雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(30」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/140(2020/7/10/金】わが街界隈でデパートと言えるのはマルイ(神奈川県・溝の口)と高島屋(東京都・二子玉川)しかない。ちょっとセレブの買い物、例えばお祝いの品を買うとなれば、どうしても高島屋の包装紙でないとダメなのだ、女どもは。
「バラの包みの高島屋」、中身はさておき、この包みに大なる価値があるわけ。ファッション、装いなわけね。
男は「中身が肝心だよ、中身が!」と外装を震える手でとっぱらって、とにかく手を出す、両手を合わせて拝んだら、いっただっきまーす、さっさと食べちゃう、邪魔が入らないうちに。
外装なんて枝葉末節、美味ければいい、実質重視、デパートだろうが場末の店だろうが屋台だろうが、美味しければ出自を問わない、安ければなおいい、たまにビョーキをもらったって「ナマは足が速いから、道端で売ってるのは気をつけた方がいいなあ、まあ、勉強にはなった・・・明日は朝一で病院だな、チッ!」でオシマイ。
先日、ちらちら小雨が降ったりやんだりの中、多摩川土手を下り、二子橋(ふたこ、道路)と二子橋梁(東急電車)が並んでいるところまで行った。対岸は高島屋やショッピングセンターなど高層ビルが5棟ほど林立する二子玉川、通称ニコタマ。神奈川県側のこちらは二子新地。
今は川を挟んでいるが、この二つの街は昔は一つだったのだろう。橋は昔からの大山街道(今は並行して国道246がある)に続いており、江戸と大山を結んでいる。川崎国道事務所によると――
<大山街道の起点は赤坂御門とする説が有力とされ、現在はその石垣を残すのみとなりましたが、江戸時代の大山詣りには欠かせない重要な出発地点でした。
赤坂御門を出発して青山を過ぎると、渋谷の宮益坂に差し掛かります。往時の宮益坂は富士見坂と呼ばれ、その名のとおり富士山を眺めることができました。頂上付近の見晴らしのよいところには、牛や馬をつなぎ、一休みできる「立場茶屋」があったとされています。
宮益坂、そして道玄坂を過ぎると、江戸から厚木までの四十八坂のうちでも大きな坂であった「大坂」があります。
渋谷・三軒茶屋・用賀をへて、多摩川の「二子の渡し」(冬は「仮橋」)を渡ります。幕府が江戸攻略を恐れて架設許可をしなかったため、渡し場が設けられていました。
渡しを渡って少しばかり行くと「溝口・二子宿」に。街道沿いには多くの商店が軒を連ねています。二子名主大貫家や溝口の問屋丸屋など、上方から「下り荷」と共に、伊豆の乾魚、椎茸、駿河の茶、真綿、秦野の煙草が集積され、出荷調整が行われている「物流センター」としての役割をはたしていました。
この他、需要に応じて街道沿いの村々から、炭や薪、生鮮食品や醤油、油等が大山街道を上り、多摩川を下って江戸へ送られました>
天皇様のおられる京都が「上」だから江戸へ向かうのは「下り」。一流のいいものは京都あたりから将軍のいる江戸に「下って」来るが、そうでないものは「下って」来ない。「下らない」の語源だそうだ。
閑話休題。上記の二子名主「大貫家」は豪商。爆発したタローの母上、ロシア革命に洗脳されて「一夫一婦制なんて許さない!」という翔んでるトンデモ女、岡本かの子の実家だ。近くには死ぬまで「俺の父親は誰だろう」と苦悩したタロー作「岡本かの子文学碑」がある。
我が父は近衛兵になるまでは実家の農業を手伝っていたが、名産「多摩川桃」の出荷時期(7、8月が最盛期)になると大八車に桃の箱(12個入り)をどっさり乗せて二子橋を渡り、瀬田、用賀まで(等々力渓谷から武蔵野台地への)結構急な坂を上るのだが、「そこが一番の難所だった」と言っていた。それを越えたあたりに集荷所があったのかもしれない。
