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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(36」

2020-07-22 20:20:24 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(36」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/146(2020/7/22/水】散歩は大事な趣味である。やがて小生は「徘徊老人」と呼ばれるのか。今のところは「徘徊自転車老人」だな。


<「徘徊」1)目的もなく、うろうろと歩きまわること。うろつくこと。 「夜の巷を-する」


2)葛藤からの逃避、精神病・認知症などにより、無意識のうちに目的なく歩きまわること。


「漫ろ歩き(そぞろあるき)、漫歩」特にこれという目的もなく、ぶらぶらと歩き回ること。散歩。 「夏の夜の-」 「満開の桜の下を-する」>


小生の場合は精神病も影響している。医者は鬱病と言うが、小生自身では自閉スペクトラム(ASD)であり、「強いこだわり、限られた興味、引き籠もり、対人恐怖症、うつ病」という代表的な症状に合致している。


非常に高い粘着性があり、そのため「葛藤と知的興奮を求めて目的意識的に」徘徊する感じ。「青春彷徨」ならぬ「老人彷徨」・・・でも個人的な悩みがあまりないから敢えて病名を付ければ「多動愉快性浮浪的トム&ハック症候群」あたりか。


同じ「歩く老人」でも、徒歩で日本制覇、伊能忠敬先生は偉かった!


<養子先の家業を大いに盛り上げ、49歳で隠居して江戸に出た。伊能忠敬(ただたか)が第二の人生で挑んだのは、日本地図の作製である。55歳から17年にわたって全国を測量行脚して、約440種類のいわゆる伊能図を残した。


歩いた距離は4万キロにも及ぶ。まさに「四千万歩の男」である。伊能図が一般に出回るようになったのは、忠敬が亡くなって半世紀後の明治になってからだった。その正確さは外国人を驚かせた>(産経7/2)


江戸時代の55歳は今なら75歳あたり、完璧な老人だ。当時の現役男は1日(10時間)に40~50キロ歩くのは当たり前、健脚だったが、小生は自転車で20キロが精一杯だ。徒歩なら4キロで確実にダウンする。


晩年を世のため人のために尽くすなんて立派なことはできないが、老いたイタズラ坊主として多少でも「へえー、面白いね」という話をしたいものだ。


今日のテーマは「道とか路」。道代ちゃん、路子ちゃんは達者だろうか・・・未練たらたら。それはさておき――


道路は法律では一般道から高速道まで20種類ほどに分類されるとか。普通車がすれ違いできないような道は「路地」と言うようだ。


<路地は、狭義には密集市街地などに形成される狭い道や家と家の間の狭い道、通路などをいう>(WIKI)


当たり前だが道は人類以前からある。獣道(けものみち)とかは今でもある。習近平のオツムは、


俺は神 おまいら獣 ただのクズ 黙って俺の 指示に従え   


一方で世界は、


習近平 ひたすら目指す 世界革命 王道はずれ ただ獣道


習近平は中坊で下放されド田舎の寒村の洞窟で青春期を過ごす。教科書は毛語録と毛沢東選集。すっかり洗脳され韜光養晦、権力を握ると一気に世界赤化へ突き進んだ。確信犯的野獣だから誰かが「野獣死すべし」、とどめを刺すしかないのではないか。閑話休題。


<大型哺乳類は、やみくもに森林内を行き来するのではなく、それなりにコースを決めて移動する。動物はそれぞれの習性によって、エサをとる場所や水を飲む場所などか決まっている。これが獣道になる。


動物に果実を食べさせて中にある種子を運ばせたりする戦略を取っている植物が獣道沿いに分布を広げているケースもある。動物が食べた果実の種子が運ばれて発芽した場合、獣道沿いに餌場ができるので、ますます経路が固定化するとの指摘もある。


人がつくる道路のルーツをたどれば、それが「けもの道」だといわれる。太古の人間は、動物が作った獣道をたどれば、歩きやすくて獲物となる動物を見つけやすいと考え、獣道をたどって歩くようになった。


踏み固めたり、手を加えられて歩きやすく幅広く作られて路(みち)となり、やがて人間が歩くための道路が作られていったとも考えられている>(WIKI)


林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそ こひしけれ(島崎藤村「初恋」)


