福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

鰻と芹沢銈介と女声合唱団と

2016-08-07 01:07:54 | 美術
倉敷よい処、鰻が旨い!


大原美術館の隣のホテルでは、部屋に芹沢銈介の型染めという贅沢。なんと心が安らぎ和むことか。





そして、倉敷には、愛すべき女声合唱団 KIBIがある。本日午後のステージでは、アカペラのみ3本勝負。はじての挑戦だ。この自らが選択した難題を前に団の自主性、団結力は一段と増し、音楽的にも1年前、否、3か月とは別の合唱団のような進歩を遂げてくれた。もちろん、ゴールは未だ遥か彼方にあるが、一歩ずつ確実に近づいている。



ここまでくれば、小さなミスに囚われず、のびのびと歌って欲しい。だが、その前にいつもの準備体操を抜かりなくしよう。光明がこの発声体操の先にあることは間違いないのだ。

焼岳を追いかけて

2016-08-04 17:52:30 | 美術


藤江幾太郎画伯の「焼岳」を眺めていると、波立つ心、疲れた肉体の落ち着いてくるのは何故だろう?

その理由を問うつもりがあったわけでもないが、この絵のモデルとなった焼岳そのものを拝みたいという想いが俄かに沸き起こり、矢も盾もたまらず、上高地を訪ねることにした。



上高地といえば、この観光ガイドブックに載るようなアングル(我ながら上手く撮れた・笑)、即ち河童橋とその背後に聳え、広がる穂高連峰の図が多くの人の脳裏に浮かぶイメージであると思われるが、わたしは何といっても焼岳の勇壮の美に惹かれる。



河童橋から穂高連峰を背にすると梓川の流れの先に焼岳が聳えたつのが見える。まさに、藤江幾太郎作品に描かれたのと同じシルエット! その後の歳月によって手前の木々の背丈こそ違っているが、ここに間違いない!



さらに憧れの焼岳に近づこうと、梓川の河原を大正池方向に走ったものだが、ベストの撮影ポイントに到達する直前に、無情にもスマホのバッテリーが落ちてしまった・・・。



もともと、今回の旅では、財布とカメラの入ったバッグを家に置いてきてしまったので、スマホによる撮影しかできなかったことが心残りではある。本日は下見ということで、次の機会には泊まりがけで訪ねたい。





さて、こちらの2枚の写真は焼岳の噴火によって、一夜にしてできたという大正池から望む焼岳。そして、その水面に映る姿。

どの角度からみても、美しい!


花言葉は「心変わり」

2016-05-21 17:39:33 | 美術

拙ブログを読まれたFB友のおひとりが、「青磁の花瓶にさされた花は、ゴシキドクダミでしょう」と教えてくださった。



なるほど、そうに違いない。
花は白。
花弁にも見えた燃えるような紅は葉のようである。



ドクタミなら庭にイヤになるほど生えているが、このゴシキドクダミは鑑賞用に品種改良されたものらしい。花言葉は「心変わり」。

http://tree.shiny-garden.com/post-531/

陽の光のように明るい向日葵でもなく、妖艶な薔薇でもなく、ひっそりと佇むゴシキドクタミを絵の題材とするあたり、浜田方一という人の清らかな精神が偲ばれる気がする。もっとも、ほかにどんな作品を描いたのかは知らないのであるが。



それにしても、好きな絵が居間なり、仕事場の壁に掛かっている、というのは、心安らぐものである。心身ともに疲れがスーッと引くような気がする。音楽から絵画への「心変わり」ではないが、レコードを集めたり聴くのとは違う種類の歓びがこの世にあろうとは、つい最近まで知らずにいた。まこと不覚である。

「そう言われても、絵は高価で手が出せない」
という方もあるかも知れない。確かにそうでもあり、時にそうでもない。
ピカソやシャガールを手元に置こうと思うなら前者で、一点ものの油絵など高嶺(高値?)の花。作者の没後に刷られた版画ですら、結構なお値段になる。

一方、知る人ぞ知る、或いは一般には未知の作者の作品については、古書店の店先やオークションなどで、ちょっとした価格で手に入れることもできる。中には、一回の食事代程度などという幸運なケースも。

壁に作家の名前を掛けるわけではなく、何かしら心に美しく響く作品であれば、作者が誰であっても構うまい。有名作家の作品には贋作、模造品という心配も生まれるが、名より作品本位で選ぶなら、その心配もいらないのである。


浜田方一の「花」

2016-05-20 21:52:46 | 美術



ひょんなことから、我が家に1枚の静物画がやってきた。

画家の名は、浜田方一

画題「花」 油彩 F6号

案内には、
「北九州市門司生まれ
日本美術家連盟正会員
自由美術家協会会員
95歳で没」
とあるばかり。

とある方のインターネット日記から、2006年4月に「門司港レトロ」という施設で遺作展が催されていたことを知るのが精一杯。

無駄がなく、静かな作品である。
青磁のように見える花瓶の輪郭の美、背景の緑の深み、可憐な花弁とその密やかな影、陰。
この絵が語りかける心への波動が、モランディを観たときにどこか似ているのは、その筆の虚飾のない潔さからであろう。

もう少し、浜田方一という人のことを知りたいものだ。


東尚彦作品・額装完成!

