雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(41」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/151(2020/7/30/木】小生は敗戦から6年後に農村の農家兼精米所に生を得たので「飢え」を知らない。4歳で現在のところ(小さな町、父の生地、桃畑の中)に引っ越したが、冷や飯とかふかしたサツマイモはいつもあったから「腹が減ってヘロヘロ」という経験がない。
当時は庭に果樹を植えるのが当たり前で、柿、梅、無花果、ブドウ、グミ、キンカン、ザクロ、イチゴなどはあるし、周りは桃畑と梨園だらけだから、食い物に不自由はしない。「落ちた桃は売り物にならないから好きなだけどうぞ」だから、一週間もすれば食傷気味になった。
1日の小遣いは5~10円で、駄菓子屋であめ5粒とか、肉屋でコロッケ1個を買ったりしていた。友達の家へ行けばお母さんがオヤツどころか夕飯までご馳走してくれた。
そういう環境だったので、幸いにも「ひもじい」とか「今日明日の食糧を如何せん」という経験がないが、先の大戦で都市住民はずいぶん食糧難に苦しんだ。農村地帯は子供たちの疎開地になっていたから、粗食ではあれ、都市部よりはマシだったのだろう。
多分、都市住民以外は深刻な食糧難を経験せずに済んだと思うが、都市住民でも金持ちや上流階級は軽井沢とか伊豆半島、日光、那須など別荘地に避難した人が多かったようだ。
結局、戦中でも食糧難の都市部にいた人は、仕事の都合の人が圧倒的に多く、次いでどうにかなるだろうという、「なったらなったで考えればいいや」の寅さんみたいな人が続き、どん尻は「逃げるったって、避難先の当てがないんだからさあ」という逃げ場がない人だろう。
本土の餓死者は少なかったが、明日明後日の食糧備蓄が心細いというのは実に不安で、情けない思いだったろう。永井荷風は軍人政治への不安、不満、怒り、絶望を「これまでは筆禍を恐れて遠慮していたが、今日からは後世への記録として書き残す!」と発奮した。
「それにつけても備蓄の心細さよ、腹が減っては戦はできぬ、ああ悩ましい、軍人政治が国を亡ぼす、クソッ!」
そんな思いだったろう。
荷風は大好きなフランスがやられっぱなしだったこともあってひたすら軍人政治を呪い罵倒するのだが、大正時代の花柳界の恋のさや当てと銭闘を描いた荷風の「腕くらべ」が一種の戦争・戦術?とでも解釈されたのか、軍部から戦線将兵に贈るからと5000部!注文が来てから筆舌が落ち着いた感じがする。
笑うべし、人間のアバウトさ・・・それを含めて我ら後世の人にとって当時を知る貴重な一次資料になっている。
荷風先生、あなたはビッグです、大したものです、文豪です! 毎夜、笑いながらの眠りをもたらしてくれる我が枕辺の書「断腸亭日乗」から。
<(昭和19(1944)年、66歳)四月十日。食料品の欠乏、日を追うて甚だしくなるにつれ、軍人に対する反感、漸く激しくなり行くが如し。市中至るところ、疎開空襲必至の張札を見る。
五月四日。(従弟の)五叟方より鶏肉鶏卵届く。
五月二十七日。この頃(食糧を求めて)鼠の荒れ回ること甚だし。雀の子も軒に集まりて洗い流しの米粒捨てるを待てるが如し。東亜共栄圏内に生息する鳥獣飢餓の惨状また憐れむべし。
燕よ、秋を待たで速やかに帰れ。雁よ、秋来るとも今年は共栄圏内に来るなかれ。
六月二十九日。今年も早く半ばを過ぎんとす。戦争はいつまで続くにや。来るぞ来るぞといふ空襲も未だに来たらず。国内人心の倦怠疲労、今正にその極度に達せしが如し。
六月三十日。某氏依頼の色紙に「ひるがほ」(書す)。
道端に花咲く昼顔。風が持て来てまきし種。手にとらば花瓶にさす間を待たで萎えるべし。それにも似たる我が身なり。
八月六日。木戸氏、使いの者に炭一俵、キュウリ、トマト一籠を持たせ遣はさる。また五叟のもとよりトマト数個を送り来たれり。数年来、余は全く人の情にて露命を繋ぐ身とはなれるなり。
九月五日。(軍部が買い占めた鮭の缶詰の賞味期限が来そうなので、配給で人民に時価で売りつけている噂)軍部及び当局の官吏の利得、莫大なりといふ。日米戦争は畢竟、軍人の腹を肥やすに過ぎず。その敗北に帰するや自業自得といふべしと。これも世の噂なり。
××氏に送る返書の末に、
世の中はついに柳の一葉かな
秋高くモンペの尻の大(おおき)なり
スカートのいよよ短し秋の風
スカートのうちまたねらふ藪蚊哉
亡国の調(しらべ)せはしき秋の蝉>
食い物の恨みは恐ろしい、が、枯れても女好きは相変わらずで、「さすが荷風、蚊風だな、夏彦翁曰く、スケベは死なず」、小生は笑いながら眠るわけ。とってもケンコーと思わない?
