投稿のご無沙汰御免。
10月5日(土)、わたしにとって13年ぶりとなる「ヨハネ受難曲」公演を無事に終えることが出来た。
否、無事という言葉ではまったく足りない。
魂の震える感動を伴った大成功と言っても許されるだろう。
「これまで数々の『ヨハネ』を聴いてきたが、もっとも感動した」
「受難節にヴァイマールの教会で聴いた聖歌隊と、同じ感動があった」
など、届いた声の数々は演奏家冥利に尽きる。
混声合唱団ヴォイス(厚木市)とヴェリタスクワイヤー東京(都内)の2団体による共催は、昨年のベートーヴェン「ハ長調ミサ」、モーツァルト「証聖者のためのヴェスペレ」公演にひきつづくもの。それぞれ単体では予算的に厳しい、しかし、バッハによる受難曲を古楽器オーケストラと共に演奏したい、という熱い想いから、再びの合同演奏となった。
どちらの団にも入団オーディションも出演オーディションもない。年齢制限もない。
年齢層はやや高め、音楽の専門家もいるが大半はアマチュアで楽譜の読めないメンバーも少なくない。
しかし、音楽作りに於いて「アマチュアだから」という妥協は一切無い。
1年半の研鑽を経て、実に立派な、何処に出しても恥ずかしくない演奏を披露できた。
コンサート開催に向けての無数の用件のみならず、日頃の運営にもご苦労をおかけしている。
役員はじめ、メンバー各位には、心よりの労いと感謝を送りたい。
盟友青木洋也さんに人選を一任した6人の独唱陣も素晴らしかった。
適材適所にして、一分の隙も無く、各人が遺憾なくバッハの真髄を明らかにしてくださった。
特に、この物語の進行役であるエヴァンゲリストの中嶋克彦さんの労を労いたい。
イエス役の与那城敬さん、ピラト&ペトロ役の松井永太郎さんの真に迫ったドラマ。
そして、澤江衣里さん、青木洋也さん、藤井雄介さんの歌うアリアが、人々の心を清らかに慰めてくれる。
特に、青木さんの歌う30番のアリア "Es ist vollbracht!"(すべて果たされた!)では、張り詰めながらもリラックスした空気の中、舞台上での魂の交流が美しく、記憶に残るものとなった。
天野寿彦さん率いる古楽器オーケストラの献身的な演奏も特筆すべきで、確かな技量はもちろんのこと、皆がバッハを愛し、敬うことから生まれる自発的なアンサンブルによって、ふたつの合唱団を高みに運んでくださった。
先に触れた30番のアリアではヴィオラ・ダ・ガンバを奏しつつ、ほぼ全てのナンバーでチェロを受け持った武澤秀平さん、ヴィオローネの布施砂丘彦さん、リュートの佐藤亜希子さん、オルガンの能登伊津子さんによる通奏低音は鉄壁で、見事にドラマを運んでくれた。
また、三ヶ尻正先生による字幕も、聴衆ばかりか合唱団への作品理解への大きな助けとなった。
今回のご縁を大切にし、先生からはもっともっとディクションに関する教えを受けたいと思う。
最後に、自分自身のことも述べさせて貰おう。
わたしにとって、「ヨハネ受難曲」を振るのは2011年(震災の年)以来13年ぶり。バッハの宗教音楽を振るのは、2018年の大フィル合唱団との「ロ短調ミサ」ライプツィヒ聖トーマス教会公演から6年ぶりである。
今回の公演については、この年月の間に体験した数々のコンサート指揮や勉強の成果が結実し、精神的にも技術的にもひとつ上のレベルの指揮が出来たように思う。もちろん、合唱団に対する指導力や目指すところも、随分と違っているはずで、それは合唱の出来映えにも反映されている。
その確かな手応えを胸に、心は次なる演奏会へと向かっている。
直近では、来年1月12日(日)、ヤマト国際オペラ協会とのヘンデル「メサイア」とモーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」。
さらに、5月11日(日)には、「福島章恭コンサートシリーズ4」の開催も決定した。
これについては、改めて記事をアップしようと思う。
バッハ: 「ヨハネ受難曲」BWV 245
バチカンとアッシジで歌う演奏旅行(参加者61名、主催:国際親善音楽交流協会 = IGMEA)が、10月23日~31日の日程で行われ、去る10月31日に無事に帰国しました。コロナ禍前から始まっていた企画ですから、足かけ4年ほどをかけて成就されたツアーとなります。
Coro Verità e Pace(合唱団" 真実と平和”)と名付けられた合唱団は、東京と大阪(中村貴志先生のご指導)のふたつの練習会から成り、現地で合流し、下記のふたつの本番に臨むこととなりました。
1.2023年10月26日 バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に於ける(17時の)ミサに於ける聖歌の奉納
2.2023年10月28日 アッシジの聖フランチェスコ教会に於けるコンサート
かねてより私は、アッシジの聖フランチェスコ大聖堂にて「水のいのち」を演奏したいという夢を持っており、それを軸に企画を膨らませていくことにしました。
なぜ「みずのいのち」か?
