これまで城郭と刑場の「不浄門」について投稿してきました。
Facebook公開グループ「お城めぐり石垣百景」に、皇居東御苑平川門の不浄門の写真を投稿したところ、「立ち入り禁止」エリアの写真はルール違反だから注意しろと管理者のコメントがありました。
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グループ情報
『お城の石垣』に注目、主体としたグループ . . . 本文を読む
6月8日付朝日新聞読書欄に「関良基著・江戸の憲法構想」の書評が掲載されました。
信州上田藩士の赤松小三郎を知られざる逸材と評価していますが、友人の和田一さんから赤松小三郎と幕府老中松平忠固を知るように薦められていました。
そもそも、和田さんから「関良基・鈴木壮一・村上文樹共著 不平等ではなかった幕末の安政条約 関税障壁20%を認めたアメリカ・ハリスの善意」を薦められて、2023年4月に下田 . . . 本文を読む
ペリーが下田に来航。嘉永7年(1854)5月22日(6月17日)に了仙寺で和親条約の細則を定めた下田条約を締結した。
アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが玉泉寺を領事館とする。通訳ヒュースケンが描いた米国旗。
安政4年ハリスは江戸へ出立した。
九段の蕃書調所を宿所とした。
ハリスは江戸城で将軍家茂と面会する。
(続く) (戻る)
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>初めて小型トランシーバーでガイドした<
先月5月21日と同じコースの「江戸と近代の歴史散策」を「人骨の会」折り込みチラシ、東京新聞、週刊金曜日に告知した。本日9名と豊島区の手話通訳者2名が参加された。
小型トランシーバー用のマイクを使用したので好評だった。
スマホとタブレットで「歴史散策資料」を見てもらいながらガイドした。
江戸の歴史
大嘗宮跡
不浄門
ハリス 下田 . . . 本文を読む
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下田から江戸まで七日間の行列だった。
「蕃書調所」の変遷
佐野真由子著「幕末外交儀礼の研究 欧米外交官たちの将軍拝謁」より
左から三人目が、総領事タウンゼント・ハリス。四人目が通訳ヘンリー・ヒュースケン。
2023年4月26~28日まで下田で「幕末史」を研究した。
吉田松陰の「下田踏海」は . . . 本文を読む
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鈴木理生著「江戸と江戸城」及び「江戸はこうして造られた」より
徳川家康関東入l国直後の工事
第一次天下普請図
第二次天下普請図
第五次天下普請図
江戸五街道と脇街道
江戸の範囲
(了)
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「開国と攘夷」を研究していると、外務省の公式文書を見たくなったので世田谷区図書館で検索したら「明治百年史叢書 Ⅰ 日本外交年表 並 主要文書 上」があった。
外交年表には丁抹(デンマーク)との「長崎上海間の海底電線完成の旨通告」もあったので「日本の古本屋」から購入した。
「日本の古本屋」で4500円だったが、思い切って購入した。
日米和親条約
(続く)
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過日、下田図書館宛てに『松陰らが送り返された場所、すなわち「上陸せし處は巌石茂樹の中なり。」(『吉田松陰廿七夜記』)の具体的場所について』及び『森義男著「ペリーと下田開港」』中の14頁「ペリー艦隊下田碇泊図」中の「トトリ崎」「田ノ尻」の地名について』についてを質問していたが、本日。下田市史編纂室から丁寧な回答文と参考図が送付されたきた。
絵葉書「下田百景」の「松陰上陸の碑」
森義男編「 . . . 本文を読む
幕府は、下田奉行井上信濃守清直と目付岩瀬肥後守忠震をハリスとの条約談判委員に任命した。
1857年1月18日(安政4年12月4日)ハリスは蕃書調所において日本側委員と会見、修好条約の草案を提出。以後14回の談判。
3月6日 ハリスは重篤となり、海路で下田に戻った。4月18日海路で江戸に戻り蕃書調所に入った。
1858年7月19日(安政5年6月19日)神奈川小柴沖に停泊した米軍艦ポーハタン号上 . . . 本文を読む
米国総領事ハリスは、通訳ヒュースケンを伴なって安政4年10月7日(1857年11月23日)下田を出発した。天城山を進み富士山を見た感動は5月12日のblog記事にした。
安政4年10月14日(1857年11月30日)「蕃書調所」に到着した。最大の目的である「大君との謁見」が安政4年10月21日(1857年12月7日)に行われた。
ハリスの滞在記によれば「蕃書調所」から「江戸城大手門」まで1哩半 . . . 本文を読む
日頃から、イギリス大使館が皇居吹上御苑を遠望する一等地に所在するのか疑問を抱いていた。
千代田区文化財係学芸員高木氏に質問したところ「麻布から移転する用地を探すために、大名・武家屋敷跡を色々と物色していた。最終的に現在の屋敷跡となった。」と教えてくれた。千代田日比谷図書館にあった「千代田区立四番町歴史民俗資料館」の平成11年度特別展「駐日英国公使アーネスト・サトウとその家族~明治・大正・昭和の番 . . . 本文を読む
日比谷公園内にある千代田区日比谷図書文化館文化財事務室を訪問し、文化振興課文化財係学芸員と面会した。
①安政4年10月14日(1857年11月30日)から米国総領事ハリスと通訳ヒュースケンが宿泊した「蕃書調所」の沿革。②ハリス来訪の江戸幕府公式記録があるかを質問した。
①「諸向地面取調書」によれば、安政3年(1856年)竹本図書頭拝領屋敷上地に「蕃書調所」を設置した。1862年6月15日(文久 . . . 本文を読む
「幕末の安政条約」を、下田の街を歩いて実地調査に同行した歴史研究家和田一氏から、礫川全次著『攘夷と憂国 近代化のネジレと捏造された維新史』を紹介された。
書棚にあった奈良本辰也著「吉田松陰著作選」から「回顧録」を読んでみたが、「下田踏海」であった。
『攘夷と憂国 近代化のネジレと捏造された維新史』は、松陰らの「下田踏海」目的は、海外渡航ではなく、墨使膚懲=ペリー刺殺であったというものである。
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下田開国博物館館長尾形征己氏著2006年刊「ハリスとヒュースケン 唐人お吉 ―物語の虚実」に次のような記述がある。
終わりに 鎖国の日本が開国し、近代化に向かうにあたり、ペリー提督に ついて語られることは多いが、ハリスについては少ないような気 がする。むしろハリスは 「唐人お吉」との係わりで語られることが多い。 今年はタウンゼンド・ハリスが米国初代総領事として下田に着 . . . 本文を読む
下田市内には、尊王攘夷の思想家である吉田松陰がポーハタン号で密航するために潜伏した場所や失敗して下田番所によって拘禁された記念碑等がある。
1854年(嘉永7年)3月18日下田着、岡村屋宗吉方に泊まる。
「ペリーと下田開港」より
3月27日弁天島から漁船でミシシッピー号に乗り込んだが、旗艦に行けと言われたのでポーはタン号に乗り込んだ。ペリー提督から「日本政府の許可がないから」と断 . . . 本文を読む
自分史・新宿区役所通り
八十歳を超え結婚50年記念を迎え自分史をBlogで作成することにした。