雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(38」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/148(2020/7/25/土】島崎藤村の「夜明け前」の書き出し。
<木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた>
名文だ、小生がひっくり返っても書けない。最初で読者の心をがっちりと掴む、掴んだら離さない、「お前は俺のもんだ、もう逃げられんぜ、ふっふっふっ・・・」。彼は道徳的に卑しい、女をもてあそんだ、と、もてなかった小生は思うが、まあ妬みだな。
修一の「ずーっと夜明け前」から。
<津久井道は多摩丘陵の谷間を縫うような上り坂から始まる。両側は平地が少なく、すぐに斜面であり、建物が密集している。歩道が整備されていず、歩いている人はまばらだ。自転車は一歩間違えば車道に転落するから難儀の上に危険である。一筋の街道は昔から旅人を苦しめたろう>
世田谷通は多摩川を越えると津久井道になる。分かれ目は多摩水道橋の中間で、[東京都←|→神奈川県]の境界線標識がある。米国でも州境には境界線標識があり、州警察や州兵は無断越境はしない。
こういう境界線を跨いでVサインするのは大体男である。跨ぎたい、両方とも俺のものにしたい、俺は征服者だ・・・本能だな。女は恥じらうのか、神様にお股を見せるのは不敬と思うのか、あまりやらないみたいだ。
取材で訪れた米国のユタ・アリゾナ・コロラド・ニューメキシコは「フォー・コーナーズ・リージョン」と呼ばれており、4州が一点で交わるところが観光ポイントになっている。
UNDER GOD FOUR STATES HERE MEET IN FREEDOM
記念碑の床にはこう刻まれており、両手両足の四つん這いで境界線を跨ぐ男の姿は豊穣を願う正常位そのもの。アメリカよ、永遠なれ!とか思うのかなあ。
この4州は1848年、米国がメキシコ(旧スペイン)から強奪したものである。世界は今でも「隙あらば侵略、強奪」「弱肉強食」が初期設定だ。国際社会も国内も「勝ち組」と「負け組」・・・
前回、こう書いた。
できない子でも「天職」に出会えればいいが、そもそも意欲とか忍耐力が低いのだろうか、現実には「転職」を重ねて、これという技能もなく、やがて貧困層になったりする。
子供をなしたにせよ、無知無芸、無為徒食と金欠は(ネグレクトで殺されなければ)子供に引き継がれ、何代にもわたって貧困(DNA)が継承されることもあるだろう。
こういう「落ちこぼれ」、特に若者のセイフティネット、受け皿は十分なのだろうか・・・と。
<若年無業者:15~34歳の非労働力人口のうち、家事も通学もしていない人。そのうち、「就業を希望していない」「就業を希望しているが求職活動をしていない」人をいう。ニートと同義にも用いられる。
厚労省調査で無業者数は2019年4月は22万人。2020年4月は91万人で70万人も多いが、増えた原因は恐らく「休校」だと考える>(育て上げリサーチ)
小生が精神科急性期病棟に入院していた時に出会ったTさん(38歳、元システムエンジニア)は「就業意欲ゼロ、引きこもり、親と上手くいっていないので別居して生活保護で一生暮らしたい」というニートで、入退院を繰り返していた。
90日間ルールで退院し、自宅で90日間を過ごすと再入院。これを繰り返していた。病院にとって患者は客だから、退院1週間後、1か月後でも「再入院ではなく、新患」として扱えば受け入れ可能とか。杓子定規では世の中は回らない、まあ臨機応変、ということだな。
Tさんは「生活保護を受けて親から独立したい」、つまり親から煙たがられ、居心地が悪いのだろうが、自力で働いて独立する気が全くない、というのは、スゴイのか、常識とか良識と無縁の世界の人のようだった。
「spicomi」というサイトから。
◆ニートになる人の原因8つ
1. 親にニートを養う経済力がある 2. ニートで家にいても居心地が良い 3. 過保護過干渉で育てられ精神的自立ができない 4. 過去の人間関係にトラウマがある 5. 中退や不登校など学生生活で躓きを経験した 6. 就職活動を失敗した 7. 社会に出て初めて挫折を味わった 8. ニートの脱出方法がわからない
◆ニートになる人の特徴5つ
