1941年12月2日日本海軍軍司令部は、11月26日千島列島の択捉島ヒトカップ湾を出航し、真珠湾を目指して航行をしていた太平洋艦隊に「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」と暗号電報を打電しました。
『「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前6時発表――帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」(1941〈昭和16〉年12月8日午前7時、日本放送協会〈NHK〉のアナウンサー館野守男は開戦を知らせるニュースを二度繰り返した。』
きょうは太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃から73年です。
海軍軍令部総長永野修身(おさみ)の発言(太平洋戦争開戦当時)靖国神社後援ドキュメント映画「わたしたちは忘れない」から
『米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は魂を喪失する民族永遠の亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見出し得るであろう。
戦ってよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残ればわれらの子孫は再起、三起するであろう。』
最高戦争指導者のこのような態度で始まった戦争によって、2000万人以上のアジア諸国民・民族と310万人の自国民を死に追いやり、国土を焼土と化し、原爆まであびたのです。
管理人は、靖国神社平和ガイドで遊就館内を説明してきましたが、(第一次内閣当時)展示室「大東亜戦争1」のパネル【日米交渉】「宣戦の詔勅」の前で「御名御璽の下に総理大臣・陸軍大臣東條英機以下閣僚の署名が見えます。最後の方に商工大臣岸信介をよく見て下さい。総理大臣安倍晋三はA級戦犯容疑者となったこのお爺さんの名誉回復の為に頑張っています」と大きな声で説明をしながら「指さし棒」で岸信介の文字を叩いていました。
ある日のこと遊就館担当の神職坂明夫さんが飛んできて「長谷川さんパネルを叩かないで下さい」と注意されました。「すいません」と謝り、次回からは秋葉原電気街で購入したレーザーポインターを使うようにしました。
いま戦われている総選挙で自民党安倍晋三総裁は、「この道しかない」と一路「戦争の出来る国日本」へ、そして「天皇を国家元首とする自民党憲法」実現に向かっていますが、日本共産党を躍進させて「平和への道」に進みましょう。
《追記》2020年7月1日より、遊就館内のガイドは不可となりました。
(了)