ここ数日、本当に暑い。今日も暑い! しばらく前に、ニュースで猛暑だ猛暑だと言っていたが、この何日かの方が暑いのではないか・・・・・。暑くて夜も寝られない。全然我慢強くない・・・。我慢するようなこととも思わない・・・・。今、東北へ行けば少しは涼しいかもしれない。避暑のバカンスになるかもしれない・・・。
ある夏の猛暑の日に、私は新百合ヶ丘の駅で電車を待っていた。うだるような暑さ。照り返しが強くて湯気の立ちそうなホームに突っ立っていた。ぼんやりとした私の頭の中に、何か甲高い鳥のさえずりの様な声が入って来るのに気が付いた。そう思ううちに目の前を、その鳥のさえずりが通り過ぎた。ペチャクチャと楽しそうにおしゃべりしながら通り過ぎたのは、20歳少し前くらいの女の子の塊だった。3人連れのその子たちの姿を暑さで朦朧とした私の目が何となく追ったのだが、それは周りの景色の中で異質な感じだった。彼女たちは何と水着を着ていたのだ。おおっ!!!!! それがホームを歩いて行く・・・。体に派手な色のビニール状のものがくっ付いているのも駅のホームでは目立った。目の焦点が合うとそれが浮き袋やスイム用バッグ、ゴーグル、その他もろもろのプール用具・・・、だということが分かった。ほぼビニール製・・・。それらが体にくっ付いて満載!!!・・・・。周りを気にすることのないその賑やかなペチャクチャとしたさえずりはホームを移動し、ようやくそれがプールへこれから遊びに行く一個団体のものと気付いた私のすぐ目の前を通り過ぎ、向うの方へと消えて行くのだった。周りはYシャツにネクタイ姿の男や電車で買い物にでも出かけるおばさんたちのいるごく日常の風景だった。私は唖然とした後でしばらく笑った。家を出るときからもう早くも水着に着替え、そのまま電車に乗り、よみうりランドのプールへでも行くところだったのだろう。楽しそうだった。
今でこそ海外へ出ても自分のケータイやパソコンから自分の国や国境を越えた海外へメールを打てるし、それがほぼ瞬時に届くようになってこんなに良いことはないと思えるようになった。僕がインドへ行っていたとき、30年ほど前はそういうわけにはいかなかった。頼りになるのは郵便局だったのだ。国際電話という手もないではなかったが通信網の発達していない地域からだとこれも結構大変なことだったのだ。伝える内容など、元気です、元気ですか、といった類の大したことではない場合が多く、そのちょっとしたことに対してかかる手間がとてもアンバランスだった。そんな時代、手紙の一つも出そうと思うと郵便局へ行き、そこで全部を頼りとするのが常だった。絵葉書などもその周辺で必要な1,2枚を買い、郵便局で掛かる料金を訊き、切手を買い、書くものを借りたりしてそこのスタンドのテーブルでササッと書いて出すのだった。手紙を書いて出すまでのことを郵便局でほぼ全部やっていた。特に旅行者にとってはそういった場所だった。場所によっては今でもまだそうかもしれない。だから、そこへ行くと、似たような外国からやって来ていると思しき連中が、どちらかというと貧乏旅行者が多く、だから若い人間が多い・・・、それぞれ何か書いていることが多かった。特にその街の中央郵便局とはそういった役割を十分に果たしていたのだ。インドの切手は舌でべロッと舐めて貼ろうとしても糊の出来が悪く半分剥がれそうになったまま出すことも多かった。日本の質の良い切手しか知らないとそんな違いも面白く感じられたのだ。ある外国から来たと思しき白人の美人なども、もう、何これっ!といった感じでくっ付かない切手を親指に力を入れ無理やり手紙に押し付けているのを何回か見た。それがまた可笑しいといって旅行者の間で話題になるのだった。
インドのある大きな街の郵便局でだったと思う。僕が手紙を書いていると、傍らに同じ年齢くらいの男がやって来て、立って何か書きだした。並んで立ってしばらく書いていた。僕は彼に訊いた。「故郷への手紙かい?」「そう。」彼は何か嬉しそうだった。何か近況を知らせることに満足感を感じているのかもしれなかった。僕もそうだ。「僕は日本への手紙なのだけれど、君はどこから来たの?」彼はますます嬉しそうに右手の親指を立てグッドポーズを作り「イェーイ!シカゴだぜ!」と言って笑った。何かそのアメリカ人らしいノリとロックバンドのシカゴのことがなぜか重なって、僕も笑った。ただそれだけのことなのだが、よく覚えている。