福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

「マタイ受難曲」公演 第1報! 東京ジングフェライン・長岡混声合唱団・厚木マタイを歌う会

2015-10-31 00:26:39 | コーラス、オーケストラ

バッハ「マタイ受難曲」公演 待望のチラシ完成しました!

東京ジングフェライン、長岡混声合唱団、厚木マタイを歌う会 3団体の共同開催。
聖トーマス教会公演〔3月1日)に向けての壮行演奏会となります。
ご覧のように豪華ソリスト陣! 天野寿彦さん率いるオーケストラも我が国古楽器界のベストメンバーです。

皆様のご来場を心よりお待ち致します。

 

■日時:2016年1月30日(土)14:30開場 15:00開演
■会場:めぐろパーシモンホール 大ホール
     (東急東横線 都立大学駅 徒歩7分)
■出演:
  指揮 福島 章恭
  テノール/エヴァンゲリスト 畑 儀文
  バリトン/イエス 青山 貴
  ソプラノ 星川 美保子
  アルト 谷地畝 晶子
  テノール 升島 唯博
  バス・バリトン 山下 浩司
  管弦楽 東京バロックコンソート(古楽器使用)
   コンサートマスター 天野 寿彦
  合唱 東京ジングフェライン
      長岡混声合唱団
      厚木マタイを歌う会
      いな少年少女合唱団(長野県)
■チケット:(全席自由)2,800円
 チケット申し込み・お問い合わせ
  Tel : 042-625-6031 (齋藤)
  Mail : info@tokyo-singverein.com


白紙に戻す ~ コバケン&チェコ・フィルの「第九」を聴いて

2015-10-27 13:33:15 | コーラス、オーケストラ

コバケン&チェコ・フィルの「第九」のSACDを購入。

合唱はプラハ・フィルハーモニー合唱団。

来る12月20日(日)にザ・シンフォニーホールで行われる大阪フィルの「第九」公演に備えてのことである。

独自のキャラクターをお持ちの小林研一郎先生にわたしと大阪フィル合唱団の初「第九」をぶつける前に、どのような音楽づくりをされているのか研究しておこうという目論見だ。

しかし、本日、一度通して聴いて、その考えは瞬く間に雲散霧消した。

おそらく、ここに展開するテンポの動きやドイツ語の発音をそっくりコピーしてそのまま小林先生に引き渡したところで、何も生まれないことを悟ったのだ。

予定通りに進行するプローベなんて面白くなかろう。「炎の第九」の名が廃る。

コバケンの「第九」と福島章恭の「第九」が真正面からぶつかり、熱い火花を散らしてこそ、スリリングで感動的な演奏が誕生するに違いない。

それが分かっただけでも、3,500円を投資した甲斐はあったというものだ。

なんだか、ワクワクしてきたぞ。

2015年12月20日(日)
15:00開演


[拡大]

ザ・シンフォニーホール

<指揮>小林研一郎
<独唱>
上村智恵(ソプラノ)、相可佐代子(アルト)、与儀巧(テノール)、ジョン・ハオ(バリトン)
<合唱>大阪フィルハーモニー合唱団
<曲目>
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」

<料金>
A席:6,500円
B席:5,000円
C席:3,000円

※未就学のお子さまのご入場はお断りさせていただきます。

・チケット販売所
ザ・シンフォニー チケットセンター 06-6453-2333 他

・お問合せ
ABCチケットインフォメーション 06-6453-6000
※大阪フィル・チケットセンターでのチケットのお取扱いはございません。

 

 

 


音楽人生の節目 ~ 愛知祝祭管とのブルックナー8番から1年

2015-10-26 23:07:44 | コーラス、オーケストラ

 

Bruckner: Symphony No.8 (Haas) AKIYASU FUKUSHIMA cond. Orchester der Aichi Festspiele 

