ハンガリーの名音楽家ゾルタン・コチシュが亡くなりました。
享年64。その才能を閉じるにはあまりに早い死。
彼の演奏を思い出すために、2年前の自分のブログを訪ねました。
十分とは言えない記述でも書いておくべきものですね。文章を読みながら、あの夜の武蔵野市民文化会館の空気が蘇ってきました。
ここに哀悼の意を表するとともに、ブログを再掲します。
6月24日、三鷹市に雹の降った日の夜、お隣武蔵野市にある武蔵野市民文化会館にて、コチシュ指揮ハンガリー国立フィルを聴いた。
プログラムは、前半はモーツァルトの歌劇「魔笛」序曲とピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449。コンチェルトはコチシュの弾き振りで、コチシュ作のカデンツ付きの終楽章の後半がアンコール演奏された。
後半はシューベルトの交響曲第8番「グレイト」(未だに「グレイト」を8番と呼ぶには違和感があるが)。
アンコールは、ブラームスのハンガリア舞曲第10番。
前半のモーツァルト2曲は、当初発表されていたベートーヴェンの第4協奏曲からの演目変更で、これは少し残念。
とはいえ、「魔笛」序曲から魅了されたのは事実。何と言っても弦。派手さ、煌びやかさとは無縁の木の温もりを思わせる優しい響き。プルト最後尾の奏者まで、弓の運びに一体感があって美しく、しっかり弾き込まれていて気持ち良いのだ。
木管、金管のアンサンブルも傾向は同じ。各プレイヤーの音楽性が高く、コチシュの生き生きとした音楽を見事に具現していた。
まさに音楽の基本、アンサンブルの原点とも呼ぶべきこの光景、愛知祝祭管のみんなに見せたかったな。
弾き振りの協奏曲は、コチシュの独奏がかなり直線的で、もっと様々なニュアンスや陰影があってもよいと思ったが、妙に深刻ぶったり、テクニックを見せつけたりすることのない実直さには好印象。
殊にアンコールでは生命力が漲っていて良かった。
そして、メインのシューベルトこそ、名演中の名演。
冒頭の息の長いホルンから、コチシュのこだわりが感じられたが、弦、管ともに細やかにアクセント付けされた音楽が実に美しい。
やや速めに設定された第2楽章のテンポ
は、まさにこうでなければ、という躍動を孕んでいたし、第2主題に於ける歌心も十二分。
第3楽章スケルツォでは、リズム感やイントネーションが抜群のため、リピートに次ぐリピートにも、些かもしつこさや長さを思わせない。
フィナーレで、木管に大きな事故はあったのは惜しまれるが、それを乗り越えるべくオーケストラ一丸となった感興の高まりとともに曲を閉じて大満足。
さらに、アンコールのハンガリア舞曲第10番は、演奏の始まりとともに聴衆を別世界へと連れ去る魔術のような演奏。
ああ、彼らのブラームスの交響曲が聴きたいものだ。
もうひとつ、特筆すべきは、武蔵野市民文化会館の音響の素晴らしさ。全体に残響も程よいばかりか、これほど木管の動きが明瞭に聴き取れるホールも稀だろう。
ちなみに、入場料は最高ランクのS券でも僅かに7,000円。在京オーケストラ並みの破格! サントリーホールに於けるベルリン・フィルの6分の1、ボストン響の5分の1という良心的な設定である。
もちろん、オーケストラそのものへのギャラも違うのであろうが、好企画の多い武蔵野文化事業団の取り組みには賛辞を送りたい。