雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(31」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/141(2020/7/11/土】周囲から怪しまれないように、ちゃんとした作業着を着ようかな、専修大学の先に専門店が確かあったから行ってみよう・・・
この安直な思いが小生の体と脳みそに強烈なムチを与えることになるとは全くの想定外。一寸先は闇とはよく言ったものだ。この作業服店には自転車ではまず行けないのだ! 知らぬが仏、後の祭りのような冒険譚を一席。
我が家から車なら川崎街道(府中県道)へ出て、小田急線をまたぐ跨線橋を渡り、世田谷道りに出るのが最短だが、自転車だとそもそも跨線橋には歩道がないのだから立往生。グチャグチャに曲がりくねった細い「永遠の仮設」的下道を行くか、遠回りするしかない。
「どうなっているんだ、如何にせん」と茫然としていたらタクシーが来て、慌ててバックしていった。下道はプロでも分からないほどの迷路なのだ。一帯は再開発で旧道は消えて臨時の迂回路などができるので、たまに来ると大いに困惑する。
どうにか難関を突破したが、多摩丘陵を越えなければならない。自転車を押しながら緩やかな坂を上って行ったが、勾配が少しずつきつくなる。休み休み上るが、ヒーヒー、ハーハー、汗びっしょり。
やがて坂道の両側は専修大学生田校舎群(生田キャンパス)になり、今は部室になっている古い建物や、解体を待つような閉鎖された建物、栄耀栄華の昔を忍ばせる重厚な建物まであり、まるで城塞都市みたい。住所表示は「桝形」で、近くには戦国時代の山城「桝形城址」もある。
道路はうっそうとした木々に覆われ、小雨は降り出す、土曜なので学生の姿もない、カーブを曲がっても曲がっても頂上が見えない、今さら帰るに帰れない、結構心細くなる・・・と、ピカピカのまるで建築デザイナーの作品ような建物が現れた。周囲を睥睨し、本丸、天守閣のよう。ようやくここが頂上だ。
駅から遠く、上り下りの激しいキャンパス、学生は若いから苦にしないのか。ネットではこんな声が。
<駅から徒歩15~20分はかかるので便利とは言えない。駅周辺にはスーパーやご飯屋さんもあるので、一人暮らしの人は生活も困らないし、遊ぶところがありすぎないので勉強もはかどる>
<東京都の神田キャンパスは法学部のみで、それ以外の文系学部や理系は神奈川県の生田キャンパスにあります。神田というと、中央線などが走っていて、新宿や御茶ノ水などにも程近い位置という印象で、かなり都会という感じがすると思います。
逆に生田キャンパスは神奈川県民でもなかなかこの地域に行くことが少ない(僻地)と思います。専修大学を目指している方は、この生田キャンパスで学ぶ可能性が高いということは覚えておきましょう。
生田キャンパスは駅から結構離れているので、ちょっと不便かもしれません>
周囲は山また山の僻地と言えば僻地。歩きを含めて新宿まで1時間はかかるアクセスの悪さは勉強するにはいい環境かも知れないが、社会勉強(バイト、遊び、飲む打つ買う、人間観察)ではどうなんだろう。
若者にとってアクセスは「便利とは言えない」「ちょっと不便」だが、ヂヂイにとっては山裾から頂上まで片道30分はかかり、難行苦行だ。わしゃ、もうアキマヘン。
専修大学が箱根駅伝の常連校であるのは納得した。否応なしに脚力は鍛えられる。因みに開校に際しては福翁も協力したそうだ(だから悪口は言いません)。
頂上から下ると浄水場、その先には作業服店があるはずだが、小生はもうヘロヘロ、ギブアップ。新築マンションだらけの浄水場通りを勢いよく下って絶叫マシンの爽快感を楽しみ無事帰還した。