1. 自己肯定感が低い 2. プライドが高過ぎる 3. コミュニケーション力が低い 4. 他力本願で受け身体質 5. 自分の人生への希望や意欲がない
◆ニートからの復帰対策4つ
1. ニート支援を受ける 2. アルバイトでも良いので働く 3. 仕事に直結する資格をとる 4. 在宅の仕事をする(以上)
そもそも「ニートからの復帰」をこれっぱかりも考えずにいるTさんのような人はどうしようもない。挫折なんてしたことないという人はまずいない。それを乗り越えよう、再挑戦しようという気がないのでは、周囲、社会が何をしようが無意味ではないのか。
「戸塚ヨットスクール」事件の際、ほとんどのマスコミ(リベラル≒アカモドキ≒アカ)は同校を叩きまくった。「ヒッキーは病気なんだから優しく見守るべきよ。それを暴力で鍛え直すなんて鬼、虐待、絶対許せない!」と集中爆撃したのだ。正論なんて言える状況ではなかった。
石原慎太郎「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長の言葉。
<戸塚ヨットスクールは、その厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、これまで様々な誤解と中傷に曝されて参りました。
しかしながら、同スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。
また、この事実を冷静に評価し分析する所から出発しなければ、戸塚ヨットスクール事件の真実も明らかにならないでしょう。
戸塚宏校長とコーチ達が3年余に及ぶ不当な弾圧をはねかえしてきたのも、同スクールの成果が、教育荒廃という名の文明病に病む日本にとって、かけがえのない価値を持つものであることを確信していたからに違いありません。
「戸塚ヨットスクール事件」が起きて以来すでに18年の歳月が流れていますが、当時も今も教育荒廃は何ひとつ改善されずにいます。鳴り物入りで発足した臨教審さえも教育荒廃の本質に迫った提言を成しえぬまま解散してしまった今、私達自身の手で真の教育改革を成し遂げることは、2l世紀に対する私達の責務であると信じます。
味覚の世界に「塩」というものがなかったなら、料理が味気なくなってしまうように、自己の深化を志向するある種のストイシズムを欠いた人生に人間の本当の喜びはないでしよう。これこそが今の教育に欠けているものです。そして、戸塚ヨットスクールが教えてれたものは、この「精神の塩」の価値にほかならないのだと思います。
私は、この“支援する会”に呼応し、「我々の手で教育改革を!」という真摯の叫びが、日本全国で澎湃として湧き上がって来んことを願ってやみません>
一口に「人間」と言うが、同じ民族、同じ人種であっても個性は千差万別だ。「人間は平等だ」というのは「人間は同じ」というのではなく、「機会は均等に与えられるべきだ」ということだろう。
しかし、それぞれが個性はあり、生まれ育ちも違い、金太郎飴ではない。「機会均等」と言っても現実にはスタートラインが違い、ゴールまでの距離が、ある人は50キロ、ある人は100キロ、200キロなどと異なっている。
米国ではそれを斟酌してマイノリティには試験で加点するなどの優遇措置を取っているが、今の黒人やアカの暴動を見ていると、キング牧師の「静かなる革命」から大きく後退しているように見える。後退どころか野蛮そのものだ。
同じ犬でもシェパードやプードルなど皆、個性があり、警官とともに働く犬、ご主人様の心を癒す犬など適材適所だ。人間も同様に、人種などによって得手不得手はあるだろう。
運動能力、音楽、学問、芸術、ビジネス・・・それぞれが個性とか天賦の才などを活かせるチャンスや再チャレンジの機会がある社会を目指すことが一丁目一番地で、それ以上の「やる気がない人まで救う」ようなセーフティネットは、その是非を含めて未来への永遠の課題ではないか。
ルソーの「人間不平等起源論」(1755年)はこう語る。
<自然状態の人間は自由平等に生活していたが、私有財産制とともに人間の欲望は増大して富の不平等を招き、世の中を戦争状態とした。そして不平等を永久の法とする富者の国家をつくった>(コトバンク)
この論はやがて米国独立戦争やフランス革命に影響を与え、バブーフ、マルクスなどの過激な「平等に憑かれた人々」を産み、明治維新、ロシア革命を始めとする近代革命に大きな影響を与えたようだ。
