雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(35」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/145(2020/7/20/月】近隣近郊を散策散歩冒険調査観察発見研究するのは肉体的精神的刺激が大きく、体と脳みその劣化を抑え、上手くすれば脳みそは活性化するのではないか――
などと考えながら、ほぼ毎日、ママチャリでシマを警邏し、シマの拡大に努めている。
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/145(2020/7/20/月】近隣近郊を散策散歩冒険調査観察発見研究するのは肉体的精神的刺激が大きく、体と脳みその劣化を抑え、上手くすれば脳みそは活性化するのではないか――
などと考えながら、ほぼ毎日、ママチャリでシマを警邏し、シマの拡大に努めている。
まあ、暇つぶしだが、それを言っちゃあお仕舞よ。と、いうことで昨日は東京側の多摩川堤の裏通り(陋巷、迷路!)を下ったが、多摩川べりの広大な緑に囲まれた「砧(きぬた)浄水場」を発見した。草ぼうぼうで、そのまんま産業遺産みたいだ。
「どうなってるんだ、俺は知りたい!」、昔は痴的興奮好奇心、今は水気がなくなって枯れてきたので知的興奮好奇心だが、老いてますます執拗粘着質、血管が切れたりして。
「砧」はしゃれた字だが、布を叩いて柔らかくしたりシワを伸ばしたりする棒。北斎の娘、葛飾応為(おうい)の「月下砧打美人図」は秀逸だ。北斎が壁にぶつかって苦しんでいると、応為曰く――
「何事も“自分が及ばない”と、いやになる時が上達する時なのさ」
北斎も「まったくその通り」と感服したという。いやはや大した親娘だ。
嗚呼、名人、真打は遥かなり、せめて前座、二つ目、ただの変人奇人狂人でもいい、我、日出る処のトリカブトとなりて怨敵退散せばや!
都水道局のサイトで砧浄水場を調べてみた。
<明治時代を迎え、江戸から東京へと変わっても水道は依然として江戸時代のままでした。
しかし、上水路の汚染や木樋の腐朽といった問題が生じ、また消防用水の確保という観点からも、近代水道の創設を求める声が高まりました。さらに、明治19(1886)年のコレラの大流行は近代水道創設の動きに拍車をかけました。
こうして明治21(1888)年、東京近代水道創設に向けて具体的な調査設計が開始されました。
この水道は、玉川上水路を利用して多摩川の水を淀橋浄水場へ導いて沈でん、ろ過を行い、有圧鉄管により市内に給水するもので、明治31(1898)年12月1日に神田・日本橋方面に通水したのを始めとして、順次区域を拡大し、明治44(1911)年に全面的に完成しました>
感染病は歴史を変える! 砧浄水場は大正時代に整備されたようだ。多摩川の伏流水を原水として水道水にするため浄水処理を行っている。
東京都の水道は利根川・荒川水系が80%、多摩川水系が17%、相模川水系が3%。小生は相模の川で産湯を使い、多摩の川で育ち、揚子江の治水神として果てなん、とか・・・
国益入り乱れ濁り多き国際社会。「浄水、濾過」、極端な場合は「民族浄化」で積年の恨みをきれいさっぱり、とか、募る野望を実現、とはいかないものだ。2度の大戦の教訓か。
懲りない人もいるが大方は「過去は過去、私たちは恩讐の彼方に永世平和の世界を創るのよ!」。EUの理念は崇高だったろう。
しかし、幾星霜、イタリアなどは「俺は縛られたくない、自由にこの世を楽しみたいんだ。デキル奴だけがオイシイ思いをし、俺たちデキナイ坊主は宿題ばっかり、説教ばっかり食らう。規則、規則、規則・・・もううんざりだ!」。
犬猿の仲だった独仏がどうにか踏ん張っているが、歴史的に見ても独は「俺が正義だ」意識が強いから(英のEU離脱ではまるでいじめっ子だった)、アバウトな伊西ギリシャがEU離脱するならば「好きにしたらいい、出戻りは許さないからね」となるだろう。
独の「中共好き(独裁好き?)と米国嫌い」もあってEUの明日は読めない。大統領選という内乱状態の米国も「失禁ジョーの駄々洩れ」(紫禁城の黄昏のギャグ)になれば弱体化は必至だ。日本は・・・
ドゴール曰く「米国の保護に依存しようという国は、『自国の運命を自分で決める』という責任感、意思決定能力を失ってしまい、知的・精神的な不毛国家となる」。
中共の対日軍事攻勢、威嚇がどんどん露骨になっている今、日本ドースル連としては大いに心配だ。伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。
