイカワなどが狙いです。
  これが日の昇るまで、せいぜい6時辺りまでのお楽しみ。
 川から上がったら、少し休んで橋のたもとの町内の温泉銭湯につかり、それから父の見舞いという手順。
見舞いとは名ばかりでした・・・まさに
 眠い時は病人の父のベッドで寝ていましたし(本人は温泉プールで運動中)、お見舞いの食べ物を当てにしていましたから。
  そんなダメ息子でも見舞いに来れば嬉しかったようで>>>そこにつけこんでいた。
  さて、この病院のメインは温泉プールでのリハビリですが、運動では散歩なども奨励されていました。
 それともう一つ、病院の先生は将棋なども薦めていたようです。
  リハビリ患者同士が指していて、私も暇なら誰かと将棋を指すように薦められました。(実際には相手がいなかったのでやりませんでした。)
  囲碁もいいはずなんだけれど、これはたまたまなのかやっていませんでした。
 想像するに将棋の場合は折りたたみ盤と駒のセットで、重さが違いますね。
 囲碁の場合は折りたたみ盤はともかく、石は多少重いし落としたら大変、ベッドなどでは安定性に問題があるのかな。
  そういうことが原因か、たまたま碁を打つ人がいなかったのか・・・ま、囲碁と将棋は多分脳の活性化でリハビリに向いているらしい。
  ここまでは父の話、ここからは自分の話です。
私も脳卒中ではないけれど、軽い脳梗塞を経験しました。
 だから、それが無ければもう少し強い・・・と、言っておきます(たぶん)。
  運動機能としては当初右手と右足に違和感があったりしましたが、だんだん薄れてきてはいます。
 ただ走ったり、ボールを投げたりは今でもダメですが。
   それでもこうしてパソコンでキーボードを叩いているのですから不幸中の幸いということでしょう。
 そういう意味でも碁は私の楽しみでもありリハビリでもあるわけです。
  実際のところ私の棋力は以前と以後では少し違うだろうな、多分半石ぐらい違うかもしれないと自分では思っています。
 最近はうっかり凡ミスとか、集中力不足が多少は解消されてきているとは思うのですが、今度は病気とは関係なく老化という敵とも闘わなくてはいけないので、因果関係は複雑です。
 リハビリといえば同僚で職場復帰はしたけれど、実態はリハビリ中状態に近い人がいます。
 彼は仕事は健康な時の半分もできないから、本人もつらいでしょうね。
  彼は健康な時は碁を打っていてほぼ私と同じくらいだったらしい。
 しかし病気(くも膜下出血)以後は少し棋力が下がったようだ。
らしいというのは、職場の昼休みに碁に誘って2,3回打ったのですが、私とは対局していないので直接の感じは分からない。
  棋力はともかく、リハビリという意味ではどんどん碁を打つほうが良い。
   私はそう思うのですが、世の中そういう風にも行かないらしい
  一般的な見方としては碁は遊びです=確かにその通りです
 だから仕事が人の半分もできないのに、碁=遊びには熱心と受け止める人が多いようです(完全に近く直してから社会復帰するか、仕事がリハビリであるとして仕事をさせるかの方針がはっきりしていないのも問題です:だから一人分として100%の仕事ができない人でも配属されれば一人分の配置とされるからグループの負担が増えるのです)。
  そんなことで本人も、おおっぴらに碁を打つのを控えているようなところも見えるのです。
 全くややこしい世の中ですね。
  だからドクター的権威がある人と仕事を統括している人が、「リハビリも兼ねてどんどん打ちなさい」と言ってくれるといいのです。
  TVなどで一般論としては分かっていても、身近なところでは感情論的なものもあるようです。 

深夜のMAJO

2007-01-03 00:14:13 | Weblog
 2日の未明・・・3時ごろにネットに繋いだら私を入れて12人がいました。
 国内のメンバーが殆どですからこの時間はこんなものでしょうね。
  対局も皆終わっていて7つの対局室には一人ずつが残っている状態。
 ”皆、寝ているのかも?と失礼な想像をしました。
さて入場者の一覧表から見ると我が県(と言うほど郷土愛に溢れてはいませんが)は3人もいて、本日深夜のトップ!(意味不明)
  深夜のサンサンネットのマジョリティ?でした。
 2位が東京の2人で以下茨城、京都、神奈川、広島、山形、兵庫、宮城各一人。
  この時間に北海道と四国・九州がいないけれど結構全国の人が集まっている。
