マエストロ道義との「躍動の第九」終演後には、母の納骨祭、五十日祭のため鹿児島に飛んだ。ちょうどマエストロも記者会見のため福岡に飛ばれるところで、伊丹空港までお車をご一緒できたのは嬉しいことであった。
それにしても、ザ・シンフォニーホールから伊丹空港の距離がそれほど遠くない(高速を飛ばせば20分弱)とはいえ、搭乗の約50分前まで楽屋で弁当を悠々と召し上がるというマエストロの肝の据わり方は、小心者のわたしには真似できないな(笑)。大物と小物の違いである。
さて、昨日は母の納骨のあと、斎場での五十日祭。五十日祭とは、仏教でいえば四十九日にあたる神道のお祭。本来の五十日目は元日にあたってしまうため、家族のスケジュールを照らし合わせての早めのお祭となった。
母のお骨が墓に納まると、気持ちの整理もひとつついたように思う。母の入院 ~ 死 ~ 東京オペラシティ公演 ~ ウィーン楽旅 ~ 躍動の第九と激動の二ヶ月間であったが、年内残すところ尾高先生との第九のみ。
体調を崩すこともなく、すべてが順調に運んだのも母の加護があったればこそ。母に感謝。
心はベイスターズが死闘を繰り広げるハマスタ、福岡ドームにありますが、今回に限ってはテレビ、ラジオ、ときにスポナビの文字情報を通しての応援です。
もちろん、モーツァルト「魔笛」序曲、「40番」「レクイエム」のスコアも持参しておりますよ。オペラシティでの本番まで2週間を切りました。ここへきて、我が内面に新しい何かが生まれつつあります。
以下、備忘録としての鹿児島写真集。蒲生八幡神社の大楠(かもっくすレーベルの守神)も拝みにゆかなくては。
磯庭園(仙巌園)近くより桜島を眺める。
日の出温泉 きのこの里 ~ 天降川(あもりがわ)を見下ろす源泉掛け流し、このクオリティで入湯料僅かに200円! お向かいには龍馬の散歩道。
福島家のルーツ 蒲生町の武家屋敷通りと武家門(古民家カフェ) ~ 祖先は関ヶ原の合戦に駆り出されたのだろうか?
妙見温泉 田島本館 ~ 日の出温泉と同じく天降川沿いにある日帰りの湯。神経痛の湯、キズの湯の二択から前者を選択。常連客が幅を利かせ、ややアウェイ感あり(笑)。入湯料250円!
思川からの夕景 ~ いかにも鹿児島らしい山の形、空の色。
今朝は、お気に入りのアルバム、スティーリー・ダンのEverything Must Goをいつもより少し大音量で、通い慣れた道を快適な気分で運転していたところ、突如、左の小道から、左右を確認しないタクシーが飛び出してきた。町田ではお馴染みの白い車体のC交通である。
咄嗟にブレーキをかけ急ハンドルを切ったため間一髪のところで衝突は免れたが、あと1秒タクシーの飛び出すのが早かったら、あと数km/hわたしが速く走っていたら避けられなかった。
しかし、車の前半分が反対車線に飛び出した状態で停止したのは、あとから考えると恐ろしいことである。
万一、対向車、しかも大型などが来ていたらただでは済まなかっただろうし、後続車のなかったのも幸運だ。
乗り始めて7ヶ月の愛車に疵がつかなかったことよりも、スウィング ロビン、大阪クラシックの「水のいのち」、オペラシティとシュテファン大聖堂での「モツレク」などの本番を控え、我が身に何事もなかったことは本当によかった。
むち打ち症の辛さは知っている。
まだ携帯も普及していない頃だから、かれこれ20年近く昔になるだろうか?
大和市内で両親を後部座席に乗せて信号待ちをしていたところ、居眠り運転の女性がノーブレーキで我が愛車VWジェッタに突っ込んできたのだ。
あのドゥオーンという衝撃は忘れない。
数ヶ月は首が回らないやら、腰が痛いやらで往生した。
両親には全く症状が出ず、すべてわたしが請け負った(笑)。板金の厚く、ボディの頑丈なドイツ車だったからあれで済んだけれど、軽自動車ならひとたまりもなかった筈だ。
首にコルセットを巻きながらの「第九」指導が辛かったのを憶えていが、痛みのため右腕を肩より上の高さに挙げられない不自由さといったらなかった。
ともあれ、今日のわたしは無事である。
これは何かの警告なのか? それとも、本当に運がよかったのか?
運転のプロである筈のタクシー運転手が、基本中の基本である左右の確認を怠って飛び出すこともある、ということを教えられたことは確かである。
今シーズンの広島カープの強さはダントツで、2位ジャイアンツとのゲーム差を考えるなら、もはやCS免除でよいのではないか? というのがわたしの持論であったし、勝率5割に満たないベイスターズなど出場を辞退すべきではないか? とすら思っていた。
しかし、ルールはルールであり、特にイカサマをしたわけでもない。試合が行われるからには、正々堂々と応援するほかなかったのである。
カープの日本シリーズ進出の決まった今、まさに順当な結果であると納得しているし、「ジャイアンツを破って第2ステージに臨めた」ということの歓びが、今年のベイスターズには分相応だったと思える。そして、その感動を味わえたことを有り難く思っている。
シーズン中より、ラミレス監督の選手起用や采配には、疑問や不満も少なくなかったのだが、少なくとも、昨年までの長い暗黒のトンネルから抜け出せたことは事実であり、評価しなくてはなるまい。
振り返れば1998年、日本シリーズを3試合観戦できたことは、人生に於ける美しい思い出だ。我が生のあるうちにベイスターズが優勝するなどと、夢にも思っていなかったのに、あれよあれよと言う間に優勝してしまった。横浜駅東口に特設された大魔神社にお詣りしたことも懐かしい。
3試合の内訳はハマスタの初戦と、ドームになる前の(つまり屋根のない)西武球場に2試合。いずれもナイターで、10月下旬の狭山丘陵の夜の冷え込みは半端なく、ガタガタ震えながらの応援だったことを憶えている。その分、応援は熱かった!