<冷戦後の米外交は顕著な失敗を繰り返して、国際的な支配力を失ってきた。しかも日本周囲の中露北は日米をターゲットとする核ミサイルを着々と増産してきた。
しかし日本の親米保守、護憲左翼の両陣営は、いつまで経っても1960年代と何も変わらぬ「対米依存ごっこ」「非核三原則ごっこ」「護憲ごっこ」を続けるだけである。
このように知的に停滞した日本を観察すると(上記の)ドゴールの指摘は100%正しかった」と思わざるを得ない。我々日本人がドゴールの外交思想と国家哲学から学べる教訓は多いのである>
貫氏は「バランス・オブ・パワー外交(以下、勢力均衡外交)こそが列強間の競争が戦争になるのを防ぐ唯一の戦略だ」と説く。
勢力均衡外交を小生なりに紹介する。
世界には150ほどの国があるが、国らしい国はG20の20か国のようだ。「G20は世界のGDPの90%ほどを占め、貿易総額は世界の80%。加盟国の総人口は世界の3分の2ほどになる」(WIKI)から、世界の趨勢は20か国で決まるといってよい。
実質的に政治・経済・軍事で力があるのはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、カナダ、インド、オーストラリア、中共、ロシア、韓国だろう。
戦後世界は米ソの二極支配で始まり、今は米中二極になってきたようだ。米連合は日英加印豪あたり、中共は一国のみだが韓・北が従うかもしれない。仏独露は旗幟を鮮明にしないが、どっちつかずの怪しい第三極になりそうだ(クセが強くて友達にはなりたくないなあ)。
米中の2大勢力のガチンコは、どちらが勝とうが大変動をもたらす。
中共が勝てば(米国が負ければ)世界は中共独裁下に置かれる。暗黒時代になる。中共が負ければ(米国が勝てば)14億の難民が世界を覆う。
さらに米国は「自分の国は自分で守れ、俺は余裕がないんだ、世界の警察官は辞めた」となるだろうから、特に露を警戒して各国は備えなければならなくなり、金欠でこれまた暗黒時代になる。
だから米中対立は「中共経済封鎖」という冷戦が一番いい。
<トランプ政権は5月20日に「中国に対する戦略的アプローチ報告書」を発表した。2017年の国家安全保障戦略に基づくもので、「中国とロシアが米国のパワー、影響、国益に挑戦しており、自由で公正な経済に反対し、情報を管理し、社会を抑圧し、自国の影響を強めようとしている」と分析。
競争相手を国際制度とグローバルな貿易に包含すれば、善意の信頼できるパートナーになるという前提は誤っており、そうした前提に基づく政策は再考しなければならないと論じている>(産経など)
米日英加印豪が利益を共有して中共封鎖をすれば、仏独露はそれに反対して(米国陣営に敵対して)中共を支援することはない(利が薄い)、それよりポスト中共での再生利権をねらうだろう、だから米国陣営は中共封鎖に全力を挙げ、仏独露からは協賛金を引き出すのがいい。
中共は経済封鎖に耐えられるか。2008年のリーマンショックの時は50兆円のインフラ投資で危機を乗り越え、世界の称賛を浴びたが、当時は外貨準備が潤沢だったから、ゴーストタウンでも景気回復に役立った。今は国外への資本逃避もあって外貨準備は低迷しているという。
それでも習近平は世界制覇へ向けて「無意味」としか思えない軍事的な圧力を続けていくのか。党の実力者からも習近平への反発は高まっており、「完全にイカレテいる」という声もあるとか。
このまま習近平が暴走すれば、鉄のカーテンの中で支那人は大好きな派閥抗争をし、新たな秩序(10か国とかに分裂)を創ることになるかもしれない。
共産主義への親和性が高く五四運動や辛亥革命でも暗躍した仏独露は喜んで新生支那づくりに手を貸し、やがて乗っ取ったりして・・・
話を戻すと、「勢力均衡外交」とは、特定メンバー(グループ)の力が突出すると冒険的行動に出るから、それを抑制するためにみんなで力を合わせましょう、ということだ。
そのためには軍事力も高め攻撃力=抑止力を強化すべし、米国依存ではやがて亡国になりかねないよ、脳内ケンポーお花畑ではなく、リアルを見なさいという戦略、政策、理論、知見、智慧、良識、訓導である。
因みに今日、散歩がてらに書店を覗き、アインシュタインとフロイトの往復書簡「ひとはなぜ戦争をするのか」を立ち読みし、「人間は本能的に戦争、殺し合いが好きなのだ!」と妙に納得した。野中幸宏氏の書評から引用する。
アインシュタイン曰く「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!
