大阪クラシック初日・最終公演
福島章恭&大阪フィル合唱団(ピアノ: 尾崎克典)による高田三郎「水のいのち」。成功裡に終演しました。
聴衆の熱い拍手は、合唱団員の最後のひとりが退場し終わるまでつづいたほど。聴きながら、涙ぐむお客様もいらしたとか。
上の写真は、終演後に楽屋まで祝福しにいらした大植英次先生と。青いリンドウの花は、「水のいのち」をイメージしたものとのこと。あたたかなお心遣いには感謝あるのみ。
いまは、何かを書く余力がないため、頂戴したご感想を2本ご紹介します。
ご感想・その1
楽しませていただきました!
研ぎすさまれた子音
響き渡る母音
明瞭に伝わる日本語
それだけでも凄いのですが
なんと言っても
オーケストラの響きを思わせる抑揚感ある深堀、半端ない空気の揺さぶりを実感すること、とにもかくにも衝撃でした!
「水のいのち」、世界に誇れる名曲を
最高級の芸術性でもって聴かせていただけたこと、感謝します。
幸せなひとときを頂戴いたしました。
ご感想・その2
ブルックナー愛好者のEです。大阪クラシックでの素晴らしい演奏、ありがとうございました!楽しませていただきました。
名演に大変感激いたしました! まず何よりも歌詞が無理なく聞き取れたことに驚かされました。日本語を母語とする聴衆が日本語の歌を聴く場合、やはり歌詞を理解できることが重要だと思いますが(そして、それが難しいことだということも体験的に知っていますが)、今日は歌詞がきちんと聞き取れ、しかも歌詞と音楽が見事に合っていることが感動を一層深めていました。
例えば1曲目では、「風」という歌詞にふさわしい爽快なスピード感が音楽で表現されていて大変心地好かったです。先生の解説で若い人たち向けに書かれた歌だと知り、大いに納得いたしました。
また典礼聖歌では、「扉の外にはキリスト」という重大な歌詞を静かに歌う場面に凄みがありました。キリストの名を大声で呼ぶよりも、この静かな表現の方がはるかに劇的な迫力があったように思いました。
「理解されるよりも理解することを。愛されるよりも愛することを」という高田先生ご自身の歌詞は、まさに現代の世界に求められていることであり、高田先生の卓見に改めて感動いたしました。
「水のいのち」はオーケストラ編曲版で演奏したことがあって歌詞も知っていたのですが、今日改めて聴くと、自然に対峙したり逆らったりしようとせず、自然のあるがままを受け入れようとする、これまた現代の世界に求められていることがまさに歌われていて、感動を深くしました。
合唱団のレヴェルの向上は本当にすごいです。男声はハミングまでも濃厚で雄弁でした。そして女声は、宇野功芳先生が御著書で書いておられた「女声は神の域に至ることができる」という意味が、(特に典礼聖歌の1曲目で)大いに理解できました。
典礼聖歌の3曲目を聴いたとき、「ブルックナーに似ている!」と感じました。具体的には、静かな滔々とした流れの中に大きな声(たしか「希望」と歌っていたと思いますが)を挿入する部分が、ミサ曲第3番の「大理石の柱が立っている」と形容されたフーガに似ていると感じました。一見すると流れを阻害するような要素を嵌入させながら、しかし流れが少しも滞っていない、この不思議さにブルックナーとの共通性を感じました。
それだけに、福島先生がブルックナーと高田先生との共通性を感じられ、宇野先生がその意見を卓見と評されたことを大変うれしく感じました。こう思って聴くと、たとえば「水たまり」などは、まるでブルックナーのスケルツォのような生命力がある、と気づきました。
福島先生の演奏は聴くたびに音楽の新たな興奮が得られる素晴らしい体験です。今後も楽しみにいたしております。