福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

「第9シンフォニーの夕べ」初日

2017-12-30 10:22:02 | コンサート


朝比奈隆先生の命日に於ける「第9シンフォニーの夕べ」初日は、成功裏に終わりました。

ソプラノ・ソロの森麻季さんがTwitterに、第3楽章で涙をこらえ、さらに第4楽章の合唱のところで涙を浮かべたのははじめて、と呟かれております。光栄なことです。

初日ということもあり、チューニングの時間から、ステージ上は只ならぬ空気感。
全体に(特に第1楽章)肩に力の入ったところも無きにしもあらずのパフォーマンスでしたが、それも並々ならぬ意欲の裏返しということ。自らの芸を変革なさろうという尾高先生の内なる情熱を是としたいと思います。

わたしは、合唱指揮者という立場から、純粋に演奏を楽しめない(コーラスの課題を探しながら聴くため)ことも多いのですが、昨夜は聴衆のひとりとしてベートーヴェンの音楽を満喫しました。それだけ、演奏にエネルギーが満ちていたということ。

今宵、どんな「第九」となるのか?
合唱指揮者として、聴衆のひとりとして、大いに楽しみにしているところです。
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マエストロ尾高の崇高なる「第九」

2017-12-29 08:50:11 | コンサート
Facebookには過去の今日、自分が何を投稿したか教えてくれる趣向があってなかなか興味深いのだが、今日忽然と現れたのは、アメリカ生まれの名ピアニスト、ロザリン・テューレックの至言である。2年前、読書をしていて心に引っ掛かったフレーズを、備忘録としてFacebookに記していたのだ。



「真の演奏家は(中略)、自らの個性に無意識であらねばなりません。それが本当の個性なのです。たねやしかけのあるものは、独特のやり方であっても、個性ではありません。」

「演奏者として、わたしが目的としているのは、ただ演奏する、あるいは美しく弾いて喝采を得るということではありません。わたしは、自分の内にある経験が、聞く人に、人生に対する何らかの新しい洞察を与えることになれば、と思っています。全聴衆のうちにたった一人でも、悟りの曙光を得た者がいたなら、なんらかの地平の広がりを感じた者がいたなら、それが十分な酬いです。」
「ピアニストは語る」エリス・マック著 井口百合香訳(音楽之友社)より

この美しい言葉と再会したのが、他ならぬ今日というのは、偶然とは思えない。というのも、大阪フィル「第九」公演に向けた一昨日の合唱稽古、昨夜のオーケストラ合わせに接して、マエストロ尾高に感じた畏敬の念そのままだからである。

尾高忠明先生に対する一般のイメージとしては、堅実、穏健、誠実、羽目を外さない、といった真面目だけれど、些か面白みに欠ける、といったもののような気がする。SNS上でもそうした声に出会うことがあるのも事実だ。

しかし、少なくとも、今回の大阪フィルとの「第九」は全く違う。

確かに、聴衆をアッと驚かせようという仕掛けは一切ない。どこまでも、スコアに忠実(一部、ヴァイオリン音型のオクターヴ上げあり)であり、オケ、コーラスからは蓄積した癖や垢を取り除き、清廉な響きを紡ぎ出す。

それだけなら、毒にも薬にもならないということになるが、マエストロ尾高は、ただ棒に合うだけの演奏、ただ楽譜をなぞるだけの演奏を厳しく否定し、ベートーヴェンの想いに共感し、演奏家の情熱を注ぐことを激しく要求する。棒などあてにせず、自分の音楽を奏でろと言う。

プローベに於ける指摘や要求も、的を得ているとともに、向かうべき方向が明確に示されるため、何度繰り返してもプレイヤーのテンションが落ちることはなく、常に新鮮な音が現出する。

もうひとつ歓ぶべきことは、各声部の動きがクリアに聴こえつつ、音量がたっぷりと大きなこと。オーケストラも本当に気持ちよく鳴っているし、コーラスも潜在能力を引き出されて良い声となっている。

オケ合わせを聴きながら、これほど血湧き肉踊る想いさせて頂くとは!

