今日の倉敷への旅の友は、いつものフレデリック・コンスタント・オープンハートではなく、山本寛斎。これでも、スイスのムーブメントを使用した立派な自動巻。クオーツは、どんな高価なブランド品でも身に付ける気持ちになれないもので・・。
今年亡くなった義父にプレゼントしたものが戻ってきたもので、時々身に付けるようにしている。
なぜ、かくも自動巻の腕時計に胸焦がれるのか?
元来のアナログ好きという性向もあるけれど、いまハッと思い付いたことがある。
まだ、クオーツ時計の普及する前の幼き日々、父がしていたセイコーの腕時計だ。日に何度か腕をブルブル震わしては時計のネジを巻いていた仕草が脳裏に焼き付いている。その仕草を見るのが好きだったのかも知れない。
いま、父は母と共に故郷鹿児島に暮らしているが、その腕にはエポスの自動巻腕時計がある筈である。
今年亡くなった義父にプレゼントしたものが戻ってきたもので、時々身に付けるようにしている。
なぜ、かくも自動巻の腕時計に胸焦がれるのか?
元来のアナログ好きという性向もあるけれど、いまハッと思い付いたことがある。
まだ、クオーツ時計の普及する前の幼き日々、父がしていたセイコーの腕時計だ。日に何度か腕をブルブル震わしては時計のネジを巻いていた仕草が脳裏に焼き付いている。その仕草を見るのが好きだったのかも知れない。
いま、父は母と共に故郷鹿児島に暮らしているが、その腕にはエポスの自動巻腕時計がある筈である。