実績はと見ると・・・最高は3222勝3119敗:104の勝ち越し
 まてまて、この人の点数から見ると、この勝ち越し数が全て持ち点に反映したら400点を遥かに越えるはずだから、これは恐らく「なかよし棋院」の成績が入っているに違いない。
 プロは全員401点だし、アマが400点に達したら御褒美が出るけれど点数は390点にリセットです。
 成績の表示に「なかよし棋院」の成績が入るとしたら少しおかしい様な気がします。
 アマだからどうでもいいようなものではあるけれど・・・
  例えばプロなら、公式戦の成績とお稽古碁の成績を合計したりしないはず
 「なかよし棋院」の対局を全てがお稽古碁とは言いませんが、「お楽しみ碁」の範囲ですから公式的対局とは言いにくい。
 「サンサン棋院」「早碁棋院」の成績とは違うはずだから、合計して表示するのはおかしいですね。
 公式対局成績は「サンサン棋院」「早碁棋院」だけでいい:要するに点数に反映するものだけ
 それ以外:「なかよし棋院」「相手指定対局」などは対局数のみで勝敗は関係なし、どのくらいネットで打っているかが分かれば良い、それに各種「オープン戦」は「オープン戦成績」として表示・これは普通の対局と違うでしょう。
  これで無くては成績表示の意味があやふやな感じです。
 2番目の対局数の人は、3078勝3077敗です
 これだけ打って1つの勝ち越しとは、何か感動的な気がします。
  この方は1段か2段くらいでしょうか、いつも対局条件に「上の人は誰でもいい」となっているので4つ5つくらいは置く碁も打っているのを見かけます。
  私がもし「下の人とは誰でもいい」などと間違って入力すると、この方の餌食にされそうなので・・・回れ右です!!
  こういうベテランは点数では表示されない、経験値が働くときがあるから白としては不安材料なのです。(私がビビリなだけです?)
 ところで、中に二人新人(年は分かりませんが)に近い人がいました。
  一人は14勝16敗で、もう一人が27勝27敗なかなか信頼できそう(気分的に)、点数も近いので、もし対局すればお互いに先の範囲です。
 これからきっと対局する機会がありそうです。
ところで、先ほどの(表現は悪いけれど)異常値の成績の人を除くと、11人の総勝利数ー総敗戦数=30でした。
 すると平均3点弱上がっている!
   (地球の平均気温が3度上がったら大変!!)
 この時間に集まった人がたまたまそうだったか?(例えば成績がやや良いと、深夜もネットに繋いでいるとか)
 最近の新入会員の初期設定が甘いからインフレ傾向にあるのか?
  この辺はよく分からないけれど、事務局の調査課題にして欲しいです。
 (と言うのも、メンバー12人以外に事務局も入室していたし)
 私が入会した時の初期の点数の目安は、自己申告では4段までだったような気がしたのですが、調べてみたらこれは私の記憶違い・・・但し
 6段までは自己申告、7段は県大会優勝経験者以上、8段は全国大会ベスト16以上、9段は全国大会ベスト8以上と言う規定になっていてこれは変わらないのですが、2年前4段で申請すると328点からスタート・これが今は340点からに、昔6段申請は350点からだったのが今は360点からとなっている。
 このおよそ10点の差がインフレなのか、何か事務局での修正措置だったのか説明が無いから分からないけれど、先ほどの平均3点アップと無縁ではないような気がしている。
  「だからどうだ?」と言われると上手く言えないけれど・・・
  ザルとは言え、会員となって点数獲得=棋力アップ、あるいはランキングアップみたいな気分で真剣に対局しているのに、何の説明もなしに変わるのは・・・
  (会費が安くなるのはいいですけれど)
 それとは別に公に活動している各ネット間での為替レートみたいなものがあってもいいと思うのです。
日本棋院・幽玄の間、関西棋院・タイゼム、TAISEN,サンサン、などなど・・・
 最も厳しいネットから最も甘いところまで名乗る段級位にどんなに差があってもいいではないですか「為替レート」で変動相場?なら。
  尤も他流試合?は全て平手で行えば自流での段位は関係ないともいえる。
 囲碁を始める時、皆初めの大きな目標は「初段」です
  それで、「初段になり易い道場」となかなかなれないところがあるような感じです。
 多くの入門者に初段と言う目標を身近に感じさせるやり方と、大きな権威としておくところと・・・
  さてさて新段級位案はどうなっているのだろうか?