本番は、いよいよ今宵と明晩。
この年の瀬、尾高&大阪フィルの「第九」を聴いて、心の大掃除をしては如何だろう?








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ベートーヴェンへの尊敬と愛に溢れた「第九」

2017-12-28 01:05:55 | コンサート


大阪フィル次期音楽監督・尾高忠明先生によるベートーヴェンへの尊敬と愛に溢れた「第九」合唱初稽古。
合唱団員も私も初心にかえることの大切さを教えられました! 音楽的に向かうべきところが、これまで積み上げてきた延長戦上にあることが嬉しい。

この歓びをフェスティバルホールにお集まりのお客様と分かち合いたいものです。 ご来場を心よりお待ちしております。

以下、大阪フィルハーモニー交響楽団Twitterより
【2017年の最後を飾る「第9シンフォニーの夕べ」。日中のオーケストラリハ―サルに続き、指揮者・尾高忠明による合唱練習が行われました。
40年以上多くの人に愛されてきた伝統の演奏会、今年はどんな第九になるのか楽しみです。公演は29・30日、両日とも7時開演です!】



第9シンフォニーの夕べ

2017年12月29日(金)& 30日(土)
19:00開演(18:00開場)

フェスティバルホール

<出演>
指揮:尾高忠明
独唱:森麻季(ソプラノ)、小川明子(アルト)
   福井敬(テノール)、須藤慎吾(バリトン)
合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)

<曲目>
ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」

<料金>(全席指定・税込)
A席:6,000円(5,400円)
B席:4,500円(4,000円)
C席:3,000円(2,700円)
BOX席:7,000円(6,300円)
※未就学のお子さまのご入場はお断りさせていただきます。
※(  )内の料金は大阪フィル・会員価格です。

<チケット販売所>
大阪フィル・チケットセンター 06-6656-4890
フェスティバルホール チケットセンター 06-6231-2221
チケットぴあ 0570-02-9999 【Pコード:338-905】
ローソンチケット 0570-000-407 【Lコード:56362】
e+(イープラス) http://eplus.jp/

<お問合せ>
大阪フィル・チケットセンター 06-6656-4890
(営業時間:平日10:00~18:00/土曜10:00~13:00/日・祝・年末年始は休業)

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回想・カプツィーナ教会コンサート ~ Azumaさんブログ

2017-12-25 13:37:07 | コンサート


Azumaさんのブログにて、カプツィーナ教会に於けるモーツァルト「レクイエム」公演が回想されています。

録画も録音もなされなかった幻の名演を、こういう形で記録して頂けるのは嬉しいですね。

ハプスブルク家の皆様に暖かく迎えられているような不可思議な空気感の中でのパフォーマンスだったことを、静かに思い出しているところです。

どうぞ、下記までお訪ねください。

魂に捧ぐ美しき「レクイエム」 -Requiem at Kapzinerkirche- | Azumaのブログ

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トーマス教会カレンダー 2018年9月25日

2017-12-21 15:05:27 | コンサート

Thomaskirche Leipzig - Veranstaltungskalender


ライプツィヒのトーマス教会カレンダーに、福島章恭指揮ザクセン・バロックオーケストラ&大阪フィルハーモニー合唱団によるバッハ「ロ短調ミサ」公演が記載されておりました。

2018年9月25日(火) 19:00開演です。

ソリスト陣については、決まり次第、更新されると思われます。

大阪フィルハーモニー合唱団の名が、海外でクレジットされることは稀でしょう。誠に嬉しいことですし、わたし自身も気持ちが引き締まります。

お仕事やご家庭のご都合でご参加を悩まれている団員諸氏には、バッハの墓前にミサ曲を捧げるという一生に一度の機会、多少の不義理は許されるでしょう。後悔のない決断をなさるようお願いします。