というと、過去に二度、この地を訪れたとき、街の清澄な空気感、大聖堂の神秘にして神聖な空気が髙田作品を演奏するに相応しいと直感したからです。
もちろん、髙田三郎先生の典礼聖歌「(アシジの聖フランシスによる)平和の祈り」に導かれたということもあったでしょう。
しかし、何か足りない。
「水のいのち」の海外演奏は、過去何度も行われています。
わたし一人に限っても、2004年にウィーンのムジークフェラインザール、ザルツブルクのモーツァルテウム、翌2005年に、プラハのスメタナホールと、髙田留奈子先生、髙田江里先生(プラハではピアノ担当)のお立ち会いの下、それぞれの土地での初演指揮をさせて頂きました。
ゆえに、もう一つ、新しいツアーへ心を駆り立てる決定的な柱が欲しい、と考えていたときに閃いたのは、
「邦人作曲家に新作のラテン語による宗教音楽を委嘱する」というものでした。
そうすれば、バチカンとアッシジに日本の宗教作品を届けるという、ただの自分たちの楽しみに終わらない、重大な使命を帯びたコーラスとすることが出来ます。
この閃きを、主催者である国際親善音楽交流協会(IGMEA)の丸尾氏に提案したところ、
「素晴らしいアイデアです」と大賛成して頂きました。
ではどなたに?
数名の候補が頭をよぎりましたが、結論は一瞬でした。
「なかにしあかね先生にしましょう!」
厚木市合唱連盟による「よかったなあ」委嘱初演の時より、先生とは面識はあり、
さらには、星野富弘の詩による「今日もひとつ」を演奏しながら、
特に、「いちじくの木の下」などに、その音楽にキリスト教の空気感を感じていたからです。
もちろん、星野富弘がクリスチャンのなので「当たり前のことではないか」と突っ込まれそうですが、音楽と詩が見事に融合してひとつの有機体となっている、ということを指してこう言っているのです。
わたしは勝手気儘にアイデアを述べるだけで、実際に動いてくださるのはいつもIGMEAの丸尾さんです。
丸尾さんは、既にご面識のあった某先生の仲介を経て、なかにし先生へのご依頼に漕ぎ着けてくださいました。
そして、幸いなことに、ご快諾頂いたわけであります。
さて、この2曲だけでは、一本のコンサートとして尺が足りない。
そこで、選ばれたのが、モーツァルト「戴冠ミサ曲」でした。
作品のクオリティの高さ、知名度、演奏時間、難易度など、すべてをクリアする作品だったので、これもスンナリと決まりました。
実は、ほかに、上述の髙田三郎先生の典礼聖歌「(アシジの聖フランシスによる)平和の祈り」も演奏するつもりだったのですが、
とある、やんごとなき事情が生まれ、実現できませんでした。
無念ではありますが、やり残したことがある、というのは、素晴らしいことでもあります。
再チャレンジしようという気持ちを持ち続けられるからです。
もし生あるうちに再びの機会が与えられるなら、
わたしたちをアッシジに導いてくれた「平和の祈り」を演奏しなければならない、と考えています。
(その2へつづく)
※写真は、10月26日、サン・ピエトロ大聖堂に於けるミサを終えての記念撮影。
ハンブルク滞在最後の夜に、愛すべきエルプフィルハーモニーで、このような素晴らしいブルックナーを聴けたことは、本当に幸せなことである。
一昨日(1月26日)、ペトレンコ指揮ロイヤル・フィルハーモニーを聴く前の夕、聖ヤコビ教会に於けるオルガン・コンサート(無料)を聴いた。
奏者は、聖ヤコビ教会のカントル、ゲルバルト・レフラー。バッハとブクステフーデという美しいプログラム(写真参照)。
いや、なんと言おうか。
ハンブルクに到着して3夜目の昨夜は、エルプフィルハーモニーに於けるヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会。
本来、ヴェリタス・クワイヤー東京と混声合唱団ヴォイスは、、2020年5月、この紀尾井ホールにてベートーヴェン「ハ長調ミサ」をメインとする演奏会を開催する予定でした。
ご承知の通り、コロナ禍により演奏は叶わず、二度にわたる順延をもって、ようやく本日を迎えることとなりました。
日々のレッスンすら侭ならなかった苦難の日々を思い出すと、感慨もひとしおです。
諸事情から入場無料となっておりますが、チケット予約が必要です。
一般受付は終了していますが、わたし個人の持ち分が10枚程度ございますので、お手数ですがヴェリタス・クワイヤー東京宛てにメールしてください。
メールアドレスは veritas.choir.tokyo@gmail.com となっております。
