福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

グラモフォン111 アナログ・バージョンより

2017-09-25 17:09:54 | レコード、オーディオ




グラモフォン111 6LPs(復刻盤box)を入手。第一の理由は、ベーム&ウィーン・フィルのモーツァルト「レクイエム」を復刻された音で聴きたかったからだ。先日聴いたSACDの音がどうにも腑に落ちなかったのである。

そういえば、バーンスタインのマーラー「1番」もオリジナルを未架蔵であったし、カラヤンの2枚にも興味がある。



というわけで、まずは、ベーム&VPOによるモーツァルト「レクイエム」とロストロポーヴィチ(vc) カラヤン&BPOによるドヴォルザーク: チェロ協奏曲を聴く。

音質の良いのは断然後者だ。オリジナル盤は未聴だが、凌駕しているような予感がする。そう思わせるだけの目の覚めるような鮮やかな音。ベルリン・フィルの鮮烈にして雄渾なサウンドがバンバン迫りくる。「どうだ、これが俺のベルリン・フィルだ!」とばかりに豪快に音を鳴らしまくるカラヤンと対等に渡り合えるソリストも多くはあるまいが、ロストロポーヴィチは流石に素晴らしい。この名演、剣豪同士の果たし合いのような面白さと言えようか。



ベーム「モツレク」の音質については、やや期待はずれ。コーラスがオーケストラより手前に聴こえたり、コーラスの特定の歌手の声が目立ったり、オーケストラの中低音が不鮮明だったりと、「あれ、昔聴いたのは、こんなだったっけ? 」という戸惑いがあった。しかし、それを超えて迫る感動は本物。コーラスのビブラートを伴った発声や極端に遅いテンポ感など、最近脚光を浴びているクルレンツィスとは対極にある名演だ。



それにしても、00002番とは随分若いシリアルナンバーだ。いったい何セット販売されたのだろう?

エリシュカ先生を迎えるために ドヴォルザーク「テ・デウム」ノイマン指揮チェコ・フィル

2017-09-22 10:56:21 | レコード、オーディオ

ラドミル・エリシュカ先生を大阪フィル定期にお迎えするにあたり、独eBayにて落札したレコードが届いた。

ドヴォルザーク「6番」の前プロとして演奏される「テ・デウム」をメインとしたヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル&プラハ・フィル合唱団(合唱指揮: リュボミール・マートル)によるスプラフォン盤である。たまたま、YouTubeでこの演奏を知って魅せられ、何としてもレコードで聴きたくなったのである。

1984年というから、チェコとスロヴァキアが分裂する9年前の録音。この時期にデジタル録音が行われているのは、スプラフォンと日本コロムビアの長年の深い関係ゆえであろう。

このとき64歳のノイマンはまさに円熟の極地にある。ただ、そこにチェコ・フィルが居て、ノイマンが指揮台に立つだけで、素晴らしいドヴォルザークとなってしまうという風情が堪らない。もちろん、彼らが何もしていないわけではない。音楽的な必然事項がクリアされた上で、立ち上る独特の空気が美しいのだ。
2人のソリスト、ガブリエラ・ベニャチコヴァー(S)、ヤロスラフ・ソウチェク(Br)の歌声からも、イタリアやドイツの歌手とは違う何かを感じ取れる。

そう、これこそ、エリシュカ先生をお迎えする前に全身全霊に浴びておきたかった本場の音。もちろん、日本人である我々には及ばない音楽的語法や言葉の響きはあるに違いないが、だからといって、開き直って関西弁訛りの歌唱を良しとするのは愚の骨頂である。チェコ本場の音を徹底的に聴いて、我が肉体と精神というフィルターを通した上で、エリシュカ先生の御心に適う合唱を提供をしたい。

その意味で、この文章を読んだ大阪フィル合唱団員には、CDやYouTubeでもよいので、積極的にノイマンの録音を聴いて、感化されて欲しい。ほかにスメターチェクやアーノンクールの録音でもよい。チェコのコーラスがどのようにラテン語を発音するのか、どのようなハーモニーをつくるのかを確かめることができるだろう。

