◆八ヶ岳美術館・12月2007◆
◆2007年の年の瀬も押し迫った頃、中央線の各駅停車に乗って、八ヶ岳美術館へと出かけた。どこかへ出かけられればよかった。旅がしたかった。その美術館は村野藤吾の設計と知ってはいたが、まだ見たことがなかったので丁度よかった。時間的にも朝早く出れば、日帰りができそうだった。「ふじみ」駅だったか「すずらんの里」駅だかで降りて後は歩けばよいと思いつつ出かけ、結局歩きに歩いた。余談だが、後で思い返せばその時、余り体調がよくなかったのだが特に自覚はなかった。偶然、検査でそれが分かり、その後は体重を落としてほぼ健康になっている。
美術館に着いたのは11時頃だったと思う。さすがに原村は村自体が標高が高く、山の冷たい空気がピンと張りつめていて気持ちがよいのだった。片道8キロくらいの距離だったと思うが空気が旨いので、さして疲れもせず、飽きもせず歩くことができた。
冬の木立の隙間に収まるような格好で美術館はあったのだが、想像していたより小ぶりの感じがした。敷地は塀などで囲われているわけではないので、広々とした山麓の雰囲気を十分に感じ取ることができた。屋外空間も、林の中の庭園といった風情で、散策できるのだった。
建物の内外をゆっくり見ることができた。他の名所などを見る予定などはなかった。展示は常設の彫刻、絵画など。企画展は丁度、フィンランドのクビカス織作家の加藤玲子さんの個展などが開かれていた。内部スペースが、特徴的な円形なのだが、それも気にせず、上手く展示されていた。
結局そこに、2時間ほどいたと思う。何を2時間もというかもしれないが、傍らの椅子に腰かけたり、立って歩きまわったり、受付の人とその建築の使い勝手やら細かなところを話すうち、そのくらいの時間は経ってしまったのである。
帰りは「樅の湯」温泉までとりあえず歩き、そこで温泉に浸かったかどうかは忘れたが少し休憩した後、「あおやぎ」駅までまた歩いた。一日でかなりの距離を歩いたという印象が残っている。距離にして計20キロくらいか。帰り道のスーパーで買ったワンカップの日本酒が旨かったのを覚えている。
その程度歩くのはへのかっぱである、と言いたいところだったが、さすがにこの時は少し疲れた。
(原村歴史民俗資料館は八ヶ岳美術館の中に併設された形になっていて縄文土器、石器などの考古学的資料が展示されている)
(2007年当時のパンフレット。クリックで拡大後、%拡大可。)
◆2007年の年の瀬も押し迫った頃、中央線の各駅停車に乗って、八ヶ岳美術館へと出かけた。どこかへ出かけられればよかった。旅がしたかった。その美術館は村野藤吾の設計と知ってはいたが、まだ見たことがなかったので丁度よかった。時間的にも朝早く出れば、日帰りができそうだった。「ふじみ」駅だったか「すずらんの里」駅だかで降りて後は歩けばよいと思いつつ出かけ、結局歩きに歩いた。余談だが、後で思い返せばその時、余り体調がよくなかったのだが特に自覚はなかった。偶然、検査でそれが分かり、その後は体重を落としてほぼ健康になっている。
美術館に着いたのは11時頃だったと思う。さすがに原村は村自体が標高が高く、山の冷たい空気がピンと張りつめていて気持ちがよいのだった。片道8キロくらいの距離だったと思うが空気が旨いので、さして疲れもせず、飽きもせず歩くことができた。
冬の木立の隙間に収まるような格好で美術館はあったのだが、想像していたより小ぶりの感じがした。敷地は塀などで囲われているわけではないので、広々とした山麓の雰囲気を十分に感じ取ることができた。屋外空間も、林の中の庭園といった風情で、散策できるのだった。
建物の内外をゆっくり見ることができた。他の名所などを見る予定などはなかった。展示は常設の彫刻、絵画など。企画展は丁度、フィンランドのクビカス織作家の加藤玲子さんの個展などが開かれていた。内部スペースが、特徴的な円形なのだが、それも気にせず、上手く展示されていた。
結局そこに、2時間ほどいたと思う。何を2時間もというかもしれないが、傍らの椅子に腰かけたり、立って歩きまわったり、受付の人とその建築の使い勝手やら細かなところを話すうち、そのくらいの時間は経ってしまったのである。
帰りは「樅の湯」温泉までとりあえず歩き、そこで温泉に浸かったかどうかは忘れたが少し休憩した後、「あおやぎ」駅までまた歩いた。一日でかなりの距離を歩いたという印象が残っている。距離にして計20キロくらいか。帰り道のスーパーで買ったワンカップの日本酒が旨かったのを覚えている。
その程度歩くのはへのかっぱである、と言いたいところだったが、さすがにこの時は少し疲れた。
(原村歴史民俗資料館は八ヶ岳美術館の中に併設された形になっていて縄文土器、石器などの考古学的資料が展示されている)
(2007年当時のパンフレット。クリックで拡大後、%拡大可。)