誕生日と残留孤児
今朝6時の大連の気温はNHKラジオの気象通報によると2℃だった。
前橋は7℃、群馬より寒くなってきた。
自分が生まれた朝はどうだったのだろうか?
両親を始めゆかりの人びとがほとんど亡くなってしまったので確かめる術は無い。
敗戦後1年経った大連は大混乱に陥っていたそうである。
良く「生む決断」をしたものである。
自分が親になって初めて苦労の一端が分かった。
生後三ヶ月の乳飲み子をかかえて冬の玄界灘を引き揚げて来るのは並大抵の事ではない。
残留孤児にならなかったのは親の愛情と苦労のたまものである。
現在まで生きてこられたのは奇蹟にちかい。
誕生日が来ると残留孤児のことを思う。
山崎豊子「大地の子」や城戸久枝「遥かなる絆」のドラマに自分を重ねていた。
情報センター出版局 http://www.4jc.co.jp/free/t/anosensou/tokushu.html
歴史的な背景は、よく知られているところであるが、原因の一端は突然のソ連参戦にある。
これにより満州にいた多数の罪のない人びとが命を落とし孤児ができたのである。
戦後の孤児や残留邦人に対する政府の対応には大いに不満である。
無念のうちに亡くなった人も多数いる。
大草原に還る日 http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-29230
高校生の頃、五味川純平「人間の条件」をむさぼり読んだ。
時と共にいろいろのことが風化していくが誕生日が来ると思い出す。
今の日本は震災や原発事故があってもそれなりに豊かである。
今朝の上毛新聞のコラム三山春秋にこれからの日本の行く末を思った。
上毛新聞 http://www.jomo-news.co.jp/ns/series/5413539337866559/miyama_detail.html