群馬県沼田市こしひかりの物語

旧新治村の田んぼでとれたコシヒカリの物語です。
それから、生活・リハビリについて、徒然なるままに書いています。

闘病の記⑯(作業療法2水道の蛇口)

2008-07-31 10:58:10 | Weblog
 水道の蛇口、回して開閉するもの、上下に上げ下げして開閉するもの。何気なく操作していたが、指先が動かない状態では回すという構造のものは不可である。
 手足が動かないという私の症状は、動かしたいという意志はあるのだが、そのことに対する脳からの信号が発信されないのではないかと思う。
 電気信号の送受信とアナロジーに考えると、受信機と伝送回路は正常で発信機が不調なのだ。
 意志を信号として発信するためにリハビリをする。破損した部品の代わりになるものを再生するのだ。それには動かしたいと思う動作が出来るようになるまで繰り返し訓練する必要がある。特に指先の巧緻性を復活させる訓練は根気が必要だ。
 写真は、紙粘土を指先でだんごにするという訓練だ。その他に、ひもを結ぶ訓練、ペグを抜いてひっくり返して刺す訓練等がある。バイバイが出来るようにする訓練はどうすればいいだろうか?訓練の方法を考え出すことが再生につながる。
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闘病の記⑮(作業療法1)

2008-07-22 09:55:38 | Weblog
 作業療法は日常動作・作業のすべてのリハビリのことでOT(Occupational Therapy)と言われている。このリハビリを実施する人のことを作業療法士(Occupational Therapist)という。
 このリハビリは、上肢の運動機能、腕・手・指の機能回復が主である。主に巧緻性や高次脳機能の復活を目指す。
 当面は拘縮を防ぎ、廃用症候群に陥らないように、肩こう骨まわり、肩・肘・手首・指の関節の動作が滑らかに出来るよう関節の可動域を広げる運動が主だ(写真)。グー・パーを繰り返して握ったり開いたりして握力の回復を目指す。腕、手、指の動作は複雑で難しい。洗濯バサミをつまむ練習やじゃんけんがままならない。キーボードが打てるようになるだろうか?
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闘病の記⑭(閑話休題パラリンピック)

2008-07-19 17:25:30 | Weblog
 4年前本格的にリハビリが始まった頃、ちょうどアテネオリンピックだった。時差の関係でこっそり夜中に見ていて巡回の看護師さんにしかられた。
 病院の体育館に変わった車いすが置いてあった。車いすバスケット用のものだそうだ。病院に営業にきている方がパラリンピックのバスケ代表になった。パラリンピックも車いすバスケットも名前しか知らなかった。
 そんなとき教育テレビでパラリンピックに出場する選手の特集をしていた。健常者のオリンピックしか知らなかったので本当に驚きだった。障害に負けずに頑張っている姿、それを支えている家族の姿に感動し涙が止まらなかった。もっとマスコミが取り上げてほしいと思った。
 こうなって今まで見たことがなかった番組を見るようになった。福祉の時間の介護百人一首、真野順子さんのリハビリドキュメント、今日の健康等である。健常のままであったら絶対見なかったであろう。
 なんだか今まで気づかなかったことに気がつくようになった気がする。
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闘病の記⑬(私のためのプロジェクトチーム)

2008-07-17 11:32:56 | Weblog
 ドクターの問診が終わり、病室で身の回りの整理をした後、トイレや洗面所、食堂等の案内があった。そして、夕方5時頃ベッドサイドに主治医、担当看護師、薬剤師、管理栄養士、医療ソーシャルワーカー、担当理学療法士、担当作業療法士の面々が集合した。私の運動機能や精神活動の状態を観察し評価した。事前の問診から言語聴覚士と義肢装具士は省略された。これは、私の現状を把握し情報を共有することによって今後のリハビリ計画を総合的に立案することを目的としたチーム医療である。この評価によって私の可動範囲が決定された。当面病室があるフロアーのみT字杖を使用しての歩行が許された。階段は不可。エレベータ使用のこと。というものだった。回復期のリハビリが受けられる幸運に感謝だ。ダメージが深刻であれば意識不明、さらには死ということもあったのだ。明日からの生活が楽しみだ。
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闘病の記⑫(回復期リハビリの目的)