当ブログにはリンクを貼る機能がありませんが、ヴェリタス・クワイヤー東京HPのトップページにリンクがございますのでご利用ください。
ヴェリタス・クワイヤー東京HP
https://www.veritas-choir.com
なお、締め切りは、15日(金)の午後0時とさせて頂きます。
どうぞ、よろしくお願いします。
髙田三郎を歌うジョイントコンサート
2022年4月16日(土) 14:00開演 紀尾井ホール
入場無料(全席指定、要事前予約)
ヴェリタス・クワイヤー東京
* 髙田三郎 混声合唱組曲「水のいのち」
ドヴォルザーク ミサ曲ニ短調より
「キリエ」「グローリア」
混声合唱団 ヴォイス
* 髙田三郎 混声合唱組曲「心の指揮」
なかにしあかね 「今日もひとつ」より
「いつだったか」「いちじくの木の下」「今日もひとつ」
合同演奏
* なかにしあかね 「ケヤキ」
指揮:福島章恭
ピアノ:小沢さち、清水亜希子
新型コロナウイルス感染症予防対策とご来場の皆さまへのお願い(紀尾井ホール)
https://kioihall.jp/c-19request
ミューザ川崎に出かけるのの、東響を聴くのも久しぶりである。
東京交響楽団 名曲全集 第169回
指揮:原田慶太楼
ソプラノ:小林沙羅
バリトン:大西宇宙
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴスによる幻想曲
ヴォーン・ウィリアムズ(ジェイコブ編):イギリス民謡組曲
ヴォーン・ウィリアムズ:海の交響曲
ミューザ川崎シンフォニーホール
ヴォーン・ウィリアムズだけの作品による演奏会というのも珍しいが、この作曲家の第1交響曲である「海の交響曲」を実演で聴いたのは初めてである。
前半は、「グリーンスリーヴスの主題による変奏曲」から「イギリス民謡組曲」へ間を置かず、あたかも一つの組曲のように扱ったのは自然な流れでよかった。
特に印象に残ったのは、変奏曲。ピアニシモからピアノの間に幾重もの階層とニュアンスがあり、その繊細さと静かな呼吸に打たれた。
原田慶太楼の指揮に接するのははじめてであったが、この繊細さだけをとっても非凡な音楽家であることが分かる。
「組曲」も優れた演奏であったが、やはり、この作品はオリジナルのミリタリーバンドで聴く方が愉しい。このあたり、作曲者自身のオーケストレーションでない弱みのあるのは仕方なかろう。
メインの「海の交響曲」。
東響コーラスが圧倒的であった。
この長大なテキストと音符を暗譜するというだけでも、いつものことながら正気の沙汰ではなく、信じがたいことであるが、そのパフォーマンスも見事であった。
感染防止のため不織布マスクを着用のまま、さらに大きなディスタンスをとり、人数制限(出演者の大半を前後半で入れ替える)をするなど、何重ものハンディキャップを抱えながらも、「海の交響曲」を壮大なスケールで描ききった実力には脱帽する。
わたしの座席が、1階席下手寄りの前方だったこともあり、オーケストラがトッティで強奏すると聴こえにくくなったのは残念。
また、マスク着用の対策として発音をもっと明瞭にする、長いフレーズの後半に於ける発声の維持、転調時にハッとするようなハーモニーの色合いの変化などが為されていれば、さらに完璧だったと思われるが、全体の感動の前には小さな疵に過ぎない。
原田慶太楼の示す道筋は一点の迷いもなく明朗であり、オーケストラは柔軟に、そして自由な表現力で棒に応えてゆく。
小林沙羅と大西宇宙のお二人も、この作品の法悦感を見事に表現していた。
さて、大フィル合唱団の指揮者として、オーケストラ付き合唱団の置かれている立場の厳しさは分かっているつもりである。
本番に於けるハンディのみならず、レッスン会場の確保の難しさ、レッスン時の制約、また、経営側から見たときの団を維持するための負担など。
ただひとつ、本日の演奏を体験して、心底感じたことは、「東響には東響コーラスが必要」と言うことである。
「東響には、東響コーラスが似合う」と言い換えてもよいだろう。
新国立歌劇場をはじめとするプロの素晴らしさは認めつつも、どのオケの「第九」に出かけてもプロの合唱団では楽しくないではないか。
アマチュアにはアマチュアなりに、時間をかけてじっくり作り上げる音楽があり、ひとつの演奏会にかける想いも強く、それぞれの団の個性も羽ばたき、それが音楽文化の裾野を広げるのだ。
東京交響楽団と東響コーラスには、この受難の日々を乗り越えて頂きたい、と願いつつ、会場を後にした。