美味しいものを探すうちに道ができるわけだ。夜道はヤバイね。


辿り着いたは「夜の街」、脂粉と酒でその気になって、骨の髄までしゃぶられて、財布は空っぽ、おまけはコロナの禁足令、夜の新宿、なみだ恋・・・


何百年、何千年あるいは何万年もかけて自然にできた、概ね路地のような道は大体がクネクネしており、行き止まりも多い。実に歴史を感じさせてくれ、昔はこんなところを歩いていたんだなあ、とか、「あっ、立派なお寺、こんな所に丸山教本庁があるなんて!」などと発見することも多い。


人も車もあまり見かけない路地や路地裏、迷路や古道、栄耀栄華の面影・・・失われゆくものへの親しみ、哀惜にどっぷり浸るチャリ散歩。


老化劣化が進んでチャリがダメでも電動カートがあれば間に合うだろう。肝心なのは「飽くことを知らない好奇心」ではあるまいか。


(それと地図&磁石! 昨日は津久井道探索の帰路に迷ってしまい、ちょっと心細かった。迷子の迷子の子猫ちゃん、そんな気分になれるのも面白いが・・・「どうされました?」「ボク、迷子になっちゃんたんです」(涙ポロリ)、かくして恋が芽生えたり・・・)


伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。貫氏は「バランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)こそが列強間の競争が戦争になるのを防ぐ唯一の戦略だ」と説く。


<国際政治は古代ギリシャ・ローマ時代から現在まで、常にアナーキーであった。


強制執行力を持つ世界政府、世界立法院、世界裁判所、世界警察軍が一度も存在しなかった無政府状態だった。


米中露イスラエルのような核武装した軍事強国が、他国や民族に対して国際法違反の侵略戦争や戦争犯罪を実行しても、国連や世界の諸政府は犠牲者を保護する能力を持っていない。


2500年前も現在も、強力な軍事国が侵略戦争を始めると、誰もそれを止められないのである。


このように無政府的で不安定な国際政治状況を少しでも安定させるため、世界諸国は「勢力均衡」の維持に努める必要がある。


西洋では17世紀中頃から第一次世界大戦まで(19世紀初頭のナポレオン戦争を例外として)諸大国の外交家は「勢力均衡」の維持に努めた。そのために欧州諸国は大戦争の勃発を防ぐことができた>


例えば船。皆が一方、例えば舳先とか艫(とも)、右舷あるいは左舷に集中したら、ちょっとした波で沈没しかねない。現役時代「ドキュメント キャセイ航空の24時間」を取材した際、航空機の貨物搭載で行われているコンピュータ利用の作業には感動した。


<航空機は三次元を飛行する物体ですので、航空機のバランスには重量と同様に細心の注意が必要です。大体の航空機は主翼の付け根あたりに重心があるのですが、安全運航を行うために重心からどれだけ離れても安全飛行が可能となるという基準があります。


航空機重量とバランスを考えて安全飛行を行うための重量決定及び搭載物の搭載位置を決定するのが Weight & Balance です。日本の航空業界では"ウエバラ"と呼ばれていますが、各フライトで必ず行われ、出発前には機長の承認を得なければなりません>(「蒼空に近づきたくて」)


「重心位置移動許容範囲に収まるようコンテナ、パレットの重量の分布を操作」しているわけだ。


国際社会が迷走、失速、墜落しないように、それなりに戦力バランスをとって行こうというのがバランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)だということ。


日本が“イイコブリッコ”して「私は平和国家よ、他国に脅威を与えるような核兵器や攻撃力は持ちません、善意を信じてます」という戦略は、実は敵性国家を挑発するに等しく、平和どころか教唆扇動、戦争を使嗾する身勝手そのものだ。


餓狼の前でスッポンポンになって「ね、私は危険な武器は持ってないでしょ、だから手を出さないでね」。


これってほとんどバカかキチ〇イだ。年老いた狼だってムラムラして「ええい、ままよ! あっちが役立たずとも、舌技がある、イザ!」ってなるわな。


それを承知で「裸で歩け、できる限り薄着にしろ」という人々は、アカの走狗で、少なくとも中共、北の味方、赤色革命で美味しい思いをしたいというトンデモ人種、ケダモノ、獣、ムジナ、ウイルスの類だ。


同志諸君、縄張りを守るには抑止効果を高めなければならない、友好国と協力して戦力のバランスを図らなければならない。後の祭りと泣く前に「勢力均衡外交」を学ぶべし。アジアは日の出を待っている。(2020/7/22)