(瀬田の坂上には大平正芳総理の私邸があり、急逝した際は弔問者や記者でごったがえしていた)
大山街道は今は国道246に交通大動脈の役割を譲ったが、歴史ある旧街道だけに立派な寺や老舗の風情は残っており、ちょっとした旅行気分を味わえる。道、両側の建物、人が馴染んでおり、いつもは密集地を嫌う小生の心が和やかに落ち着いていたのは不思議だった。
荷風は玉の井など怪しげな陋巷が大好きだったが、再開発できれいさっぱり消えてしまう前に大山街道周辺を探ってみよう。
街はよそ行き風の包装紙で包んだ「表通り」、一歩入った生活臭漂う「裏通り」、さらにちょっと怪しげな「陋巷」があってこそ風情があるのではないか。
清潔で美しく整然とした美と機能一点張りの街・・・確かにシャンゼリゼは美しかったが、小生は裏通りが好きだった。カメラが趣味の先輩は何気ない裏通りに「ああ、パリだなあ、いいなあという発見、感動があるんだ」と言っていたから、その影響もあるだろう。
(先輩も表裏があり、裏ではホテルオークラの従業員を殴り飛ばした事件が本社にばれてクビになった。裏の顔は時に怪しい)
都内なら小生は新宿がいいなあ。
新宿には残念ながら「おしゃれと清潔」は表通りでも全くない。そもそも品性なんて皆無だ。
カネ、汗、精液、涙、血、薬、欲望、愛、恋、性欲、食欲、ゴミ、汚物、人種、犯罪、野性、喜怒哀楽、そして小さな花とわずかな知性がトッピングされた異次元的な裏通り。そして怪しく危険に満ちた陋巷。
現代によみがえる「ソドムとゴモラ」、世界遺産級である。
新宿駅西口の怪しい解放区の暇人を眺め、汚物の臭いの小便横丁を抜け、紀伊国屋で書籍を物色し、裏通りのエスニック臭に満ち溢れた料理店街を逃れ、コマ劇場からこの世の天国と地獄、美醜、LGBT何でもありの歌舞伎町、さらに花園神社、旧赤線地帯の花園通りまで、テレテレ散策すればあっという間の3時間、眩暈するほどのオツムと体をドトールのアイスコーヒーで癒していく・・・
「ああ、世界のSHINJUKU、リトルポンド・リリーの城下町よ、お前の醜悪が俺の心と脳みそをガラガラポン。俺の五感は刺激に酔い、嘔吐し、疲れ果て、そのダメージが俺を止揚する。大嫌いなのに離れられない、ときどき無性に会いたい、リリー女王様、もっともっと強く、イスラム風のムチを・・・」
自虐的なマゾか。
新宿は道徳で抑えられていた人間の本能、本性をとことん(疑似的に)解放するテーマパーク「Tokyo Barbarian Resort & Spa」として世界にアピールすべきだな。1泊2日ダイヤモンドチケット50万円でも世界中から禁欲を強いられてきた善男善女が押し寄せるだろう。
総合監督はもちろん中共帰りの巨匠・蒼井空センセイ、広報宣伝部長はエジプト帰りのリリー様。わしゃソープの下足番だな。ま、3密規制が解除されてからの話だが。
トコトン汚いとか、身の毛もよだつ怖いもの見たさ、というのも一種の嗜好か。無礼講、お祭りは皆好きだろう。ヒステリー、失神も許容範囲。心神耗弱、心神喪失による悪事は「責任を問われない」だけに最悪の蛮行だが、それ以外の不道徳はええじゃないか、ええじゃないか、の世界。
破壊本能とかサドマゾ嗜好は結構、多くの人が持っているのではないか。上品な奥様が「イライラしてどうにも我慢ができなくなると、庭でビール瓶を思いっきり割るの、すっきりするわ」と言っていた。
運命(destiny)、本能(instinct)、遺伝子(gene)――智慧とか理性でコントロールできない部分は結構あるのじゃないか。「考える葦」たらんとしても、
「つい出来心で」「ムラムラして」「成り行きで」「ノーと言える雰囲気じゃなかった」「今さら引き返せない」「もう運命」。ひどいのになると「何となく」「できちゃったし」「あざなえる縄ということで」。軽佻浮薄、小生みたいな奴だな。