ただ、小生が思うに、人間はもともとが群れていた。大なり小なり群れていないと生きていけないからだ。狩猟採集の時代から群は縄張りを作り、合従連衡で群は大きくなり、さらに部族連合のような村になっていく。
私有財産も最初から「俺が作った武器、俺の茶わん、俺の服、俺の飾り」はあり、やがて村になると「武器係」「土器係」「被覆係」「食事係」「建築営繕係」、さらに「交易用名産品製造係」(保存食品など)などの班が作られ、村民の共有物になっていっただろう。
さらに定住農耕が始まれば「村の共同田んぼ」の他に、やる気を促すために「俺の田んぼ」が奨励されて普及していったろう。
(米大陸の先住民は移動生活だから土地所有の概念はなかったかもしれないが、ここは我らのシマだ=排他的経済圏、よそ者が来たら追い出す、という縄張り争いや戦争は日常茶飯事だったろう)
やがて部族連合はさらに大きくなり、戦争も規模が大きくなり、武力、統率力のあるものが統治し、領土や荘園という私有財産制が進んでいくが、日本では農民は基本的に農地を持つ。
私有(見返りがあるので必死に働く)が公有(見返りがないのでやる気なし)よりもはるかに生産性が高いことはソ連、中共、北の失敗が示している。
つまり私有財産制度や個人の能力による所得差異は自然であり、共産主義的=独裁的な公有制度や平等主義は不自然かつ、支配階級のみを潤す不平等制度だと断言できる。
私有財産制度/能力重視などは貧富の格差をもたらすが、その格差が大きくなりすぎると国家秩序や国民の紐帯が緩む、社会不安を高めることになるから、各国は税・福祉制度などで格差是正に努めている。
「できる人」のやる気をそがずに、かつ、夏彦翁の言う「できない坊主」=貧困層でも絶望することなく、それなりに気分良く暮らせるという政治が求められているのだろうが、それは結構「未知との遭遇」であり、誰もが「イイね!」というモデルがないから、とても難しい。
北欧の「福祉国家」はしばしば称賛されるが、高福祉=高負担である。少子高齢化で納税者が減っていく中で高福祉は無理筋という見方もある。日本や米国の保守層は「小さな政府がいい、基本的に国民は自助努力を」というスタンスだ。
福祉を手厚くする「バラマキ政策=増税」だと勤労意欲が衰え、企業のヤル気もそがれるリスクがある(高税に耐えかねて外国へ移転)。先進国の場合はそのために軍事力が弱まり、中露北という札付きの危険国家に接している日本などはますます脆弱になってしまうことになる。亡国になったら流浪の民、福祉もクソもない。
人間はちっとも成長しないから、バカなことをし、懲りて、やがて忘れ、またバカなことをする、その繰り返し、それが初期設定。だから先人から学ぶことは多いのだ。(学ばないのも初期設定、偉人賢人の子は皆凡人)
伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。
<1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となったビスマルク。多くのリベラル派にとって彼は「無節操なオポチュニスト」「冷酷非情なマキャベリスト」である。
しかし保守派、特に国際政治学のリアリスト派にとってビスマルクは「軍事力を使うべき時と使うべきではない時を明瞭に峻別する能力があった。稀に見る理性的なリアリスト」なのである。
過去500年間の国際政治をどう見るか。
リアリスト派は「勢力均衡外交」の視点から見る。リベラル派は、自由主義対権威主義、民主主義対軍国主義、社会主義対資本主義といった「イデオロギー、主義」の視点から見る。だからビスマルク外交に対する評価は正反対になる>
なんと明治期の日本はビスマルクから巨大な影響を受けているそうだ。ちっとも知らなかった。
<1873年3月、訪欧中の岩倉使節団はベルリンにおいてビスマルク宰相から招かれた。伊藤博文と大久保利通も同行した。その席でビスマルクはこうアドバイスしたのである。
「諸君は、列強諸国と結んだ不平等条約の改定を目指しておられるという。しかし欧米列強が『日本は近代的な法制度を整備した』という理由だけで、日本との条約改定に応じるかどうかは疑問がある。
国際法は、諸国の権利を保護する不変の取り決めだと言われている。しかし列強諸国は、自国の利益になるときは国際法や条約を守るが、自国の利益にならないと思えば、あっさりそれを無視して武力に訴える。