   私の押入れに眠る30年近い昔の「四段免状」は骨董的価値くらいはあるか(単なる紙くずでは寂しい)? 
 数が多すぎるからダメですね・・・元値は結構したのですが。 

ブラックノート

2007-01-01 21:45:01 | Weblog
 ネットで本年の最初の一局を打ちました。
 ネットに接続して掲示板を見ると何人かの新年の挨拶が出ています。
  文章そのものは「あけましておめでとうございます。本年も宜しく」ですから変わったものではないですが、リアルの碁会所などでその年の初顔合わせみたいで清清しい感じがします。
 ある方がそのあいさつ文の下に「定型の挨拶以外にも自分で打ち込めますよ」と書いてあったので私もやってみました。
 挨拶はありきたりのものですが、新年の挨拶をおくりました。
  やってみれば簡単ですね・・・昔対局した人が1手ごとに話しかけてきたのはこれでしたか、やっと分かりました。
 尤も対局中は遠慮します・・・
  マア礼儀正しく挨拶をしましたので、皆さんお手柔らかにということで・・・ 対局希望リストの同じくらいの人と打ちました・・・これは向う先で逆コミ5目半
 白からコミ出しがチト気にかかるけれど、年の初めからしみったれたことを言わないでスタート!
  初めて対局する人でして、かなり地を稼いで足早なタイプです。
   なんだか自分と似ているかな、私の打ちたいところを先先と回られてしまいます。
 形勢も遅れているようで少し焦り気味。
  やはり私は同型に弱い!!
 普通足の速い人は多少薄くなるところがあるので、その薄みを突くと亀裂が生じ、その負担が全局に及ぶ・・・それが白の狙いなんだけれど、足が乱れないから困ったものです。
 それどこれか、私の石をじっくり狙っている節がある。
  たいてい、私がプロの真似というか、筋張った手を打つと「生意気な奴め!」と即咎めに来るものなのですが、落ち着いて白の薄みを狙っている。
  全くこれで逆にコミを払うのだからマイッタ。
 数えて白2目半負け。
  新年の幕開けは敗戦でスタートしました。
 でもああいう打ち方の人に盤面では3目良かったのだからよしとするか・・・負け惜しみですが
 さてその後は例によって観戦です。
 その前に先ほどの碁の棋譜を再現して一人で反省会。
   序盤で1手遅れたところがあったのを発見しました・・・これは私の大局観の問題で今年も課題になりそうです。
 さて観戦を始める前に、ほんの思いつきがありました。
  自戦譜は直近の180局はいつでも検索できますから、先ほどのように直後でも数日後でも良い・・・これは義務的に見なくてはいけないと自分で決めています。
 ところが観戦はかなりいい加減で、ごろ寝でTⅤを見ているようなものでも誰からもお咎めは来ない。
 マアその分気楽ではあるけれど、見ながら寝てしまうこともある。
   使い捨てみたいで・・・それでいいのかデス。
  これは対局者には大変失礼でしょうがネットですから誰にも気がつかれないから無礼問題では無くて、これは自分にとっても少し無駄かも知れないと思ったのです。
  TⅤの娯楽番組で時間を潰すことを考えれば無駄とも言えないのですが
 それでも観戦していて何かしら得る所があるはずなのに見過ごしているに違いないと考えたのです。
  それで、今日から観戦した対局をノートにつけることにしてみました。
 観戦記者ではないから相当いい加減な内容になる・・・と言うよりもホンのメモだけですけどね。
  棋譜そのものは観戦履歴の中から棋譜を再現できるから棋譜は取らなくてもいいので、局面での感想だけをメモしておいて後で見直すことにしたのです。
 対局日・時間 見始めた手数、対局者・点数、対局条件などなど
それで感想は、誰に見せるものでもないので、超本音で書くことにしました。
 たまたま手元にあったサラのÅ5版サイズで黒い表紙なのでこれをブラックノートと名付けました。
  ほんとに勉強になるかどうか、やってみれば分かるかな?
 尤もまだ始めて2日経っていないから三日坊主にもならない