「風流」
風流人というのが私は苦手である。風流そのものは嫌いではなく、紅葉の京都などへ行けば、顔の色が赤く染まるくらい風流気分になっていたい方なのだが、困るのはその次なのである。風流に少し染まっていると、何処からともなく風流大好き人間みたいなのが現れて、何かかにかと話しかけて来るようになるのだ。その話は、こちらを風流人と規定した上で、あなたも風流、私も風流、同じ仲間でハッピーハッピー、といった類になりやすく、私はそこら辺が嫌いというより苦手なのである。
クロマニヨン人に似ているとか、縄文人に近いのでは、と冗談を言われたり言ったりするのは大好きなのだが、知らぬ人が寄って来てこちらを風流人と規定しつつ話を始められたりすると、ナニカチガウノダケドナー、と思うのである。

































風流人というのが私は苦手である。風流そのものは嫌いではなく、紅葉の京都などへ行けば、顔の色が赤く染まるくらい風流気分になっていたい方なのだが、困るのはその次なのである。風流に少し染まっていると、何処からともなく風流大好き人間みたいなのが現れて、何かかにかと話しかけて来るようになるのだ。その話は、こちらを風流人と規定した上で、あなたも風流、私も風流、同じ仲間でハッピーハッピー、といった類になりやすく、私はそこら辺が嫌いというより苦手なのである。
クロマニヨン人に似ているとか、縄文人に近いのでは、と冗談を言われたり言ったりするのは大好きなのだが、知らぬ人が寄って来てこちらを風流人と規定しつつ話を始められたりすると、ナニカチガウノダケドナー、と思うのである。
































