カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

9月・・・1Sep2010

2010-09-01 | エッセイ
  
           


かつて、20代の頃にフィリピンへ旅した時の土産として買い求めたものである。中は、丁度ひょうたんの様に空洞になっていて、水筒といえばいえなくもない代物。どういうふうに使うかよくは分からなかったが形と、細工が気に入ってぶら下げて帰って来た。水を入れて使った事がないので漏れるか否かは判明していない。たぶん今後も水を入れずに飾っておくだけで満足なのだと思う。
 その時は友人と二人の旅だった。短期間で1週間くらいのものだったと思う。マニラへ空路で入り、そこから国内便で1時間ほど飛び、後は小さな地元の船で海底が透けて見えるエメラルドグリーンの海を海面まじかの視線で眺めつつ行き、小島へ渡った。ここで木の葉で覆って造られた安いコッテージを借りて遊んだ。島で遊んでいる人間には日本人はおらず、ヨーロッパなどから来た長期の旅人がほとんどだった。
 ここでの話は色々と尽きないくらいあるのだが、一つ、島へ渡る飛行機での出来事を思い出した。
 その国内便の飛行機は、ジュラルミンか何かの金属の色がそのままむき出しの20人も乗れば満杯というくらいの小さなものだった。見た感じからして古そうだった。機体の所どころに継ぎはぎの金属を当てて鋲打ちしてあり、それが図らずもデザインとなっているといった類の、双発のプロペラ機だった。それに安旅行好きといった者や見るからに地元の者といった面々が乗り込み、気楽そうなパイロット2名がひょこひょこと歩いてやってきてコックピットに入るといとも簡単に飛び立ったのであった。飛び立ったのはいいが、上昇中は機体がしばらくの間、前を上にして斜めになる。私たちは一番前の席が指定の席だった。私のすぐ目の前にコックピットと客室を隔てる扉があり、機体が斜めになっているのでその扉がパカッと開いて私の膝のあたりに落ちてくるのであった。手で押し戻して締めようとしたがドアノブが壊れているらしく、ラッチが効かないのだ。手を離すとまた膝に落っこちてくるのだった。コックピットの中は丸見えである。二人のパイロットは笑いながら気にも留めていない様子だ。ちゃんと前を見て操縦してくれ。何のこれしき、仕方なしに私は足を伸ばしてそのドアを押し上げつつ上昇の間ずっとコックピットにふたをしつつづけたのであった。ふたをしててやった、のではなく膝に落ちたままだと重たかったのである。飛行機の扉というのは内部扉とはいえ造りが重厚で重いものなのである。飛行機の扉の重量を体感しつつ飛んだ人間は探してもそうはいないかもしれない。その間隣の座席の友人は薄情なことににやにやと笑うばかりであった。
 その足を突っ張りつつの斜め上への旅はやがて終り、飛行機はほどなく水平飛行に移り、平穏な時間が訪れたのだった。きちんと閉じられることもなく今や半開きのままとなったその扉ごしにコックピット内部はやはり丸見えで、依然としてパイロットは休むことなく談笑し続けていた。飛んでいるから操縦はしているのだろう。
 その向こう、操縦席のガラス越しに、青く広がるフィリピンの海と点在する島々と千切れたように浮かぶ雲が、陽光に熱を帯びたようにかすんで眺められるのだった。


                                          
コメント
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