ぼくの音楽人生において、節目となる演奏会はいくつかある。

中でも忘れがたいのは、2009年シュテファン寺院グランドコンサートに於けるモーツァルト「レクイエム」指揮。

ウィーンのオーケストラ、ソリスト陣とのリハーサルの緊張と高貴で神聖な空気に包まれた本番の素晴らしさ。

そして、2013年8月、バッハの聖地、ライプツィヒ聖トーマス教会に於ける「ロ短調ミサ」指揮。

これまた、ザクセン・バロックオーケストラというヨーロッパ一流の名アンサンブルとソリスト陣、そして心温かな聴衆に恵まれ、忘れがたいコンサートとなった。

しかし、さらに自分にとって重要なコンサートは、昨年10月26日愛知県芸術劇場にて行われたブルックナー「8番」演奏会ということになる。

本番直前に天から授かった全曲94分という異例のスローテンポを振り抜いたことにより、ぼく自身が生まれ変わってしまったからである。

このコンサート以後、ボクの指揮や音楽の捉え方はまったく違ってしまった。それほど、ブルックナーの音楽には霊的な力が宿っているのだ。

もちろん、それも、あの尋常ならざるテンポについてきてくれた楽員の献身あってこそ。

その意味から、上記シュテファン寺院のモーツァルト「レクイエム」や聖トーマス教会の「ロ短調ミサ」を指揮したのは、まだ本当の自分ではなかったということになる。

是非とも再挑戦しなければならない、と思っていたところ、シュテファン寺院には2017年12月5日、つまりモーツァルトの命日に再び「レクイエム」の指揮ができることが決まり、

さらには、来年3月のトーマス教会での「マタイ受難曲」を成功させることで、「ロ短調ミサ」再指揮への展望が開かれることだろう。

思えば、ボクが合唱指揮をはじめてしたのが、今から27年ほど昔、産休代替教員として出掛けた公立中学校の週1コマの「合唱クラブ」の時間だった。

そのときに、こんな音楽家としての至福が自分の未来に置かれていたとは、知る由もなかったのである。まこと幸せにして運に恵まれた音楽人生であることを、ボクに関わる全ての人々に感謝せねばなるまい。

 


スウェーデン放送合唱団のモツレクを振り返る

2015-10-26 00:22:25 | コンサート




五嶋みどりのショスタコーヴィチ。良い音の座席で聴けた人たち(または、FM放送を聴いた)からの絶賛の声が絶えない。なんとももどかしい・・。いずれ、別のホールで彼女の演奏に触れなければなるまい。

ところで、スウェーデン放送合唱団への評価を放置したままだったので、記憶の薄れないうちに都響とのモツレク初日を振り返ってみたい。

ダイクストラ指揮のオーケストラは、所謂、古楽器奏法によるもので、テンポも総じて速く、弦の音をすぐに減衰させるというやり方。例えば、「みいつの大王(Rex tremendae)」に於ける付点音符を複付点音符に扱うのも徹底している。

なんだか、それが古びて聴こえるのだなぁ。アーノンクール、ノリントンらの台頭により古楽器奏法が世に認知され始めた頃、聴く側にも、演奏する側にも、そこに新鮮な息吹を感じたものだが、いまの都響はもう慣れっこ。「指示されたからこう弾いてます」といった体で、バス声部の進行なども退屈極まった。

ここで、わたしは古楽器奏法が悪い、と言っているのではない。ダイクストラの指揮が古楽器的な奏法をさせることだけに集中し、そこにモーツァルトが居なかったことを問題にしているのだ。
テンポがいかに速かろうと、どんな語り口であらうと、そこに「こうでなければならぬ」という切実さがあれば感動に繋がっただろう。しかし、中身の空虚なただの形だけがあったのである。たとえば、キリエ・フーガのクライマックスへの道程で何も起こらず、その頂点も素通りするばかりではモーツァルトも浮かばれない。

また、コーラスのハーモニーやアンサンブルも、かつてのスウェーデン放送合唱団を知る耳には物足りないものがあった。
たとえば、Ⅴの和音からⅠの和音に解決する場面の処理が雑だったり、ハーモニーの推移に鈍感な歌い方だったり、と明らかに荒れているのだ。
もっとも、ソプラノの透明な歌声そのものには日本のコーラスには望めない魅惑の質感があることは認めよう。しかし、綺麗な声を並べただけで音楽となるほど演奏芸術は簡単ではない。しかるべき美意識に基づいた音楽づくりがなされていなかったことについて、指揮者のダイクストラに大きな責任があると思うのである。

因みに4人のソリスト陣も、わざわざスウェーデンから呼ぶことはなかったのではないか。あまりにも声がなく貧相なテノールに、無駄に声が大きくデリカシーのないバスの対比は滑稽ですらあった。


はじめてのみどり ショスタコーヴィチ篇

2015-10-23 23:38:25 | コンサート

はじめて生演奏をく五嶋みどりである。

ヤルヴィ指揮NHK交響楽団定期。曲目は、ショスタコーヴィチの協奏曲第1番。

しかし、今日はまったく批評ができない。批評するほどには音が聴こえなかったからである。

座席は1階のやや後方、2階右サイド席に近いところ。

管打楽器とコントラバスの音はバンバンくるのに、ヴァイオリンからチェロの音が霞のようなのだ。

反響板の外に出ているパートは音が散ってしまうのではないだろうか?

