日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

騙された⁉︎

2019-01-22 23:56:12 | 発達応援
宇宙ステーションキボウが、夜になりかけた空に見えました。



おいおい、どれだよ?って?コレです。



明日も見えるみたいですから、夜空を仰いで見るといいかもしれませんね。

私が学校で凸凹っ子たちの支援を始めたとき、この子たちは、何が困ってる?どういう凸凹なの?と手探りでした。だから、頼るべきは本で色々な本を読みました。本には「生まれつきの脳の機能障害」ということが書いてありました。

その頃、脳梗塞になった方の治療をしている、という病院が鹿児島にあり、その番組を私は見ていました。脳梗塞で脳の機能が失われても治療によって機能が回復していくなら、凸凹っ子の「生まれつきの脳の機能障害」というものも何か方法があるんじゃないの?どっちも脳のバグだし、と良くも悪くも楽観的短略的に思い、更に本を読み漁り、コレだ!と思ったことは学びに行きました。

そして、幾歳月。

2013年米国精神医学会の新しい診断基準DSM-5で、神経発達障害の項目が設けられて、発達障害は脳の機能障害ではないということになりました。

脳から神経へ。それを知ってこれまでも、凸凹っ子ができるようになる道筋、なんかあるよなーと色々学びつつやっていたの、この解釈の変化を知ったとき、とっかかりが増えそうな感じが増すなぁ、というのが私が抱いた感想でした。

でも、テレビで発達障害の特集があると「発達障害は生まれつきの脳の機能障害で云々」と言われます。おかしーなー。

更に、発達障害は治らないから、周りが理解したり、配慮したり、本人に無理させちゃいけないと言います。

おかしーなー。支援員してたとき、めっちゃ勉強させてたし。居残りもさせてたし。宿題もめっちゃ出してたし。でも、やってたよ、子どもたち。そんなことを思いつつ数年過ごしてきました。

そしたら、DSM-5の原文を花風社の浅見さんが読まれたそうです。なんと、原書には「生まれつき」なんてどこにも書いてないらしい(°▽°)さらに、どちらかというとそれを否定しているような気配もあるらしい…。また「知的障害も状態像が消えることがあると書いてある」とのこと。

神経発達障害とは解放である、という講座やります

嗚呼!発達障害に関わる人で原文に当たる力がない者は、長年、騙されていたのか!?何のための情報操作でしょうか。

それでも、発達障害は「生まれつきの脳の機能障害」と、それも個性の一部とお子さんをありのままにしておきますか?

支援者のあり方もですが、親御さんがどんな方針でお子さんを育まれていくのかも問われています。

何を選び、どうするか。
真剣に選び、実行するときです。




青写真。

2019-01-21 11:15:01 | 発達応援
 今日はとても暖かいおいどん県です。
居間の日なたで太陽の陽にあたると「昨日まで沖縄だったんだ〜」と思い顔がほころびます。


 たった一回の沖縄で、私は沖縄がとても好きになったみたいです。

 沖縄で、新刊の著者、すべてそろっての講演会と講座があるとの告知を見たとき、本当にすごいな、と主催者の方の気概に圧倒されました。

 そして、そのテーマを見たときに、私が思ったことは、これは私の関わるお子さんや保護者さん、また、色々なところで凸凹っ子、人と関わる方にも聞いて欲しい!実践して欲しい!ということでした。

 だから今回、自分が学びに行くと同時に、
鹿児島で講座講演会をするときの青写真を得たいという気持ちで沖縄に出かけて行きました。

 でも正直にいうと、講演会も講座もハズレなし!と思っての旅でした。それは、これまでの花風社主催の著者の講座、講演会に出かけて行ってハズレがなかったからです。

 花風社の著者で唯一のハズレの講座は、あの、悪夢のぐだぐだ講座だけですが、あれは花風社主催ではありませんでした。

 悪夢のぐだぐだ講座については、こちらをごらんください。

 そんな風で、今回も青写真を得たいと思いつつも、自分の仕事に活かす種を見つけるべく、大船に乗った気持ちで講演会と講座で学ぶ姿勢で沖縄入りしていました。

 まずは講演会が始まり、前半の浅見さんの自閉症や発達障害の方々との「真剣に共存を考える」という思いを受け、次に『元刑事が見た発達障害 真剣に共存を考える』の著者榎本さんの講演が始まりました。