ところで、ドヴォルザーク「テ・デウム」は、同じテキストによるブルックナー作品ほどの知名度はない。演奏機会や録音も多くはない。かくいうわたしも、今回、定期演奏会で採り上げる曲をオーケストラ事務局と協議する過程で知ったのだから、お恥ずかしい限り。

正直のところ、第一印象は「やけに祝典的で華やかだなぁ」というもので、内省的な深みなどはあまり感じなかったのだが、スコアを眺めたり、繰り返し聴いたりするうちに、ジワジワとその美しさが分かってきた。いまでは紛れもない名曲と断言できる。

この作品からは、ドヴォルザークが、本当はオペラ作曲家としてもっと成功したかったのだな、という想いも伝わってくる。そこここに、ヴェルディ「オテロ」の影響(パクリとにも近い?)が見られるのだ。しかし、ドヴォルザークの素朴でハッタリの効かない性向により、劇音楽としては洗練されきれない。しかし、その木訥さこそ、ドヴォルザークの魅力であり、スターバト・マーテル、ミサ曲二長調が広く愛される所以なのである。

エリシュカ先生最後の来日となる大阪フィル定期演奏会にご来場予定のお客様には、是非とも事前にドヴォルザーク「テ・デウム」をお聴き願いたい。当日一度聴いただけでは、聴き逃してしまうドヴォルザークの愛に気付いて頂きたいからである。




ペトレンコ&バイエルン国立歌劇場「タンホイザー」初日

2017-09-22 01:28:08 | コンサート

 



チケット高額のため(さらには、音響の悪いNHKホールのため)に諦めていたペトレンコ&バイエルン国立歌劇場「タンホイザー」初日を観劇。ひょんなことから、急にいらっしゃれなくなった方の代打となったのである。

ネット上を見る限り、歌手陣、オーケストラ、コーラス、そして指揮のペトレンコは、いずれも評判は上々のようだ。

確かにペトレンコの繊細なタクトのもと、オーケストラは室内楽のような精緻さを目指しているように思えたし、外面的効果には目もくれないその求道的な姿勢にも好感が持てる。さらにローマ語りからラストへの盛り上がりは見事なものであった。

その感動に水を差すつもりはないが、おそらく、初日は彼らのベストパフォーマンスではなかろう、というのが私の感想である。

フォークトは、徐々に持ち直したものの、第1幕冒頭はピッチも不安定で、なんだか異様に疲れているように見えたし、ゲルネは遂に最後まで本調子を取り戻せない。体調、或いは喉のトラブルが心配される。コーラスは、流石ドイツの響き、と思わせたのも束の間、特にアカペラのピッチの下がりやハーモニーの乱れは覆い隠せなかった。さらに、オーケストラも、最初は慎重になりすぎて、吹っ切れない感じがあった。

終幕ラストの高まりが尋常ではなかっただけに、前半ももっと出来たのではないか? とも思えるのである。

演出については、あれこれ述べるほどの知識を持たないのだが、第1幕への序曲(バッカナール付)から登場する女性射手たちの美しさには見惚れるばかりであった。一方、終幕で、登場人物の背後で、次々と人々が葬られていく意味は、さっぱり理解できなかった。このあたりプログラムに演出意図へのヒントでもあれば、有り難かったのだが。

もう一度、この目と耳でペトレンコ&バイエルン国立歌劇場「タンホイザー」の真価を確認したいところ。しかし、財政的には厳しく叶わないだろう。10月1日(日)の「ワルキューレ」第1幕まで我慢するほかない(これまた、NHKホールなのが残念)。

さて、いま、YouTubeで、2017年のペトレンコ&バイエルン国立歌劇場のプロモーション・ビデオから「タンホイザー」序曲を観ているのだが、ペトレンコの息遣いやオーケストラの質感など、実演より彼らの良さがどんなに伝わることか。Blu-ray化された暁には購入し、改めて味わいたいと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=A-3740pZnsw

バイエルン国立歌劇場日本公演 2017

 歌劇《タンホイザー》

作曲:R.ワーグナー
演出:ロメオ・カステルッチ
指揮:キリル・ペトレンコ
9月21日(木) 3:00p.m. NHKホール

領主ヘルマン:ゲオルク・ゼッペンフェルト
タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト
ウォルフラム:マティアス・ゲルネ
エリーザベト:アンネッテ・ダッシュ
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ

