妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

すいませんがコメントはご遠慮いただいてます。選挙公約に関する記事はカテゴリから「野田聖子批判」を選択してください。

本当に原監督でいいのか。。。本人も選手も

2005-10-05 18:23:36 | クダ

数ヶ月前、巨人のフロントが原に監督の就任を要請しているらしいというのでエントリーを書いた。

信じられないような気持ちで反対する意見を書いたのだが、たしかそのとき「その報道が確かなら」というような但し書きを書いた。

その後、その報道は否定されたように思っていた。

星野なども取りざたされたが結局原で決まって就任記者会見も先ほど少し見た。


ここまでくるとこの話しは「誤報」ではなくなってしまったようだが、


あれだけのことがあって二年程度でまた監督をやれと言うほうも言うほうだが、何のためかは知らないが、おぼろげに想像はつくが、とにかく、やるほうもやるほうだ。

そして、記者会見の内容だが、

とにかく優勝!

とか、

最後まで戦い抜く!

などとと言っていたようだが、これではまるで

選挙に立候補する人の記者会見みたいではないか。


原も堀内も納得してやっているのか。

もし、また成績が振るわなかったらまたまた今度は堀内が出てくるのか???

どうも当事者の誰一人としてこの経緯に異議を唱えているものがいないようなのはとにかく私には不愉快極まりない話だ。


江川などもマスコミの間では候補に上がったりしているが、どうも本心はやりたいような雰囲気に思われたシーンもテレビで見た。


私は王・長嶋の時代の巨人フアンであって今の野球には全く詳しくないが、とにかく巨人は

ある意味落ちるところまで落ちた?のだから、とにかく優勝しなければ!

という脅迫観念から一度解脱を試みて

「一から」とまでは言わないが、若い選手を育てるということをしてみたらどうなのか?



いつだったかぺタジーニを獲得したときにナベツネが「来年も優勝だね。悪いけど」などと言っていたが、巨人というのは落合をとった頃から大物を金でとる傾向に拍車がかかってどうしようもなくなった。

全盛時代の大物というのはようするにそこから先は没落してゆく可能性が高いわけで、けがなども全盛時代を過ぎれば増えるのも道理だろう。


昔の巨人を崇拝していた者にとっては、今の巨人は全く嘆かわしい。

  
                        文中敬称略

先週の朝まで生テレビを見た感想(憲法論議)

2005-10-05 00:47:21 | ど素人による法律問題

先週の『朝まで生テレビ』の感想を今頃!だが、憲法に関する議論で気になる議論があった。

村尾 信尚(関西学院大学教授)が自分は憲法の専門家ではないといいながら、憲法第九条に関してこんなことを言ったいた。

まず今回の選挙に至る過程を持ち出して、いわゆる造反議員が「解散はありえない」などと言っていたのに実際は解散になったということをもち出して、「先のことはやってみなくちゃわからない」というようなことを言ったあとで、憲法9条を変えた場合には中国が反発して日本経済がダメージをこうむる可能性があるということ、そして9条はそのままにしていわば自衛隊の活動などは「ファジー」な状態にしておいたほうが安全だというようなことだ。


ちょっと正確にこのような言い方をしたのではないかもしれないが、これにはその場にいた山本一太などから「全然分かってない」とやたらに反発されていた。

自分も村尾のような議論は好きではないけれども、さりとてあまりこういう議論を真っ向から否定するのもどうかと思っている。

つまり、山本のようにこうした議論を完全に否定している人はようするに今の状態が非常に危険だということを言っているわけだろうが、果たして本当にそうだろうか。


今現在日本は危険な方向に突っ走っているのかというと自分はそうではないと思う。


もちろん自衛隊の存在が憲法で否定されているというのは確かにそうであるとも思われるが、しかし実際問題として「戦力」ということを考える場合に戦力とは何かということは明確に定義されているのだろうか。


自分はこうした分野に全く詳しくないが、「戦力」と言うのは「武器」や「戦闘要員」だけでなく「最高指揮官」が明確に定義されていなければ、果たして「戦力」として機能しうるのか疑問に思う。


たとえば、統幕議長、あるいは防衛事務次官もそれなりに権限はあるだろうが、この人たちにたとえば大日本帝国憲法における統帥権のようなものが与えられているとは考えにくいし、この国の総理にしたところで、最高指揮官としてはっきり規定している法律があるのか私は分からない。


もう名前を出すのも忌まわしいが、たしか野田聖子は総理が最高指揮官であるということを言っていたと思うし、自分もそうだろうと思いたいが、いずれにせよいざというときに誰の判断でどういった「軍事行動」を命令できる権限があるのか、きちんと定められていなければ、かりに「武器」や「戦闘要員」を備えた「軍」と一般にみなされるものがれるものがあったとしても、それは果たして本当に「戦力」を備えた「軍」と呼ばれうるものなのか自分は疑問に思う。


あたらしい憲法を作ろうとしている人たちはそうした点も明確にしようとしている人もいるようだ。


自分は国の内外でいろいろな危険があるときに命令指揮系統がきちんと確立されているべきだと思っている。


たとえばいわゆる不審船がこの国の領海内に現れたとき、最初はたしかわざと見逃して、二回目だったかに粉砕したはずだが、一回目に攻撃したときはビデオだけ撮ってこういう事実がありますよ、などとたしか海上保安庁が公表して、いわば世論を喚起したことは、ようするにその場で判断して攻撃(自分はこれはあくまで自衛のためだと考えている)することはできない、つまりある程度の軍事的な装備をしていてもそれが戦力として機能しえないことの証左だと思っている。

ただ単に不審船の映像を撮るということであれば、新聞社がヘリを飛ばしてスクープ映像をとらえて放送しているのとどこに違いがあるのかということになるのではないかと思う。

一応こういう事実がありますよ、と国民全体に見せた上でその後は同じケースにおいて粉砕したわけだが、正直なところこれが戦力といえるほどのものなのかどうか。

いずれにせよ「戦力」という言葉にしても「集団的自衛権」にしてもあるいは「治安維持活動」にしてもやはりファジーなところはあると思うのだが、なにかのマニュアルのようにこういう場合はこうすべき、ということはできるだけ細かく決められればそれに越したことはないが、どんなに議論を尽くしてみたところで「ファジー」なところが残るのはやむをえないのではないだろうか。


むろん自分としては、改憲して自衛隊の存在を明記してその活動についてもできるだけ憲法で明文化すべきだと思うが、そのようにした場合実際には集団的自衛権の問題がさらに浮上してくる心配が大いにあると思っている。


つまり自衛隊の存在を明記したのだから、アメリカから自分の国は自分で守りなさいというようなことがいわれだしやしないかということである。

きっとそんなことはないとは思うがそれこそ今度の解散の話ではないがやってみなければ分からない話である。



私は決して護憲派ではないが、当然のことながら改憲に当たっては実の多くのことを考えた上でないとえらいことになると思っている。

                       
                         文中敬称略