諸君、それが国際社会の現実である。欧米列強は礼儀正しく他国と交際しているように見えるが、そんなものは表面的な振る舞いにすぎず、実際には弱肉強食が国際関係の真の姿である。
プロイセンも昔は、現在の諸君たちと同様に貧乏な弱小国であった。我々は数多くの屈辱を味わわされた。私はあの頃のことを決しれ忘れていない。
諸君は国際法や条約のことばかり気にするよりも、富国強兵して実力をつけることに尽力していただきたい。諸君は実力をつけて独立を守るべきだ。そうしないと、列強の植民地獲得競争の餌食になってしまうかもしれない」
岩倉使節団一行は、このアドバイスを聞いて驚いた。彼らはそれまで、欧米諸国の政府高官たちから数多くの助言を聞いてきたが、ビスマルクのように率直に、しかも友好的で快活な態度で国際政治の現実を説明してくれる列強指導者に会ったのは初めてのことだったからである。
「近代的な法制度を整備しても、日本に実力がない限り、欧米諸国は日本を対等な国として扱わないだろう。諸君は実力をつけることを優先したまえ」
(剥き出しの)ブルータルなまでに率直なビスマルクの助言は、岩倉使節団を奮い立たせた>
初心な中学生に海千山千のお姉さんがタバコをふかしながら、
「そう、アンタ、卒業したら東京へ行くの・・・みんな夢見て東京へ行くけど、誘惑多いところだから、失敗して消えちゃう人、多いよねえ、アンタ、可愛いから女でしくじりそうね・・・いいわ、卒業記念に女のトリセツ、教えてあげるわ。こっちへいらっしゃい・・・大丈夫よ、とって食うわけじゃないんだから。女の扱い方を知っておかないとね、騙されて一生を棒に振ったりするのよ・・・そう、こっちに腕を回して・・・いい匂いするわ、若いっていいわね、夢の匂い・・・まずキッスからね・・・初心ねえ、大人のキッスから教えてあげるわ・・・」
先輩の課外授業は実にタメになる。
ま、日本は国際舞台では初心な新人だったわけ。色々あって永らく異人さんのオンリーになっているけれど、風雲急を告げる今は再デビューのチャンス、♪昔の名前で出ています・・・緊急出版「中共後の支那と世界」、絶対売れるぜ!(2020/7/25)
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/148(2020/7/25/土】島崎藤村の「夜明け前」の書き出し。
<木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた>
名文だ、小生がひっくり返っても書けない。最初で読者の心をがっちりと掴む、掴んだら離さない、「お前は俺のもんだ、もう逃げられんぜ、ふっふっふっ・・・」。彼は道徳的に卑しい、女をもてあそんだ、と、もてなかった小生は思うが、まあ妬みだな。
修一の「ずーっと夜明け前」から。
<津久井道は多摩丘陵の谷間を縫うような上り坂から始まる。両側は平地が少なく、すぐに斜面であり、建物が密集している。歩道が整備されていず、歩いている人はまばらだ。自転車は一歩間違えば車道に転落するから難儀の上に危険である。一筋の街道は昔から旅人を苦しめたろう>
世田谷通は多摩川を越えると津久井道になる。分かれ目は多摩水道橋の中間で、[東京都←|→神奈川県]の境界線標識がある。米国でも州境には境界線標識があり、州警察や州兵は無断越境はしない。
こういう境界線を跨いでVサインするのは大体男である。跨ぎたい、両方とも俺のものにしたい、俺は征服者だ・・・本能だな。女は恥じらうのか、神様にお股を見せるのは不敬と思うのか、あまりやらないみたいだ。
取材で訪れた米国のユタ・アリゾナ・コロラド・ニューメキシコは「フォー・コーナーズ・リージョン」と呼ばれており、4州が一点で交わるところが観光ポイントになっている。
UNDER GOD FOUR STATES HERE MEET IN FREEDOM
記念碑の床にはこう刻まれており、両手両足の四つん這いで境界線を跨ぐ男の姿は豊穣を願う正常位そのもの。アメリカよ、永遠なれ!とか思うのかなあ。
この4州は1848年、米国がメキシコ(旧スペイン)から強奪したものである。世界は今でも「隙あらば侵略、強奪」「弱肉強食」が初期設定だ。国際社会も国内も「勝ち組」と「負け組」・・・
前回、こう書いた。