毎日面白おかしく過ごしていると、この世への未練が増すようで何となく不安ではあるね。未練たらたら、執着とか。「それが自然」と言われればそうだけれど・・・
両親と義母は眠るように死んだが、その少し前までそれなりに意識ははっきりして苦しみもなかったから、まあ大往生だろう。「じゃりン子チエ」のテツそっくりの義父は60歳ほどだったから「理不尽だ!」と暴れたそうだが・・・
最期まで理性をもっていたいから(モルヒネなどによる)安楽死は嫌だ、苦しみに耐える、という人もいるけれど、看取りの人はかなり辛いのではないか。
落ち着きと平常心で「死を受け入れる」・・・言葉は美しいけれどとても難しそうだが、「立派な自裁」は今の時代では「介錯」制度がないので超難関だ。
西郷先生、松陰先生のような無私、潔さ、美しさ・・・強烈な意志がないとできるものではない。三島由紀夫、森田必勝、三浦重周・・・西部邁は介錯させれば同志が刑務所行きになるから入水を選んだのだろうが、ちょっと気の毒だ。
小生にできるのはせいぜい諦観、最期は封印解除で飲みまくり、急性アルコール中毒で逝く、というのは魅力的かつ現実的だ。どじって緊急措置入院、精神科急性期閉鎖病棟に再びぶち込まれ、ナースやカウンセラーから「あら、出戻り」なんて白い眼で観られたり。太宰曰く「悪い予感はよく当たる」。
「日本と中国の死生観における相違点について」(教えて!goo)から。
<中国の死生観の伝統的な特徴は、大家族制度と祖先崇拝によります。古代からのもので、儒教はこれらを肯定しますが、中華人民共和国になり、儒教は否定されました。
しかし、大家族制(宗族)と大結社制、そして祖先崇拝は相変わらず中共にあります。どこどこ県の「李」であるとか、何何省の「張」というように、祖先を同じくする共通の一族だという考えです。
家族連累は100万人とか300万人とか、途轍もない話になり、しかも、それらが互いに家族の連絡組織などを持っています。
派閥制度も、大家族制度と並んで全国的に巨大なものがあり、「裏の社会」は、日本など比較にならない、複雑で巨大な結社が競合しています。大結社や大家族の後ろ盾を持つ者が、政治、経済の指導者になったりします。
中国文化は元々現世的・現実的で、「あの世」とかを考えませんでした。不老長寿の仙人という考えはありましたが、仙人は「不死」ではありません。
人が死ぬと、祖先崇拝から「祖先の霊(祖霊)」に報告したり、捧げものをしますが、祖霊は曖昧で、いてもいなくてもどちらでも良いという考えのようにも思えます。
中国では、人は孤独では生きられないため、大家族または大結社の後ろ盾で世に出ます。現世的成功をおさめるのにコネを使うのが中国の伝統です。
「死生観」は、現代の若者だと中国も日本もあまり変わりがないように思えますが、中国では事実上、宗教禁止、無神論の唯物主義です。(その代わりに)先祖崇拝、家族結社があるのです。
「死」は、中国人には「無」でしょう。しかし、名を残し、子孫を残し、祖先崇拝と記憶のなかで「誉れある者たらん」というのが死後のヴィジョンでしょう。
なにごとか現世で大きなことをするに「死」を恐れないという気風がまだ現代にも残っていると思います。
日本人にとって「死」は今や「無」になって来たのですが、年長者は「生命の更新」という意味の死後の転生を無意識的に望み、祖霊となって子孫を見守ろうという考えが、心のどこかにあると思えます。
中国は元々、非宗教的、現世的で、仏教や道教は「この世でいかに生きるかを教える宗教」になったとも言えるでしょう。伝統的な中国人の理想の生死は、「子孫が多く、富み栄え、長寿で、病がない」ということです。死後の世界については「あるなしを語らず」です。
日本は、流転する自然の四季における更新される自然・生命という原始的な信仰がありました。これに仏教、道教などが重なると、輪廻転生とか、あの世とか、極楽地獄の思想になります。中国にもそういう思想は芽生えましたが、日本の方がずっと強度があり、影響力が大きかったのです。