蛇足ながら「飢餓」「飢え死に」「戦争犯罪」について。
特に南洋戦地の日本軍将兵は米軍が国際法を無視して投降受入れを拒否したので飢餓と熱帯病で殺された。原爆実験、大空襲による無差別大量虐殺も、いずれオトシマエをつけてもらう。少なくとも小生は絶対に許さない、忘れない!
ついでに言っておくが、米兵は「長距離移動は車が常識」だったから、捕虜になり風土病もあったにしても20~30キロの徒歩行軍でへたった。「バターン死の行進」プロパガンダに騙されるな!
大東亜戦争時の日本人は兎にも角にも頑張った、踏ん張ったが、支那14億の民は戦時下の拘束や食糧難に耐えられるか否か。蓄財蓄妾美酒美食を生き甲斐とする人民は、経済封鎖、鉄のカーテンに我慢し、中共・習近平に従うかどうか・・・それを考える時期になってきた。
「7/23米国ポンペオ“怒りの演説”」は米国の対中「宣戦布告」として歴史に刻まれるだろう。我々は旧時代の最終章、新時代の序章の境界線上に今、立っている。稀に見る瞬間を目撃、あるいは能動的に関与することになる。以下の論考はとても勉強になる。
<近藤大介「ポンペオ長官“怒りの演説”が中国共産党に突きつけた究極の選択」(以下は抜粋。演説全文は現代ビジネス2020/7/28)
◆アメリカが本気で焦り出した
いやはや、アメリカと中国が大変なことになってきた。
アメリカが7月21日、ヒューストンの中国領事館閉鎖を命じたかと思えば、中国は24日、成都のアメリカ領事館閉鎖を命じた。期限はそれぞれ72時間以内だ。これほど激しい米中の攻防は、1979年に国交正常化を果たして41年で、初の事態である。
先週のこのコラムでは、トランプ大統領の最側近の一人で、対中強硬派として知られるポンペオ米国務長官が7月13日に発表した「南シナ海の海洋主張に対するアメリカの立場」と題する声明の全訳を載せた。その上で今秋、アメリカが南シナ海に中国が建設した人工島を空爆する可能性について詳述した。
ところが、ポンペオ長官によれば、中国批判は「4回シリーズ」なのだそうで、オブライアン国家安全保障顧問、ウォレイFBI長官、バール司法長官を伴って、さらに強烈なスピーチを、7月23日に行った。
これは台頭する中国に追い詰められた覇権国アメリカの「悲痛な叫び」とも言えるものだ。1945年以降、世界の覇権を握ってきたアメリカが、このままでは中国に覇権を奪われてしまうと、本気で焦り出したのである。
◆トランプ政権の対中論争に終止符
今回のスピーチは、3つの意味で「米中新冷戦」を決定づけるものとなった。
第一は、トランプ政権内の対中論争に終止符を打ったこと。
第二は、中国という国家に加えて、9100万中国共産党員のトップに君臨する習近平総書記個人を攻撃したことである。
第三は、単にトランプ政権のことではなく、「アメリカの問題」として対中問題を提起したことだ。
周知のように、11月3日の大統領選挙に向けて、トランプ共和党陣営とジョン・バイデン民主党陣営は現在、熾烈な選挙キャンペーンを繰り広げている。いまのところ民主党が優勢で、このまま行けば、民主党への政権交代が実現する。
ポンペオ長官は、そのことを見越した上で、「どの党の誰が大統領に就こうが、これからのアメリカは習近平政権と正面から対決していく」というニュアンスで演説しているのである。かつポンペオ長官の呼びかけに、民主党側は反対の声を上げていない・・・>
「ポンペオ“怒りの演説”」を少し引用しておく。
<ニクソンは1967年、『フォーリン・アフェアーズ』にこう寄稿した。
「長期的視野に立てば、中国を永遠に仲間の国々から引き離しておくわけにはいかない。中国が変わっていくまで、世界は平和ではいられない。そのためわれわれの目的は、ある程度、状況に影響を与えねばならない。目標は変化を導くことだ」
こうして北京への歴史的外遊を伴ってニクソンは関与戦略を始めた。
だが、われわれが目にしたのは中国共産党がわれわれの自由で開かれた社会を悪用したことだった。中国はアメリカの記者会見、研究所、高校や大学、果てはPTAの会合にまでプロパガンダを送り込んだのだ。
