Living in Australia

台湾生まれの祖母、日本生まれの両親、オーストラリア生まれの子ども達の三世代家族。息子はダウン症のスーパーマン!

永住権への道

2010-05-20 15:46:17 | 家族
現在、母の永住権を申請中の我が家。
私の結婚とほぼ同時にこちらに一緒に移住したものの、ビザの問題は頭が痛くて、ずっとツーリストビザで行き来していた母。ツーリストビザだと、定期的に海外に出なくてはいけないので、娘が小さい時はよく海外旅行したもの。母も見た目はとっても元気なので、ついつい年齢を忘れてしまうのだけど、流石に70代に入ってからは自慢の体力も落ちてきてしまい、いつまで日本とオーストラリアを行ったり来たりする生活が出来るか不安になってきた。

2004年から永住権への道の構想を立て始め、2007年に申請。
普通、親のビザと言うと真っ先に浮かぶのが“Parent visa”なのだけど、私は3人兄弟の末っ子の為、バランステスト(子供の半分以上がオーストラリアに住んでいないと駄目)に落ちてしまい、断念。弁護士に相談して、うちの場合は“Aged dependant"(高齢の扶養家族)に当てはまるので、そのカテゴリーで申請することに。

しかし、いざ申請しようと思っても、かれこれ二十歳の頃から養育しているとは言え、ちゃんとした物証などあまり残っていなくて、「過去3年同居して、全部の費用を扶養した。」という証拠書類を固めるために、そこから準備すること3年。旦那の長文作文を含め、色んなもののCertified copyやら何やら用意して、やっと申請出来た2007年3月。最初の2~3年はただのWaiting periodなので何も進まない、と聞いていたのだけど、その期間が終わってケースオフィサーが決まったらしく、突如、手紙が届いたのが先月。

内容は、日本とオーストラリアの過去10年の無犯罪証明の提出と、健康診断、あと残りの兄弟がサポートできない更なる詳しい説明文の提出。私のビザの時もこのPolice checkとHelth checkが終わったら一気に進んだ覚えがあったので、あともう一息!と夜なべして、説明文の用意をしてくれた旦那さま。私の母なんだから本当は私が書きたいところだけど、英語の正式文章なので、国連特A(20年程前)の彼にお願いした方が良いというもの。こういう時だけは黙って、傍観するワタクシ。

手紙の日付から4週間という期限付きで提出を求められたので、旦那と協力して、慌てて健康診断(専門施設で)に連れて行ったり、日本領事館に連れて行ったり、オーストラリアのPolice checkの手続き取ったり。なんと意外、と言うか、やっぱりお役所仕事、と言うべきなのか、一番時間が掛かるのは日本の無犯罪証明書の取り寄せ。オーストラリアのは2週間もしないうちに郵送で届いたのに、日本のは1ヶ月半ほど掛かるらしい。今日も駄目元で問い合わせてみたけれど、まだ届いていなかった。

健康診断では、“痩せ過ぎ”とドクターがスペシャリストに判断を仰いでいたけど、特に他の異常は見つからず、クリアしたかと思ったら、一旦、判断が延期に(理由は後ほど)。でも、悪い知らせだけというわけではなく、この健康診断さえクリアし、あと全ての書類が揃って、ボンド(Security of Assurance)を払ってもらえれば、担当官としては永住権を下ろすのに問題ない、との事!ただし、期末が近づくなか、今期内は残されたビザの数も少ないので、間に合わなければ来期になるだろうとの事。ぬか喜びはできないけど、これは大きな進歩。あと一息だ~~~!

と思っていたところ、昨日になり検査官より届いたEメール。
健康診断で延期になった理由が、“昔、もしくは現在も活動的な結核菌に影響されている可能性があるので、Undertaking unitへ別の用紙を書いて送ってください。”との事。

え~~~この時代に結核???
でも母から聞いた覚えがないなぁ、と思って事の次第を確認すると・・・
「そういえば、10代に肋膜と肺浸潤やったよ。」
と母。ろくまく?はいしんじゅん???何ですか、それ??

Googleで検索したところ、”昔(戦前、戦争中や戦後すぐ)は結核性胸膜炎や肺結核 のことを肋膜・肋膜炎、肺浸潤といっていた時期がありました。”との事。おおおおーーー。やっぱり、結核だったのか。。。体重の方はクリアになったのに、50年以上前の結核で引っかかるとは。恐るべし、結核菌。とりあえず、Undertaking unitに申請書を出し、また健康診断にいかなきゃいけないのかなぁ。。。

母の永住権の道はもうしばらく続きそう・・・

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コメント (8)