 榎本さんの講演は「元刑事が見た発達障害〜自由に生きていくためにこそ社会のルールを知っておこう〜」という内容でした。

 発達障害のみならず、非行に走る子どもたちが全国より高い水準にある沖縄で、本当に身近に、差し迫って知っておきたい人が多いテーマだろうなぁと、主催者さんの地域に寄せる強い思いを感じさせるものでした。

 榎本さんは元刑事で、発達障害のお子さんの支援職の経験もあり、また、塾、予備校的なところでの経験もあります。経歴から考えて、親御さん目線にも、お子さん視線にも、思春期まっただなかの世代に向けても語りかけられる、そんな力を持っている方と思うので、どんな切り口で話をされるか、私はとても楽しみにしていました。

 講演内容は、昨日も書いたように、
「何をすれば問題行動になるかということを明確にお話しくださった」ものでした。
聴衆目線で書くならば、そこが最も聞きたいところですから、評価としては「可」です。

 ただ、鹿児島での講演会の青写真を…と思っていた、主催者目線での感想は、この講演はなしだな、というものでした。

 なぜなら、本を読む以上のおみやげがなかったからです。

 これまで、私が主催した講演会では、講演会の意図をお話ししてくださる方に伝え、
なぜ、その内容を求めているのかの思いも聞いていただいて、それに基づいて、お話をしてくださる方が内容を考えてくださって、さらに、その内容を確認し…、と前もって何回かやり取りをして練り上げてくださったものをお話しいただいていました。

 それは、鹿児島に住んでいるとはいうものの、
無名のどこの馬の骨かもわからない私が主催する講演会の題をどこかで見て、「聞きたい!」と思ってわざわざ足を運んでくださる方々の突き動かされる思いを感じ、また、聴衆の方からいただく講演会費、時間、など、たくさんの有形無形の費用がかかっていることへの責任があるからです。

 主催者としては、わざわざ足を運んでいただくのだから「来て本当に良かった!」と、来てくださった方が次へ動き出すヒントを家で本を読む以上におみやげにもって帰っていただきたい!との思いがあります。本以上の+αがないならば、わざわざ講演会を開く必要性を私は感じません。

そして決定打となったのは、会場で感じた率直に感じた話の着地点がわからない迷路に迷ったような講演会だったことです。ただ、こっち!と浅見さんがとっさの機転で手を引っ張ってくださったから、辛うじてゴールはしたのですが。
 
こんな風で、鹿児島での講演会の青写真はちょっとしばらく、寝かせておこうと思いました。

 実技の講座については、本当に、とても充実していました。初めて接する護道は、本を読み込んでいたおかげで、鈍い身体の私でも文字が動画、いや、それは言い過ぎで、頭の中でゆっくり、とびとびのパラパラ漫画レベルくらいには、ぎこちなく動き出しました。

 もっと、じっくり、ゆったりとした時間の中で学ぶことができたらいいかな、という青写真ができあがりました。

 自分の足を使い、耳目を用いて手間をかけ、学びに行き、情報も得に行った沖縄。そんな手間ひまは大切だなぁと、揺れる沖縄から帰りの飛行機で考えることでした。

 

 



 

 


 

沖縄上陸!その2

2019-01-20 08:51:14 | 発達応援
さて、講演会の後は、講座です。



かなり広い会場だったのですが、ぎゅうぎゅうに敷き詰められて行くヨガマットやタオル。たくさんの方が待ちに待った講座だったのがうかがえます。

実技講座の最初は栗本さんでした。
講座は新刊の『自傷・他害・パニックは防げますか?』の内容を実技を踏まえて、より深めることができる内容でした。

お子さんや自分が関わる方がパニックに陥っている状態は、見ている方もつらいものです。

栗本さんは、「パニック」という状態をおさめることを目的とせず、パニックはどうして起こったのかに目を向けることやパニックを起こしにくい身体を作っていくことの大切さを提案してくださいました。

そして、とても具体的にその方法を教えてくださいました。またこの方法が、家でできることばかり!

