ヘコまされた被害者&その家族と不登校児童・生徒&その家族を盛り上げる委員会弁護士の日記

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2021年12月17日に発生した曾根崎新地放火殺人事件の被害者の家族の手記

2022年12月07日 19時34分52秒 | 犯罪被害者支援

 以下、夫を亡くした女性の手記全文です。(原文ママ)NHKニュースの記事から転載です。この手記を読めば、犯罪被害者とその家族(以下「犯罪被害者等」と言います。)が置かれた厳しい状況がわかります。つまり、①犯罪被害者等は経済的補償がなされないまま放置される、②犯罪被害者等にはプライバー権がない、です。

 あの事件から一年がたとうとしています。
 夫がいないはじめての子どもの運動会を迎えた時。頑張っている子どもたちの姿を見て、わたしだけが他の家族たちと違う涙を流し、空を見上げて「一緒に見てくれているかな。」と心の中で話しかけていました。
毎晩、仏壇に語りかけ、返事がないことに涙する日々。
この一年は、本当ならば彼がいたはずの家族の誕生日や子どもの行事などに、この先もずっと「彼がいない」という形が我が家の形になることを実感せざるを得ない日々の積み重ねでした。
そして、毎月、17日が来ることが不安でした。17日という日が無事に過ぎてくれるとほっとする。
その繰り返しは、いつまで続くのかわかりません。
 
 事件当日、遺体と対面した時、警察の方から、犯罪被害者や遺族のための支援のサポートがあること、給付金もあることをパンフレットと共に教えてもらい、「助けてくれるところがある!」と知ったときは、絶望と悲しみでパニックになり「ひとりで子どもを育てていかなければならない」と不安でいっぱいだった心に、小さな光が差した瞬間でした。
 ただ現実には、その直後から遺体の検案費用、遺体の搬送費用、葬儀の準備等々、想定外の費用負担が次々と舞い込んできました。
どうして被害に遭った側が負担しなければいけないの?わたしたちは被害者なのに殺されたのも自己責任なの?と、とても理不尽に思いました。
 そしてそれに追い打ちをかけたのが、犯罪被害者等給付金の算定基準です。
この社会で生きていくためには、お金の問題は避けては通れません。加害者は死亡し、わたしたちは損害賠償を請求するあてもなく、給付金の申請のことを尋ねた電話の窓口で、事件当時の収入で給付金の算定額が変わること、当時、病気で仕事を離れていた夫に対する給付金の算定は「無職」による算定になることを聞いたときは本当にショックでした。
 夫も、あの時一緒にリワークプログラムに参加していた人たちも、みんな、病に倒れ解雇や退職を乗り越えて復職することを目標に頑張っていたのです。それを支えていた遺族にとっては、夫の命の価値を被害にあったその瞬間の「収入」で計られ、あなたの家族の命の価値は軽いのだと言われたように思いました。
 犯罪被害等給付金は法の理念のとおりならば、再び平穏な生活を送ることができるようにする、被害者や遺族の「未来」のための支援です。なのに、どうして未来をかなえるはずの給付金でありながら算定基準は被害者の「過去」の、それも「収入」ではかるのでしょう。
 わたしはその後、犯罪被害補償を求める会と出会い、今年2月にコメントを出させていただき、岸田文雄首相をはじめ各政党党首の皆様にも手紙を届けさせていただきました。4月には東京に赴き、法務省、警察庁との懇談や上川陽子元法務大臣とも面談もさせていただく機会を得ました。
しかし、法務省や警察庁からは被害者の実態や苦しみに寄り添った回答は得られず、なんら現状は変わっていません。
 犯罪被害の当事者となってはじめて、わたしは被害者という立場がどんな過酷な状況におかれているのか身をもって知りました。
給付金の算定の問題、たくさんある給付金の減額規定、そして、被害者支援はすべて被害者自らが手をあげて申請しなければならないというハードルの高さ、わかりにくい制度や法律用語、申請書類の煩雑さは、つらい状況下、生きるだけで精一杯の被害者に寄り添ったものとは思えません。
 自治体による支援の格差も知りました。わたしの住む都道府県にはまだ犯罪被害者支援の条例はありません。
 また、他の事件の被害者の事でも、損害賠償命令も無視し賠償金を払わない加害者が多いこと、それを訴えつづける裁判費用すら自分で工面しないといけないというあまりに過酷な現実が多いことも知りました。加害者に支払い能力がなければ損害賠償命令は絵にかいた餅でしかなく、被害者が泣き寝入りを強いられている実態も知りました。
 時がたてばたつほど、事件当時、警察署で見えた「支援」という名の光はどんどん濁っていく。そして今となってはまったく思っていたものとは違う景色が私の前に広がっています。
犯罪被害者は放っておかれている、なかったことにされている。そんなふうに感じることも残念ながら多いのが事実です。
そして、わたしが当事者となるずっと以前から、犯罪被害者の立場に陥ってしまった人たちはこんな状況の中で放置されてきたのだ、とショックでした。
政府や行政には「寄り添う」という言葉が言葉だけに終わらないために、どうすればよいのか。真剣に考えてほしいと思います。
 そして、世間の皆さんも、いつ、どこで誰が被害者になってもおかしくないのです。
ひとりひとりが「自分がもしその立場だったら」と考えていただきたいと思います。
 わたしは、わたしたちの生活が事件で変えられることが悔しいから、経済的な不安はあってもなんとしても彼の気配が残るこの家で、この場所で、子どもとの生活を続けることが私のプライドです。
 そして、わたしは彼が亡くなったことから気づいたことや、感じた問題意識を持ちながら社会に働きかけていくことも供養のひとつだと思っています。
犯罪被害者がおかれている現状を、たくさんの方に知ってもらいたい。
制度を運用する立場の人に、当事者たちがどんな支援を求めているか、知ってほしい。
 また、あの加害者のような人が生まれないような社会にしていくためにも、いろんな人が社会にいてそれを当たり前だと見つめる視線が多くなれば、と思います。ひとりひとりの見方が変われば、社会も変わっていくと思います。
そして、今よりよいものがひとつでも遺せたら、そこに彼が生きていた足跡も残るのかもしれないと思っています。

