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朝鮮平壌府竹園町で生まれた母が5歳の時、祖母はスペイン風邪で死んだ

2020年02月26日 | 我が家族

新型コロナウイルスに関連して、1918~19年のスペイン風邪のことが話題に上っていますが、安倍総理を見ていると100年前の悪夢がやってきそうな気配です。

祖母の三宅タマは、朝鮮平壌府竹園町壱番地鉄道官舎に住んでいたとき、スペイン風邪で一週間高熱が続き22歳の若さで死亡しました。当時妊娠三ヶ月だったそうです。

祖父は5歳だった母と3歳の伯父を連れて、東京市蒲田区(現在東京都大田区)へ引き揚げてきました。

昨年、国立国際医療研究センター地下1階ロビーにある展示コーナーで「スペイン風邪」の展示を見たときにふと、母と祖母のことを思い出しました。

母26歳、管理人4歳。(杉並区井荻一丁目の自宅)

国立国際医療研究センター地下1階ロビーにある展示コーナー(現在は、個人情報なので非公開となっています。)

(了)

 

 

 

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2 コメント

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朝鮮平壌府竹園町のこと (みけ)
2024-09-15 23:28:26
はじめまして。突然失礼します。首都圏に在住しているみけと申します。母(85歳)の家系をさかのぼって調べ、家系図を作っています。
母の父(私の祖父)は香川県出身で、祖父の両親(私にとっての曽祖父母)のうち、曾祖母(1870生~1964没)の家系を辿るうち、曾祖母の弟(八十太郎という名です)が妻子と共に朝鮮半島にわたっていたことが分かりました。
というのも、八十太郎の娘たちの出生届が出された場所が「京畿道京城府漢江通15番地龍山鉄道官舎」(三女・1910生~1914没)、「朝鮮平壌府竹園町70号の2」(五女・1917年生)となっています。
五女が誕生した直後に八十太郎は分家届を出し、香川県の本籍から除籍されているので、その後の彼と家族がどうなったのかは、直系尊属ではない私には調べられないのでわかりませんが、全く知らない朝鮮半島の地名に驚き、どのような経緯で香川の小さな漁村から移り住んだのか、どんな場所なのか…が知りたくてネットで検索をし、2年前にお書きになられたこちらの記事にたどり着いた次第です。
朝鮮平壌府竹園町も、鉄道の官舎だったのですね。
筆者様のおじいさまおばあさまとお母さまと弟さん一家と、八十太郎一家がもしかしたら知り合いだったかも、とか、八十太郎一家もやはりスペイン風邪に罹患したのだろうかとか、色々と考えさせられました。
もう少しいろいろと調べてみるつもりつもりです。
貴重なお写真と情報に助けられました。

若くして、お子さんを身ごもりながら亡くなったお祖母様のご冥福を祈りつつ。
長々と失礼しました。
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Unknown (管理人)
2024-09-16 14:49:14
みけ さんへ
コメント有り難うございます。
朝鮮半島分断38度線の歴史について投稿したばかりなので、偶然性に驚いております。
祖母の実家は京都府なので、母と妹が訪問しました。
家系図が完成することをご祈念します。
返信する

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