福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

マティアス・ゲルネの反則技

2014-05-15 21:13:25 | コンサート


奇妙なプログラミングではあった。

前半にベートーヴェンの連作歌曲「遥かなる恋人に寄す」。後半にシューベルトの「白鳥の歌」。

これ自体、なんの変哲もない。極めて真っ当な組み合わせである。

ただ、いざリサイタルが始まってみると、そうではなかった。
ベートーヴェンが終わり、「さあ、コーヒーだ」と我が心はすっかり休憩モード。しかし、カーテンコール後も舞台は暗転せず、そのまま「白鳥の歌」へ。
「おお、このまま休憩なしに突っ走るのか!」「なんてタフなんだ!」と感心しつつ気持ちを整え直す。

「白鳥の歌」の第7曲目の次に同じレルシュタープの詩による「秋」D.945の挿入されていたことは事前にプログラムの解説を読んでいたので知っていた。
が、なんとハイネの詩による後半を残して休憩が入ったのには驚いた。中途半端な空気での中断に何となく落ち着かない。

さらには、終曲「鳩の使い」を歌わないまま、暗い「影法師」でプログラムを閉じるとは!
しかし、何のことはない。カットされたかと思った「鳩の使い」はアンコールで歌われたのだ。

これって、反則技じゃないのゲルネさん(笑)?

と、個人的に釈然としない構成はさておき・・、音楽的にも今ひとつ、乗れない私がいた。
なるほど、ゲルネの感情移入は激しく、前半の数曲は「おおお」と唸ったものだ。ただ、感情の高まったときの歌い方がどの曲も同じに聴こえて、途中で慣れてしまう。
さらには、身体を大きく揺らしながら、動きながらの歌唱スタイルにより、もっと冷静かつ客観的であるべき場面までもが熱唱となってしまい表現の幅を小さくしてしまっていたように思えるのだ。

また、ピアノのシュマルツは、声への配慮のあるバランス感覚の優れた人だとは思うが、シューベルトの目眩く転調の魅力を伝えてくれない恨みが残った。

因みに、聴衆の拍手は熱狂的であった。やはり、私の感性は圧倒的多数からみると異端なのかも知れない。

ところで、紀尾井ホールの2階サイド席は、1列目であっても首が疲れる。
普通に腰掛けると、ちょうど視界の真ん中に手摺がきてしまうので、思い切り上半身を伸ばして手摺の上からステージを覗き込むか、身を屈めて手摺の間から観るかしかない。
まあ、手摺がなければ、高所恐怖症の私には2階でも十分に恐怖の高さではあるのだが・・・。
次回から、紀尾井ホールでは、2階センター席を狙うとしよう。



マティアス・ゲルネ シューベルト三大歌曲集連続演奏会 第3夜

ベートーヴェン 歌曲集「遥かなる恋人に寄す」
シューベルト「白鳥の歌」

バリトン : マティアス・ゲルネ
ピアノ : アレクサンダー・シュマルツ

2014年 5月15日 紀尾井ホール

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