破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。これこそ、戦争にまつわる複雑な問題の根底に潜む問題です。
平和への努力にあらがうものは「権力欲」、そしてこの「権力欲を後押しするグループ」で、金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄ります。
彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ません。個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのです。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとします。
私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。
なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです」
フロイト曰く「破壊欲動はどのような生物の中にも働いており、生命を崩壊させ、生命のない物質に引き戻そうとします。エロス的欲動が「生への欲動」をあらわすのなら、破壊欲動は「死の欲動」と呼ぶことができます。「死の欲動」が外の対象に向けられると「破壊欲動」になるのです。
人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない。ですから人間の攻撃性を戦争という形で発揮させなければよいのです。
心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。
二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。
文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方──これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません」(以上)
知性は欲望を支配するが、攻撃的にもなるし、宥和的にもなる。そもそも社会の行動様式、生活様式、価値観などの文化は集団によって大きく、あるいは微妙に異なったりする。
それを一つにまとめることができないのなら、「勢力均衡外交」で「手を出したらアンタの負けだぜ」と圧力、威圧をかけ、暴走、挑発、攻撃を抑止するのが良策だということだ。
核兵器がない国が核保有国に圧力を加えることはできない。
小生が習近平なら「抗議」(いやよ、やめて、そばにこないで)しかできない日本を叩きまくり(核ミサイルで沖ノ鳥島をピンポイント爆撃すれば効果絶大、速攻で白旗が揚がり、尖閣も無血開城、米軍もビビる)、東シナ海、西太平洋を制覇し、それから南シナ海、インド洋へと縄張りを広げるがなあ。
圧倒的多数の危機感のない人は東海省になっても屁の河童、日中会話辞典を買って五星紅旗を降り、「ああ戦争が終わって良かった!」、そんなものである、現状は。二度目は喜劇。(2020/7/20)
「どうなってるんだ、俺は知りたい!」、昔は痴的興奮好奇心、今は水気がなくなって枯れてきたので知的興奮好奇心だが、老いてますます執拗粘着質、血管が切れたりして。
「砧」はしゃれた字だが、布を叩いて柔らかくしたりシワを伸ばしたりする棒。北斎の娘、葛飾応為(おうい)の「月下砧打美人図」は秀逸だ。北斎が壁にぶつかって苦しんでいると、応為曰く――
「何事も“自分が及ばない”と、いやになる時が上達する時なのさ」
北斎も「まったくその通り」と感服したという。いやはや大した親娘だ。
嗚呼、名人、真打は遥かなり、せめて前座、二つ目、ただの変人奇人狂人でもいい、我、日出る処のトリカブトとなりて怨敵退散せばや!