当然、指揮台の横に立つ五嶋みどりの音もボリュームを絞ったラジオのように精気がない。

音が聴こえないゆえに、その尋常とは言えない身振りばかりが印象に残ってしまう。

感情移入と共に首がもげるのではないかというほどの角度に傾け、魔法使いの老婆のように腰を曲げたり身を縮めたり、激しい場面では全身を痙攣させながら両足を宙に浮かせたりする。

まるで、恐山のイタコをみるようで、気味が悪いのだ。

常識的には、集中するときに筋肉を縮めるのは効率が悪いし、視野も狭まるのでよくないと思うのだが・・・。

しかし、終演後の拍手喝采は凄まじいものであったし、ステージ上のN響メンバーからの賞賛の拍手も儀礼的なものとは感じられない。

また、2階席センター前方で聴いていたFB友は、「ピアニシモが素晴らしかった。オケもヤルヴィも完全に負けていた」と感想を述べられている。

芸の世界ばかりは、逆立ちして弾こうが、寝て弾こうが、結果が全て。

というわけで、その演奏する姿には感心しなかったが、肝心の演奏の良し悪しが分からなかったため、評価は保留としたい。

NHKホールには本当に困ったものだ。

1972年の開業以来、音が悪い、悪い、悪いと言われつづけて、音響改善のための措置も行われる気配もない、というのは怠慢ではないだろうか?

今後は、聴きたい演奏会でもよほど座席に恵まれない限りは、見送ることにしよう。

 


クルト・トーマスのクリスマス・オラトリオを聴いて

2015-10-20 12:56:17 | レコード、オーディオ



メンゲルベルクの「マタイ」を再生するためのモノーラル・カートリッジがわがシステムに装着されたままだったので、今朝はモノーラル・レコードを聴くことにした。選んだのはクルト・トーマス指揮聖トーマス教会合唱団、ケヴァントハウス管による「クリスマス・オラトリオ」第1部である。

手許にあるのは旧東ドイツ時代のエテルナ盤2種。レコード番号は同じだが、ひとつはオリジナルのフラット盤(写真下↓)、もう片方は後年リリースのグルーヴガード盤(写真上↑)である。後者は先日、沼津のオーディオ・ショップにて僅か1,000円で購入した掘り出し物(もちろん全曲盤)だ。

アナログ盤といえば、一般に初プレス、初リリースのオリジナル盤が良いとされ、事実、オリジナル盤優位の確率が高いのであるが、この旧い東ドイツ盤については後発のグルーヴガード盤が断然素晴らしい。音の分離、輝き、なによりエネルギー感がまるで違うのである。製盤技術の進歩など、何らかの理由があるのだろう。

もともと1958年のステレオ録音なのだが、リリース当時、東ドイツ国内にステレオ再生装置が普及していたとも考えにくく、モノーラル・プレスの方が手には入りやすい。いずれ、ステレオ・プレスも手にしたいところだが、それまでは、ナクソス・ミュージック・ライブラリで楽しむことにしよう。



ところで、音質以上に感動したのがトーマス・カントルであるクルト・トーマス指揮の演奏そのものであることは言うまでもない。古楽の台頭もなく、さらには情報の閉ざされた東ドイツに前世代より受け継がれ、育まれた謹厳にして実直なバッハ!

この余りにも美しく、強いバッハを聴いて、ラミン~マウエルスベルガー~トーマス~ロッチュと伝承されてきた聖トーマス教会の音楽的伝統の核心部分がビラー時代に失われてしまったのを知るのである。聖トーマス教会で営まれる音楽に古楽器的な歌唱法や奏法は本当に必要だったのだろうか?



かくいうわたしも、2013年の聖トーマス教会でのロ短調ミサ演奏は、ザクセン・バロックオーケストラという古楽器オーケストラと共演し、来る3月の「マタイ受難曲」も同じではあるが、わたしの肩にトーマス教会の伝統がの担われているわけではないから責任の外だ。だが、古楽器オーケストラによりながらも、ビラー時代に失われた佳き音楽の伝統を胸に抱きつつ指揮したいと心から願っている。それはきっと聖堂に集うライプツィヒの会衆の心にも届くことであろう。

J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオ BWV.248

 アグネス・ギーベル(ソプラノ)
 マルガ・ヘフゲン(アルト)
 ヨゼフ・トラクセル(テノール)
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
 ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 クルト・トーマス(指揮)

 録音時期:1958年12月
 録音場所:ライプツィヒ、聖トーマス教会
 録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

 

