久しぶりに「50年目の伝言」をアップします。
綿貫洋一さんは、今年6月に90歳6ヶ月で逝去されました。1934年(昭和9)生れなので、「12月8日 開戦の日」や「学童疎開」の事を鮮明に記述されています。
在りし日の綿貫洋一さん(真ん中です)
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戦時下に過ごした少年期 綿 貫 洋 一
源氏前剛の頃 1940年、私 . . . 本文を読む
帝国陸軍二等兵として茶 山 克 巳 私の軍隊生活は終戦間近の短期間、しかも内地だけでした。それでも侵略戦争遂行集団としての帝国陸軍の不合理さとデタラメさをかいまみることができました。 私の経験した軍隊生活をまとめてみました。 なぐる蹴る 私の初入隊は一九四四(昭和十九)年二月。 金沢の輜重連隊でした。(注:陸軍第九師団) 入隊の日だけは「お客さま」、早速翌日から「なぐる」「ける」が始まりました。 . . . 本文を読む
間時代に成長の記
田 中 光 春
わたしの「戦後五十年の体験記」はへしまげられた人間成長の体験談である。
(一)
小学校二年(一九三六年)のとき、「修身」の授業でテストがあった。問題は五題ほどであつた。わたしは五間とも問題はやさしく全部正しく答えたと思いこんでいた。ところが先生から試験用紙をかえきれてみると一問だけペケ印がついていたぞれをそてわたしは「アレッ . . . 本文を読む
ブログ記事『戦後50周年記念新宿平和文集「五十年目の伝言」』の中に『私の軍隊生活と経歴 小俣佐夫郎』をエントリーしてありますので、是非ご訪問下さい。。
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捕虜処刑
廟下の線路に八路軍が出没したとの情報で六名で出撃したが既に敵の姿はなく、昼前に帰隊した。
横井中隊長に呼び出された(久原中尉は日本に帰国)。そこには掘江曹長も下を向いて立っていた。何か日頃 . . . 本文を読む
私の軍隊生活と経歴
小 俣 佐 夫 郎
入隊
昭和十六年十二月八日、日本帝国は遂に米英に対し宣戦を布告し、大東亜戦争にと突入した。満洲事変・支那事変・大東亜戦争と、私達の年代はまったく戦争の中で青春を迎えた。私も翌十七年一月初めに甲種合格で入営が決まった。
品川区大井町駅前で多くの友人・家族の見送る中で「天皇陛下と御国の為に命を惜しまず戦って参ります」と精一杯、力を込めて誓い . . . 本文を読む
特攻志願者は一歩前へ!
岡 本 信 吉
私は一九四三年(昭和十八年)十二月に、当時の日本海軍の甲種飛行予科練習生(予科練)として三重県津市の近くの三重航空隊に入隊しました。適性検査の結果、飛行機からの偵察員ということで、翌四四年三月、茨城の土浦航空隊へ転属しました。
この、偵察員と操縦員の分かれが生死の一つの分かれでした。日本軍の飛行機の操縦者はほとんどが戦死しています。
当 . . . 本文を読む
戦後50周年記念新宿平和文集「五十年目の伝言」
記念文集の出版にあたって
一九九五年八月十五日、わたしたちは戦後五〇周年を迎えました。
五〇年前のこの日、天皇制政府が連合国のポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終わりました。
敗戦にいたる半世紀は、絶え間ない戦争の時代でした。そして戦争は、わたしたちにもアジアの人々にも、消し去ることのできない記憶を刻みつけました。それは一人一人にとって、耐 . . . 本文を読む
自分史・新宿区役所通り
八十歳を超え結婚50年記念を迎え自分史をBlogで作成することにした。