バイエルン国立歌劇場管弦楽団、同合唱団(合唱指揮:ゼーレン・エックホフ)

 



さて、朝日新聞夕刊には予定通り、オペラシティに於けるモーツァルト「レクイエム」公演の広告が載った。

反響のあることを願うばかりである。


クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」インタビューに登場

2017-09-15 00:30:38 | コーラス、オーケストラ

本日は、10月18日発行予定の「ぶらあぼ」11月号のためのインタビューを受けて参りました。

訊き手は、東京春祭やラ・フォル・ジュルネのレポートでもお馴染みの音楽ライター・柴田克彦さん。

これまでわたしが行ってきたウィーン、ライプツィヒでの海外公演について、今年12月のウィーン・シュテファン大聖堂「モツレク」や11月の壮行公演(オペラシティ)への経緯。

東京公演の演目である「魔笛」序曲、「40番」「レクイエム」への想いや魅力、ソリスト陣やオーケストラとの関わりについて、さらには、将来の音楽活動への展望など、存分に1時間以上語って参りました。

誌面の都合で、語ったうちのほんの何割かしか記事にはならないことは予測されますが、柴田さんのお導きによって、楽しい時間を持つことが出来ました。

記事そのものは文字のみで、写真が載らないとのことですので、ここにインタビュー後に撮影した柴田克彦さんとのツーショットを掲げておきます。

まだ、1ヶ月以上先のお話しですが、どうぞご期待ください。

 


「水のいのち」成功裡に終演!

2017-09-11 01:15:25 | コンサート


大阪クラシック初日・最終公演
福島章恭&大阪フィル合唱団(ピアノ: 尾崎克典)による高田三郎「水のいのち」。成功裡に終演しました。

聴衆の熱い拍手は、合唱団員の最後のひとりが退場し終わるまでつづいたほど。聴きながら、涙ぐむお客様もいらしたとか。

上の写真は、終演後に楽屋まで祝福しにいらした大植英次先生と。青いリンドウの花は、「水のいのち」をイメージしたものとのこと。あたたかなお心遣いには感謝あるのみ。

いまは、何かを書く余力がないため、頂戴したご感想を2本ご紹介します。

ご感想・その1

楽しませていただきました!

研ぎすさまれた子音
響き渡る母音
明瞭に伝わる日本語

それだけでも凄いのですが

なんと言っても

オーケストラの響きを思わせる抑揚感ある深堀、半端ない空気の揺さぶりを実感すること、とにもかくにも衝撃でした!

「水のいのち」、世界に誇れる名曲を
最高級の芸術性でもって聴かせていただけたこと、感謝します。

幸せなひとときを頂戴いたしました。


ご感想・その2

 ブルックナー愛好者のEです。大阪クラシックでの素晴らしい演奏、ありがとうございました!楽しませていただきました。

 名演に大変感激いたしました! まず何よりも歌詞が無理なく聞き取れたことに驚かされました。日本語を母語とする聴衆が日本語の歌を聴く場合、やはり歌詞を理解できることが重要だと思いますが(そして、それが難しいことだということも体験的に知っていますが)、今日は歌詞がきちんと聞き取れ、しかも歌詞と音楽が見事に合っていることが感動を一層深めていました。
例えば1曲目では、「風」という歌詞にふさわしい爽快なスピード感が音楽で表現されていて大変心地好かったです。先生の解説で若い人たち向けに書かれた歌だと知り、大いに納得いたしました。
 また典礼聖歌では、「扉の外にはキリスト」という重大な歌詞を静かに歌う場面に凄みがありました。キリストの名を大声で呼ぶよりも、この静かな表現の方がはるかに劇的な迫力があったように思いました。
「理解されるよりも理解することを。愛されるよりも愛することを」という高田先生ご自身の歌詞は、まさに現代の世界に求められていることであり、高田先生の卓見に改めて感動いたしました。
「水のいのち」はオーケストラ編曲版で演奏したことがあって歌詞も知っていたのですが、今日改めて聴くと、自然に対峙したり逆らったりしようとせず、自然のあるがままを受け入れようとする、これまた現代の世界に求められていることがまさに歌われていて、感動を深くしました。
 合唱団のレヴェルの向上は本当にすごいです。男声はハミングまでも濃厚で雄弁でした。そして女声は、宇野功芳先生が御著書で書いておられた「女声は神の域に至ることができる」という意味が、(特に典礼聖歌の1曲目で)大いに理解できました。
 典礼聖歌の3曲目を聴いたとき、「ブルックナーに似ている!」と感じました。具体的には、静かな滔々とした流れの中に大きな声(たしか「希望」と歌っていたと思いますが)を挿入する部分が、ミサ曲第3番の「大理石の柱が立っている」と形容されたフーガに似ていると感じました。一見すると流れを阻害するような要素を嵌入させながら、しかし流れが少しも滞っていない、この不思議さにブルックナーとの共通性を感じました。
それだけに、福島先生がブルックナーと高田先生との共通性を感じられ、宇野先生がその意見を卓見と評されたことを大変うれしく感じました。こう思って聴くと、たとえば「水たまり」などは、まるでブルックナーのスケルツォのような生命力がある、と気づきました。
 福島先生の演奏は聴くたびに音楽の新たな興奮が得られる素晴らしい体験です。今後も楽しみにいたしております。