チケットはいずれもsold outだったのだが、試合開始にギリギリ間に合う時間に新宿の金券ショップに行けば、比較的安く手に入ることは分かっていたのである。もともとの価格も狂乱の現在に較べれば遥かに常識的なものであり、まだネットの転売ヤーの跳梁跋扈する前だったのは幸いであった。
いよいよ、日本一が決まるという日、ハマスタに出掛けようとするわたしを家内が強く引き留めた。行くなら離婚するとまで言うので、渋々引き下がったのだが、なぜあんなにまでして、わたしを行かせたくなかったのかは、未だに謎のままである。
およそ半世紀ぶりに散髪に行く。
幼少期に大阪在住だったため、家庭では「散髪」と呼ぶのが普通であったが、横浜への移住後は周りの友だちに合わせて、「床屋」と言うようになった。なんだか少し大人になったような気がしたものだ。ただ、父親は未だに「散髪」という。これ、鹿児島弁ではないと思うのだが・・。
その後、桐朋学園在学中に仙川の美容院に通い始めてからは美容院ばかり、男性専科の床屋を含めても30余年ぶりである。
散髪と床屋。
呼び方が違うだけで中身は一緒ではないか? との声も聞こえてきそうだが、昨日行ったのは、断じて、床屋ではなく大阪ならではの散髪屋だ。
驚くべきは、合理的な分業制である。
1.受付の会計係、2.座席まで案内する人、3.椅子を整えて前掛けをかける人、4.髪の毛を切る人(当店のマスター)、5.洗髪とひげ剃りの担当者、6.最後にブローしながら髪型を整える人、店に入ってから出るまでに、6人もの人が代わる代わるボクの身体を通り抜けていったことになる(笑)。こういうシステムのお店が関東に存在するのかどうかは知らないが、カルチャーショックではあった。
日頃、馴染みの美容院では、担当者と世間話をしたり、家族の近況を話したり、人と人との触れ合いを楽しんだりするが、ここの散髪は非情なまでに人間性を切り捨てている。例えばブローと仕上げ担当の方は、朝から晩まで、人の頭とドライヤーにしか触れていないワケで、これでは人情の芽生える暇もない。甚だ合理的ではあるが、ボクにはできないお仕事だな、と思った。
しかし、不意の空き時に予約なしで飛び込むことができ、30分未満で全てが終わるというのは、わたしのような移動の多い人間には大いに助かる存在ではある。今後も利用する機会はありそうだ。
宿に戻り、鏡をみる。
心なしか東京とは違うテイストの髪型となったような・・。最近、地元のエスカレーターでも無意識に右側に立ってはハッと我に返ることもあるように、また少し大阪の人間になり近づきつつあることを感じ、慄然としてしまった。
東京に向かう新幹線車中、小澤征爾の続編を執筆していたところ、我がポメラ DM20Yが無念の電池切れ。
けっこう筆が乗ってたので惜しい。
eneloopを持参すべきだった。
最近の機種ならUSB給電できるのかな?
というわけで、読書タイムに切り替えていこう。
そのまま、見て見ぬ振りをしていたのだが、今年になって急激にグングン背を伸ばし、瑞々しい葉をつけた枝をいっぱいに広げているのをみて、何故だか恐怖を覚えてしまった。その姿のあまりの美しさに、却って恐怖心を煽られるようであった。
裏庭はスペースが広いとはいえず、このまま大木になられても処置に困る。裏手のアパートの日照にも影響しそうだ。そこで、手に入れたばかりの高枝鋏にて、バザバサと斬ってしまったわけだが、どうにも胸が痛んで仕方がない。
ところで、今朝、レッスンに向かった某駅前の植樹スペースで、わたしがバッサリやったばかりと同じ葉を見掛けた。ハナミズキである。
ああ、そうだ。あの葉にはどこか見覚えがあった気がしていたのだ。せっかく自生してくれて、人知れず健気に成長をつづけていたハナミズキを無残な形にしてしまったなんて、無知とはいえ罪だ。いや、無知ゆえにいっそう罪深い。得体の知れぬものを、正体を確認もせず恐怖するとは、なんと愚かだったことか・・。
あの生い茂る葉の美しさ、天に伸びゆく幹の力強さ。生きるぞという、その若い命の訴えになぜ気付けなかったのかと思うと、悔恨しかない。大木になられては困るのだけれど、もう少し待ってあげてから、世話をすることはできたはずだ。
いま、改めて、刈り込まれ、小さくなったハナミズキを眺めてきた。まだ辛うじていくらかの葉は残っている。葉は懸命に太陽の恵みを享受しようとしているように見えた。
なんとか、生き延びて、再び天を目指し背を高く伸ばしてほしい。
今宵は奈良。
テレビでウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを観ることもなく、音楽なしで寛いでおります。
ただ、もともとニューイヤー・コンサートには大きな思い入れはないのかも知れません。そこに注ぎ込む大金があれば、レコードの稀少盤を買うとか、カートリッジを買うとかに回したいタイプなのですね。
というわけで、音楽のない元日、このホテル特製の松の実のタルトに舌鼓を打っているところ。
春日大社か、東大寺か、白毫寺か。
明日の予定はこれから考えよう。