ニクソン大統領はかつて、世界を中国共産党に明け渡した時、フランケンシュタインを作ってしまったかもしれないと恐れた。だがいま存在しているのが、まさにそれだ。
中国共産党の体制はマルクス・レーニン主義の体制であり、習近平総書記は破綻した全体主義思想の信奉者であるということに、われわれは心を留め置かねばならない。
このイデオロギーこそが、中国共産主義のグローバルな覇権という習近平総書記が何十年にもわたって望んできたことを知らしめるものだ。共産中国を本当に変化させるには、中国のリーダーが語ることをもとにするのではなく、どう振る舞うかをもとにして行動することだ。
自由を愛する国々は、かつてニクソン大統領が望んだように、中国で変化を起こさせるようにしていかねばならない。ダイナミックで自由を愛する中国人に関わり、力を与えていかねばならない。
中国共産党の振る舞いを変えさせる使命は、中国人だけが持っているものではない。自由な国家は自由を守るために行動しなければならない。
いまこそ自由国家が行動する時だ。すべての国は、中国共産党の触手から、いかに主権を守り、経済的繁栄を保護し、理想を維持するかということを理解していかねばならない。
私がすべての国のリーダーに呼びかけたいのは、シンプルに相互主義、透明性、説明責任を要求していくということだ。自由国家は同一原則で行動するのだ。
もし今行動を起こさなければ、最終的に中国共産党は、われわれの自由を侵食し、われわれの社会が懸命に築き上げてきたルールに基づいた秩序をひっくり返すだろう。
われわれが許さない限り、習総書記は中国内外で、永遠に暴君でいられる運命ではないのだ。
アメリカ単独では立ち向かえない。国連、NATO、G7、G20など、われわれの結合した経済力と外交力、軍事力によって、明確に大きな勇気を持って指針を示していけば、この挑戦に必ずや、十分対処していける。おそらく、志を同じくする国々が、新たな民主の同盟を作る時なのだ。
自由世界が変わらなければ、共産中国が確実にわれわれを変えてしまうだろう。
中国共産党から自由を守ることは、われわれの時代の使命である。そしてアメリカは完全に、これをリードしていく。
ニクソンは1967年、正しいことを書いた。「中国が変わるまでは世界は安全にならない」。いまこそこの言葉に心を留めるべき時だ>
パンダは危険な紅いフランケンシュタインに変身した。「米国とその何となくお友達」でフランケンを抑え込める時代ではなくなった。新たな仕組みによる「勢力均衡外交」が必要とされている、ということだ。
毛沢東の弱者による強者との戦いの肝は「敵が押し出してきたら退く、敵が退いたら押し出していく」「我が方の力が十分についたら一気呵成に敵を殲滅する」というものだった。
毛沢東は1964年の東京五輪に合わせて核ミサイル実験で強者へデビューし、56年後の2020年に習近平は世界帝国への殲滅戦を開始し、2024年に「大習帝国」初代皇帝を宣言する夢を抱いているだろう。習近平はやる気満々だ。
何清漣女史曰く
「習近平至少從方向與決心兩方面做了充分準備、大方向:經濟内循環、準備自力更生(習近平は、少なくとも方向性と決意に関して十分な準備をしてきた。一般的な方向性:経済の内部循環、自立の準備)」
習近平の危険な妄想的暴走を阻止するためにはグレートウォールの長城包囲網、少なくとも米日英豪加印台の頑丈な七強ダムが必要だ。世界の安定、日本の独立もこの一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。(つづく)
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/151(2020/7/30/木】小生は敗戦から6年後に農村の農家兼精米所に生を得たので「飢え」を知らない。4歳で現在のところ(小さな町、父の生地、桃畑の中)に引っ越したが、冷や飯とかふかしたサツマイモはいつもあったから「腹が減ってヘロヘロ」という経験がない。