2008-07-14 20:26:37 | Weblog
 この写真は病室から見た有笠山(標高882メートル)です。さて、ドクターから質問されたとき、どう答えれば良いのか質問の意味が分からなかった。リハビリは運動機能の回復が目的だ、聞くまでもないことだろうと思ったのだ。しかしもっと奥が深かったのだ。運動機能の回復は当たり前でその後何をしたいかということだったのだ。ADL(Activities Of Daily Living) 基本的日常生活動作とIADL(Instrumental ADL)日常生活関連動作を獲得して、QOL(Quality of Life)「生活の質」を向上させることか。さらにその上の社会復帰・復職を目指すのか?それによって三ヶ月の入院期間中のリハビリ計画が決まると言うことだったのだ。
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闘病の記⑪(転院)

2008-07-13 11:29:07 | Weblog
 転院の日が来た。不安と期待で複雑な心境だ。妻の運転で病院を目指す。昨日までの天気が嘘のように爽やかな五月晴れだ。ジャズミュージシャンの弟が付き添ってくれる。娘はワーホリでオーストラリアだ。息子は大学を卒業して就職したばかりで二人ともそばにいない。弟は大宮在住で、東京の大手楽器店の教室でアルトサックスを教えたり、チェルシーカルテットというバンドを組織してフリーで演奏活動をしている。ライザミネリのNHKでのステージに出たりした。若いときはブルーコーツに所属していた。
 四人部屋の病室に案内され、ひとまず落ち着いた。ほどなくしてドクターの問診がはじまった。生年月日、氏名、日付、場所等の確認から始まって、引き算による脳機能の確認(100-7=93、さらに(93-7)というように答えから7を繰り返し引いていくというものだ)、マヒの状態のチェック、既往症や服薬の確認、身長・体重・血圧の測定、予期してなかった質問は「リハビリの目的は?」だった。
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闘病の記⑩(リハビリPT&OT)

2008-07-11 21:25:55 | Weblog
 急性期のリハビリが本格的に始まった。手はOT(作業療法士)の指導のもと指を開いたり閉じたりしてグー、パーを作る単純動作と洗濯バサミをつまむ練習だった。足は全く歩き方を忘れてしまったのでPT(理学療法士)による屈伸運動から始まった。これと並行してソーシャルワーカーによるカウンセリングが行われた。回復期のリハビリをどこの病院で行うかというものだ。今入院している病院は急性期の治療とリハビリを実施するところで、機能を回復するためには回復期のリハビリを専門に実施するリハビリ専門病院に転院する必要がある。発症してから三ヶ月が勝負であるとのこと。相談の結果沢渡温泉病院に決定した。ベッドが空くまでまだ時間がかかりそうだ。
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闘病の記⑨(人間の尊厳)

2008-07-10 09:43:29 | Weblog
 人生が暗転して茫然自失の状態からちょっと光が見えてきた。今まで何気なく無意識に簡単に出来たことが、全く出来ない。服を着る。ボタンを留める。ズボンを履く。靴下を履く。ものを持つ。つまむ。枚挙にいとまがない。こんな状況に陥ってつくづく感じたことは、『人間が生きてるという状態はどういうことなのだろうか?』ということである。幸い運動機能の一部が失われただけで言語機能や喜怒哀楽をはじめとした感情があり思考力も残っている。何よりも『意欲』があるということがうれしい。本が読める。落語が聴ける。笑える。健常の時は簡単に思いやりが大切だなんて言っていたが浅はかだったことに気づかされる。とかく病気に甘えがちになるが、今こそ尊厳を保ち、品格を失わないようと決意した。脳のダメージは、人格を失う。心のリハビリが一番大切だ。
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闘病の記⑧(復活の原因CT&MRI&MRA)

2008-07-09 18:20:34 | Weblog
 左手の指が動いた原因は、脳出血で出来た血腫が治療によって溶けて吸収されて脳細胞を圧迫から解放して機能が復活してきたことによるとのドクターの見解であった。
 脳出血と脳梗塞の違いは、血管が破れることと詰まることの違いである。前者はの場合は0.1㎜位の太さの毛細血管が破れ、後者は10倍の太さの1㎜位のものが詰まるとのことである。このことは脳梗塞のダメージが広い範囲に及び早期治療が出来ないと重篤になることを意味する。やっかいなことに、脳梗塞の症状は、ゆるやかに現れることが多く気づきにくい。脳出血の場合は瞬時に症状が現れる。また、出血はCTで撮影し梗塞はMRIの撮影でないと分からない。またMRAは脳血管の撮影で脳内の血管が蜘蛛の巣のようにはっきり分かる、しかも3D画像である。指が動いたことによりモチベーションが上がってきた。どんなリハビリが始まるか楽しみである。
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闘病の記⑦(奇跡の復活)

