先日来、ライブドアの批判が高まっていることに関してまたまたというべきか、
今度はこちらの毎日のサイトで竹中平蔵のライブドア批判が報じられている。
前回書いたことと重複するが、私には今回の件に関して批判される対象があるならば
批判されるべきなのは、株式市場のルールに「抜け穴」があることを放置してきた
政治家や学者たちであって、堀江氏ではないと思っている。
こうした報道を見ていると、まるで自分の責任を転嫁しているように思われてならない。
お金があればなんでもしていいのか、というような批判はよく行われているが、今回の
堀江氏が行ったことというのはそれほど倫理的な問題ではなくて、ただ単にお金を借り
てきて株を買った訳で、その買い方がかりに「異常」であるとしても、それを「異常」
であるとして批判することはおかしいと思う。
この比喩が適切かどうかは分からないが、よくドラッグ・ストアの安売りなどで、
お一人様一点限り
などという表示があって、それが法律的に有効かどうかはともかく、ライブドアが
大量に株を取得する際、こうした表示はなかったわけで、株式市場でもそれを規制
せずに取引が成立したのであるから、上にかがけたリンク先のニュースにある
竹中平蔵の批判はまったくおかしな批判だといえるのではないだろうか。
役所でも政治家でも、あるいは一部の学者先生でも、「法律に抜け道がないように」
法律を見直したり、作ったりしているわけであろう。そういう立場にあるものが、
「法律の抜け穴」を利用したやつはけしからん、などというのでは、そもそもなぜ
官僚や政治家がいるのか分からない。
極端な話し(私だけかも知れないが、というか自分はもうけはないが)みな
自分がもうけることが最優先で、そのため利害対立や社会に反することも行われるのであり、
それをあくまで法律で取り締まるのが役所の役割であろう。
もし今回のライブドアの株取得が問題だというなら、
竹中平蔵の住民税逃れ?疑惑の方がそれこそよほど問題ではないか!!!江川の「空白の一日」と似たようなことをしているとしたら問題の性質上そっちの方がはるかに問題だがまるでこの問題はうやむやになってしまった
自分は法律の抜け穴を利用していながら、まったく合法的に行われたことを批判する
ほど竹中平蔵はその他大勢の恥知らずな政治家の仲間になってしまったのか。
それともえらそうなことをさんざん言いながら、本当はもともとその他大勢の学者と
同じ虚栄心だけの中味空っぽ人間だったのか?
自分に向けられた疑惑に関してはまったく答えることなく、合法とされている株取引に
ついて法律の抜け穴などというのはなんともおかしな話しである。
よく法律は道徳の最小限などといったことがいわれるが、株式市場にそういうことを
求めるなら、極言すれば
法律自体いらないことになり、みなさん常識に従ってやりましょうということになってしまうのである。
堀江氏も堀江氏で、今頃所信表明なるものをやっているそうであるが、マスコミなどの批判に押される形で老政治家、老教授の真似事を始めたのであろうか。
別に法律に違反していないのであれば、はっきり言って何も説明する必要はないのであって「何が悪いの?」と一声発すればいいのである!!!
それをあちこちのテレビに出てわざわざ評論家にあなたのやろうとしてることのビジョン
が見えないとか言われて、説明しようとしてはことごとく失敗しているように思われる。
しかしいわゆるメディア戦略などというのは議論し出したらきりのないところであると
いうよりかは、むしろ新たなメディア戦略なるものをそもそも打ち出す必要があるのかと
自分は思う。
堀江氏はメディア戦略のようなものを示そうとしているようだが、はっきり言ってそんな
ものは必要あるだろうか?むしろ自分の個人的な人気で
マスコミを支配したいとか、ニッポン放送にも社長室がほしいとか言えばいいものを、それを言わさないこの国の風土に押されて自分でも明確になっていないことをしゃべらされているのではないか。
私はお金はないけれど、堀江氏はいわば自分ひとりで今の地位をきづきあげた人らしい
のでその点は尊敬している。
そういう人はむしろお金があれば何でもできる、お金がなければ何にもできない
ということをむしろはっきり言ってほしいぐらいだ。本の中では言ってるのかも知れ
ないが。
政治家たちや学者たちが持ち出す「常識論」や「教育論」などはそれこそ議論し出したら
きりがないのであって、お金である程度解決できる社会問題があるというのはむしろ喜ぶ
べきことなのではないか。
言っておくが、お金で「人の心を買える」などといっているのではない。
このブログも長くなってしまったが、要するに「お金で買えるものをお金で買って」る人
をいじめるのはだめだといいたいのである。
(敬称一部略)