中国で仏教として残ったのは、禅のような現世思弁的なものか、この世をいかに生きるかの世俗的倫理的な教えです。閻魔などは信じていなかったと思います。
日本と中国は祖先崇拝は同じでも、中国は「現世利益のための結社の軸としての祖先崇拝」であり、日本では「現世の利害を超えた、自然で、やすらかな、漠然とした祖先崇拝」です。
中国人は心の奥底で、死後の生を「考えていない」。日本人は心の奥底で、死後の生を「信じている」。中国人は未来を切り開こうとし、日本人は生きるのに疲れて惰性で生きている、というのが現状でしょう>(以上、要約)
なるほどね。最後の一節は「?」だが、よく分かりました。中国人の強烈な現世利益志向、日本人の柔和な欣求浄土志向――
日清戦争で従軍記者として戦場にいた岡本綺堂は、「昨日敗退した清兵2人が今日から我が班の雑役夫として雇われた。親身になってよく働いてくれ、曽我兄弟に因んで五郎、十郎と名付けられ、皆からとても愛された」と書いていた。
小生は「どうなってるんだ」を思っていたが、清兵の多くは無理やり拉致された若者で、ほとんど奴隷。清軍への忠誠や、日本軍への敵意があるはずもなく、雑用して稼げるのなら日本軍に従軍しようというわけだ。
現世利益志向とは「儲かればすべて良し、実利が大事」ということである。日本軍は「立派に死ねば名誉と天国がある、命惜しむな、名こそ惜しめ」、突撃も辞さない。どちらが勝つか、明白だ。
支那事変でも多くの庶民は日本軍が来ると匪賊盗賊が逃げ出し治安が良くなるので歓迎した。毛沢東も「日本が蒋介石・国民党軍を叩いてくれたので勝てました」と感謝した。
習近平の中共軍も督戦隊がなければさっさと逃げる「張り子の虎」だろう。4000年の遺伝子が変わるわけはない。同盟国と連帯し中共を潰せば13億の人民から「厭離穢土」と感謝されるだろう。(2020/7/11)
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/141(2020/7/11/土】周囲から怪しまれないように、ちゃんとした作業着を着ようかな、専修大学の先に専門店が確かあったから行ってみよう・・・
この安直な思いが小生の体と脳みそに強烈なムチを与えることになるとは全くの想定外。一寸先は闇とはよく言ったものだ。この作業服店には自転車ではまず行けないのだ! 知らぬが仏、後の祭りのような冒険譚を一席。
我が家から車なら川崎街道(府中県道)へ出て、小田急線をまたぐ跨線橋を渡り、世田谷道りに出るのが最短だが、自転車だとそもそも跨線橋には歩道がないのだから立往生。グチャグチャに曲がりくねった細い「永遠の仮設」的下道を行くか、遠回りするしかない。
「どうなっているんだ、如何にせん」と茫然としていたらタクシーが来て、慌ててバックしていった。下道はプロでも分からないほどの迷路なのだ。一帯は再開発で旧道は消えて臨時の迂回路などができるので、たまに来ると大いに困惑する。
どうにか難関を突破したが、多摩丘陵を越えなければならない。自転車を押しながら緩やかな坂を上って行ったが、勾配が少しずつきつくなる。休み休み上るが、ヒーヒー、ハーハー、汗びっしょり。
やがて坂道の両側は専修大学生田校舎群(生田キャンパス)になり、今は部室になっている古い建物や、解体を待つような閉鎖された建物、栄耀栄華の昔を忍ばせる重厚な建物まであり、まるで城塞都市みたい。住所表示は「桝形」で、近くには戦国時代の山城「桝形城址」もある。
道路はうっそうとした木々に覆われ、小雨は降り出す、土曜なので学生の姿もない、カーブを曲がっても曲がっても頂上が見えない、今さら帰るに帰れない、結構心細くなる・・・と、ピカピカのまるで建築デザイナーの作品ような建物が現れた。周囲を睥睨し、本丸、天守閣のよう。ようやくここが頂上だ。