「人生は賭けだよ、賭け! 熟慮断行してしくじった奴、石橋を叩き壊しちゃった奴、いっぱいいるよ、狂の一字で吶喊するしかないという場面もあるし」と居直ったり。単純短絡、これも小生みたいな奴だ。
前を向いてしっかり歩くのもいいが、ちょいと横丁に入ったり裏道を探ったりというのも楽しい。荷風はそれで名を成したのだから、大したものだ。
大体、人生は子育てが終わればゴールで、公式ゲームは終わり。その後の余生は迷惑をあまりかけないよう散歩するとか、少年に帰って戦争ごっこ(シミュレーション)するとかがお勧めだな。
米国では火付け、強盗、器物損壊、射殺事件が急上昇、蛮行のパンデミック状態。殺人は日常茶飯事だから「政治的利用価値なし」の殺しはニュースにもならないという、ほとんど無法地帯、ジャングルだ。下劣。
現役世代が仕事もせず就活もせずにアカに踊らされて暴れ放題の革命ごっこ。政治・政策により教育や就職で優遇措置をとったところでロバはロバ、馬にはならない、民度は向上しない、と多くの人は理解したのではないか。
米国も世界もこれからはマイノリティに優遇措置をとったり、生活保護をばらまくことは控えるだろう。ブラックパンサーは言っていたものだ、「黒人はどんどん子供をつくれ、ピッグ(白人)が育てる」と。
ポストコロナの世界は、「忍耐、寛容、互助、平等、博愛」といった戦後民主主義のバラ色の包装紙はなくなり、「自由、民主、人権、法治」+「自己責任」の初期設定に戻るだろう。そもそも経済成長はおぼつかないから「ない袖は振れない」。
平時から戦時へ、という時代に「バラマキ福祉? 努力もせず、それどころか足を引っ張っていながらよー言うわ」と普通の人は思うのではないか。ケネディのスピーチライターは「国家が何をしてくれるかではなく、国家のために何ができるかを考えよ」と国民の奮起を促した。米国と世界、特にEUが正気を取り戻すことを期待したい。
なんか偉そうなことを書いてしまい、恥ずかしい気分。病膏肓、ついに産経脳か。キチ〇イの妄想と嗤って許してくらさい。(2020/7/10)
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/140(2020/7/10/金】わが街界隈でデパートと言えるのはマルイ(神奈川県・溝の口)と高島屋(東京都・二子玉川)しかない。ちょっとセレブの買い物、例えばお祝いの品を買うとなれば、どうしても高島屋の包装紙でないとダメなのだ、女どもは。
「バラの包みの高島屋」、中身はさておき、この包みに大なる価値があるわけ。ファッション、装いなわけね。
男は「中身が肝心だよ、中身が!」と外装を震える手でとっぱらって、とにかく手を出す、両手を合わせて拝んだら、いっただっきまーす、さっさと食べちゃう、邪魔が入らないうちに。
外装なんて枝葉末節、美味ければいい、実質重視、デパートだろうが場末の店だろうが屋台だろうが、美味しければ出自を問わない、安ければなおいい、たまにビョーキをもらったって「ナマは足が速いから、道端で売ってるのは気をつけた方がいいなあ、まあ、勉強にはなった・・・明日は朝一で病院だな、チッ!」でオシマイ。
先日、ちらちら小雨が降ったりやんだりの中、多摩川土手を下り、二子橋(ふたこ、道路)と二子橋梁(東急電車)が並んでいるところまで行った。対岸は高島屋やショッピングセンターなど高層ビルが5棟ほど林立する二子玉川、通称ニコタマ。神奈川県側のこちらは二子新地。
今は川を挟んでいるが、この二つの街は昔は一つだったのだろう。橋は昔からの大山街道(今は並行して国道246がある)に続いており、江戸と大山を結んでいる。川崎国道事務所によると――
<大山街道の起点は赤坂御門とする説が有力とされ、現在はその石垣を残すのみとなりましたが、江戸時代の大山詣りには欠かせない重要な出発地点でした。