報道の皆様へ

 今年2月時点で出させていただいたコメントにも書いておりましたが、
被害遺族にとっては被害者の実名報道やいつまでもネット上に残っている事件に関する記事を目にすることは大変なストレスです。
 また、事件直後から自宅のチャイムを押して取材を申し込まれ、隣近所にも取材に回られ、結果、知られたくなかったことまで広い範囲にプライバシーを公開されてしまったことは筆舌に尽くしがたい苦悩とマスコミ不信を招きました。
 わたしたち当事件の遺族は「全員が実名報道を望まないとおっしゃっている」と、遺体と対面した警察署で聞きました。もちろんわたしも実名報道はしないでほしいと警察署ではお願いしました。
しかし、その願いは報道の側には届きませんでした。
 犯罪や災害など、毎日のように「被害者」と言われる立場の人たちが生まれます。
事件を風化させず、二度とこのような事件が起こることのないように、という報道側の目的や使命感は理解できますが、嫌がっている被害者に無理やりマイクを向け、カメラの前に立たせ、辛さや悲しみ憎しみを語らせないと、その使命や目的は果たせないのでしょうか?
 そういう取材手法を強いられることに対して疑問や葛藤を持つ記者に、感情に蓋をして被害者宅のチャイムを押させることが必要なのでしょうか?
 御身内やご自身が、もし被害者の立場であったら、と考えた時、どうでしょうか?
また、あってはならないことですが、あなたがもし何らかの事故や事件の被害者となってしまい、そのことが報道でとりあげられた時、あなたが傷ついている間も、死んだ後も、その記事はネット上を漂い続けます。
 1度出たものは拡散され続けます。そしてその事実は、遺されたご家族や、事故・事件当時そのことを理解できなかったけれど成長して分別がつくようになったお子さん、お孫さんを傷つけ続けます。
 わたしたちは事故や事件だけの被害者ではありません。
報道の意味やあり方については、被害者側の人権や心情、故人の尊厳を守ることを大切にし、報道の側の現場の人たちの声も聞いて考えなおす時期に来ているのではないか、と思います。

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