昨夜の第1幕に引き続き、フルトヴェングラーのミラノ・リングから「ジークフリート」第2幕~第3幕を聴いている。
これは、ヤバい。
「森のささやき」では、弦のざわめきに、まるで命が宿っているようで、森が大きな生命体のように聴こえる。
ミーメ、アルベリヒ、ファフナーの邪悪さにも、その根底に存在や誕生そのものの悲しみがあって、心に響く。
フラグスタートのブリュンヒルデも良い! 後のクナッパーツブッシュとの「ワルキューレ」第1幕やフルトヴェングラーとの「トリスタンとイゾルデ」も名唱だけど、あの声に若さと艶が加わり、そして、舞台上ならではの命の燃焼がある。
ミラノ・スカラ座管弦楽団の実力も凄い。リングが恒常的なレパートリーではない筈なのに、これほど血の通ったドラマを描ききるとは!
フルトヴェングラーのワーグナーは確かに余りに人間的であって、かつてのボクはそれを忌み嫌ったものだが、そもそも「ニーベルングの指環」自体、神々の名を語りながらも、登場人物たちの業、権力欲、金銭欲、エゴ、嫉妬など、人間の備えるあらゆる醜さの博覧会、とも呼べるワケで、今はフルトヴェングラーの表現を無条件に受け入れることができる。
天の視点から描くクナッパーツブッシュと、人間の内面深くを暴き出すフルトヴェングラー。そのどちらかを選んだり、排除するのではなく、両者の違いを味わい、楽しんでしまった方が得なのだろう。
ことワーグナーに限っては、いまや宇野先生よりフルトヴェングラーのことが好きかも知れない(笑)。
この心境の変化には我ながら戸惑うほど。まさか、こんな日が訪れようとは。
それにしても、この伊Fonit Cetraのアナログ盤の音質は見事だ。経年による多少の音ムラは認められるものの、かつて聴いた廉価盤輸入CDとは別次元。この音の生々しさも、フルトヴェングラーのワーグナー再評価への手助けとなっていることは間違いない。