また、外部の合唱愛好家、バッハ・ファンの皆様には、臨時団員の募集(オーディション有り)がございますので、ご検討ください。

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「音楽の友」1月号 コンサート・レビュー

2017-12-20 17:58:00 | コンサート


「音楽の友」1月号のコンサート・レビューにて、去る11月16日東京オペラシティに於けるモーツァルト「レクイエム」特別演奏会の批評が載っています。

鹿児島の田舎町には書店がなかったため、本日ようやく購入できました。

概ね好意的な評で一安心。
コーラスも頑張ったし、ソリスト陣も素敵だったし、オーケストラも献身的でしたから!

そういえば、わたしの指揮した演奏会が公式に批評されるのははじめてですね。いままでは、聴衆にどんな感動を与えようとも、批評の対象外でしたから。ようやく、土俵に上げて頂いたことに感謝します。

評者は長谷川京介氏。
事前に作品を勉強され、丁寧に聴いてくださるのは嬉しいことです。

全文は購入して、お読みください!

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激動の2ヶ月 母に感謝

2017-12-19 06:56:30 | 日記


マエストロ道義との「躍動の第九」終演後には、母の納骨祭、五十日祭のため鹿児島に飛んだ。ちょうどマエストロも記者会見のため福岡に飛ばれるところで、伊丹空港までお車をご一緒できたのは嬉しいことであった。

それにしても、ザ・シンフォニーホールから伊丹空港の距離がそれほど遠くない(高速を飛ばせば20分弱)とはいえ、搭乗の約50分前まで楽屋で弁当を悠々と召し上がるというマエストロの肝の据わり方は、小心者のわたしには真似できないな(笑)。大物と小物の違いである。

さて、昨日は母の納骨のあと、斎場での五十日祭。五十日祭とは、仏教でいえば四十九日にあたる神道のお祭。本来の五十日目は元日にあたってしまうため、家族のスケジュールを照らし合わせての早めのお祭となった。

母のお骨が墓に納まると、気持ちの整理もひとつついたように思う。母の入院 ~ 死 ~ 東京オペラシティ公演 ~ ウィーン楽旅 ~ 躍動の第九と激動の二ヶ月間であったが、年内残すところ尾高先生との第九のみ。
体調を崩すこともなく、すべてが順調に運んだのも母の加護があったればこそ。母に感謝。
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マエストロ道義の「第九」終了

2017-12-17 17:27:10 | コンサート


大阪フィル合唱団、今年最初の「第九」はマエストロ道義の「躍動の第九」@ザ・シンフォニーホール。

「え、聞いてないよ!」
という本番でのテンポの激変やレッスンで片鱗すらなかったピアニシモの要求に、合唱団はよく着いていったと思います。しかし、客席でヒヤヒヤすることはなく、安心して聴いていられました。コンサートマスター田野倉雅明さんの率いるオーケストラも燃焼し、終演後の聴衆からの拍手も盛大。まさに道義先生ならではのエキサイティングでファンタスティックな本番となりました。

関係各位からは「昨年の第九より、一段向上したね」との評価を頂いた大阪フィル合唱団ですが、まだまだ伸びしろはあり。さらに発声を磨き、呼吸を深め、表現の幅を広げていかなくては。



年内に残すステージは、いよいよ29日、30日フェスティバルホールに於ける「第九シンフォニーの夕べ」のみ。
朝比奈先生時代よりつづく大阪フィル伝統のコンサート。否が応でも気合いが入ります。ミュージックアドバイザー尾高忠明先生との初共演を心より楽しみにしているところです。
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過ぎゆく風景の向こう ~ モーツァルト「40番」テスト盤を聴く

