福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

朝比奈隆先生の幻のバッハ

2014-01-10 01:40:40 | コーラス、オーケストラ
福島章恭HP http://www.akiyasuf.com

昨日、朝比奈隆先生からのお葉書を発見したことから、朝比奈先生と新星日響との幻の演奏会のことを思い出した。

バッハ「ロ短調ミサ」である。

85年7月の東京文化会館と新宿文化センターで2公演を目指して練習を積んだのだが、直前に朝比奈先生が体調不良からリタイア、秋山和慶先生の代演となった。朝比奈先生は後にも先にも「ロ短調ミサ」を振っていないから、本当に貴重な機会を逃したことになる。

このときも、朝比奈先生による合唱稽古は録音したのだと思うけれど、書き起こしはしなかったし、カセットテープは散逸してしまった。

とまれ、今もっとも思い出すのは、朝比奈先生の「サンクトゥス」の巨大さ、崇高さである。
テンポはクレンペラー以上に遅かったように思う。
もちろん、遅いテンポは全曲に及び、まさに異形のバッハであった。
「これはバッハじゃない」と合唱指揮の郡司先生に抗議する外国人の合唱団員もいたけれど、私には猛烈に感動的だったのを憶えている。
この時代錯誤な、しかし宇宙的なバッハが実際の音とならなかったのは痛恨の極みだ。

しかし、このとき朝比奈先生が休演を決めたのは正解だったのだ。
次に予定されていた朝比奈先生とのオケ合わせの会場が、真夏の昼下がりの小学校の体育館。
きっと、新星日響も財政に苦労していて、まともな会場が借りられなかったのだろう。
当時の公立学校の体育館に冷房などなく、その暑さといったらなかった。
あまりの酷暑に、ピンチヒッターでいらした秋山先生も音を上げて、練習時間を半分くらいで打ち切ったくらい。
もし、あの劣悪な環境に体調不良の朝比奈先生が無理を圧していらしていたら・・・、と思うとゾッとするのである。
その意味から、朝比奈先生は強運の持ち主だった、とも言えるのかもしれない。

さて、朝比奈先生の超スローテンポに慣れていたコーラスもオーケストラも、超快速の秋山先生の棒に付いていくのに四苦八苦。
本番は、それはそれでスリリングな体験ではあったけれど、不思議と演奏の中身は憶えていない。

 

追記
このときの朝比奈先生のお休みの原因は、散歩中の足の指の骨折だったかもしれない。
この辺りの記憶は曖昧。
翌年の春、ヴァントの代役で指揮台に上ったN響との4日連続「第九」の頃はまだ本調子ではなく、7月の新星日響とのマーラー「復活」で文字通り蘇られた感があった。
それについては、また書くとしよう。

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