駅から遠く、上り下りの激しいキャンパス、学生は若いから苦にしないのか。ネットではこんな声が。
<駅から徒歩15~20分はかかるので便利とは言えない。駅周辺にはスーパーやご飯屋さんもあるので、一人暮らしの人は生活も困らないし、遊ぶところがありすぎないので勉強もはかどる>
<東京都の神田キャンパスは法学部のみで、それ以外の文系学部や理系は神奈川県の生田キャンパスにあります。神田というと、中央線などが走っていて、新宿や御茶ノ水などにも程近い位置という印象で、かなり都会という感じがすると思います。
逆に生田キャンパスは神奈川県民でもなかなかこの地域に行くことが少ない(僻地)と思います。専修大学を目指している方は、この生田キャンパスで学ぶ可能性が高いということは覚えておきましょう。
生田キャンパスは駅から結構離れているので、ちょっと不便かもしれません>
周囲は山また山の僻地と言えば僻地。歩きを含めて新宿まで1時間はかかるアクセスの悪さは勉強するにはいい環境かも知れないが、社会勉強(バイト、遊び、飲む打つ買う、人間観察)ではどうなんだろう。
若者にとってアクセスは「便利とは言えない」「ちょっと不便」だが、ヂヂイにとっては山裾から頂上まで片道30分はかかり、難行苦行だ。わしゃ、もうアキマヘン。
専修大学が箱根駅伝の常連校であるのは納得した。否応なしに脚力は鍛えられる。因みに開校に際しては福翁も協力したそうだ(だから悪口は言いません)。
頂上から下ると浄水場、その先には作業服店があるはずだが、小生はもうヘロヘロ、ギブアップ。新築マンションだらけの浄水場通りを勢いよく下って絶叫マシンの爽快感を楽しみ無事帰還した。
毎日面白おかしく過ごしていると、この世への未練が増すようで何となく不安ではあるね。未練たらたら、執着とか。「それが自然」と言われればそうだけれど・・・
両親と義母は眠るように死んだが、その少し前までそれなりに意識ははっきりして苦しみもなかったから、まあ大往生だろう。「じゃりン子チエ」のテツそっくりの義父は60歳ほどだったから「理不尽だ!」と暴れたそうだが・・・
最期まで理性をもっていたいから(モルヒネなどによる)安楽死は嫌だ、苦しみに耐える、という人もいるけれど、看取りの人はかなり辛いのではないか。
落ち着きと平常心で「死を受け入れる」・・・言葉は美しいけれどとても難しそうだが、「立派な自裁」は今の時代では「介錯」制度がないので超難関だ。
西郷先生、松陰先生のような無私、潔さ、美しさ・・・強烈な意志がないとできるものではない。三島由紀夫、森田必勝、三浦重周・・・西部邁は介錯させれば同志が刑務所行きになるから入水を選んだのだろうが、ちょっと気の毒だ。
小生にできるのはせいぜい諦観、最期は封印解除で飲みまくり、急性アルコール中毒で逝く、というのは魅力的かつ現実的だ。どじって緊急措置入院、精神科急性期閉鎖病棟に再びぶち込まれ、ナースやカウンセラーから「あら、出戻り」なんて白い眼で観られたり。太宰曰く「悪い予感はよく当たる」。
「日本と中国の死生観における相違点について」(教えて!goo)から。
<中国の死生観の伝統的な特徴は、大家族制度と祖先崇拝によります。古代からのもので、儒教はこれらを肯定しますが、中華人民共和国になり、儒教は否定されました。
しかし、大家族制(宗族)と大結社制、そして祖先崇拝は相変わらず中共にあります。どこどこ県の「李」であるとか、何何省の「張」というように、祖先を同じくする共通の一族だという考えです。
家族連累は100万人とか300万人とか、途轍もない話になり、しかも、それらが互いに家族の連絡組織などを持っています。