本番の朝は、シューリヒトで心のお掃除

2017-09-10 10:48:00 | レコード、オーディオ


「水のいのち」本番の朝は、NMLにてシューリヒト&ウィーン・フィルによるベートーヴェン「1番」にて、心のお掃除。

50年代ウィーン・フィルの零れるような音の魅惑。改めて、胸に滲みる名演だなぁ。

学生時代は、キングレコードの廉価盤でよく聴いたものだ。ジャケット裏の解説は勿論、宇野先生。当時は遠い雲の上の人だった。

いまは英デッカ・オリジナルのレコードで聴くのだけれど、60年を越す古いレコードゆえ、コンディションが万全とは言い難く、滞在先でこういうスタイルで聴くのも悪くない。

しかし、このサイト。つづきの「2番」は音質がガクンと落ちる。マスターテープの劣化が激しかったのだろう。これはレコードで聴かなくては!



ソニーのBluetoothスピーカーも、宿で聴くにはまずまず。イヤホーンだと耳が疲れてしまうので、これは有り難い。ただ、真夜中は隣の部屋への遠慮でボリュームを上げられないのがもどかしくはある。

そうそう、音が籠もるから、ネットは外さないとね。

高田三郎「水のいのち」本番前夜

2017-09-09 21:42:41 | コンサート


いよいよ明日は大阪クラシック初日。大阪フィル会館に於ける今宵のレッスン後半は、通し稽古となりました。

写真は典礼聖歌の演奏中。
高田三郎先生の言葉と音楽によって、会館の空気が忽ち神聖なものとなります。

団員の気持ちもひとつとなり、素晴らしい演奏会となりそうです。どうぞご期待ください!



当日券は若干枚あるとのこと。
明日、大阪中央公会堂・当日券売り場にお越しください。

では、9月10日(日)19時30分、中央公会堂・中集会室でお待ちしております。


小澤征爾、内田光子、サイトウ・キネン・オーケストラのベートーヴェン「3番」

2017-09-08 22:23:47 | コンサート


昨年に引き続き、セイジ・オザワ松本フェスティバルにやってきた。(プログラムは写真参照・・横着のお許しを乞う)


前半、グリーグ「ボルベアの時代より」は弦楽器(8-6-5-4-2)のみ、シュトラウス「13管楽器のための組曲」は管楽器のみ。
そして、後半に内田光子と小澤征爾の登場という寸法である。

前半はグリーグが印象に残った。どこまでも豊潤で瑞々しい響き。そして、一体感のあるフレーズと呼吸。まさに、桐朋学園の弦の美しさを堪能することができた。しかし、指揮台に小澤征爾がいたなら、たとえ座っているたけでも、随分違うものになっていただろう。

その点、外国人プイレヤー中心のシュトラウスの方は、弦楽器のような同じ釜の飯感のないのは致し方ないところ。





後半は、いよいよ内田光子を迎えてのベートーヴェン「第3協奏曲」。弦楽器は10-8 -6-4-3と増員されていた。

遅ればせながら、特急あずさの車中で読んだ村上春樹との対談集で知ったのだが、ベートーヴェン「3番」は、2010年にニューヨークで共演を予定されていながら小澤征爾の腰痛のため実現しなかったという曰わくのある作品。つまり、今宵、松本にて小澤征爾、内田光子、サイトウ・キネン・オーケストラによる同曲の公演が成就するという意味合いがあるのだ。