都水道局のサイトで砧浄水場を調べてみた。
<明治時代を迎え、江戸から東京へと変わっても水道は依然として江戸時代のままでした。
しかし、上水路の汚染や木樋の腐朽といった問題が生じ、また消防用水の確保という観点からも、近代水道の創設を求める声が高まりました。さらに、明治19(1886)年のコレラの大流行は近代水道創設の動きに拍車をかけました。
こうして明治21(1888)年、東京近代水道創設に向けて具体的な調査設計が開始されました。
この水道は、玉川上水路を利用して多摩川の水を淀橋浄水場へ導いて沈でん、ろ過を行い、有圧鉄管により市内に給水するもので、明治31(1898)年12月1日に神田・日本橋方面に通水したのを始めとして、順次区域を拡大し、明治44(1911)年に全面的に完成しました>
感染病は歴史を変える! 砧浄水場は大正時代に整備されたようだ。多摩川の伏流水を原水として水道水にするため浄水処理を行っている。
東京都の水道は利根川・荒川水系が80%、多摩川水系が17%、相模川水系が3%。小生は相模の川で産湯を使い、多摩の川で育ち、揚子江の治水神として果てなん、とか・・・
国益入り乱れ濁り多き国際社会。「浄水、濾過」、極端な場合は「民族浄化」で積年の恨みをきれいさっぱり、とか、募る野望を実現、とはいかないものだ。2度の大戦の教訓か。
懲りない人もいるが大方は「過去は過去、私たちは恩讐の彼方に永世平和の世界を創るのよ!」。EUの理念は崇高だったろう。
しかし、幾星霜、イタリアなどは「俺は縛られたくない、自由にこの世を楽しみたいんだ。デキル奴だけがオイシイ思いをし、俺たちデキナイ坊主は宿題ばっかり、説教ばっかり食らう。規則、規則、規則・・・もううんざりだ!」。
犬猿の仲だった独仏がどうにか踏ん張っているが、歴史的に見ても独は「俺が正義だ」意識が強いから(英のEU離脱ではまるでいじめっ子だった)、アバウトな伊西ギリシャがEU離脱するならば「好きにしたらいい、出戻りは許さないからね」となるだろう。
独の「中共好き(独裁好き?)と米国嫌い」もあってEUの明日は読めない。大統領選という内乱状態の米国も「失禁ジョーの駄々洩れ」(紫禁城の黄昏のギャグ)になれば弱体化は必至だ。日本は・・・
ドゴール曰く「米国の保護に依存しようという国は、『自国の運命を自分で決める』という責任感、意思決定能力を失ってしまい、知的・精神的な不毛国家となる」。
中共の対日軍事攻勢、威嚇がどんどん露骨になっている今、日本ドースル連としては大いに心配だ。伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。
<冷戦後の米外交は顕著な失敗を繰り返して、国際的な支配力を失ってきた。しかも日本周囲の中露北は日米をターゲットとする核ミサイルを着々と増産してきた。
しかし日本の親米保守、護憲左翼の両陣営は、いつまで経っても1960年代と何も変わらぬ「対米依存ごっこ」「非核三原則ごっこ」「護憲ごっこ」を続けるだけである。
このように知的に停滞した日本を観察すると(上記の)ドゴールの指摘は100%正しかった」と思わざるを得ない。我々日本人がドゴールの外交思想と国家哲学から学べる教訓は多いのである>
貫氏は「バランス・オブ・パワー外交(以下、勢力均衡外交)こそが列強間の競争が戦争になるのを防ぐ唯一の戦略だ」と説く。
勢力均衡外交を小生なりに紹介する。
世界には150ほどの国があるが、国らしい国はG20の20か国のようだ。「G20は世界のGDPの90%ほどを占め、貿易総額は世界の80%。加盟国の総人口は世界の3分の2ほどになる」(WIKI)から、世界の趨勢は20か国で決まるといってよい。
実質的に政治・経済・軍事で力があるのはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、カナダ、インド、オーストラリア、中共、ロシア、韓国だろう。
戦後世界は米ソの二極支配で始まり、今は米中二極になってきたようだ。米連合は日英加印豪あたり、中共は一国のみだが韓・北が従うかもしれない。仏独露は旗幟を鮮明にしないが、どっちつかずの怪しい第三極になりそうだ(クセが強くて友達にはなりたくないなあ)。
米中の2大勢力のガチンコは、どちらが勝とうが大変動をもたらす。
中共が勝てば(米国が負ければ)世界は中共独裁下に置かれる。暗黒時代になる。中共が負ければ(米国が勝てば)14億の難民が世界を覆う。
さらに米国は「自分の国は自分で守れ、俺は余裕がないんだ、世界の警察官は辞めた」となるだろうから、特に露を警戒して各国は備えなければならなくなり、金欠でこれまた暗黒時代になる。
だから米中対立は「中共経済封鎖」という冷戦が一番いい。
<トランプ政権は5月20日に「中国に対する戦略的アプローチ報告書」を発表した。2017年の国家安全保障戦略に基づくもので、「中国とロシアが米国のパワー、影響、国益に挑戦しており、自由で公正な経済に反対し、情報を管理し、社会を抑圧し、自国の影響を強めようとしている」と分析。
競争相手を国際制度とグローバルな貿易に包含すれば、善意の信頼できるパートナーになるという前提は誤っており、そうした前提に基づく政策は再考しなければならないと論じている>(産経など)