赤坂御門を出発して青山を過ぎると、渋谷の宮益坂に差し掛かります。往時の宮益坂は富士見坂と呼ばれ、その名のとおり富士山を眺めることができました。頂上付近の見晴らしのよいところには、牛や馬をつなぎ、一休みできる「立場茶屋」があったとされています。
宮益坂、そして道玄坂を過ぎると、江戸から厚木までの四十八坂のうちでも大きな坂であった「大坂」があります。
渋谷・三軒茶屋・用賀をへて、多摩川の「二子の渡し」(冬は「仮橋」)を渡ります。幕府が江戸攻略を恐れて架設許可をしなかったため、渡し場が設けられていました。
渡しを渡って少しばかり行くと「溝口・二子宿」に。街道沿いには多くの商店が軒を連ねています。二子名主大貫家や溝口の問屋丸屋など、上方から「下り荷」と共に、伊豆の乾魚、椎茸、駿河の茶、真綿、秦野の煙草が集積され、出荷調整が行われている「物流センター」としての役割をはたしていました。
この他、需要に応じて街道沿いの村々から、炭や薪、生鮮食品や醤油、油等が大山街道を上り、多摩川を下って江戸へ送られました>
天皇様のおられる京都が「上」だから江戸へ向かうのは「下り」。一流のいいものは京都あたりから将軍のいる江戸に「下って」来るが、そうでないものは「下って」来ない。「下らない」の語源だそうだ。
閑話休題。上記の二子名主「大貫家」は豪商。爆発したタローの母上、ロシア革命に洗脳されて「一夫一婦制なんて許さない!」という翔んでるトンデモ女、岡本かの子の実家だ。近くには死ぬまで「俺の父親は誰だろう」と苦悩したタロー作「岡本かの子文学碑」がある。
我が父は近衛兵になるまでは実家の農業を手伝っていたが、名産「多摩川桃」の出荷時期(7、8月が最盛期)になると大八車に桃の箱(12個入り)をどっさり乗せて二子橋を渡り、瀬田、用賀まで(等々力渓谷から武蔵野台地への)結構急な坂を上るのだが、「そこが一番の難所だった」と言っていた。それを越えたあたりに集荷所があったのかもしれない。
(瀬田の坂上には大平正芳総理の私邸があり、急逝した際は弔問者や記者でごったがえしていた)
大山街道は今は国道246に交通大動脈の役割を譲ったが、歴史ある旧街道だけに立派な寺や老舗の風情は残っており、ちょっとした旅行気分を味わえる。道、両側の建物、人が馴染んでおり、いつもは密集地を嫌う小生の心が和やかに落ち着いていたのは不思議だった。
荷風は玉の井など怪しげな陋巷が大好きだったが、再開発できれいさっぱり消えてしまう前に大山街道周辺を探ってみよう。
街はよそ行き風の包装紙で包んだ「表通り」、一歩入った生活臭漂う「裏通り」、さらにちょっと怪しげな「陋巷」があってこそ風情があるのではないか。
清潔で美しく整然とした美と機能一点張りの街・・・確かにシャンゼリゼは美しかったが、小生は裏通りが好きだった。カメラが趣味の先輩は何気ない裏通りに「ああ、パリだなあ、いいなあという発見、感動があるんだ」と言っていたから、その影響もあるだろう。
(先輩も表裏があり、裏ではホテルオークラの従業員を殴り飛ばした事件が本社にばれてクビになった。裏の顔は時に怪しい)
都内なら小生は新宿がいいなあ。
新宿には残念ながら「おしゃれと清潔」は表通りでも全くない。そもそも品性なんて皆無だ。
カネ、汗、精液、涙、血、薬、欲望、愛、恋、性欲、食欲、ゴミ、汚物、人種、犯罪、野性、喜怒哀楽、そして小さな花とわずかな知性がトッピングされた異次元的な裏通り。そして怪しく危険に満ちた陋巷。
現代によみがえる「ソドムとゴモラ」、世界遺産級である。
新宿駅西口の怪しい解放区の暇人を眺め、汚物の臭いの小便横丁を抜け、紀伊国屋で書籍を物色し、裏通りのエスニック臭に満ち溢れた料理店街を逃れ、コマ劇場からこの世の天国と地獄、美醜、LGBT何でもありの歌舞伎町、さらに花園神社、旧赤線地帯の花園通りまで、テレテレ散策すればあっという間の3時間、眩暈するほどのオツムと体をドトールのアイスコーヒーで癒していく・・・