2008-07-08 09:54:59 | Weblog
 入院して、二十日ほど経った日、妻が「新聞持ってる」と大声をあげた。なんのことか分からずキョトンとしていると、「ほらほら左手」と指さした。ハット見ると左手の親指と他の四指が新聞をはさんで支えていた。全く無意識の動作だった。ぜんぜん動かなかった左手が復活した瞬間だった。身体のそこから喜びが湧き上がってきた。そしてしばらくじっと手を見つめていた。何故突然復活したのだろう。
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闘病の記⑥(うつからの脱出)

2008-07-07 15:44:21 | Weblog
 今までのキャリアとポジションをすべて失って文字通り無になってしまった。でもまだ生きている。後ろ向きの思考から脱出できたのは、生まれたばかりの新生児は、赤子というように何も無い状態で生まれてくる。このことと今の自分の状態が似ている。生まれ変わったのだ、発症した日が二度目の誕生日だと思えた、覚れた。負け惜しみでなく心の底から納得できたのだ。今からここから二度目の人生の始まりだ。歩くことや、手を動かす能力をこれから獲得すればいいのだ。幸い新生児と違って話すことはできるし、考えることもできる。楽しいことがいっぱい有りそうだ。今日はまだ誕生して14日目だ。新生児は一年経たなければ歩けないのだ。二回目の成人式(80歳)まで頑張ろう、これからの人生が楽しみになってワクワクしてきた。この日以降マイナス思考になることはなかった。
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闘病の記⑤(急性期リハビリ)

2008-07-06 14:30:18 | Weblog
10日目から四階のリハビリ室で本格的な急性期のリハビリが始まった。ポイントは、マヒ側の左手足の関節の拘縮を防ぐことにある。肩、肘、手首、手の指、股関節、膝、足首、足の指等の関節が廃用症候群にならないように動かして脳に刺激を与えることである。自分の意志で動かすことができないのでPT、OTの介助によって根気強く単純動作を繰り返した。また顔面マヒにならないように口を大きく開けたりほっぺをふくらましたりして顔体操なることもした。どれだけ機能回復が図れるかわからないが、根気よく続けるしかない。しかし気分は、どんどん沈んで、意欲をを喪失していった。生きてることが、苦痛になってきた。
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闘病の記④(急性期リハビリ)

2008-07-05 20:18:04 | Weblog
これは、八日目から始まった立つ訓練である。右手で支えて立ち上がるまでが一苦労であった。この頃になると、少し落ち着いてきたが、気持ちは落ち込んでうつ状態の一歩手前である。仕事のことは、同僚にお願いしてなんとか回して貰っている。聞きつけてお見舞いに来てくれる人が増えてきた。今思い出してみるとこの時期のことは良く覚えていない。呆然としている状態で正直リハビリどころではない。とにかく、自力で便所に行きたい。
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闘病の記③(急性期リハビリ開始)

2008-07-04 20:28:21 | Weblog
入院して三日目からベットの上で手のリハビリが始まった。この写真は、七日目にPT(理学療法士)がベットの上でマヒ側の左足の機能をチェックしているところだ。三日目からのリハビリは、寝たままの状態で全然動かない左手に右手を組んで持ち上げる動作だった。なかなか持ち上がらない。こんなに人間の腕が重たいものだとは思わなかった。このリハビリは、退院するまで続いた。毎日欠かさず10回位ずつ間を開けず常に実行した。
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闘病の記②(急性期)

2008-07-03 13:28:29 | Weblog
 この写真は、入院二日目くらいの表情である。
◎左半分が弛緩してよだれが垂れている状態で、生気がない。
◎ベットにあお向けにに寝かされ、全く寝返りができず天井とにらめっこであっ た。
◎食事は嚥下障害が頻繁に起こるため、トロミをつけた味の無いものだった。
◎排泄は一人でできないので介助が必要であった。
  大便は便器に腰掛けて座っていられないので横から支えてもらい、終わったら拭いてもらって着せてもらう状態だ。
  小便はベットサイドに立たせて貰って尿瓶をあてがってしたが、括約筋がなかなかゆるまないので尿意を催してから5分以上経たないと出てくれなかった。
とにかく無我夢中の状態が続いた。
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