はーい、げんきです。

遠くにいる友達に私的トピックスの紹介。話題はその時その時いろいろ。

7月23日の陸前高田

2011-07-25 20:46:08 | daily
 夏が帰ってきました。
 またね、束の間の秋

 というわけで、先週金曜の夜に出発して、陸前高田市にお邪魔してきました。
 今回は日帰り?バスツアーです。
 陸前高田市は、気仙沼と大船渡の間に位置していて、いまだに行き難い所です。
 4ヶ月たった今でも、テレビで何度も見た、何もない光景が広がっていました。

 トップの写真は、高田松原でたった一本残った松。
 希望の一本松、奇跡の一本松とよばれ、復興のシンボルになっているそうです。
 江戸時代から続く松林が、そこにあった証です。 

 先日開通したばかりの(仮)気仙大橋を渡りながら。
 その隣には、流されてしまった元の橋の橋脚が残っていました。
 
 本来、開通は9月の予定だったそうです。すごい前倒しです。

 たくさんの車。
 
 これだけの台数がここにあるという事は、それ以上の人がここにいたという事です。

 かつて街だった場所。
 

 かつて街を構成していた物。
 
 これでも随分片付いた、と聞きました。
 集めるだけでも時間が掛かります。
 何年も掛けて運び込まれた物を運び出すには、もっと時間が掛かりそうです。

 何も知らなければ、もともとこういう景色だったのかと思えてしまいます。
 
 水鏡になっているのは、陸地にいまだに残っている海水です。

 でも営業中のスタンドを発見。
 

 そして新しい信号機。
 
 少しずつ、街に戻ろうとしています。
 地元の高校生?が自転車で走っている姿を見かけました。
 決して、何もない場所ではありません。

 こちらが今回お世話になった陸前高田ボランティアセンター。
 
 市街地から大分内陸に入ったところにあります。ここで作業が割り振られます。

 この日の作業場所は、海に近い大船渡線沿いです。
 
 最近まで、レールが散乱していて手付かずになっていたそうです。
 残されたレールが寂しげです。
 海は結構遠くにあるように見えますが、ここを乗り越えて行った訳です。
 

 
 この道が、かつて線路だったところ。
 小高い場所を通っていますが、津波がザーッと置いていった物が溜まっています。
 その瓦礫の撤去が今回のお仕事。
 線路の敷石に混ざって、瓦、壁材らしきもの、ロープ、木片などが埋もれています。
 中には、写真や、衣類、カセットテープなどもありました。
 細かい仕分けは重機には無理なので、やはり人の手が必要になります。
 写真など、持ち主が特定できそうな物は、ボランティアセンターへ持ち帰ります。

 お昼は防波堤の上で。
 
 お弁当を食べて、みんな思い思いに休憩中。

 午後の作業中に、遠野で震度5強だった地震が発生。
 久しぶりに携帯が騒ぎましたよ。
 恐ろしい地鳴りの後に、斜面が崩れるのでは、と思った程の揺れ。
 陸前高田市は震度4でしたが、この地区のサイレンが鳴り響き、津波に備えて避難します。
 避難場所になっている正徳寺さん。
 
 地震後、ここには150人ほどが避難していたそうです。

 避難した高台から。
 
 このすぐそばまで波が押し寄せたとか。

 結局、避難している間に時間切れ。
 中途半端ですが、時間になったら作業は終了です。これは絶対。
 この場所は、また次の人達へ引き継がれます。
 人力なので短い時間では大したことはできないけど、その積み重ねでどうにかなるんじゃないかと。
 続けていくしかないのです

 最後に。
 線路際に咲いていた昼顔。
 
 波を被ったはずなのに、ここでも植物は元気です。たくましい。
コメント
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