小澤征爾の指揮は、昨年の「第7交響曲」のように命を削りながら炎を燃やすでなく、もっとリラックスし、打ち解けたもの。第1楽章が終わってからのドリンク・タイムも僅かで、体力的にも余裕が感じられた。
称賛すべきは、そこに生まれるサウンドの透明感と軽やかさ。精自由な精神がさらに羽ばたいているのを感じた。

内田光子を生で聴くのは、恥ずかしながらザ・シンフォニーホールのオープン間もない頃の朝比奈&大阪フィルとのブラームス「第1協奏曲」以来というから、30数年ぶり。体調不良によるリサイタル・キャンセル直後だけに、どれほど彼女の本領が発揮されたかは分からないが、第1楽章のカデンツァあたりから何かが降りてきたように感じた。第2楽章冒頭の幽玄さも彼女ならではのものだろう。

総じて、昨年ほどの熱狂的な感激はなかったものの、心に爽やかな感動の残るコンサートであった。

しかし、しかし何か物足りない・・。と、しばし考えて思い当たったのは、小澤征爾の出番が短過ぎたということ。
寄席に出掛けて、主任(トリ)の小三治を、ほかの噺家を聞きながら待っていたような気分にも似ている。独演会のような密度と充足感に欠けていたのだ。
しかも、コンチェルトのみなので、小澤色が前面に出てくる場面が余りに少ない。あと序曲1曲でも振ってくれていたなら、満足度はさらに大きくなっていただろう。

公演2日目の10日は、もっと凄い演奏会となる気はするが、わたしは勿論来ない。その夕は、大阪クラシックの「水のいのち」に燃えていることであろう。

※今回は、S席が確保できず、二階後方の座席。バランスは悪くはないが、やや音は遠く、生々しさには欠けた。二階席前方で聴けたなら、もっと感動は大きかったのかも知れない。


中央公会堂に気高く響く「水のいのち」!

2017-09-07 23:23:12 | コンサート

写真は、2年前の大阪クラシック本番。

日時 2015年9月6日(日) 19時30分開演

会場 大阪市中央公会堂 中会議室

ブルックナー作曲 Ave Maria(7声) / Locus iste / Os justi / Chirstus factus est
チルコット作曲 小ジャズ・ミサ曲

コントラバス;新眞二 パーカッション:中村拓美 ピアノ:満多野志野
福島章恭 指揮 大阪フィルハーモニー合唱団

髙田三郎「水のいのち」を演奏する今年は、ふたたび中央公会堂中集会室に戻ります。

http://osaka-chuokokaido.jp/about/

昨年のブルックナー「ミサ曲第2番ホ短調」は大阪市役所ロビーでの無料公演。

それはそれで、開放的な空間による美しいコンサートでしたが、今回は中央公会堂・中集会室でのより張り詰めた空気の中で演奏できることを歓びます。

有料公演ということで、聴衆も「大阪フィル合唱団の『水のいのち』を聴く」という意志を持って集まって下さるわけで、より真剣に耳を傾けてくださることでしょう。

国指定重要文化財のこの美しい建物が、きっと私たちに大きな力を与えてくれるに違いありません。

この神聖な空気の中、気高く響くであろう「水のいのち」にご期待下さい。

プログラム
1.髙田三郎「秋を呼ぶ歌」(詩・野上彰)

2.髙田三郎「典礼聖歌」より「谷川の水を求めて」「わたしは門の外に立ち」「アッシジの聖フランシスコによる 平和の祈り」

3.髙田三郎 混声合唱組曲「水のいのち」全曲(詩・高野喜久雄)

大阪フィルハーモニー合唱団
指揮: 福島章恭 ピアノ(水のいのち)&オルガン(典礼聖歌): 尾崎克典

日時・2017年9月10日(日) 19:30開演
会場・大阪市中央公会堂 中集会室

入場料: 1,000円(全席指定)