そして、身体を作ることは、外側も大事だけれど内側も大事ということで、ご自身が学び、実践していることの参考文献も教えてくださいました。

栗本さんの教えてくださることはハウツーではありません。それぞれがお家に持ち帰り、お家に合ったやり方で実行できます。

その結果、自分の家ではどうだったか、どんな工夫をしてみたか、うちにはこんなところが合わなかったからこうしてみたよ!そんなことを言い合えるとどんどん治り方が加速するんじゃないかなぁ、とそんなカスタマイズ自由な楽しい実践を思い浮かべられる楽しい講座でした。

濃厚な時間は過ぎるのが早いもの。次の廣木先生の講座もあっという間の時間でした。

廣木先生も前述の新刊を踏まえて、文字だけではわかりにくい実技を教えてくださいました。

私も教室で出会うお子さんが、慣れない場所のせいやその日のコンディションによって、びっくりするほど動き回ったり、手当たり次第に物を投げたりする場面に遭遇することがあります。仕事柄、急に止めることなどはしませんが、時として、落ち着かせた方がいいだろうな、と思うことも多々あります。また、以前学校で仕事をしていたときに、自傷に走る子もいました。

そんな経験もあり、廣木先生の「自他護身」の「護道」の体の使い方は身につけておきたいと思っていました。ただ、本を読んでイメージしたり、家で相手をしてもらいながらの実践だけでは、常に「いいのかな?」がつきまとっていました。

今回、その霧がスカッと晴れたことはなによりも収穫でした。また実践を学びながら、「護道」は運動能力と関係なく、さらに武術や武道に疎くてもできるものだ、という確信も得ることができました。

「護道」はつかわないのが一番ですし、使ったとしても相手を押さえ込んだり、ましてや服従させるために使うものではありません。

私が使わない方がよい「護道」を学ぶ理由は、「護道」を通して自分の身体への発見があり、自分の身体が整う感触があるからです。これは栗本さんのコンディショニングでも感じることです。

思いもしなかった身体の使い方を知ることは、凸凹っ子たちが、不器用に動きながらだんだん、自分で動きやすいような動き方を獲得していく過程ときっと同じです。わくわくします。

本を読んで、沈思黙考するよりも、わくわくしながら動いてみる。わからなくてもいいから、ああでもない、こうでもない、と動いてみることが大切!そんなことを感じた時間でした。

帰ったら、忘れないうちにとりあえずやってみよーっと!ととにかく動きたいな、と思いました。

充実の沖縄の講座は、あっという間に終了しました。

講演会、講座のを主催してくださったIMUAの皆さん!本当にありがとうございました。




沖縄上陸!

2019-01-20 07:41:18 | 発達応援
昨日から沖縄に来ています。
夫の実家がその手前の方の沖永良部島ですが、
ソノサキには行ったことがありませんでした。

初上陸の日は、初夏のような陽気。
薄いTシャツ一枚でも、
おいしいソーキそばを食べたら汗ばむほどです。

さて、沖縄に来た目的は、三匹の侍ならぬ、
花風社の三人のおっさん揃い踏み+浅見さんの講座&講演会があったからです。



こんな有益な講座講演が一気に受けられる機会はまたとありません!行くしかないでしょう!と申込みをしました。会場では、やはりこんな機会はない!と思われた九州での栗本さんの講座の常連の方とお会いしました。

この講座には、沖縄の地域のお子さんや凸凹があってしんどい方々に治ってほしい!という主催者さんの並々ならぬ思いを感じました。そうでなければ、こんな豪華なセッティングはありません。
社会で必要とされることをリスクを承知でする方の姿に、同じく講座を主催するものとして頭が下がる思いでいっぱいでした。