2017-12-12 01:14:03 | レコード、オーディオ



モーツァルト「レクイエム」特別演奏会
2017.11.16 (木曜日)
於・東京オペラシティ・タケミツメモリアル

♪ウィーン旅行中に届いていたテスト盤をようやく聴く。まずはディスク1の「魔笛」序曲と交響曲第40番から。
「40番」は我ながらテンポが遅い。厳密に較べたわけではないが、晩年のワルターやクレンペラーより遅いような印象すらある。実演はともかく10人中9人には「遅すぎる」と敬遠されてしまうに違いない。

しかし、このテンポこそ、あの日のわたしだったのだ。嵐のように荒れ狂ったり、疾走するのではなく、悲しみを静かに見つめることこそが真実だった。この透明なゆったりと過ぎゆく音の風景の向こうに彼岸に旅立った魂との語らいがある。次にこのト短調を指揮するときには、もっと速めのテンポを選ぶのかも知れない。
あの日にしかない真実を見事に音にしてくれた崔さんはじめとする東京ヴェリタス交響楽団の皆さんにはひたすら感謝あるのみ。

それにしても、交響曲の第1、2、4楽章の前半リピート有り、拍手込みとはいえ、この2作品で45分超えというのは、尋常ではない。第2楽章などまるでブルックナーのようだし、フィナーレもクナッパーツブッシュのアイネ・クライネ・ナハトムジークを思わせる(もちろん、芸格は足元に及ばないけれど)。

時代離れしたテンポによるモーツァルトの2作品、高音質のアナログ・レコード作成に丁度よい収録時間だなぁ、などと妄想してしまうのは、わたしの悪い癖だ。

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ムーティ&ウィーン・フィルによるブルックナー「9番」

2017-12-09 10:27:00 | コンサート


この度のウィーン滞在、実質最終日。
まずは、午前11時より、ムーティ指揮ウィーン・フィルのブルックナー「9番」を聴く。前プロはハイドンの39番ト短調。



座席はGalerie正面の2列目。日本でいえば3階席ということになるが、音響はともかく、前列の方に視界を遮られて舞台を見ることはできない。もう少し、良い席を確保する努力をするべきであったと後悔しても後の祭。席の悪さを嘆くよりは、この場にいられる幸運に感謝するほかない。

ムジークフェラインザールの2階席、3階席の2列目以降の客への配慮は皆無。庶民への扱い方については、飛行機のエコノミークラスと発想は同じだろう。



ハイドンの演奏中は、すこしでもムーティの指揮姿を見ようと、椅子の左右の端に寄ってみたり、首を傾けてみたり、あらゆる姿勢を試したが目覚ましい効果はなく、疲れきってしまった。聴くことより、見ることに神経を使ってしまっては本末転倒。というわけで、後半のブルックナーは目を閉じたり、天井を見上げながら聴くことを決意した。



視界ほぼゼロという悪条件の中でなお、ムーティのブルックナーの素晴らしさは享受できた。奇をてらったところのないのは、ウィーンに着いて最初に聴いたヤンソンス&バイエルン放送響と同じだが、ヤンソンスがひたすら万人向けに、最大公約数的なアプローチに終始するとき、ムーティは孤独にひとつの真理を追求する。

そこに現出した音は、ウィーン・フィルならではのブルックナーの音。弦の艶、溶け合うホルンとワーグナーチューバ、魅惑の木管・・、どこを切り取っても、青春時代から聴き続けているシューリヒトと同様の響きがするのだ。あの伝説的録音から半世紀の時が経ち、プレイヤーはすっかり代替わりした筈なのに、その伝統の音は確実に受け継がれている。それがとても嬉しかった。

となれば、如何にシューリヒトの名演をオリジナル・プレスのアナログで聴こうとSACDやハイレゾで聴こうと、ムジークフェラインという器をも楽器として響き渡る生の音に、受け取る感動の重さは叶わない。

誠に美しいブルックナーであった。

♪アムステルダム・スキポール空港にてトランジット時間を利用して記す。





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