「中村屋のカリーライス秘話」
新宿東口にある老舗・中村屋は皆さんご存じだと思いますが、中村屋は1927年(昭和2)喫茶部をつくり日本にはじめて純インド式カリーライス(カレーライスではない)を紹介しました。今回はその誕生秘話をご紹介します。
梅屋庄吉は孫文らの中国革命同盟会とフィリッピン独立党やインド独立革命党を結びつける役もつとめました。イギリスから一万数千ルピーの賞金がかけられていたインド独 . . . 本文を読む
「孫文と梅屋庄吉」
現代中国成立の礎となった孫文による「辛亥革命」は歴史教科書で習ったことを覚えている方は多いと思います。
百人町二丁目大久保スポーツセンターの隣にあった梅屋庄吉という人物の屋敷で孫文と宋慶齢が結婚披露宴を挙げたことが日中友好条約締結の機運昂まった30年前に出版された伝記「国父孫文と梅屋庄吉」で明らかになりました。
慶齢(ケイレイ)は当時、中国随一の財閥「宗家」の次女で、長 . . . 本文を読む
新宿区は東京都内で有数の総合病院が多い区ですが、そのなかで次の4病院がかって陸軍関係の敷地だったというのが「軍都」新宿らしい特異な姿です。
国立国際医療センターは陸軍第一病院でした。そして百人町の社会保険中央病院は陸軍科学研究所、信濃町の慶応大学付属病院は陸軍輜重兵大隊、河田町の東京女子医大付属病院は陸軍経理学校と各々の敷地でした。
【画像は慶応病院駐車場入り口と創価学会民音文化会館との地境に . . . 本文を読む
明治神宮外苑【その三】 日清戦争時に青山軍用停車場にのために開通し、現在も総武線下り線の旧御所トンネルとして使われています。
明治天皇一年祭を機に発足した明治神宮と聖徳記念絵画館の造営は、大正4年に着工しました。しかし、第一次世界大戦がはじまり、その影響で物価・賃金が急騰し、造営予算に支障をきたしました。そこで造営局造営課長の発案で全国各地の青年団が上京し、労力奉仕という形で . . . 本文を読む
明治神宮外苑【その二】
ちひろ美術館安曇野の前で著者の平山弁護士と管理人のツーショットです。
天才画家であったいわさきちひろの没後32年になりますが、弁護士平山知子さんが一昨年「若きちひろへの旅 上・下」(新日本出版社)を出されました。平山さんは、著書の中でちひろの家族との親交そして取材を通じて知り得たちひろの人生と真実を余すことなく語っていますが、ちひろが敗戦前年に中国東北部・勃利に行く . . . 本文を読む
明治神宮外苑【その一】
「神宮外苑は何区何町にありますか?」と聞かれて正確に答えられるのは地元と関係者の皆さん達だけでしょう。国立競技場の崖下の一部が渋谷区、銀杏並木と権田原交差点のあたりが港区で圧倒的大部分が新宿区霞ヶ丘町です。
江戸時代は広い原野で幕府の煙硝蔵・鉄砲場などがありました。明治になってからは陸軍火薬庫と広大な青山練兵場に引き継がれました。付近には近衛騎兵連隊、陸軍大学校、女子学 . . . 本文を読む
新宿区内には徳川家以外にも武家屋敷が多くありました。矢来町の小浜藩主酒井忠勝の屋敷、信濃町の永井家などみな広大な屋敷地です。しかし、まず尾張徳川家の屋敷地を軍関係にしたのは、冒頭に記述したとおりです。しかし、また、官軍の母体となった陸軍の幹部は、同じ理由からその教育諸機関を尾張家屋敷地に置いたと思われます。
新宿区は、陸軍関係の諸学校が多く設置されていたのが新宿区の教育上の特色の一つと言えます . . . 本文を読む
いよいよ今回から「菊」の登場です。それは朝敵討伐の標として用いられた『錦の御旗(錦旗:きんき)』に金糸で縫取りした「菊」の紋章に象徴される天皇家の軍隊「皇軍」が新宿区の歴史上に登場してくるのです。【注・江戸東京博物館や遊就館に展示されている錦旗は日章となっていますが、菊と二種類あったようです。】
新政府軍の「錦の御旗(錦旗:きんき)」は日月模様(丸い模様)と菊の模様が登場しますが、どちらが事実か . . . 本文を読む
『新宿には二つの顔があります。繁華街歌舞伎町と超高層ビルの新宿です。もう一つは 軍事都市だった新宿です』と「新宿の戦争遺跡」について書かせて頂きましたが今回からは「葵から菊へ・かっての軍事都市新宿」を順次ご案内して行きたいと思います。
徳川家康が江戸に幕府を慶長8(1603)年に開いて404年になりました。
家康が江戸の街づくりで苦労したことの一つが「水」問題でした。江戸に入府した天正 . . . 本文を読む
9日に防衛庁から防衛省になりました。
この看板プレートは薬王寺門のものですが戦前の陸軍省に見えてきました。
ここ市ヶ谷台は明治7年に陸軍士官学校が設置されました。士官学校は相武台に移転した後に昭和16年、三宅坂から陸軍省が移転し、大本営陸軍部が置かれ太平洋戦争遂行の中枢の役割を果たしました。
市ヶ谷記念館には陸軍大臣室が保存されています。大臣室は陸上自衛隊東部方面総監室となりました。この部屋 . . . 本文を読む
『新宿の戦争遺跡は「加害」と「被爆」そして「反戦」の歴史が学べる第一級品』
新宿には二つの顔があります。繁華街と超高層ビルの新宿です。もう一つは軍事都市だった新宿です。 市谷亀岡八幡宮境内に残る「陸軍省所轄地」「陸軍用地」と刻み込まれた御影石の境界石は、隣地が明治9年以来陸軍士官学校であり、士官学校が移転した後は陸軍省が存在していたことを示す明白な戦争遺物です。
富久町の北東に小さな公園があり . . . 本文を読む
自分史・新宿区役所通り
八十歳を超え結婚50年記念を迎え自分史をBlogで作成することにした。