当時は庭に果樹を植えるのが当たり前で、柿、梅、無花果、ブドウ、グミ、キンカン、ザクロ、イチゴなどはあるし、周りは桃畑と梨園だらけだから、食い物に不自由はしない。「落ちた桃は売り物にならないから好きなだけどうぞ」だから、一週間もすれば食傷気味になった。
1日の小遣いは5~10円で、駄菓子屋であめ5粒とか、肉屋でコロッケ1個を買ったりしていた。友達の家へ行けばお母さんがオヤツどころか夕飯までご馳走してくれた。
そういう環境だったので、幸いにも「ひもじい」とか「今日明日の食糧を如何せん」という経験がないが、先の大戦で都市住民はずいぶん食糧難に苦しんだ。農村地帯は子供たちの疎開地になっていたから、粗食ではあれ、都市部よりはマシだったのだろう。
多分、都市住民以外は深刻な食糧難を経験せずに済んだと思うが、都市住民でも金持ちや上流階級は軽井沢とか伊豆半島、日光、那須など別荘地に避難した人が多かったようだ。
結局、戦中でも食糧難の都市部にいた人は、仕事の都合の人が圧倒的に多く、次いでどうにかなるだろうという、「なったらなったで考えればいいや」の寅さんみたいな人が続き、どん尻は「逃げるったって、避難先の当てがないんだからさあ」という逃げ場がない人だろう。
本土の餓死者は少なかったが、明日明後日の食糧備蓄が心細いというのは実に不安で、情けない思いだったろう。永井荷風は軍人政治への不安、不満、怒り、絶望を「これまでは筆禍を恐れて遠慮していたが、今日からは後世への記録として書き残す!」と発奮した。
「それにつけても備蓄の心細さよ、腹が減っては戦はできぬ、ああ悩ましい、軍人政治が国を亡ぼす、クソッ!」
そんな思いだったろう。
荷風は大好きなフランスがやられっぱなしだったこともあってひたすら軍人政治を呪い罵倒するのだが、大正時代の花柳界の恋のさや当てと銭闘を描いた荷風の「腕くらべ」が一種の戦争・戦術?とでも解釈されたのか、軍部から戦線将兵に贈るからと5000部!注文が来てから筆舌が落ち着いた感じがする。
笑うべし、人間のアバウトさ・・・それを含めて我ら後世の人にとって当時を知る貴重な一次資料になっている。
荷風先生、あなたはビッグです、大したものです、文豪です! 毎夜、笑いながらの眠りをもたらしてくれる我が枕辺の書「断腸亭日乗」から。
<(昭和19(1944)年、66歳)四月十日。食料品の欠乏、日を追うて甚だしくなるにつれ、軍人に対する反感、漸く激しくなり行くが如し。市中至るところ、疎開空襲必至の張札を見る。
五月四日。(従弟の)五叟方より鶏肉鶏卵届く。
五月二十七日。この頃(食糧を求めて)鼠の荒れ回ること甚だし。雀の子も軒に集まりて洗い流しの米粒捨てるを待てるが如し。東亜共栄圏内に生息する鳥獣飢餓の惨状また憐れむべし。
燕よ、秋を待たで速やかに帰れ。雁よ、秋来るとも今年は共栄圏内に来るなかれ。
六月二十九日。今年も早く半ばを過ぎんとす。戦争はいつまで続くにや。来るぞ来るぞといふ空襲も未だに来たらず。国内人心の倦怠疲労、今正にその極度に達せしが如し。
六月三十日。某氏依頼の色紙に「ひるがほ」(書す)。
道端に花咲く昼顔。風が持て来てまきし種。手にとらば花瓶にさす間を待たで萎えるべし。それにも似たる我が身なり。
八月六日。木戸氏、使いの者に炭一俵、キュウリ、トマト一籠を持たせ遣はさる。また五叟のもとよりトマト数個を送り来たれり。数年来、余は全く人の情にて露命を繋ぐ身とはなれるなり。
九月五日。(軍部が買い占めた鮭の缶詰の賞味期限が来そうなので、配給で人民に時価で売りつけている噂)軍部及び当局の官吏の利得、莫大なりといふ。日米戦争は畢竟、軍人の腹を肥やすに過ぎず。その敗北に帰するや自業自得といふべしと。これも世の噂なり。
××氏に送る返書の末に、
世の中はついに柳の一葉かな
秋高くモンペの尻の大(おおき)なり
スカートのいよよ短し秋の風
スカートのうちまたねらふ藪蚊哉
亡国の調(しらべ)せはしき秋の蝉>
食い物の恨みは恐ろしい、が、枯れても女好きは相変わらずで、「さすが荷風、蚊風だな、夏彦翁曰く、スケベは死なず」、小生は笑いながら眠るわけ。とってもケンコーと思わない?