米日英加印豪が利益を共有して中共封鎖をすれば、仏独露はそれに反対して(米国陣営に敵対して)中共を支援することはない(利が薄い)、それよりポスト中共での再生利権をねらうだろう、だから米国陣営は中共封鎖に全力を挙げ、仏独露からは協賛金を引き出すのがいい。
中共は経済封鎖に耐えられるか。2008年のリーマンショックの時は50兆円のインフラ投資で危機を乗り越え、世界の称賛を浴びたが、当時は外貨準備が潤沢だったから、ゴーストタウンでも景気回復に役立った。今は国外への資本逃避もあって外貨準備は低迷しているという。
それでも習近平は世界制覇へ向けて「無意味」としか思えない軍事的な圧力を続けていくのか。党の実力者からも習近平への反発は高まっており、「完全にイカレテいる」という声もあるとか。
このまま習近平が暴走すれば、鉄のカーテンの中で支那人は大好きな派閥抗争をし、新たな秩序(10か国とかに分裂)を創ることになるかもしれない。
共産主義への親和性が高く五四運動や辛亥革命でも暗躍した仏独露は喜んで新生支那づくりに手を貸し、やがて乗っ取ったりして・・・
話を戻すと、「勢力均衡外交」とは、特定メンバー(グループ)の力が突出すると冒険的行動に出るから、それを抑制するためにみんなで力を合わせましょう、ということだ。
そのためには軍事力も高め攻撃力=抑止力を強化すべし、米国依存ではやがて亡国になりかねないよ、脳内ケンポーお花畑ではなく、リアルを見なさいという戦略、政策、理論、知見、智慧、良識、訓導である。
因みに今日、散歩がてらに書店を覗き、アインシュタインとフロイトの往復書簡「ひとはなぜ戦争をするのか」を立ち読みし、「人間は本能的に戦争、殺し合いが好きなのだ!」と妙に納得した。野中幸宏氏の書評から引用する。
アインシュタイン曰く「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!
破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。これこそ、戦争にまつわる複雑な問題の根底に潜む問題です。
平和への努力にあらがうものは「権力欲」、そしてこの「権力欲を後押しするグループ」で、金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄ります。
彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ません。個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのです。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとします。
私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。「知識人」こそ大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。
なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです」
フロイト曰く「破壊欲動はどのような生物の中にも働いており、生命を崩壊させ、生命のない物質に引き戻そうとします。エロス的欲動が「生への欲動」をあらわすのなら、破壊欲動は「死の欲動」と呼ぶことができます。「死の欲動」が外の対象に向けられると「破壊欲動」になるのです。
人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない。ですから人間の攻撃性を戦争という形で発揮させなければよいのです。
心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。
二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。
文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方──これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません」(以上)
知性は欲望を支配するが、攻撃的にもなるし、宥和的にもなる。そもそも社会の行動様式、生活様式、価値観などの文化は集団によって大きく、あるいは微妙に異なったりする。
それを一つにまとめることができないのなら、「勢力均衡外交」で「手を出したらアンタの負けだぜ」と圧力、威圧をかけ、暴走、挑発、攻撃を抑止するのが良策だということだ。
核兵器がない国が核保有国に圧力を加えることはできない。
小生が習近平なら「抗議」(いやよ、やめて、そばにこないで)しかできない日本を叩きまくり(核ミサイルで沖ノ鳥島をピンポイント爆撃すれば効果絶大、速攻で白旗が揚がり、尖閣も無血開城、米軍もビビる)、東シナ海、西太平洋を制覇し、それから南シナ海、インド洋へと縄張りを広げるがなあ。
圧倒的多数の危機感のない人は東海省になっても屁の河童、日中会話辞典を買って五星紅旗を降り、「ああ戦争が終わって良かった!」、そんなものである、現状は。二度目は喜劇。(2020/7/20)