そんな思いを抱きつつ、5時間に渡る講座講演会が始まりました。

最初は榎本さんと浅見さんの講演会です。

浅見さんは、ご自身と自閉症、発達障害との関わりの歴史から現在のスタンス=ギョーカイ潰そうに至った経緯をざっくりとお話しされました。

発達障害の人から裁判で決着をつけねば収まらないような執拗な嫌がらせを受けた浅見さん。それでも自閉症や発達障害の方々との「真剣に共存を考える」というスタンスを貫ぬく浅見さん姿には「この人たちは、きちんと言えばわかる人たちなのです。」という相手への当たり前の敬意があります。そして、きちんと一般社会で働くものとして社会的役割を果たそうという気概を感じるお話で、私も自分の役割を改めて考えさせられ背筋が伸びる思いでした。

そのような浅見さんの話を受け、次は榎本さんの講演です。

榎本さんのお話は、ご自身の警察官だった経験を踏まえての人との接し方、そして何をもって「問題行動」と考えれば良いか、の明確なヒントを下さったお話しでした。

途中、かなりできる警察官だった榎本さんが警察の外に出たら「こんなはずじゃなかった!」という思いを抱きつつ日々を送るお話。これは私が過去、そして日々接している凸凹っ子や大人の凸凹さんがよく抱いている思いとリンクしていて面白いと感じました。

榎本さんの『元刑事が見た発達障害 真剣に共存を考える』という本は、凸凹っ子たちが犯罪者にならないための本ではなく、自由に生きるために知っておいた方が良い本です。そして、親御さんや支援をする側も、何でもかんでも問題行動と介入するのではなく、どのレベルになったら止めるかが明確になります。親子が、支援を受ける側とする側が疲弊摩耗せず共存するための必読書だと改めて感じた講演でした。

つづく

足湯。

2019-01-16 13:56:04 | 日記
 ありがたいことに、今年は早朝バイク通勤にもやさしい冬です。

 なぜなら、いつもの年なら、風を通さないオーバーパンツを履くのですが、
今年はなんとなくの防風パンツ一枚で済んでいます。

 オーバーパンツ買い替えないと破れていたのですが、
なんとなく、買わずに済みそうです。

 今年のお正月休みは、「ほっとする」ということについて、
何となく考えた日々でした。

 というのも、久しぶりにはるばるやってきた義母が、
夕方になると、頭の中が忙しくなるのか、行動がそわそわしていて、
そのそわそわを落ち着かせたのが、
今日の題名の「足湯」だった気がするからです。

 義母が夕方にそわそわするのは、私の想像の範囲を出ないことですが、
慣れない場所での疲れや空腹、夕方になってくるという空気感、気持ちと、
色々とあったのだと思います。

 唯一、そわそわせずにゆったりと過ごしていたのが、足湯をした日でした。

 「今日は、お風呂に入らない」と言った日に、
散歩に行ったし、足がくたびれた、と言っていたことから思いついた足湯。

 足湯をするために、お湯を入れた桶を居間に持って行き、
「ちょっと熱いけど、足を入れて」と足を桶に入れてしばらくして、
義母が「ああ、気持ちがいいんだねぇ、足湯って」としみじみと言いました。

 それから、足の指や足の裏をマッサージすると、
ほっとしたような顔つきで、お湯に入れた足を見ながら、
気持ちよさや不調について、ぽつぽつと話していました。

 ゆっくりした時間過ぎ、足湯を終えると、
「身体も温まる感じだねぇ」と言い、
夕飯までの時間をテレビを観ながら待っていてくれました。

 そのほっとした表情や語り口。
そわそわと頭が忙しいときは、足湯をすると意識が足元に行って
頭のそわそわが落ち着くのでしょうか。

 お正月休みも終わって一週間もして、
そんなことに思いを寄せることでした。