蛇足ながら「飢餓」「飢え死に」「戦争犯罪」について。
特に南洋戦地の日本軍将兵は米軍が国際法を無視して投降受入れを拒否したので飢餓と熱帯病で殺された。原爆実験、大空襲による無差別大量虐殺も、いずれオトシマエをつけてもらう。少なくとも小生は絶対に許さない、忘れない!
ついでに言っておくが、米兵は「長距離移動は車が常識」だったから、捕虜になり風土病もあったにしても20~30キロの徒歩行軍でへたった。「バターン死の行進」プロパガンダに騙されるな!
大東亜戦争時の日本人は兎にも角にも頑張った、踏ん張ったが、支那14億の民は戦時下の拘束や食糧難に耐えられるか否か。蓄財蓄妾美酒美食を生き甲斐とする人民は、経済封鎖、鉄のカーテンに我慢し、中共・習近平に従うかどうか・・・それを考える時期になってきた。
「7/23米国ポンペオ“怒りの演説”」は米国の対中「宣戦布告」として歴史に刻まれるだろう。我々は旧時代の最終章、新時代の序章の境界線上に今、立っている。稀に見る瞬間を目撃、あるいは能動的に関与することになる。以下の論考はとても勉強になる。
<近藤大介「ポンペオ長官“怒りの演説”が中国共産党に突きつけた究極の選択」(以下は抜粋。演説全文は現代ビジネス2020/7/28)
◆アメリカが本気で焦り出した
いやはや、アメリカと中国が大変なことになってきた。
アメリカが7月21日、ヒューストンの中国領事館閉鎖を命じたかと思えば、中国は24日、成都のアメリカ領事館閉鎖を命じた。期限はそれぞれ72時間以内だ。これほど激しい米中の攻防は、1979年に国交正常化を果たして41年で、初の事態である。
先週のこのコラムでは、トランプ大統領の最側近の一人で、対中強硬派として知られるポンペオ米国務長官が7月13日に発表した「南シナ海の海洋主張に対するアメリカの立場」と題する声明の全訳を載せた。その上で今秋、アメリカが南シナ海に中国が建設した人工島を空爆する可能性について詳述した。
ところが、ポンペオ長官によれば、中国批判は「4回シリーズ」なのだそうで、オブライアン国家安全保障顧問、ウォレイFBI長官、バール司法長官を伴って、さらに強烈なスピーチを、7月23日に行った。
これは台頭する中国に追い詰められた覇権国アメリカの「悲痛な叫び」とも言えるものだ。1945年以降、世界の覇権を握ってきたアメリカが、このままでは中国に覇権を奪われてしまうと、本気で焦り出したのである。
◆トランプ政権の対中論争に終止符
今回のスピーチは、3つの意味で「米中新冷戦」を決定づけるものとなった。
第一は、トランプ政権内の対中論争に終止符を打ったこと。
第二は、中国という国家に加えて、9100万中国共産党員のトップに君臨する習近平総書記個人を攻撃したことである。
第三は、単にトランプ政権のことではなく、「アメリカの問題」として対中問題を提起したことだ。
周知のように、11月3日の大統領選挙に向けて、トランプ共和党陣営とジョン・バイデン民主党陣営は現在、熾烈な選挙キャンペーンを繰り広げている。いまのところ民主党が優勢で、このまま行けば、民主党への政権交代が実現する。
ポンペオ長官は、そのことを見越した上で、「どの党の誰が大統領に就こうが、これからのアメリカは習近平政権と正面から対決していく」というニュアンスで演説しているのである。かつポンペオ長官の呼びかけに、民主党側は反対の声を上げていない・・・>
「ポンペオ“怒りの演説”」を少し引用しておく。
<ニクソンは1967年、『フォーリン・アフェアーズ』にこう寄稿した。
「長期的視野に立てば、中国を永遠に仲間の国々から引き離しておくわけにはいかない。中国が変わっていくまで、世界は平和ではいられない。そのためわれわれの目的は、ある程度、状況に影響を与えねばならない。目標は変化を導くことだ」
こうして北京への歴史的外遊を伴ってニクソンは関与戦略を始めた。