できない子でも「天職」に出会えればいいが、そもそも意欲とか忍耐力が低いのだろうか、現実には「転職」を重ねて、これという技能もなく、やがて貧困層になったりする。
子供をなしたにせよ、無知無芸、無為徒食と金欠は(ネグレクトで殺されなければ)子供に引き継がれ、何代にもわたって貧困(DNA)が継承されることもあるだろう。
こういう「落ちこぼれ」、特に若者のセイフティネット、受け皿は十分なのだろうか・・・と。
<若年無業者:15~34歳の非労働力人口のうち、家事も通学もしていない人。そのうち、「就業を希望していない」「就業を希望しているが求職活動をしていない」人をいう。ニートと同義にも用いられる。
厚労省調査で無業者数は2019年4月は22万人。2020年4月は91万人で70万人も多いが、増えた原因は恐らく「休校」だと考える>(育て上げリサーチ)
小生が精神科急性期病棟に入院していた時に出会ったTさん(38歳、元システムエンジニア)は「就業意欲ゼロ、引きこもり、親と上手くいっていないので別居して生活保護で一生暮らしたい」というニートで、入退院を繰り返していた。
90日間ルールで退院し、自宅で90日間を過ごすと再入院。これを繰り返していた。病院にとって患者は客だから、退院1週間後、1か月後でも「再入院ではなく、新患」として扱えば受け入れ可能とか。杓子定規では世の中は回らない、まあ臨機応変、ということだな。
Tさんは「生活保護を受けて親から独立したい」、つまり親から煙たがられ、居心地が悪いのだろうが、自力で働いて独立する気が全くない、というのは、スゴイのか、常識とか良識と無縁の世界の人のようだった。
「spicomi」というサイトから。
◆ニートになる人の原因8つ
1. 親にニートを養う経済力がある 2. ニートで家にいても居心地が良い 3. 過保護過干渉で育てられ精神的自立ができない 4. 過去の人間関係にトラウマがある 5. 中退や不登校など学生生活で躓きを経験した 6. 就職活動を失敗した 7. 社会に出て初めて挫折を味わった 8. ニートの脱出方法がわからない
◆ニートになる人の特徴5つ
1. 自己肯定感が低い 2. プライドが高過ぎる 3. コミュニケーション力が低い 4. 他力本願で受け身体質 5. 自分の人生への希望や意欲がない
◆ニートからの復帰対策4つ
1. ニート支援を受ける 2. アルバイトでも良いので働く 3. 仕事に直結する資格をとる 4. 在宅の仕事をする(以上)
そもそも「ニートからの復帰」をこれっぱかりも考えずにいるTさんのような人はどうしようもない。挫折なんてしたことないという人はまずいない。それを乗り越えよう、再挑戦しようという気がないのでは、周囲、社会が何をしようが無意味ではないのか。
「戸塚ヨットスクール」事件の際、ほとんどのマスコミ(リベラル≒アカモドキ≒アカ)は同校を叩きまくった。「ヒッキーは病気なんだから優しく見守るべきよ。それを暴力で鍛え直すなんて鬼、虐待、絶対許せない!」と集中爆撃したのだ。正論なんて言える状況ではなかった。
石原慎太郎「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長の言葉。
<戸塚ヨットスクールは、その厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、これまで様々な誤解と中傷に曝されて参りました。
しかしながら、同スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。
また、この事実を冷静に評価し分析する所から出発しなければ、戸塚ヨットスクール事件の真実も明らかにならないでしょう。
戸塚宏校長とコーチ達が3年余に及ぶ不当な弾圧をはねかえしてきたのも、同スクールの成果が、教育荒廃という名の文明病に病む日本にとって、かけがえのない価値を持つものであることを確信していたからに違いありません。
「戸塚ヨットスクール事件」が起きて以来すでに18年の歳月が流れていますが、当時も今も教育荒廃は何ひとつ改善されずにいます。鳴り物入りで発足した臨教審さえも教育荒廃の本質に迫った提言を成しえぬまま解散してしまった今、私達自身の手で真の教育改革を成し遂げることは、2l世紀に対する私達の責務であると信じます。