2016-04-25 16:40:11 | 美術




先日、心斎橋で出会った東尚彦作品2点の額装が完成したというので、引き取ってきた。

当初、黒縁に白のマットで十分と考えていたのが、いざ、額とマット選びを始めると、作品から発せられる強力なエネルギーに触発され、店員さんに助言を仰ぎつつ、ちょっとした冒険をすることとなった。

いざ完成品をみると、上々の出来映え。作品が力強いので、この程度の額に負けることはない。

東尚彦の狂気に突き動かされた「創作」の最後にほんの少しだけでも参加できたようで嬉しい。





さて、先週はポリーニをサントリーホールに聴き、さらには、ジョナサン・ノット指揮東響による「ドイツ・レクイエム」ほかをミューザ川崎に聴き、いずれも大きな、しかし、異なる種類の感銘を受けた。

本来、記事にすべきだったのだが、突然メインのPCが起動しなくなったことへの対応に疲れきってしまい、ブログの更新どころではなかったのである。

結局、メインPCは、マザーボードの不具合という小手先の修理ではどうにもならない事態であることがわかり、致し方なくマザーボードを交換。
CPU、メモリ、SSD、ハードディスク、ビデオカード、電源などは概ね無事であったものの、いまからOSのインストールからやり直しをするというのは億劫だ。レッスンとレッスンの合間の作業となるので、しばらく時間がかかりそうである。



ついでながら、壁にはブルックナーもおります。

画家・東尚彦のことば ~ 狂気について

2016-04-19 22:20:41 | 美術


創造的な人は狂気を恐れてはならない 狂気は破壊であり 新しい分別を生み出す母胎である 狂気に耐える精神こそ精神と呼べる



東尚彦という現役の画家と出会ったのは、ドレスデンでのクルト・クヴェルナーのときと同じく、偶然であり、運命である。

たまたま、奈良県でのコーラス指導に向かうのに、30分ばかりの空き時間ができ、退屈しのぎに心斎橋筋のNという老舗古書店に立ち寄ったのだ。

壁に掛けられた、この二点の作品と対面した途端、わたしの心の真ん中にひとつの波紋が生まれた。その文様がぐんぐん大きくなり、全身全霊に行き渡るのに時間は要らなかった。

東尚彦という名前を見るのもはじめてであったが、その作品を支える巌のような意志は何処かクヴェルナーや中川一政を思わせた。しかし、我が心にもっとも訴えたものは"狂気"であろう。

わたしがレコードを蒐集するとき、執筆をするとき、コーラス指導をするとき、本番指揮をするとき、すべては狂気の裏付けがあり、聖なる天啓とともに何かに突き動かされる衝動がある。

写真は額装前のもの。
作品に内在する狂気に鼓舞され、今回は額とマット選びを少しだけ冒険した。無難な額装だと狂気に蓋をするような気がしたからである。

ただし、わたしは色彩にはド素人なので、大失敗している可能性もある。

それも含め、来週の出来上がりが楽しみだ。

なお、店によれば、二点とも「肉筆画」とあったが、下の山の作品は版画のように見える。

ジョルジュ・モランディ展

2016-03-22 21:56:27 | 美術


東京ステーションギャラリー - TOKYO STATION GALLERY -


順序は逆になったが、先日、東京ステーションギャラリーにて、ジョルジュ・モランディ展を訪ねた。

しみじみとよかった。
人物画はなし、殆どが花瓶やビンなどの静物画。あとは、僅かに誰も目を留めないような風景や家の絵があるばかり。

色彩にも派手さはなく、ただただ静かな時間が流れている。

「重要なのは、物の深奥に、本質に、触れることです」(ジョルジュ・モランディ)

とかく派手なパフォーマンスが聴衆に受けがちな演奏行為に於いても、モランディの精神を受け継ぎたいものである。

さて、東京ステーションギャラリー初体験であったが、レンガ造りの東京駅舎を生かした建物そのものも実に美しく、心楽しかった。












天空の画廊 クルト・クヴェルナーとの出逢い

2016-02-28 08:34:12 | 美術


今回のドレスデン滞在では、体力温存のため美術館に行かないと決めていたのだが、新市街地の路地裏を歩いていると気になる画廊に出逢ったので、覗いてみた。

GALLERY HIMMEL=天空の画廊

まず、画廊の名前が素敵ではないか。
そこで、2月末まで開催されているのが、Curt Querner (クルト・クヴェルナー,1904 - 76)展。はじめて聞く名前だが、その風景画や人物描写の奥深さに忽ち魅せられてしまった。ドイツ国内では著名だという。







「レコード買うのやめて、どれか買って帰るか?」と、持ち前の物欲が頭をもたげたものの、気に入った作品が9800~14,000EUROとのことで一旦は諦めた。否、作品の価値からいって、決して高くないのだと思う。気に入ったわけだし。たとえば、シャガールなど人気作家の版画を買うのなら、こちらの一点ものの水彩画や油絵を買う方が賢いに違いない。









宿から画廊まで徒歩5分ということもあり、結局、ドレスデン滞在の3泊+1泊(計6日)の間に5度も訪問してしまった。誰もが訪れる観光地を早足で駆け抜けるのも悪いとは言わないが、自分だけの名所に何度も訪れるという方が性にあっているようだ。



ネルソンス&シュターツカペレ・ドレスデン終演後、いよいよライプツィヒに発つ前、予約の列車まで小一時間あったため、画廊を再訪。店主のMichaelさんと記念撮影。Michaelさんは奥様ともどもライプツィヒご出身で、バッハの音楽をこよなく愛されているとか。不思議なご縁を感じた次第。