追記

当記事アップ後、一番上の写真と同じBOXのステレオ・プレスを独eBayにて発見。1969年リリースとのこと。出品者はハンブルクのレコードショップ。衝動的にポチった後からコンディションがイマイチっぽいことに気付くも後の祭り・・。旧西ドイツのオイロディスクプレスもあるけれど、やはりエテルナで聴きたいところ。


メンゲルベルクの「マタイ受難曲」を聴く

2015-10-19 13:39:58 | レコード、オーディオ


封印してきたメンゲルベルクの「マタイ」を聴いた。

この4枚組の蘭フィリップスのオリジナル盤は随分前に入手したものだが、個性の強い演奏であることは分かっていたので、自分の「マタイ」がある程度確立する前に聴くことを避けてきたのだ。

東京ジングフェラインとの公演が来年1月、聖トーマス教会公演が3月に迫る今となって、ようやく盤に針を下ろす決心がついたというわけだ。

ナチスの跫音の聞こえる1939年の実況録音。

語り尽くされた歴史的録音ではあることと、我が体力の都合から詳述は避けるが、ここにあるのは本物の音楽であり、本物の感動である。

ピリオド楽器による「マタイ」しか知らない人の耳には奇異に聴こえるであろう大仰なテンポや強弱の変化は、即興的なものではなく、練りに練られた「形」だ。

それが、ただの気分によるものでなく、音楽やテキストに即したものとなっているため大きな説得力も持つ。

極められた様式美とも言えようか。

カットの多いのは~特に第2部~とても残念ではあるけれど、ないものを惜しむより、ある部分を愛おしみたい。

さて、今日のメンゲルベルク体験は、我が「マタイ」演奏に影響するだろうか?

答えはイエスである。

すでに、わたしの内面にあった固定観念の殻がいくつか壊れかけているし、新たな化学変化も魂に起きつつある。

もちろん、メンゲルベルクの表現の外側を真似するつもりはない。

この揺れに揺れるテンポ設定をそのまま採り入れたところで、誰も付いてこないだろう。それは自分のものではないからだ。

メンゲルベルクの遺した心をどれだけ消化し、昇華させることができるか?

これは、なかなか面白い作業となりそうだ。マタイ演奏への楽しみがまたひとつ加わった。

なお、このたび、タワーレコードさんより、このメンゲルベルクの「マタイ」の新復刻CDがリリースされる模様。レコードを持っているボクでも興味を惹かれる内容だ。

http://tower.jp/item/4080093/J-S-バッハ:-マタイ受難曲-(全曲)<タワーレコード限定>

1939年の記念碑的な名演を、'52初発売時のPHILIPSアナログ・マスターより新リマスター。従来盤より鮮明な音質で再現。

あまりにも有名な1939年4月2日のメンゲルベルクによる「マタイ受難曲」を復刻します。CD時代でも本家PHILIPSの国内盤や輸入盤、そして別レーベルからも再発されておりますので、多くの方が複数の音を耳にしたことがあると思われますが、今回の復刻では、1952年LP初出時のマトリックス・ナンバーが記されたPHILIPSのアナログマスターテープよりハイビット・ハイサンプリング(192kHz/24bit)でデジタル化した上でCDマスターを作成。従来PHILIPS盤で発売していたものと比較すると、現代の詳細なデジタル化技術により音が鮮明になり、さらに合唱やソリストの鮮度が上がっていますので、聴感上、全体としてまとまりが良くなりました。元来オランダ・ラジオ放送ユニオンによって収録された当時でも、映画のサウンド・トラック収録とほぼ同じ形状のテープで録音されましたので、78回転SP盤より良い音質で記録されていました。今回の復刻では残されていたPHILIPSのアナログ・マスターの音を尊重しCD化を行いました。メンゲルベルクは、1895年にコンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者となって以来J.S.バッハの演奏に情熱を注ぎ、とりわけ「マタイ受難曲」を多く取り上げました。このライヴは第二次大戦直前の復活祭前日の日曜日の演奏で、それまで何十年も途切れることなく毎年演奏を行ってきたとのことですが、同年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し勃発する第二次世界大戦により、以降は途絶えてしまったと言われています。その後の巻き込まれるオランダの命運と大戦後の変遷はメンゲルベルク自身にも降りかかることになります。そのような時代の背景もこの演奏を推す要素のひとつになっていることは確かで、純粋に音楽を鑑賞する以上の評価に繋がっていることは否めません。バッハの演奏スタイルが変貌し様々な試みも多い現代においては、はるか昔のスタイルの演奏と片付けることは簡単かも知れませんが、それがこの空前絶後の演奏記録の価値を下げる理由にはなりえません。むしろメンゲルベルクという偉大な指揮者を介して、時代背景まで取り込んだ貴重な音楽作品として鑑賞すべき演奏と言えるでしょう。今回の復刻では、矢澤孝樹氏による序文解説を新規で掲載しました。感覚的な演奏評価ではないこの盤の分析評価もあり、注目です。また、ジャケットは1952年のPHILIPSのLP初出時のデザインを使用しました。尚、当時の慣行に基づく曲目の割愛があります(詳細曲目はブックレット内に記載)。