だが、われわれが目にしたのは中国共産党がわれわれの自由で開かれた社会を悪用したことだった。中国はアメリカの記者会見、研究所、高校や大学、果てはPTAの会合にまでプロパガンダを送り込んだのだ。
ニクソン大統領はかつて、世界を中国共産党に明け渡した時、フランケンシュタインを作ってしまったかもしれないと恐れた。だがいま存在しているのが、まさにそれだ。
中国共産党の体制はマルクス・レーニン主義の体制であり、習近平総書記は破綻した全体主義思想の信奉者であるということに、われわれは心を留め置かねばならない。
このイデオロギーこそが、中国共産主義のグローバルな覇権という習近平総書記が何十年にもわたって望んできたことを知らしめるものだ。共産中国を本当に変化させるには、中国のリーダーが語ることをもとにするのではなく、どう振る舞うかをもとにして行動することだ。
自由を愛する国々は、かつてニクソン大統領が望んだように、中国で変化を起こさせるようにしていかねばならない。ダイナミックで自由を愛する中国人に関わり、力を与えていかねばならない。
中国共産党の振る舞いを変えさせる使命は、中国人だけが持っているものではない。自由な国家は自由を守るために行動しなければならない。
いまこそ自由国家が行動する時だ。すべての国は、中国共産党の触手から、いかに主権を守り、経済的繁栄を保護し、理想を維持するかということを理解していかねばならない。
私がすべての国のリーダーに呼びかけたいのは、シンプルに相互主義、透明性、説明責任を要求していくということだ。自由国家は同一原則で行動するのだ。
もし今行動を起こさなければ、最終的に中国共産党は、われわれの自由を侵食し、われわれの社会が懸命に築き上げてきたルールに基づいた秩序をひっくり返すだろう。
われわれが許さない限り、習総書記は中国内外で、永遠に暴君でいられる運命ではないのだ。
アメリカ単独では立ち向かえない。国連、NATO、G7、G20など、われわれの結合した経済力と外交力、軍事力によって、明確に大きな勇気を持って指針を示していけば、この挑戦に必ずや、十分対処していける。おそらく、志を同じくする国々が、新たな民主の同盟を作る時なのだ。
自由世界が変わらなければ、共産中国が確実にわれわれを変えてしまうだろう。
中国共産党から自由を守ることは、われわれの時代の使命である。そしてアメリカは完全に、これをリードしていく。
ニクソンは1967年、正しいことを書いた。「中国が変わるまでは世界は安全にならない」。いまこそこの言葉に心を留めるべき時だ>
パンダは危険な紅いフランケンシュタインに変身した。「米国とその何となくお友達」でフランケンを抑え込める時代ではなくなった。新たな仕組みによる「勢力均衡外交」が必要とされている、ということだ。
毛沢東の弱者による強者との戦いの肝は「敵が押し出してきたら退く、敵が退いたら押し出していく」「我が方の力が十分についたら一気呵成に敵を殲滅する」というものだった。
毛沢東は1964年の東京五輪に合わせて核ミサイル実験で強者へデビューし、56年後の2020年に習近平は世界帝国への殲滅戦を開始し、2024年に「大習帝国」初代皇帝を宣言する夢を抱いているだろう。習近平はやる気満々だ。
何清漣女史曰く
「習近平至少從方向與決心兩方面做了充分準備、大方向:經濟内循環、準備自力更生(習近平は、少なくとも方向性と決意に関して十分な準備をしてきた。一般的な方向性:経済の内部循環、自立の準備)」
習近平の危険な妄想的暴走を阻止するためにはグレートウォールの長城包囲網、少なくとも米日英豪加印台の頑丈な七強ダムが必要だ。世界の安定、日本の独立もこの一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。(つづく)