味覚の世界に「塩」というものがなかったなら、料理が味気なくなってしまうように、自己の深化を志向するある種のストイシズムを欠いた人生に人間の本当の喜びはないでしよう。これこそが今の教育に欠けているものです。そして、戸塚ヨットスクールが教えてれたものは、この「精神の塩」の価値にほかならないのだと思います。
私は、この“支援する会”に呼応し、「我々の手で教育改革を!」という真摯の叫びが、日本全国で澎湃として湧き上がって来んことを願ってやみません>
一口に「人間」と言うが、同じ民族、同じ人種であっても個性は千差万別だ。「人間は平等だ」というのは「人間は同じ」というのではなく、「機会は均等に与えられるべきだ」ということだろう。
しかし、それぞれが個性はあり、生まれ育ちも違い、金太郎飴ではない。「機会均等」と言っても現実にはスタートラインが違い、ゴールまでの距離が、ある人は50キロ、ある人は100キロ、200キロなどと異なっている。
米国ではそれを斟酌してマイノリティには試験で加点するなどの優遇措置を取っているが、今の黒人やアカの暴動を見ていると、キング牧師の「静かなる革命」から大きく後退しているように見える。後退どころか野蛮そのものだ。
同じ犬でもシェパードやプードルなど皆、個性があり、警官とともに働く犬、ご主人様の心を癒す犬など適材適所だ。人間も同様に、人種などによって得手不得手はあるだろう。
運動能力、音楽、学問、芸術、ビジネス・・・それぞれが個性とか天賦の才などを活かせるチャンスや再チャレンジの機会がある社会を目指すことが一丁目一番地で、それ以上の「やる気がない人まで救う」ようなセーフティネットは、その是非を含めて未来への永遠の課題ではないか。
ルソーの「人間不平等起源論」(1755年)はこう語る。
<自然状態の人間は自由平等に生活していたが、私有財産制とともに人間の欲望は増大して富の不平等を招き、世の中を戦争状態とした。そして不平等を永久の法とする富者の国家をつくった>(コトバンク)
この論はやがて米国独立戦争やフランス革命に影響を与え、バブーフ、マルクスなどの過激な「平等に憑かれた人々」を産み、明治維新、ロシア革命を始めとする近代革命に大きな影響を与えたようだ。
ただ、小生が思うに、人間はもともとが群れていた。大なり小なり群れていないと生きていけないからだ。狩猟採集の時代から群は縄張りを作り、合従連衡で群は大きくなり、さらに部族連合のような村になっていく。
私有財産も最初から「俺が作った武器、俺の茶わん、俺の服、俺の飾り」はあり、やがて村になると「武器係」「土器係」「被覆係」「食事係」「建築営繕係」、さらに「交易用名産品製造係」(保存食品など)などの班が作られ、村民の共有物になっていっただろう。
さらに定住農耕が始まれば「村の共同田んぼ」の他に、やる気を促すために「俺の田んぼ」が奨励されて普及していったろう。
(米大陸の先住民は移動生活だから土地所有の概念はなかったかもしれないが、ここは我らのシマだ=排他的経済圏、よそ者が来たら追い出す、という縄張り争いや戦争は日常茶飯事だったろう)
やがて部族連合はさらに大きくなり、戦争も規模が大きくなり、武力、統率力のあるものが統治し、領土や荘園という私有財産制が進んでいくが、日本では農民は基本的に農地を持つ。
私有(見返りがあるので必死に働く)が公有(見返りがないのでやる気なし)よりもはるかに生産性が高いことはソ連、中共、北の失敗が示している。
つまり私有財産制度や個人の能力による所得差異は自然であり、共産主義的=独裁的な公有制度や平等主義は不自然かつ、支配階級のみを潤す不平等制度だと断言できる。
私有財産制度/能力重視などは貧富の格差をもたらすが、その格差が大きくなりすぎると国家秩序や国民の紐帯が緩む、社会不安を高めることになるから、各国は税・福祉制度などで格差是正に努めている。
「できる人」のやる気をそがずに、かつ、夏彦翁の言う「できない坊主」=貧困層でも絶望することなく、それなりに気分良く暮らせるという政治が求められているのだろうが、それは結構「未知との遭遇」であり、誰もが「イイね!」というモデルがないから、とても難しい。
北欧の「福祉国家」はしばしば称賛されるが、高福祉=高負担である。少子高齢化で納税者が減っていく中で高福祉は無理筋という見方もある。日本や米国の保守層は「小さな政府がいい、基本的に国民は自助努力を」というスタンスだ。