「ああ、世界のSHINJUKU、リトルポンド・リリーの城下町よ、お前の醜悪が俺の心と脳みそをガラガラポン。俺の五感は刺激に酔い、嘔吐し、疲れ果て、そのダメージが俺を止揚する。大嫌いなのに離れられない、ときどき無性に会いたい、リリー女王様、もっともっと強く、イスラム風のムチを・・・」
自虐的なマゾか。
新宿は道徳で抑えられていた人間の本能、本性をとことん(疑似的に)解放するテーマパーク「Tokyo Barbarian Resort & Spa」として世界にアピールすべきだな。1泊2日ダイヤモンドチケット50万円でも世界中から禁欲を強いられてきた善男善女が押し寄せるだろう。
総合監督はもちろん中共帰りの巨匠・蒼井空センセイ、広報宣伝部長はエジプト帰りのリリー様。わしゃソープの下足番だな。ま、3密規制が解除されてからの話だが。
トコトン汚いとか、身の毛もよだつ怖いもの見たさ、というのも一種の嗜好か。無礼講、お祭りは皆好きだろう。ヒステリー、失神も許容範囲。心神耗弱、心神喪失による悪事は「責任を問われない」だけに最悪の蛮行だが、それ以外の不道徳はええじゃないか、ええじゃないか、の世界。
破壊本能とかサドマゾ嗜好は結構、多くの人が持っているのではないか。上品な奥様が「イライラしてどうにも我慢ができなくなると、庭でビール瓶を思いっきり割るの、すっきりするわ」と言っていた。
運命(destiny)、本能(instinct)、遺伝子(gene)――智慧とか理性でコントロールできない部分は結構あるのじゃないか。「考える葦」たらんとしても、
「つい出来心で」「ムラムラして」「成り行きで」「ノーと言える雰囲気じゃなかった」「今さら引き返せない」「もう運命」。ひどいのになると「何となく」「できちゃったし」「あざなえる縄ということで」。軽佻浮薄、小生みたいな奴だな。
「人生は賭けだよ、賭け! 熟慮断行してしくじった奴、石橋を叩き壊しちゃった奴、いっぱいいるよ、狂の一字で吶喊するしかないという場面もあるし」と居直ったり。単純短絡、これも小生みたいな奴だ。
前を向いてしっかり歩くのもいいが、ちょいと横丁に入ったり裏道を探ったりというのも楽しい。荷風はそれで名を成したのだから、大したものだ。
大体、人生は子育てが終わればゴールで、公式ゲームは終わり。その後の余生は迷惑をあまりかけないよう散歩するとか、少年に帰って戦争ごっこ(シミュレーション)するとかがお勧めだな。
米国では火付け、強盗、器物損壊、射殺事件が急上昇、蛮行のパンデミック状態。殺人は日常茶飯事だから「政治的利用価値なし」の殺しはニュースにもならないという、ほとんど無法地帯、ジャングルだ。下劣。
現役世代が仕事もせず就活もせずにアカに踊らされて暴れ放題の革命ごっこ。政治・政策により教育や就職で優遇措置をとったところでロバはロバ、馬にはならない、民度は向上しない、と多くの人は理解したのではないか。
米国も世界もこれからはマイノリティに優遇措置をとったり、生活保護をばらまくことは控えるだろう。ブラックパンサーは言っていたものだ、「黒人はどんどん子供をつくれ、ピッグ(白人)が育てる」と。
ポストコロナの世界は、「忍耐、寛容、互助、平等、博愛」といった戦後民主主義のバラ色の包装紙はなくなり、「自由、民主、人権、法治」+「自己責任」の初期設定に戻るだろう。そもそも経済成長はおぼつかないから「ない袖は振れない」。
平時から戦時へ、という時代に「バラマキ福祉? 努力もせず、それどころか足を引っ張っていながらよー言うわ」と普通の人は思うのではないか。ケネディのスピーチライターは「国家が何をしてくれるかではなく、国家のために何ができるかを考えよ」と国民の奮起を促した。米国と世界、特にEUが正気を取り戻すことを期待したい。
なんか偉そうなことを書いてしまい、恥ずかしい気分。病膏肓、ついに産経脳か。キチ〇イの妄想と嗤って許してくらさい。(2020/7/10)