派閥制度も、大家族制度と並んで全国的に巨大なものがあり、「裏の社会」は、日本など比較にならない、複雑で巨大な結社が競合しています。大結社や大家族の後ろ盾を持つ者が、政治、経済の指導者になったりします。
中国文化は元々現世的・現実的で、「あの世」とかを考えませんでした。不老長寿の仙人という考えはありましたが、仙人は「不死」ではありません。
人が死ぬと、祖先崇拝から「祖先の霊(祖霊)」に報告したり、捧げものをしますが、祖霊は曖昧で、いてもいなくてもどちらでも良いという考えのようにも思えます。
中国では、人は孤独では生きられないため、大家族または大結社の後ろ盾で世に出ます。現世的成功をおさめるのにコネを使うのが中国の伝統です。
「死生観」は、現代の若者だと中国も日本もあまり変わりがないように思えますが、中国では事実上、宗教禁止、無神論の唯物主義です。(その代わりに)先祖崇拝、家族結社があるのです。
「死」は、中国人には「無」でしょう。しかし、名を残し、子孫を残し、祖先崇拝と記憶のなかで「誉れある者たらん」というのが死後のヴィジョンでしょう。
なにごとか現世で大きなことをするに「死」を恐れないという気風がまだ現代にも残っていると思います。
日本人にとって「死」は今や「無」になって来たのですが、年長者は「生命の更新」という意味の死後の転生を無意識的に望み、祖霊となって子孫を見守ろうという考えが、心のどこかにあると思えます。
中国は元々、非宗教的、現世的で、仏教や道教は「この世でいかに生きるかを教える宗教」になったとも言えるでしょう。伝統的な中国人の理想の生死は、「子孫が多く、富み栄え、長寿で、病がない」ということです。死後の世界については「あるなしを語らず」です。
日本は、流転する自然の四季における更新される自然・生命という原始的な信仰がありました。これに仏教、道教などが重なると、輪廻転生とか、あの世とか、極楽地獄の思想になります。中国にもそういう思想は芽生えましたが、日本の方がずっと強度があり、影響力が大きかったのです。
中国で仏教として残ったのは、禅のような現世思弁的なものか、この世をいかに生きるかの世俗的倫理的な教えです。閻魔などは信じていなかったと思います。
日本と中国は祖先崇拝は同じでも、中国は「現世利益のための結社の軸としての祖先崇拝」であり、日本では「現世の利害を超えた、自然で、やすらかな、漠然とした祖先崇拝」です。
中国人は心の奥底で、死後の生を「考えていない」。日本人は心の奥底で、死後の生を「信じている」。中国人は未来を切り開こうとし、日本人は生きるのに疲れて惰性で生きている、というのが現状でしょう>(以上、要約)
なるほどね。最後の一節は「?」だが、よく分かりました。中国人の強烈な現世利益志向、日本人の柔和な欣求浄土志向――
日清戦争で従軍記者として戦場にいた岡本綺堂は、「昨日敗退した清兵2人が今日から我が班の雑役夫として雇われた。親身になってよく働いてくれ、曽我兄弟に因んで五郎、十郎と名付けられ、皆からとても愛された」と書いていた。
小生は「どうなってるんだ」を思っていたが、清兵の多くは無理やり拉致された若者で、ほとんど奴隷。清軍への忠誠や、日本軍への敵意があるはずもなく、雑用して稼げるのなら日本軍に従軍しようというわけだ。
現世利益志向とは「儲かればすべて良し、実利が大事」ということである。日本軍は「立派に死ねば名誉と天国がある、命惜しむな、名こそ惜しめ」、突撃も辞さない。どちらが勝つか、明白だ。
支那事変でも多くの庶民は日本軍が来ると匪賊盗賊が逃げ出し治安が良くなるので歓迎した。毛沢東も「日本が蒋介石・国民党軍を叩いてくれたので勝てました」と感謝した。
習近平の中共軍も督戦隊がなければさっさと逃げる「張り子の虎」だろう。4000年の遺伝子が変わるわけはない。同盟国と連帯し中共を潰せば13億の人民から「厭離穢土」と感謝されるだろう。(2020/7/11)