福祉を手厚くする「バラマキ政策=増税」だと勤労意欲が衰え、企業のヤル気もそがれるリスクがある(高税に耐えかねて外国へ移転)。先進国の場合はそのために軍事力が弱まり、中露北という札付きの危険国家に接している日本などはますます脆弱になってしまうことになる。亡国になったら流浪の民、福祉もクソもない。
人間はちっとも成長しないから、バカなことをし、懲りて、やがて忘れ、またバカなことをする、その繰り返し、それが初期設定。だから先人から学ぶことは多いのだ。(学ばないのも初期設定、偉人賢人の子は皆凡人)
伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。
<1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となったビスマルク。多くのリベラル派にとって彼は「無節操なオポチュニスト」「冷酷非情なマキャベリスト」である。
しかし保守派、特に国際政治学のリアリスト派にとってビスマルクは「軍事力を使うべき時と使うべきではない時を明瞭に峻別する能力があった。稀に見る理性的なリアリスト」なのである。
過去500年間の国際政治をどう見るか。
リアリスト派は「勢力均衡外交」の視点から見る。リベラル派は、自由主義対権威主義、民主主義対軍国主義、社会主義対資本主義といった「イデオロギー、主義」の視点から見る。だからビスマルク外交に対する評価は正反対になる>
なんと明治期の日本はビスマルクから巨大な影響を受けているそうだ。ちっとも知らなかった。
<1873年3月、訪欧中の岩倉使節団はベルリンにおいてビスマルク宰相から招かれた。伊藤博文と大久保利通も同行した。その席でビスマルクはこうアドバイスしたのである。
「諸君は、列強諸国と結んだ不平等条約の改定を目指しておられるという。しかし欧米列強が『日本は近代的な法制度を整備した』という理由だけで、日本との条約改定に応じるかどうかは疑問がある。
国際法は、諸国の権利を保護する不変の取り決めだと言われている。しかし列強諸国は、自国の利益になるときは国際法や条約を守るが、自国の利益にならないと思えば、あっさりそれを無視して武力に訴える。
諸君、それが国際社会の現実である。欧米列強は礼儀正しく他国と交際しているように見えるが、そんなものは表面的な振る舞いにすぎず、実際には弱肉強食が国際関係の真の姿である。
プロイセンも昔は、現在の諸君たちと同様に貧乏な弱小国であった。我々は数多くの屈辱を味わわされた。私はあの頃のことを決しれ忘れていない。
諸君は国際法や条約のことばかり気にするよりも、富国強兵して実力をつけることに尽力していただきたい。諸君は実力をつけて独立を守るべきだ。そうしないと、列強の植民地獲得競争の餌食になってしまうかもしれない」
岩倉使節団一行は、このアドバイスを聞いて驚いた。彼らはそれまで、欧米諸国の政府高官たちから数多くの助言を聞いてきたが、ビスマルクのように率直に、しかも友好的で快活な態度で国際政治の現実を説明してくれる列強指導者に会ったのは初めてのことだったからである。
「近代的な法制度を整備しても、日本に実力がない限り、欧米諸国は日本を対等な国として扱わないだろう。諸君は実力をつけることを優先したまえ」
(剥き出しの)ブルータルなまでに率直なビスマルクの助言は、岩倉使節団を奮い立たせた>
初心な中学生に海千山千のお姉さんがタバコをふかしながら、
「そう、アンタ、卒業したら東京へ行くの・・・みんな夢見て東京へ行くけど、誘惑多いところだから、失敗して消えちゃう人、多いよねえ、アンタ、可愛いから女でしくじりそうね・・・いいわ、卒業記念に女のトリセツ、教えてあげるわ。こっちへいらっしゃい・・・大丈夫よ、とって食うわけじゃないんだから。女の扱い方を知っておかないとね、騙されて一生を棒に振ったりするのよ・・・そう、こっちに腕を回して・・・いい匂いするわ、若いっていいわね、夢の匂い・・・まずキッスからね・・・初心ねえ、大人のキッスから教えてあげるわ・・・」
先輩の課外授業は実にタメになる。
ま、日本は国際舞台では初心な新人だったわけ。色々あって永らく異人さんのオンリーになっているけれど、風雲急を告げる今は再デビューのチャンス、♪昔の名前で出ています・・・緊急出版「中共後の支那と世界」、絶対売れるぜ!(2020/7/25)