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毎度のことながら、インドネシアの爆弾テロの報道などに思う

2005-10-03 23:28:30 | マスコミ批判

インドネシアでまたまた爆弾テロが起こって、日本人を含む犠牲者が出た。

こういうことが起こるたびに日本人の犠牲者が含まれるかどうかということにばかり注意がいくようであることに関してはすでにいろいろ批判されていると思うが、別にこれは日本に限ったことではないだろう。

しかしそれにしてもやはりワイドショーなどを見てしまう自分がいけないのかもしれないが、被害者の方がどういう人であるのか、親族にまで取材する者たちがいるというのは毎度のことながら非常にまずいことにように思えて仕方がない。


たとえばこういうことがあったときに、お亡くなりになった方に関して何か悪い評判が出てきたとして、それをマスコミはそのまま報道したりするであろうか。

そういうことも今までなかったとは言えないだろうが、いずれにしろその人がいい人かどうかなどこういうときにいろいろ取り上げてもしかたないことで、やめてほしい。


テレビではなくなった方が実にいい人であったということをいろいろな証言から引き出していたが、勤務先の八戸大学では関係者が記者会見を開いていて、自分の記憶が正しければ、そのなかの一人が、そのニュースを知ったとき、同姓同名でなかろうか、と思ったというようなことを言っていた。

それぐらい自分の仲間の安否を心配したということで、決して悪気はないのだろうが、自分にはこういう言い方もものすごくひっかかるものがある。

もちろん身元を確認する際、自分たちが知っているその人かどうかたしかめることは必要だし、その際、別人であってくれと祈るような気持ちにあることは理解できる。

しかし、こうしたことはご遺族などが言うなら理解できるが、職場の同僚が言うにしてはやや配慮を欠く言い方ではないか。

せいぜい「なにかのあやまりであってほしい」とかそういういい方なら理解できるが同姓同名の別人なら自分たちとは関係ないからかまわないみたいであまりよい言い方には思えない。

記者会見を開くならそうしたことにも配慮すべきだとわたくしなどは思う。



それと、テロ対策というのは基本的にどれだけのものができるのか難しい面もあるが、テロ特措法などとは別に日本として国内外のテロ対策に対して自衛隊がもっと貢献できる法体系の整備をしてゆくべきだと思う。