タワーレコード (2015/10/08)

ヨハン・セバスティアン・バッハ:マタイ受難曲 BWV244
(録音された演奏を全て収録。当時の慣行に基づくカットあり)

【演奏】
カール・エルプ(テノール)[福音史家]
ウィレム・ラヴェッリ(バス)[イエス]、
ヨー・フィンセント(ソプラノ)
イローナ・ドゥリゴ(アルト)
ルイ・ファン・トゥルダー(テノール)[アリア]
ヘルマン・シェイ(バス)[アリア]
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
ツァンクルスト少年合唱団(合唱指揮:ウィレム・ヘスペ)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指揮)

【録音】
1939年4月2日 アムステルダム、コンセルトヘボウ(ライヴ録音)


女声合唱団 KIBI 手応えあり

2015-10-19 00:44:00 | 日記

女声合唱団KIBIの6時間にも及ぶレッスンを終え、ヘトヘトになって帰宅して始めたことは「風呂掃除」。

浴槽のみならず、壁や床、洗面器、風呂蓋、シャワーのノズルとホースに至るまで、なぜだかムラムラと磨き上げたくなり、年末の大掃除並みのクオリティで打ち込んでしまった。

譜読みすべき楽曲、執筆すべき原稿、読破すべき小説、聴くべきレコード、勉強すべき参考書は山積みというのに・・・。

これも一種の現実逃避だろうか?

ところで、演奏会を約1ヶ月後に控えた女声合唱団KIBI。

手応えは十分だ。

発声もアンサンブル力も上達し、2年前の第1回リサイタルからはひとつ上の次元で勝負できるようになってきた。

コンサートは、来月22日(日)の午後2時、玉島市民文化センター 玉島湊ホールにて(最寄り駅:新倉敷駅)。

倉敷観光のついでにお立ち寄り頂けると幸いである。

女声合唱団 KIBI HP http://chorus-kibi.jimdo.com


ドゥヴィ・エルリのコレルリを聴いて

2015-10-16 01:05:24 | レコード、オーディオ
真夜中にドゥヴィ・エルリの奏でるコレルリ: ヴァイオリン・ソナタ集op.5よりをスイス・プレスと謂われるコンサートホール盤で聴いている。有名な「ラ・フォリア」も含まれている。

この録音には、都響のモツレクには決定的に欠けていたものがある。モダンとかピリオドとかを超えた演奏行為の根源に関わることだ。

改めてその秘密に触れて、心安らかに眠ることができそうである。今夜はもう限界なので、それについても、機会を見つけて語りたい。

都響定期 ダイクストラ & スウェーデン放送合唱団 モツレク

2015-10-15 23:04:02 | コンサート

期待して臨んだ演奏会で会ったが、わたしの価値観、感性からは遠い演奏で退屈してしまった。

早く席を立ちたくて、アンコールを聴かなかったほど・・・。

明日も同じ公演があるので多くは語らないでおこう。

聴衆の拍手は大きなものだったし、「良かった」の声も多くあることは知っている。

その感動に水を差すつもりはない。

ひとつ言えることは、スウェーデン放送合唱団は、エリクソン時代とはもはや別の団体ということである。

そんなの当たり前だと、思われるかも知れないが、どう違ってしまったか? が大きな問題なのだ。

明日以降、気力、体力が残されていたら書きたいと思う。

第795回 定期演奏会Aシリーズ

日時:2015年10月15日(木)19:00開演(18:20開場)

会場:東京文化会館
指揮/ペーター・ダイクストラ(スウェーデン放送合唱団首席指揮者)
ソプラノ/クリスティーナ・ハンソン
アルト/クリスティーナ・ハマーストレム
テノール/コニー・ティマンダー
バス/ヨアン・シンクラー
合唱/スウェーデン放送合唱団

リゲティ:ルクス・エテルナ (1966)(無伴奏混声合唱)
シェーンベルク:地には平和を op.13 (混声合唱と管弦楽)
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 (ジュスマイヤー版)